敗北令嬢は自由を手にする(5)
夕方。行きとは違って3人の護衛を連れながら、シエルサとルイユは青玉館へと戻った。帰り道でも可笑しな会話に花を咲かせる2人を護衛していたのは、あのツッコミを必死になって耐えていた3人の兵士である。彼らの交代の時間に合わせて、シエルサは青玉館へ戻ることに決めたのだった。
たかが1日。たかが数時間にも満たない護衛であったが、それは彼らの「俺の仕えている姫様は1番素敵だ!」という意識を改めさせることになった。
護衛たちと別れたシエルサは、乗馬服のまま湯場へと向かい汗を流す。ルイユはまた別のところで着替えてから来るそうだ。その辺りは譲れないらしい。
(ルイユというメイド……。なかなかに使えそうね)
湯気のたつ部屋の中でシエルサは笑った。縁に両腕を乗せてそこへ身を委ねる。
ルイユはシエルサにとって駒でしかない。取り巻きという人を褒めるしか脳のない集まりに変わって、ルイユに情報を集めさせようとしている。
「さて、そろそろあがるか」
あまり遅くなれば何か心配になってでてくるだろう。シエルサは部屋へ戻ることにした。
部屋では既にルイユが待っていた。椅子に座るように言っていなければ座らなかっただろう。そう考えながらシエルサは「おまたせしたわね」と言いながら机を挟んで向かいの椅子に腰掛ける。机の上にはいくつもの美しい糸と針が何本か刺さった針山がある。そのそばには布と丸枠もあった。
ルイユの顔は青白くなっていた。シエルサは少し机に乗り上げてその顔に手を触れた。
「敵前逃亡はしなかったのね」
そもそもこの刺繍セットを用意したのはルイユだ。用意するときには、どんな展開が待っているか予想がついたことだろう。
「私はメイドですから」
「あら、そう。それなら主人に相応しくあるべきね」
ハイライトの消えた瞳のメイドと、輝くような笑顔の主人。
そう、これから行われるのは……刺繍である。
貴族令嬢として極めるものは、日々の作法、茶会や夜会でのマナー、全貴族の名前と顔の一致、男性との話題作り、そして刺繍や楽器など。もちろん全て出来ている人などいるはずもない。ここにいる次期王妃シエルサ・サリュメインを除いては。
ルイユは貴族令嬢の初歩である作法やマナーはよく出来ているようだった。男性との話題作りも馬術が少しできるのなら上出来だ。貴族の名前はシエルサが付きっきりで3日教えればなんとかなる。たとえ教室が違っても寮の部屋は隣のはずだから。
しかし刺繍や楽器は時間が必要だ。それも、不器用と言われる部類の人には特に。
「まずは、糸を入れてみましょうか」
針と糸を取り出し、糸の先を斜めに切ってみせる。シエルサは見事1度で糸を通した。糸をつけたまま元のように針山に突き刺す。
「こうして斜めに切ると入れやすいわ。ここが1番大変なところだから、頑張ってね」
「……がんばります」
「そのあとはこのハンカチを使って、辺に沿って真っ直ぐに線を引いてみましょう。出来るなら3枚分使ってくれても構わないわ」
鬼だ。スパルタだ。ルイユが基本的なところは祖母から教わっていると答えたからと、容赦ない行軍だった。
「あ、あはは……」
乾いた笑いしか出てこない。ルイユは既にしかばねのようだ。
「それじゃあ、しばらく席を外すわ。この部屋を使っていていいわ。何かあったらベルを鳴らすこと」
「え、行ってしまわれるんですか?」
「そうよ。やらなければならないこともあるし。だからゆっくりやっていていいわ」
「分かりました! では1枚終わらせてみます!」
席を立ち外へ出る。
「どこへ行く」
「少し、地下へ。隠し事にはもってこいでしょ」
相変わらず角と尾を隠そうともしない姿でルゼルは現れた。腕組みをしたその手には1枚の紙がある。
「そら、終わったぞ」
「客人が来るはずよ」
「ジョジア・ワーロックのことか。表の予定には入っていないな」
「それはそうよ……」
ジョジア・ワーロック。前回も彼は来ていた。シエルサが出立する前日の夜に、紋様のかけ直しがあるためだ。
強く唇を噛み締める。
(あの男は私だけでなく……彼の人生まで狂わせた)
許すものか。許せるものか。
「復讐か? どう叩くつもりだ」
「……ジョジア・ワーロックはこの後に、憲兵団に見つかって殺される。その時に生かしてあげるの」
ソレイユ・サリュメインもジョジア・ワーロックも、痛みと苦しみを感じて生きればいい。それが、シエルサの1つ目の復讐。
「ただ、ひとつだけ細工をして……ね?」
シエルサは地下への扉を開けた。竜神を伴って、ある仕掛けをするために。
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