WYVER(N) 3-7
たぶん今回が一番難産でした。PCのOSが半壊していろいろ大変でしたが直ってません。
FO76だのぢいけど重量がマッハ。
「ところでさ」
不意に、アベルが切り出した。
静寂によって切り離され、誰もが寝静まった屋根の上で、輝く星々だけが見下ろす中、彼女は手元の仮面を指先でなぞりながらに視線を投げ出してしまう。
「カインは……その、本当にカインの子? を取り返す気? いつの間にそんな庶民的になったの?」
「…………。私もお前も、元よりただの人間だ。可能なら救出を願いはするが……」
「うんうん、本音は? ここなら誰にも聞こえてないからさ」
覗き込むように眼光を捕らえられたカインは観念してため息をつき、悪戯を叱られる子供のように膝を抱えてむすりと呟いた。
「……とりあえずは勇者を処刑する。マリーの命は問わない」
「あの子たちは?」
「勇者を捉えるまでは利用するつもりだ」
「そのイカれ具合こそカインだよねぇ」
「俺は至極まともだと思うが」
「”協力者には本命を明かさない”。”利用するだけしたら始末する”。まともな人間のすることじゃないよ?」
「成すべき目的が反社会的行為であるのなら、誰を騙してでも達成に注力すべきだ」
まるで本気でそう思っているかのように、カインの視線はただまっすぐに夜空と木々の境を見つめていた。
そんな姿も見慣れているのか、あるいは倫理的な善悪など判断する気もないのか、アベルも手元の狐面へ視線を落としてしまう。漆のような艶を魅せる狐面はカインとは違い、人へ光を与える黒を放っていた。少なからず、負の印象はあまり抱かないだろう。
まあ、それを普段着用しているのが人を人とも思わない……というより、命に価値を感じているのかすら疑問を抱くような人間なのだが。
「今回の目的を教えて、カイン。ボクはそれを果たす」
「他協力者と協調した上で主目的の隠匿、勇者へと接触及び確保、マリーの奪取。接触後の最優先事項は勇者の抹殺、その際にマリーの命は問わない。必須事項として世間への隠匿だ」
「……口封じの手段は?」
「問わない。より確実なら殺せ。現状はなんらかの危険地帯で勇者を拉致した後、どこかしらに監禁して事故を装ってから殺すつもりだ」
「随分と過激ね……。必要外の殺しはしないんじゃなかったの?」
「俺たちが過去に行ってきた処刑とは違う。これはただの私怨だ、社会的な大義や正義などどこにもありやしなければ、その必要もない」
いつか、無辜の人々が救われるように───
甘い妄言とも思える理想を掲げて行ってきた数多くの処刑では、少なくない犠牲を出して来たことは紛れもない事実だ。けれど、標的以外の相手を「必要に迫られること無く」殺すことはなかった。そのために緻密な計画、立案を担ってきたカインが言い放ったのは、自己判断を優先させる安易な殺害許可だった。
死別していた間にどんな心境の変化があればそうなってしまうのか、アベルはほんの少しカインが遠い存在にも思えてしまう錯覚に陥っていた。死に別れてからの軋轢は考えるだけで途方もない時間だ。いくら人間性がかつてと変わらなくとも、どうしても小さなところが多々変わってしまうのだろう。
だからこそ、つい溢れてしまったのだ。
「変わったね、カイン」
なんら不思議な事ではない。
一見、変化していないように思えたとしても、彼らを別つ歳月は世代すらも超えたのだ。様々な点で変化があるはず。
けれど、互いが互いの唯一の理解者であった2人からすれば、それはつまり──
「片翼をもがれようと、雛を1匹護りながら地を這うぐらいはできる、飛べないなら飛べないなりにやり方はあるものだ。……私はそうやって生きてきた」
カインが急に立ち上がったと思えば、アベルの手元から狐面を奪い取って跳び降りてしまった。
──それを失ったも同義なのではなかろうか。
「…………隠れてないで出てきたらどう? カインも気がついてるよ」
誰もいない虚空に声をかけるも返事はなく、ただただ闇の中に飲まれていくばかりだった。
