【02 – 01】
「ねえねえあっくん、ちゅーしてくださいっ♪」
というわけでジョージさんとの同居生活が始まってから、
およそ一ヵ月が経過しました。
暦は五月、GW明けの月曜日。カノンちゃんは新居であるジョージさんの家からようやく慣れてきた通学路を使って学園に登校し、教室で退屈そうにスマホを眺めていた男子生徒の隣に着席。
それからこのGW中に発覚した『ジョージさん盗撮サイト事件』で疲弊したJKハートを癒すべく、口先をタコのように尖らせてニュッと突き出したのですが、愛しのダーリンはそれを一瞥もすることなくスルーしました。ふふ、照れ屋さんですね。
「もう、なんで避けるんですか!」
「……いや、意味わかんねーから」
ちなみにカノンちゃんの隣の席に座る、やや小柄で吊り目で童顔の、確実にそのへんの女子よりも可愛い『男の娘』……もとい美少年は、直江秋良くん。
幼稚園からのお幼馴染みでもあり、さらに地元から離れて進学した学校でもこうしてクラスメイトになれたことから、カノンちゃんは彼こそが前前前世から運命で結ばれたソウルメイトであることを確信しております。
「……なんだろう。なんか今無性にイラっとしたわ」
至近距離から注がれる熱い視線を鬱陶しそうに手で振り払い、アキラくんはようやくスマホから顔を上げました。
「バカノン、おまえまた、変なこと考えてねーだろうな?」
「うふふそれは、私とあっくんが以心伝心しているという解釈でOKですか?」
「あれ? だったらなんでおまえまだここにいんの? おかしくね?」
「んもうあっくんったら、今日も素直じゃないですねぇっ。可愛いなぁっ♪」
「……おまえは今日も普通に気持ちわりぃな。いいからあっち行けよ」
半眼で毒を吐きながら、椅子ごと身体を引くアキラくん。ゾクゾク。幼稚園のころから十年近い歳月をかけて調教されてきたドMマインドが、悦びに打ち震えます。
(あぁ、これこれっ。これがないと、一日がはじまった気がしませんねぇ……っ!)
とくにここ最近は慣れない新生活によって、表面上は取り繕っていたものの、やはり心中は疲弊していたのでしょうか。アキラくんからのご褒美は格別です。癒されます。
カノンちゃんはさも大森林のなかで立ち尽くすかのように瞳を閉じ、両手を広げて、深呼吸。マイナスイオンをたっぷりと含んだ冷たい視線を全身で味わいました。
「キモっ」
アキラくんから追加の罵声です。
ご褒美、ありがとうございます。
「……なんだよバカノン。最近は、以前にも増してキモいじゃねえか」
ですがそうしたカノンちゃんの反応に、幼馴染みなりに何かを感じ取ってくれたのでしょうか。珍しくアキラくんのほうから話題を振ってきてくれました。
「えっ、気になる気になる!? やっぱり気になっちゃいますか!?」
「気になるというか、気に障る」
「んもうっ、素直じゃないんだからぁ♪」
「……どうせろくでもないことなんだろうから、さっさと吐け」
「えぇー。どうしよっかなぁー♪ どうっしよっかなぁー♪」
「調子に乗るな」
バチン! 一瞬、カノンちゃんの意識が遠のきます。
原因は、額に見舞われたアキラくんのデコピン。しかしただのデコピンと侮るなかれ。本人曰く『筋肉が付きにくい』体質のため、一見すると華奢に見える幼馴染みですが、幼い頃から道場に通っているため、じつはなかなかの力持ちさんです。とうぜん繰り出されるデコピンは通常のそれを上回り、たった一撃でカノンちゃんの額は真っ赤に腫れあがってしまいました。
(うぅ……愛が、痛いです……)
ですがよく躾けられた忠犬とは、御主人さまの愛の鞭に不満を唱えることなどありえません。耐える愛、これもまたひとつの幸せのかたちなのです。
「……んー、でもべつに、ホント大したことはありませんよ」
ズキズキと痛む額をさするカノンちゃんに、
