敗北令嬢は情を感じない
サルヴェスタ王国王都シューノトル。その街のある屋敷で父と娘ともう一人が向き合っていた。ムードは険悪。その中でまず口を開いたのは父であるソレイユ・サリュメインだった。
「許可できない」
「なぜですか!?」
シエルサは座っていたソファから立ち上がる。ローテーブルをはさみシエルサの前に座る父は、シエルサのとなりへと視線を出した。その視線の先にはティーカップを傾けるルゼルがいる。
「そんな得体のしれない男を連れてきて、さらにそのような勝手を言うのか」
「ほう、得体のしれない……か」
「納得できません。理由をご説明ください!」
ソレイユはシエルサの言葉を無視して椅子から立ち上がる。そしてそのまま部屋から退出しようとした。
「あの少年はこちらで処分する。お前は学院での予習でもしていろ」
ソレイユとシエルサは少年──魔術師ジョジア・ワーロックの弟子の処遇について争っていた。少年の名前はレン。かつてシエルサにとってたった一人の友人だった男の弟だ。
レンが絶望すれば友人も絶望し、レンが死ねば友人も死ぬだろう。かといってこのままレンを返せばリカルドにいいように使われて、やはり友人は死ぬ。残された家族は弱者であるために淘汰される。
「……っ、彼も被害者です」
「それがどうした」
拳をふるわせてシエルサは俯いた。唇をちぎれんばかりに噛み締める。煮えたぎる怒りを、終わらない悪夢を。シエルサの心中は多様な怒りの言葉ではち切れそうだった。
そんな娘を一瞥してソレイユはため息を吐いた。
「今回のことは忘れろ」
それだけ言ってソレイユは外へ出ようとした。既にシエルサから興味は消えている。
シエルサは俯いたまま実の父の足が視界から消えるのを見ていた。
(……っ、なによそれ。なんで、そんなことが言えるのよ!)
なにかの糸がぷつりと切れた。それはきっと理性。
シエルサは振り返ると、父の腕を体重をかけて引っ張った。そしてその目がシエルサを捉えたのを確認したとき、実の父の頬を──シエルサはたたいた。
ぱちん。
そんな、乾いた音だった。
痛みがあるわけでも、傷ができる訳でもない。ただ少し顔が動いただけの結果しかもたらさなかった。ソレイユはシエルサの腕を振り払う。シエルサは後ろへ二歩下がった。
「……なんの、つもりだ」
しんと静まった空気の中で、怒りを押し殺したソレイユの声が魔力を帯びる。
その場に凄まじい圧がかかる。部屋の隅にある花瓶が耐えられずに割れる音がした。窓ががたがたと揺れて、押しつぶされるように砕け散った。
その中を、シエルサは膝をつくことなく立っていた。怒りを携えた瞳でソレイユを見ながら、臆することなく。
「……あなたは、勝手です」
のしかかる圧を耐えながら、シエルサは口を開く。ひとつずつ丁寧に伝えようとしたはずが、怒りは抑えきれずに膨れ上がる。
「そして、とても不器用です。……あなたの言う民のために心を砕く志はたしかに立派です。ですが! あなたは間違っている!」
「間違ってなどいない。それが私の正義だ!」
確かにソレイユは決して私利私欲のために動いているわけではなかった。しかしソレイユはその行動によって他人がどんな不利益を負うのかは理解していない。いや、理解しようとしていない。
「ならどうして誰一人悲しませたくないと言う口でほかの貴族を落とすなどと言えるのですか! 彼らもまた貴族という仮面が剥がれればただの人にほかなりません!」
「貴族であるなら上手く立ち回るべきだった!」
「その言葉で逃げているだけでしょう!」
「お前に何が──!」
きゅっと唇を結び、そして勢いよく言葉が紡ぎ出される。
「あなたこそ何がわかるのですか!」
それは過去のこと。ソレイユの知るはずのない未来のこと。だけどそれは確かにあったのだ。確かにそこに存在していて、シエルサの価値を決めつけていた。
「侮辱され、屈辱にまみれ、白い目で見られながらその場所を降りることの許されない私のことなど分からないのでしょうね! だってそうでしょう? あなたは生まれながらの貴族なのだから! 覆ることの無い権力を持つ人間だから!」
どろどろと醜いシエルサの本心が溢れ出る。そのヘドロはソレイユの足元から飲み込んでいく。そして顔すらも、飲み込まれたような気がした。
「寵愛も感情も友人も責務も立場も奪われて! 存在そのものを疎まれ忌み嫌われる気持ちは分からないのでしょう!!」
「な、にを言っている……!」
その鬼気迫る姿に、ソレイユは胸元をくしゃりと握っていた。
「もういいです。もう、私とあなたの道は交わらない」
ソレイユの瞳が大きく見開かれる。それは奇しくも、ソレイユの愛した女性と寸分違わず同じ言葉だった。そしてその言葉が、引き金となった。
「……種よ、芽吹きなさい」
その瞬間、部屋に風が起きる。何も起きていないように見えたソレイユの体は、一拍のあとに身体から赤い芽を生やした。
「なに……がっ!?」
「あなたの心臓に魔力の種を植え付けました。私に従ってもらいます」
魔力の種、つまりシエルサが使われていたものに近い、制約の核だった。それは放っておくと身体から大量の芽が生えてくる。そうなればもう手遅れだ。そうしないためには、定期的に契約の主導者から魔力を分けてもらわないといけない。
「ふざ、けるなっ! 子が親に逆らうのか!」
「まさか……育ててやった恩を忘れたか、とでも言うつもりですか? さんざん閉じ込めておいて? あなたが私に興味を向けたことなんてありましたっけ?」
シエルサは顔を歪めながら顔を逸らす。そこでようやくルゼルが口を開いた。ティーカップを優雅に持っている。
「まったく……人間というのは難儀なものだな」
「ルゼル」
「さて、見せてもらうぞ」
ルゼルはカップを置くと、胸を掻き抱くソレイユの元へ足を向けた。そしてその右手で頭をわしづかむ。
「うっ、がぁぁぁあ!!!」
蒼白いスパークがはしる。それに脳内を侵食されながら、ソレイユは腹の底から叫んだ。そしてゴミを捨てるように急に手の力が緩められる。ソレイユは地面へとおちた。
「人を殺すのは嫌いですが……殺しても私の心は揺るぎません。殺されたくなければ逆らわないことです」
「お前が知る限りの情報もすべて今吸収した。いなくてもこちらに不利はない」
父親としての情はもうない。だけどもしほんの少し父親らしくしていたら、もし軽く頭を撫でていたのなら──こんなことになっていなかったのだろうか。
そんな時間を、シエルサはきっと認めないだろうが。
「では、明日の準備をします。ひとつ伝えておきますが……私はもう王妃になる予定はありませんので」
「っ、神託に……逆らうつもりか!」
「神託なんて、信じるだけ無駄ですよ」
そう言い残して二人は部屋を出ていった。後に残されたのは地面に倒れ伏すソレイユだけだった。