夜天の星々は彼女を慰めず、彼の姿を追うでもなく、ただ公然とそこに在り続ける。命が生者の特権であるように。死こそが生の果てであるように。
「本当に誰もいないんだ……そっか」
自分でも感じ取れない気配に期待して声をかけたものの、応じる声はない。
カインにだけ感じ取れた気配があるのだと望んでいた。きっと誰かが来たから立ち去ったのだと願いたかった。決して自分に対して切り上げられたのではないと思いたかった。
恐怖や焦燥ともとれる想いを胸に抱きながら、その足はカインを追って屋根から跳び出していた。
「30年……30年かぁ。それだけ空いたら、もうあの頃の続きとは言えないのかな。……それとも、3週目のカインじゃないのかな……?」
けれど、カインの足跡が続く方向とは違い、アベルはぶつぶつと呟きながらまっすぐに宿屋の玄関へと向かって行った。
そうしてどこへも寄り道をせず部屋に戻ろうとすれば、どういうわけかヴァースが廊下に立ち塞がっているではないか。少なからず彼女が抜け出した時には起きていなかったからか、目を見開いて幾分か可愛げのある驚きを見せていた。
「デートのお誘い?」
「ンなわけあるか。アンタに訊きてェことがあンだよ」
「スリーサイズならカインが許したら教えてあげる」
「興味ねェよ。……ツラハガシってのは、アンタか」
「あー、まあ知りたいよね」
ヴァースはドアを防ぐように立って道を開けず、あくまで答えるまでは逃がす気が無さそうだ。
生前、いや前生で2人の間に交流は無かった。せいぜいお互いに敵対者として認識していた程度だろう。
「カインがカオナシって事は知ってる?」
「この世界に来る前は情報を流してた仲だ。内通者の仲間入りしたのはアンタが死んだ後だったけどな」
「そかそか。なら──うん、ボクがツラハガシ。顔の皮を剥ぐように指示したのもボク、それを被ってたのも含めてね」
「悪趣味な事をしてくれたもンだぜ」
「あれはカインを想っての事なんですー」
「おいおい、テメェらはいつからババ・ソーヤーになったンだ」
冗談混じりかどうかはさておき、ヴァースには真偽がわからないでいるようだ。
カインならありえなくもないにしても、そんな事がカインのためになるとはどういうことなのか、流石に黙ってはいられなかった。
「趣味じゃないよ。カインは人の首が見えないって聞かなかった?」
「あー……。ンで? それがなンで人面に繋がンだ」
「あの子は死んだ人、霊魂の類いも見えてるみたいなんだけど、そっちも首が見えてないから見分けがつかないんだって。だから皮を剥いで区別しやすくしたの」
「そういうわけか……。って話が逸れまったが、俺が訊きてェのはそンなことじゃなくてだな。アンタに大儀はあったのか?」
「あったよ。世のため人の為……ってわけじゃないけど」
「……そうか。なら、いいンだ。ただの憂さ晴らしじゃねえンならな」
何を隠すこともなく、いたって質素に返された返事にヴァースは満足できていなかった。
かつて追っていた相手への興味を隠しきれずそわそわしているというべきか、あるいはカインの事でも聞きだそうとしているのか、どうにも落ち着きの無さそうな佇まいだ。
「彼らへの募りがあったのは確か。だから、スレイム刑事が思ってるような善人じゃないわよ」
「そう言えるだけで十分だと思うぜ。根っからの悪党ってのは、自分のことを聖人か何かだと思ってる節があっからな」
「あっは。いるいる。そういうのに限ってポルノ好きだから、何人もカインと殺したよ」
「囮かよ」
「人手がなくてねぇ。──あ、ボクはビッチじゃないからね!?」
「だっから、ンなこた訊いてねえ! そもそも、なンだってあンな処刑を始めたンだ」
「ん? んー……」
根本的な疑問。
過去、ヴァースがどれだけカインに訊いても答えが返って来なかった問い。
どこか楽しそうに話していたアベルだが、ふっとその表情が漠然としたものに変わってしまった。
立ち入るべき話ではなかったか、ヴァースが後悔するには充分なほどの間を空けて、ゆっくりとアベルの表情が歪むように変わっていく。
「──休める時に休んでおけ、莫迦ども」
