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京アニに、僕達が想像力の花束を渡そう

作者: 牝牡蠣

僕がこの文章を綴るのは二度と同じ悲しみを起こしてはならないと思ったからであります。まず、件の放火事件で亡くなられた方、傷ついた方々にお悔やみ申し上げます。そしてこの文章がその無念と苦しみとを想像した末の、こうであってほしかったという世界のために生み出されたことを念頭においていただければ幸いです。この事件は今だ犯人の動機というものが不明確であり、あまりアクションを起こすべきか否かと考えましたが、考えてゆくうちに、もしかこの事件の深層は僕達世論というものと無関係ではないのではないかと考えました。それが<私的領域の暴走>と<公的想像力の欠落>です。僕がそれを考えたのは犯人の表面上の動機「小説を盗用されたから」を聞いた時です。おそらくこれを聞いた皆様の中には戸惑った方もいらしたのではないでしょうか。そんな動機のために三十人余りの方が亡くならねばならなかったのかと。しかし僕は別の意味で戦慄としました。「そんな私的な理由が犯行の動機になるのか」と。事の問題は、この私的な理由による恨みが、その情動に任せアクションを起こせば自分以外の他者=公的領域が傷つく、ということを考えられなかった点にあります。それは二つの要因を示します。一つは犯人の内に他者=公的領域がなく、今回の放火というアクションにおいても私的領域の内に、つまり他者=公的領域そのものすらも私的領域として「自分が世界の中心であり、何にも恐れるものはない」において行われたものではないかと。これが僕の考えた<私的領域の暴走>です。もう一つは「自分以外の他者=公的領域を想像する」という考えがなかった、する力が無かった、無くなってしまった。僕はこれを<公的想像力の欠落>と考えました。そしてそういった<私的領域の暴走><公的想像力の欠落>を助長させているのは紛れもなく僕達世論なのではないか、という考えに至ったからです。自分さえ良ければいい、苦しいのは自己責任だ、反対の意見は排除しろ、あまりの多くのハラスメント、周りを巻き込まず一人で死ね。僕はこの言動そのものがまさに<それら>そのものであり、この事件もそれと同じ根を持ついつかおこりうると誰しもが容易に想像できた事件だったのではないかと。では、僕達世論にはなにができるのでしょうか。僕は考えました。まず、これから少しばかり目をつむり、これを読んでいる貴方が見たであろう京アニの作品を思い返してみてください。おそらくこの文章を読んでいる方で京アニに触れたことのない方はいないのではないでしょうか。少しばかりでいいんです、お願いします。どうでしょうか。感じ取れたのではないでしょうか。明るく、朗らかで、楽しく、きらきらと輝くキャラクタ、木々、街並み、世界。そしてそれを創り出したクリエイターの<想像力>。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」も「響けユーフォニアム」も「小林さんちのメイドラゴン」も「聲の形」も「けいおん」も「涼宮ハルヒの憂鬱」も「CLANNAD」も「赤き光弾のジリオン」もすべて京アニのクリエイターによって生み出された美しく尊い<想像力>の結晶です。彼らの真摯な仕事によって生み出されたこれらの前で僕達が<想像力>を曇らせてはいけないのです。彼らの<想像力>によって示されてきたものの価値を本当に、本当に、抱き留めなくてはいけない。僕達は<暴力>や<欠落>に、<想像力>で立ち向かわなければならないのです。それがクリエイターの<想像力>に対する、僕達が行える最大の真摯な振舞いではないのかと、僕は考えます。

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