そして敗北令嬢は過去へ飛ぶ(2)
「馬鹿みたい」
震える声が、空気を伝う。泣きそうに揺れたそれがリカルドの心に触れた。また、3年前のように罪悪感で顔をゆがめる。しかしそれは一瞬で掻き消えた。
「馬鹿みたいよ本当にっ!」
シエルサの口角がぐにゃりと持ち上がる。怒りも呆れも通り越していっそ哀れだった。自然と顔が笑ってしまう。
声を上げて笑うシエルサの姿を、おぞましいものでも見るようにリカルドは1歩後ろへ下がった。その顔は恐怖を浮かべていた。そんな愛する人の姿を見て1人の少女が前へ飛び出す。
薄桃色のネグリジェで身を包んだ少女の手には、聖女が持つ錫杖があった。
「やっぱり悪魔がついているんです!!」
「ルエンナ!? 危険だ、下がれ!」
憤然と声を荒らげた桃色の髪のルエンナは、リカルドの制止も聞かず魔力を練り始めた。桃色の髪が魔力によってふわりと浮いて、その姿は神秘的と讃えられるだろう。錫杖もまたルエンナの魔力によって淡く発光する。
「光拘束っ!」
光の輪で対象の動きを止める、光属性第5の魔法。学生時代にルエンナが最も得意とした魔法だった。さらにルエンナはこの魔法に改良を加えて、抜け出そうとすると光の輪が無数の細い糸となって絡みつくようにした。
しかしそれは過去の話。
ぷしゅぅ……。
「な、なんで!?」
その魔法は発動されずに終わる。もちろんシエルサが手を加えたわけではない。
「ルエンナ様、この3年で随分と下手になったようですね」
爛れた生活を送るルエンナには、魔力を練ることも出来なくなっていたのだ。これでは寝所に襲撃をかけられた時、リカルドを守ることも出来ないだろう。妃というのは、王を守る盾でもあるのに。
そこへ風が吹いた。一陣の風はやがて暴風となり対岸の彼らを取り囲む。それはシエルサが使う風属性第8の魔法。その名は暴風壁。
「きゃぁぁぁぁ!!!」
「うああぁぁぁ!!!」
舞い上がるスカートを慌てて押さえるルエンナ。リカルドはそれを助ける暇もなく、剣を地面に突き立てて必死で身体を地面につなぎ止める。
「あなたたちには、本当に頭が詰まっているのですか? 私、これでも、我慢していたのに」
リカルドたちとは反対に、シエルサ側の森には風ひとつ吹いていない。変わっているのは1箇所だけ。圧倒的とも言える魔力制御だった。
「私、あなたたちの駒じゃあないの。自分たちがどれだけのことをしたかおわかり? あなたたちのわがままで人が死んだことを、本当の意味でわかっていらっしゃる?」
その目に浮かぶのは怒り。決して許さないと、忘れないと決意したその感情をシエルサはもう抑えない。
風がゆっくりとやんでいく。
リカルドの瞳に映るシエルサは小首を傾げて優雅に微笑み、声を落として歌うように言葉をこぼす。
「人が生きていくのに、感情は必要ないと思うのです」
それはさながら、青薔薇のよう。その美麗さに心奪われ触れようと手を伸ばしたら、鋭い棘に阻まれて怪我をする。
「だって、感情があるから婚約破棄なんて言葉が言えるのでしょう? 真実の愛、だなんて」
「私とリカルドは間違いなく真実の愛を見つけたんですっ! リカルドの心が自分にないからって八つ当たりはしないで欲しいわ!」
「心? それは私がリカルド様に愛を求めていると言いたいの?」
「そうよ! 愛しているから、あなたは私にあんなことをしたんでしょう! とっても痛かったのよ!」
ルエンナは必死に言葉を言い募る。心の底から、シエルサがリカルドを愛していると信じているのだ。
「愛なんて求めていないわ。私が求めていたのは信用と信頼。側妃が誰であろうとそれはどうでもいいことだわ」
「嘘よっ!」
「いいえ本当よ。それにたかだか階段で突き落とされた程度のことで喚かないでいただける? 鞭で打たれたこともないくせに、よく大きな口を叩けるわね」
シエルサとルエンナでは格が違う。いじめの度合いも、教育の差も、そして貴族であることの責任の重さも。
シエルサもリカルドの婚約者として令嬢たちからいじめを受けていたことがある。それを全て意に介さなかったのだ。だからシエルサは婚約破棄騒動であれほどに叩かれた。
「ムチ? ムチで私を叩こうとしていたの……? そんな、嘘でしょうっ!?」
その真意を理解できないルエンナは目に涙を貯め、悲鳴のようなかん高い声を上げながらリカルドの元へよっていく。リカルドはそっとその震える体を抱きしめた。
それを見ればシエルサだって、リカルドとルエンナが特別な仲なのは伺える。
シエルサはいままで側妃を持つことで王が安定するなら、それを許そうと考えてきた。許容出来なかったのは、ひとつだけ。
「私が許せないのはね、あなたたちが人の命をなんだとも思っていないことよ」
ひと月前のあの事件を、シエルサは一生忘れないだろう。あれがきっかけとなって、シエルサは今ここにいるのだから。
リカルドは眉をひそめながら紫の曇りない瞳でシエルサを射抜いた。まるで自分のせいで死んだ者などいないかのように。
「王がいるから民がいるんだ。少しの犠牲など、誤差だろう」
「そう。……そう、それならしょうがないわ」
シエルサは目を閉じる。視界が暗転して、次に開いた時には、リカルドは怯えた顔をしていた。
氷より冷たくて、刃より鋭いように。極めて冷徹な声音でシエルサは告げた。
「お前たちに対する欠片の慈悲は、その言葉で掻き消えた。私はお前たちを決して許しはしない」
そうしてシエルサは軽やかなステップを踏むように、一言を残して崖下へ落ちていく。
「お別れよ。国王リカルド、側妃ルエンナ。……そして、愚かな私」
後に残された本が、風ではらりとページを進めた。
シエルサのいう「ある人の命が失われたあの事件」の投稿もしたいな、と思ってます。書き終えてはいるので番外編として1章の後に載せたいですね。
ちなみにシエルサの怒りの度数は「普通<ポーカーフェイス<丁寧語<男性言葉(荒々しい言葉)」です。3年間男装をしていた時期があったので、それで言葉遣いが少しだけ変わってますね。学院編あたりからは自力で矯正完了してます。
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