アキラくんは怪しむように眉根を寄せます。
「本当か?」
「はい。ただ同居している叔父さんが、ちょっと変わり者だったというか……」
「同居っつーと……ああ、例の親戚か。たしか居候させてもらってるんだっけ?」
「はい。そう言うあっくんは寮生でしたよね?」
「おう。寮生活、めっちゃ快適だぜ」
カノンちゃんたちが通う私立青羽峰学園は小・中・高を一貫したマンモス教育機関であり、保護者や有志による潤沢な寄付金もあって、設備面などは非常に充実しております。男女別の学生寮も備えており、アキラくんはそこから通う寮生でした。
(あっくんが一人暮らしだったら、いろいろと都合が良かったんですけどねぇ……)
そうであればそもそも、こうした心労に囚われることもなかったでしょう。地元を離れた幼馴染みが仮にアパートを借りて一人暮らしを始めていた場合、未来の嫁は間違いなく入り浸ります。昼は甲斐甲斐しく世話を焼き、夜は若さに任せて爛れます。とはいえ在学中は『明るい家族計画』の備えを怠らない心積もりのJKは、一時の感情の昂ぶりに流されず堅実に未来を見据える、良妻の鏡と言えますね。そんな未来を予想したアキラくんが迷うことなく男女別の寮生活を選んだことを、本人はいまだ知りません。
「で、どんな人なんだ、その親戚って」
「ん~……まあ、一言で表現するなら『変態さん』ですね」
「おいちょっと待てそれ本当にここでしていい話題なのか? ケーサツ呼ぶか?」
「あはは、大げさですねぇ~。……あ、大丈夫ですよ! 私の貞操は、いまだ清らかなまま。バージンブレイクの権利は、いつだってあっくんだけのものですからっ♪」
「……そうか、そう言えばお前も立派な変態だったな。なら問題ないか」
毒を以て毒を制す。五十歩百歩。類は友を呼ぶ。先達たちが遺した格言の意味を、深く噛み締めるアキラくんでした。
「んで、その親戚は具体的に、どんな風にヤバいんだ?」
「え~、とはいってもジョー……叔父さんは、中身がちょっとアレなところを除けば、美形でお金持ちで気配りのできる、とても良い変態さんですよ?」
「金とか権力を持った変態とか、最高にタチ悪くね? バカノンお前ホントに大丈夫かよ? おまえバカなんだから、ちょっとエサもらってホイホイ懐いてんじゃねぇぞ?」
アキラくんのなかではカノンちゃんの叔父は、家庭事情と資産を利用して現役JKを自宅に囲う油ギッシュな中年肥満男性としてイメージされつつあります。口調こそ乱暴なものの、瞳には幼馴染みを気遣う色が見て取れました。これにはカノンちゃんが驚きます。
「えっと……自分で言うのもなんですが、あっくん、私の言うこと信じてくれるんですか? 我ながら、にわかに信じがたい話だと思うのですが……?」
仮にカノンちゃんが友人から同じ話を相談されれば、友人の安否よりも先に正気の存在を疑ってしまうことでしょう。それほどまでに突拍子のない話であることを自覚しているからこそ、本人もこれまで説明を避けてきたのですが、対面する幼馴染みはそれこそ不快そうに表情を曇らせます。
「……あのなぁ、バカノン。おまえはたしかにバカだ。とんでもない大バカだ。空気は読まないし口調は変だしいつもくだらない妄想を垂れ流してるし、わりと頻繁に俺は、おまえと知り合いになっちまったことを真剣に後悔している」
「えっと……それは、褒めてくれているのでしょうか?」
「そういう意味不明なポジティブさがキメぇっつってんだよ」
でもな――と、アキラくんは嘆息。
「お前はむやみやたらに、人を貶めるようなことだけは絶対に言わねぇだろ? いちおう幼馴染みなんだから、それぐらいはわかるって」
「……っ!」
その瞬間カノンちゃんの脳裏で『パァァ……!』と、
無数の花弁が咲き乱れました。
次回の更新は明後日水曜日の予定です。
お読みいただき、ありがとうございました。
m(__)m