「おっ? おう」
夜散歩でもしていたのだろうか。
突然アベルの後ろから現れたカインはヴァースの横をすり抜け、2人を横目に眺めながらも部屋の中へ入っていった。
どうしてか微笑んでいたアベルには、やや引っかかっていたようだが。
「……なにを──」
「静かにっ」
「……?」
カインが部屋に入ると、どういうわけかサニアとエレインがドアの横に集まって聞き耳を立てていた。
つまるところ、外の2人の会話を盗聴しているんだろう。やけに小声で喋っている。
「面白いか」
「興味が多少」
「褒められた事ではないと、自覚はしておりますが……」
「……そうか」
「カインも、どうです」
「終えたら寝なさい」
くだらないとでも言いたげにカインが1番奥の寝台に腰掛け、身につけていた幾つかの武器をサイドテーブルに並べ初めていた。まるで関わる気がなさそうだ。
じゃれあう犬でも眺めている気分なのか、気力を感じられない姿で2人のことを見守っていた。
「あまり聞こえませんね」
「…………あの、耳が塞がっておりますが」
「えっ? あっ。……忘れてました」
サニアは耳栓をつけたままだったようで、外すなり壁へ耳を寄せて再び盗聴に勤しんだ。
エレインはそこまでしなくとも聞こえているのか耳を向けている程度だ。今までも人より聞こえているようだったし、なによりエルフの種そのものがそういう特性を持っているのは知られている事でもある。
「何を話しているんですかね……」
「かつて敵対していた男女の再会とあれば、やはり名状し難い禁断の関係ではございませんかっ」
「そういうものなんでしょうか……」
「未だ未熟の身ではございますが、幾度か近しいものを見届けて来ましたので」
「あの2人に面識は無いと思ったが」
端から見ていたカインが口を挟むと、どうしてか興味を失ったようにサニアが落胆していた。
盗聴をやめてはいないものの、その顔は明らかに期待が外れた人のそれだ、なにをそんなに求めていたのだろうか。
「なら、違いますね」
「でしたら、よもやカイン様をめぐって……?」
『俺はそンな目であの子を見ちゃいねえッ』
びくりと2人の肩が震えた。
怒鳴っている、という程の様子ではなかったが、聞き耳をたてなくとも耳に入る程度に声を荒げているのは珍しい。……カインが煽った時以外は。
『こンな状況で欲情するような余裕があるように見えンのか? そりゃ確かにエルフのお嬢さンはそういう目で見れるけどよ』
「ぴっ!?」
「ぴ?」
傍観しているだけのカインにはヴァースの声が聞こえなかったのか、それとも微塵も興味が無いのか、雛鳥のめいた悲鳴を上げたエレインが自身を盾にするように隠れたことにすら興味が無さそうで、鬱陶しそうに視線を送るだけでやめてしまった。
『ったく。調子狂うぜ。次ははぐらかすなよ』
『早く寝ないとカインに怒られるよー』
『るせェっ』
「あっ」
「あ──!?」
吐き捨てるようなセリフと共にヴァースが入って来ると、ものの見事に聴き耳をたてていたサニアと鉢合わせ、ほんの僅かな時間で事態を察したらしく青冷めた顔で膝から崩れ落ちた。
両手で顔を覆って天を仰ぐ姿は主に許しを請いている様にも見えたとか、見えなかったとか。
「…………聞いてたンだよな」
「はい……まあ」
「しかも全員」
「ですね……」
「お前の痴態なんぞ今更だろう」
「俺には! 社会的! 立場ってもンが! あるンだよ!」
ヴァースが思わずカインの胸ぐらを掴み寄ると、その背に隠れていたエレインがより一層縮こまってしまった。
そのせいで余計にヴァースが険しい顔になるものの、カインは終始興味なさそうだ。
「この世界で価値の無いものに固執してどうする」
「少なからずもう影響してンぞ!?」
「そうか、よかったな」
「よかねえンだよ! テメエ他人事だと思ってるだろ!」
「よくわかったな」
「嫌でもわかるわ!」
「なら、後ろで怯えている奴のこともわかってやれ。いつまでも犬のように吠えるより、さっさと全員寝て忘れろ」
ヴァースの手を払い除け、ブーツから抜いたコブラを枕元にしまいこんで横になってしまった。
