【01 – 05】
そんなカノンちゃんの改心など露知らず、
ホクホク笑顔のジョージさんは語ります。
「いちおうミューズからエンジェルの趣味嗜好はある程度聞いていたが、じっさいに会ったこともない相手の好みにセッティングするのは、なかなか不安があってね」
「いやでもこの部屋には、それだけの価値が十分にありますよ! ステキです!」
「本当かい? それなら三日間ほど、眠らずに頭を悩ませた甲斐があったよ」
「そうですかそうですか。それはたいへんなご苦労を――うぇ?」
「ん?」
見過ごせない違和感がJKの言葉を詰まらせますが、
対するジョージさんは笑顔のままです。
「大事なマイエンジェルの部屋作りだからね。それくらいは当然だろう?」
「は、はぁ、まぁ、そうかもしれませんね……」
さも当然のように語るジョージさんに、浮かれ切っていたカノンちゃんは呑まれてしまいます。しかし頭の片隅ではじわじわと、不安という名のシミが広がっていました。
「そ、それにしても──」
とにかくこの話題は危険だと察したJKは、なんとか別の話題を探します。すると目に入ったのは、部屋の中央に置いてある円形の小型の机。その上にかけられている、細かいレースの刺繍が入った純白のテーブルクロスです。
「あのテーブルクロス、とってもオシャレですよね。とくにあそこにワンポイントで入っている花の刺繍が、とってもキュートです!」
「それはエンジェルの好きそうなフラワーをイメージして縫ったんだ。気に入ってもらえたなら嬉しいよ」
「……あ、あとあのカーテン! この派手すぎず薄すぎない、ほのかなピンクの色具合が絶妙ですよねっ!」
「ああ、あれは僕も、自信作だ。あの色合いを出すのにはなかなか苦労したよ」
「それにこの机やあの本棚も! まるで今の私の身長にあつらえたみたいにピッタリじゃないですか!」
「家具作りについては、むかし少々齧ったことがある。素人芸で申し訳ないが、大事に使ってやってくれ」
「ベッドもフカフカで、とっても寝心地良さそうで──」
「念のため一回手洗いして日干しておいたから、多少は柔らかくなっていると思う。それでもまだ固いようだったら、言ってくれ。すぐに洗い直そう」
「こっ、この衣装棚も、じつに使い勝手が良さそうで……ってあれ? もうすでに中身が入ってる……?」
「ああ。エンジェルの私服の好みまではさすがにわからないが、下着類はある程度揃えておいたほうが便利かと思ってね。ベーシックなホワイトをメインに、あと基本の色を何種類かずつ取り揃えておいた」
「あ、アウトーぉ!」
とうとう堪えられなくなって、
カノンちゃんは両手を頭の上でクロスさせました。
脳内審判員たちが揃ってレッドカードを掲げています。
「……? どうしたんだい、エンジェル?」
唐突に床に両手をついてさめざめと嗚咽を漏らしはじめた情緒不安定なJKに、ジョージさんは小首を傾げました。気遣うように肩に置かれた手を、警戒心を復活させたカノンちゃんは振り払います。
「どんとたっちみーっ! フシャー!」
「ど、どうしたんだいエンジェル? なにか僕の行動が、気に障ったのかい?」
「気になるもなにも、ジョージさん!」
ビシッ! 荒ぶるJKは部屋を指さします。
「この部屋、ちょっと頑張りすぎでしょう!? 『プロデュースbyジョージさん』ていうかもはや『メイド・イン・ジョージさん』みたいになっているじゃないですか!? あなたはいったいどこの万能家具屋さんですか!?」
「大切なエンジェルの関わるものには、できうる限りすべてに手を通しておきたい……。そういうごく当たり前の、人としての業だね」
「いやそれは重度のストーカーのみが持ち得る、異常な執着心ですよ!」
「ハハッ。僕はキミのストーカーではなく、ナイトだから安心しておくれ」
キメ顔で告げるイケメンに、JKは開いた口が塞がりません。なぜなら少なくとも現在の日本に、そのような肩書の職種は存在しないからです。ニンジャもサムライもチョンマゲも、すべては空想の世界だけのもの。現実と妄想を混同してはいけません。
(じょ、冗談じゃありません! こんな変態さんと、一緒に暮らせますかーっ!)
