【05 - 03】
本日は四話連続投稿ですので、読み飛ばしにご注意ください。
m(__)m
「……? エンジェ――カノン?」
「もうエンジェルでいいですよ、ジョージさん。そして笑わせないでください」
確実に訂正する気がないであろう自身の呼び名に根負けしつつ、カノンちゃんは蔑んだ視線を、困惑するジョージさんに注ぎます。
「わざわざこんなところまで出張っているのに申し訳ありませんが、オナニーなら家でやってくれませんか? それが最低限の、マナーというものでしょう?」
「……それはさすがに、聞き捨てならないな」
辮髪男の身をスチールバットで制したまま、ようやくジョージさんが振り返ります。しかしそのゴッドイケメンフェイスにはいつも柔和な笑みは浮かんでおらず、瞳は奈落の底のように淀んでいました。
「エンジェル。これは断罪だ。そして僕に残された、ミューズに対するたったひとつの贖罪だよ。それをマスターベーション扱いするなんて、ちょっとヒドいんじゃないかな?」
言葉遣いこそ丁寧ですが、語気に込められているのは明確な怒り。叔父から感じるはじめての敵意に内心では委縮しつつも、カノンちゃんは不遜な態度を崩しません。
「だからそれが、ネクラ野郎の自意識過剰オナニーだって言ってるんですよ、ジョージさん。笑わせないでください。みくびらないでください。私のママが本当に、『そんなこと』を望んでいると思いますか?」
「……っ」
何故ならカノンちゃんもまた、怒っているのです。
自分勝手なジョージさんに。
その自己欺瞞に、ママを利用していることに。
「ふざけるんじゃないですよ、ジョージさん! 私のママはねぇ、いつまでもそんな過去のことをグチグチと根に持つような人間じゃないのですよ! 今さら昔のオトコが出てきたとしても『あっそ、じゃあね』で終わりです! 過去は過去で割り切っているのです!」
ちなみに自分の過去に対しては非常にドライなママですが、仮にパパの過去のオンナが出てきた場合、修羅場は必死でしょう。何年も前の小さな失言でも、ネチネチとことあるごとに責めてマッハで病んでパパを監禁しようとするママです。すべては愛ゆえの業ですね。
「だからジョージさん。貴方のそれは、ママを救うための贖罪ではなく、自分が救われたいがための自慰行為です。そんなくだらないものに、ママを利用しないでください」
かつて守れなかったからといって、いまその悪意を排除したとしても、救われるのは弱かった過去の自分自身だけ。あくまでそれは自分本位の自己肯定であり、そこを履き違えるなと、カノンちゃんは叱責します。
「そして大事なのは、いつだって過去ではなく現在、そして未来です。ジョージさんはいったいいつまで、過去に囚われている気ですか?」
「ば、バット、でもそれなら、僕はいったいどうやってミューズに償えば……」
「だぁーかぁーらぁー、そもそもその『償う』って発想が、大きな間違いなんですよ。きっとママは、もともとジョージさんを恨んでなんかいません。どうせビビリのジョージさんが勝手に怯えて、ママから距離をとっていただけじゃないですか?」
「……」
「それにもし怒っていたとしても、もうとっくに許していますよ。私の存在が、その証明そのものじゃないですか」
大事なひとり娘を預ける。そのことの意味が、わからないジョージさんではないでしょう。同時にカノンちゃんは、ママの隠された『願い』にも気付きます。
(……きっとママは、ジョージさんのことを、自分の代わりに『許して』あげてほしかったんでしょうね)
間違っても『助ける』だなんて、
大仰な言葉は用いません。
だってそれは、一方的に与えられる施しだから。そんなものをジョージさんは望みません。そんなものでジョージさんは救われません。きっと彼が望んでいるのは、彼自身が積み上げることのできる『何か』。それを成すことでこの気弱で臆病なイケメンはようやく、自分自身を許せることができるのでしょう。
それはきっと、ママにはできません。
他の誰にもできません。
ママの娘であり、ジョージさんの同居人である、カノンちゃんだけが成し得ます。
「ジョージさん。私にはね、この町で――これからの学園生活で、成し遂げたいひとつの『目標』があるのですよ」
「え、エンジェルの目指す、ゴール……?」
それは先ほど、ヒメカさんにも語ったもの。
世間的にはごく当たり前とされているもので、しかしカノンちゃんにとっては、どうしても果たしたい大事な誓い。
「はい。ジョージさんは当然ご存知だと思いますが、ママはかつて、この町に住んでいて、青羽峰学園に通っていました。しかし二年生に進級する前に、私を身ごもってしまったことで、学園を自主退学。出産のために、この町からも出ていくことになってしまったわけですよ」
「……」
「そしてそのことを知ったむかしの私は、こう思ったのです」
――かつて『自分のせい』で失われてしまった、ママの青春を取り戻そうと。
――己の青春を犠牲にしてまであのときママが『産んでくれた』私は、こんなにも人生を謳歌しているのだと、世間に堂々と見せつけてやろうと。
「それが……私がこの町に、あの学園にやってきた、『目的』です」
決して他人に自慢できるわけではない己の出自を知ったとき、カノンちゃんとて悩みました。苦しみました。傷つきました。必要以上に他人に対して明るく振舞い、卑屈なまでに謙虚な言葉遣いになっていた時期もあります。今の不自然に丁寧な口調や態度は、当時の名残りなのです。
「……ジーザス。それじゃあエンジェルは、もう過去のことを――」
「恨んでなんかいませんよ。そんなの、気にするだけ時間が勿体ないじゃないですか」
もちろんカノンちゃんとて、すぐにここまで割り切ることはできませんでした。というか実際のところ、今の自分が本当に正しいのかなんて、自分自身にもわかりません。人によっては、ここまで過去を達観した自分を『壊れている』『狂っている』と見做すこともあるでしょう。
だとしてもカノンちゃんは迷いません。
まっすぐに、前を向いて歩き続けます。
それがかつて自分を産んでくれたママのため。
そして今でも自分を愛してくれるパパのため。
タイヘンな重荷を背負って生まれてきたカノンちゃんが選ぶ、とっておきの親孝行なのでした。
「…………」
「それで、ジョージさん? 貴方はいったいどうするのですか? ここまで年下の姪に語らせておいて、まだ叔父さんは、くだらない過去に執着するのですか?」
「エンジェル……僕は、ほんとうに、赦されていたのかい……?」
「ええ」
「ぼ、僕は……赦されても、いいのかい……?」
「もちろんですとも」
「こ、こんな僕でも、前を向いて、エンジェルと一緒に、未来に進んでもいいのかい……?」
「ええ、ええ、許しましょうとも。認めましょうとも。たとえ世界中に否定されようとも、私だけは、ジョージさんの選択を肯定しましょうとも」
――なにせ私は……ジョージさんの、天使ですからね。
そう照れながら微笑むカノンちゃんに……
「……サンクス、マイエンジェル」
ジョージさんは、透明な涙を零したのでした。




