敗北令嬢は自由を手にする(8)
同じ頃、白銀の竜と呼ばれる竜神ルゼルは諸々の手続きを終わらせて、文字通り屋根の上で高みの見物をしていた。
はた目から見るとただ遠くを見つめているようにしか見えないその姿だが、実際は「遠見」という魔方を使っている。ルゼルが遠見で見ているのは、座っている屋根の真下──シエルサのいる地下だった。
そこでジョジアが何をしようとしているかルゼルは理解しているが、動こうとする様子はない。ルゼルとシエルサに影響が無いからだ。もしシエルサに傷をつけようとすれば勿論ルゼルは動くだろう。しかしその前にシエルサが動くだろうし、さらにその前にソレイユが動くはずだ。
ただ、ルゼルはシエルサを見ながらポツリと呟いた。
「気に食わんな」
もちろんその言葉はシエルサに届くはずもない。ルゼルは足を組み替えて、先日降りていた街での出来事を思い浮かべた。
「そりゃあ兄ちゃん、一目惚れってやつじゃねえのか?」
隣に座る四十代ほどのくたびれた男がそう言った。ここは酒場。古今東西あらゆる情報は酒場へ酒とともに流れつくと聞いて、ルゼルは尾と角を隠してこの街へと足を伸ばした。これは仕事ではない。
シエルサに頼まれた分の仕事はもう既に終わり、あとは報告するだけ。それなら何故ここへ来たのかと言えば、ルゼル自身の「不調」による。
あの日、空から落ちてきたシエルサと話してからどうにも不整脈が収まらないのだ。
「ひとめぼれ?」
ルゼルは酒を飲みながら繰り返した。自分の質問の答えは「一目惚れ」なのだという、そのことにルゼルは理解が追いつかなかった。
ルゼルがいる酒場はカウンターがひとつある。そして円卓がみっつ。そのカウンターの奥の席にルゼルは座っていた。聞き返したルゼルに今度は酒場の若い店主が答える。
「一目見て惚れたのではないか、ということです」
「それは恋というやつだろう?」
「ええ、まとめるとそうですね」
「では俺のこれは一目惚れじゃあないだろう」
「それは……どうしてでしょう?」
ルゼルは知っている。恋はキラキラしていて明るく、美しく楽しいものだと。
「誰かが、そう言っていた」
目を伏せた。今まで蓄えてきた多くの知識はルゼルの脳をうるおわせているが、こと恋愛に関する知識はほとんど存在しなかった。実際に体験したことも無い。そのためルゼルの知識は恋に恋する幼娘のそれと同じだった。
その様子を困ったように見た二人は、顔を合わせる。そして店主は一言口にした。
「それなら恋愛小説を読んでみたらいかがでしょうか?」
それはルゼルの知識を更に偏らせることになる。そんなことも知らずに、ルゼルはシエルサの元へ戻ったのだった。
「恋、愛、ひとめぼれ、か……」
夜風にあたりながらルゼルは呟く。シエルサに報告したあと、片っ端から本を読み漁った。竜は睡眠も食事もする必要がほとんどないので、ルゼルは文字通り四六時中本と向き合っていた。
すると確かに自分の症状は恋に似ている。それも一目惚れに。恋は楽しいことばかりではないことを、ルゼルはようやく知識として得たのだ。
自分の「気に食わない」という気持ちが恋であるのかどうかをルゼルはここ数日ずっと考えていた。シエルサがルゼルをどう思うのか、今何をしているのか、好きなものは、求めているのは、どうすれば喜ぶのか。知りたいという欲求がむくりともちあがる。
頭に激痛がはしったのはそのときだった。
「がっ……!?」
目の前が暗くなり、どこかから声が聞こえる。聞いたことのある声だった。
「ねえ知らないの?」
女性であることは間違いない。でもそれが、誰なのかは分からない。落ち着いた声音の、それでいて楽しそうに跳ねるその声は……誰か。その声は続けて言う。
「そういうの恋って言うのよ!」
はっ、とした。
「……っ、今のはなんだ!」
思わず叫び、辺りを探す。しかしどこにも誰もいない。いるのは自分と地下の人々だけ。既に痛みもなくて、残ったのはやけにはっきりとした言葉だった。それは甘い余韻と雷のような衝撃とともにルゼルの心へ広がっていく。
「まったく、謎は増えるばかりか」
そんなルゼルに気づくはずもなく、シエルサはソレイユとともにジョジアを見ていた。ルゼルのことなどその瞳には映していない。そのことに胸を掻き毟るほどの痛みを覚える。
悲しい。
苦しい。
痛い。
そんな、やるせない気持ちが「恋」というものだとルゼルは感じる。知識としてではなく、心と身体でそれを知る。
「俺を見ないのか」
泣きそうな顔はガタガタに笑っていた。
「気に食わん。それなら……そんなものはもう、いらないな」
その言葉を残して、ルゼルは足を振り上げた。月に黒い影が映る。コンッと軽快な音が鳴った。
更新遅くなり申し訳ないです……。学校はもうほとんどないので、ここからガンガンストック作りますね!!(涙)
あ、次の次の話で学院前編(Episode.0)は終わりです〜(。•̀㉨-)و ✧