最新家電による魅惑のハニートラップから逃れ、
正気を取り戻したカノンちゃんは……ダッ!
脱兎のごとく、床を蹴りました。
「ストップだ、エンジェル!」
しかし唯一の退路である扉は、いちはやく姫君の動きを察知した自称騎士によって塞がれてしまいました。すかさずカノンちゃんは窓際へと撤退して、不動の姿勢をとる門番から距離をとります。掲げるのは、スマホと連動した司法という名の剣。
「……っ、そこをどいてくださいジョージさん! マジで警察を呼びますよ!?」
「ノープロブレム。その頃には、すべて終わっているよ……」
「な、なんですとっ!?」
スマホを握り締めるカノンちゃんに対して、
不敵にジョージさんは口端を吊り上げます。
停滞する空気。
加速していく緊迫。
そしてジョージさんがとった行動は……
「プリーズ、マイエンジェル! 出ていかないでくれっ! 僕にできることなら、何でもするから! だから僕を、見捨てないでおくれ……っ!」
ゴンッ! と床に頭を叩きつけ、腰を折り、両手を頭の左右に添えた……日本の伝統文化、いわゆるジャパニーズ『DOGEZA』でした。非常に美しいフォームです。
「プリーズっ! ヘルプミー! この通りだ……っ!」
ゴンッ、ゴンッ、ゴンッ、と、
床を砕く勢いで頭を叩きつけ続けるジョージさん。
「ひ、ひぃいいいいい!」
延々と繰り返される必死な懇願に、カノンちゃんは恐慌を覚えずにはいられません。なにせ年上で美形で異性、そのうえ書類上の叔父にあたる人物に土下座されるなど、そうそうある経験ではありませんから。このままでは、JKの人生経験値が望まぬカンストをしてしまいます。
「わ、わかりましたよジョージさん! だからとにかく、頭をあげてください!」
精神的窮地に追い込まれたJKは、とうとう懇願という名の脅迫に屈してしまいました。こう見えてカノンちゃんは、押しに弱いタイプなのです。将来が少し心配ですね。
「マイエンジェル……っ」
カノンちゃんの鶴の一声によって顔をあげたジョージさんは、まるで神にすべての罪を許された咎人のように目を潤ませていました。ドキンッ。このような状況下でも目にする異性の心をトキめかせるイケメンフェイスは、いっそ戦略兵器と呼んでも過言ではないでしょう。
「で、ですが、ジョージさん。私はまだ、あなたの提案を受け入れると決めたわけではありません。その前にいくつか、はっきりさせておきたいことがありますので、正直に答えてください」
「ああ、ミューズに誓おう」
そこは是非とも神に誓って欲しかったJKですが、毒を食らわば皿まで。この際ついでに、これまで気になっていたことをぜんぶ確認しておきます。
「ではまず……先ほどからずっとスルーしてきましたが、その、女神というのはママのことですよね? なんでミューズなんですか?」
「……? 不思議なことを聞くね、だってミューズはミューズじゃないか」
なぜ『空は青いのか』と問われた子どものように、三十路を過ぎた成人男性は純粋な疑問の眼差しを向けてきます。その半分程度しか生きていないJKの浅学な知識では、彼を説き伏せることは不可能だと直感しました。これはもう理屈ではありません。というか、これ以上踏み込むのが怖いです。瞳にふたたび狂信者の輝きが戻りかけています。
「ま、まあそれはいいでしょう。ママのことをどう呼ぶかなんて、人の自由ですからね」
迂闊に地雷原には踏み込まない。空気を読むことに長けたJKは爆弾を華麗に回避します。伊達に日々の会話から、コミュニケーション能力を培われてはいません。過酷なスクールカーストを生き延びるためのJK必須技能です。
「では確認その二。その女神の娘だから、私を天使と呼んでいる認識でオーケィ?」
「ザッツライト」
「でしたらエンジェル呼びはやめてください。ここまで我慢してきましたけど、ぶっちゃけめちゃくちゃ恥ずかしいです」
「……? どうしてだい? だってエンジェルはエンジェルじゃないか。とってもキュートなエンジェルを讃えるのに、外聞なんて気にする必要ないさ」
「……っ!」
またしても無垢な瞳を向けられて、カノンちゃんは答えに窮してしまいます。あと顔も火照っています。胸がドキドキ。頭の奥が痺れます。見事なカウンターですね。
(まったく! これだからガイジンさんは!)
真正面からイケメンにベタ褒めされる破壊力、まさに核兵器のごとし。これが奥ゆかしい日本男子には真似できない、海外男子の実力だとでもいうのでしょうか。しかもそれが世辞ではなく本音であることが伝わってくるので、その効力は乗算です。天元突破でございます。JKの足腰は快感でガクブルです。
「ま、まぁ? ジョージさんがどうしてもというのであれば、それも許可してあげましょう。……ただしその呼び方は、せめて二人だけのときにしてくださいね! 他の人の目があるところじゃダメですよ!」
「……アンダスタン。つまり二人だけの、シークレットというわけだね!」
「はぁ……まあ、もうそれでいいです」
なんだか誤解をしているジョージさんは非常に嬉しそうですが、この段階ですでにかなり疲弊しているカノンちゃんは、適当に流して話を進めます。一刻もはやくこのストレスフルな会話を終わらせたい。心が休養を欲しています。頭が糖分を欲しているのです。
「では最後に……ジョージさんが、今日顔を合わせたばかりの私にそこまで固執するのは、その、ママのためですか?」
「……イグザクトリー」
肯定の意を唱えたジョージさんは、
まっすぐカノンちゃんを見つめます。
「蔑んでくれても構わない。だけど僕はどうしても、ミューズの願いに応えたい。だってそれだけが、僕にできるオンリーワンの『贖罪』なのだから……っ!」
「……」
ジョージさんの口にした『贖罪』という言葉。そこに並々ならぬ決意と悲壮を感じて、カノンちゃんはようやく、この破天荒な叔父の性根を垣間見た気がしました。
(そうですか……。やっぱりジョージさんも、ママたちの『過去』を知っているんですね)
それどころか口ぶりからして、当時の『事件』の関係者だったのかもしれません。そこまで察したカノンちゃんは、しばし黙考。深呼吸で、気持ちと思考を切り替えます。
「……わかりました。そういうことなら、私たちはいわゆる『同士』、というヤツなのかもしれませんね。なら想いを同じくする協力者として、予定通り、不束者ですがお世話にならせていただくことにします」
「お、おぉ……ということは、エンジェルもミューズのことを……」
「まあ、娘ですからね。思うところは、いろいろとあるわけですよ」
「ジーザス……神よ……ミューズよ……サンクス……サンクス……」
感極まったように目尻に涙を浮かべ、現世に光臨した神の子を崇めるように、両の掌を組んで頭を垂れるジョージさん。その敬虔な信徒のごとき拝礼に、宗教観の薄いジャパニーズJKはドン引きです。思わず後ずさってしまいます。そのぶんじりじりと、ジョージさんは器用に膝をついた姿勢のまま距離を詰めてきます。はあはあ、息が荒いです。このまま放っておくと足先に口づけでもしそうな狂信者に、カノンちゃんは先手を打ちました。
「と、とにかく、頭を上げてくださいよジョージさん。だいたいお世話になるのは私のほうなんですから、頭を下げるならむしろこっちのほうですって!」
「そんなことはない。エンジェルに仕えさせてもらうことは、俗人にとっては至上の栄誉さ」
「私はそんなたいそうな人間じゃありませんよぅ! だいたい、これだけのものを用意していただくと、けっこうな出費だったでしょう? ジョージさん、ママたちからもらった予算は足りていますか?」
「まさか。ミューズから下賜されたマネーに、僕が手を付けるわけないじゃないか。それにこう見ても、僕はそこそこ稼いでいるんだ。エンジェルが翼を休めるためならハウスの一軒や二軒、安いショッピングさ」
「そうは言ってもですねぇ、物事には限度というものが――って、え? ハウス? ショッピング?」
クリクリのお目目をさらに大きく見開いたJKに、ジョージさんはにっこり笑顔。一見して表面は穏やかな……しかしまるで底の見えない底なし沼のような威圧感に、カノンちゃんの冷や汗は止まりません。じんわりと、脇のあたりが湿ってしまいます。
(やっぱり私、早まりましたか……っ!?)
◆
ともあれカノンちゃんとジョージさんの騒々しい同居生活は、このようにしてスタートしたのでした。