カインは端に寄って空けられたスペースにエレインを招き入れ、そのまま微動だにせず黙り込んだままの姿は一瞬で眠ってしまったような、あるいは辺りを拒絶するような、何処か違和感を感じるには十分な姿だった。
確かにヴァース相手にはドライな面が見受けられるが、それもここまでではない。だからか、どうしても引っかかるようで顔をしかめたままだった。
「なンかあったのか」
「………………」
「……そうかよ」
返答は沈黙だった。
“何をしてきたか”は隠さないが、その身に起きた事を語ろうとしないのはいつものことだ。
いつも通りではないのに、いつも通りにされてしまう。あくまで立場上敵対してきたからなのか、そもそも信頼されていないのか、それは長年を共にしたヴァースでさえもわからなかったが、”知らなくても困らないもの”を黙秘したがるのは彼の良心なのかもしれない。
脇で隠れるようにしているエレインにはカインから僅かばかりの震えが感じとれたが、口元を一文字に結んで閉ざしたのは独占欲か、あるいは心労か。
「悪ィな、忘れてくれ。早く寝ろよ」
軽く謝りつつ、ヴァースはドアに最も近いベッドに寝転んだ。
それとなく警戒しているのか、サニアがカインの隣のベッドに居るせいで1つ空いた状態だ。どこかアンバランスだが、まあ仕方ないのだろう。
───そうして、また1つの夜が巡りを終えた。
翌日、昼頃。
カインが枝で作った手製の日時計から大凡の正午を割り出して腕時計を修正していると、普段より幾分か早くエレイン達が帰ってきた。
どうやら連日取り行ってきた祈祷が一通り終わったらしい。
それならばと一行を宿に集め、カインが事を伝えるべくヤコのテントへ向かった時の事だ。
「ヤコ、居るか」
「へっ──?」
無遠慮にテントの入り口をくぐれば、そこでは狐の耳と尾を生やした幼女……ではなく、毛色の違う尾と耳を持つ女性が衣を纏おうとしている最中だった。
ふとカインの眼光が消えた様な気もしたが、特に何か反応を返すこともなく、テントの中を見渡して目的の相手を見つけるなり「ああ、居たか」などと呑気な事を言っていた。
「なんじゃ、女子が着替えておるというに不躾な」
「ヤコ、話がある。宿まで来れるか」
「呵々。ウツギのことは無視かや。して? 凶報でも持ってきたか?」
「吉凶の判別は任せるが、住処にできそうな場所に関してだ」
「む。そうとなれば急がねばならんのぅ。ほれ。ウツギや、早うせい」
「ひあっ!? やっ、引っ張らないでください母様! ……もう」
どこか極東で覚えがありそうな服に着替えた女性───ウツギは雪のような髪を纏め上げ、閉ざされたままの目元を朱に染めながらカインを不思議そうに眺め始めた。
ヤコに袖を引かれて急かされているにも関わらず呆けたままで、カインも何か思うところでもあったのか値踏みでもするように視線を返し、どうしてか互いに息を漏らしたのだから不思議でならない。
ヤコも理解しかねるのか首を捻る有様だ。
「なんじゃお主ら、惚れたか」
「…………陶磁器のようだな」
「母様、墨絵のようなこの方は?」
「慌てもせんとはつまらんのぅ。して此奴は……先日より話しておった流浪の神官じゃな。集落を築くに良い場を紹介してくれるそうじゃ」
「まあっ! あなた様が? 大変ありがたい申し出ですが、なんとお礼を言えばよいのか……」
パッと柔らかな笑みを見せたかと思えば、今度は控えめな苦笑いに変わる。よくもまあすぐに表情を変えられるものだと感心もするが、カインは珍しく呆けたままだった。
気になってヤコが覗き込んでも反応を返さず、ただただウツギに目を奪われているばかりだ。
溜息ながらに袖を引かれてようやく気が付く程度には意識が飛んでいたらしい。
「あ? ああ……いや、礼には及ばない。あの場所を捨て置くには惜しいだけで」
「恩には義を以て尽くすのがあてら狐の掟。理由が何であれ此の義に報いる所存です、お困り事がありましたら仰ってくださいね」
「……なにかあればな。さておき、ヤコを借り受ける」
「また後での。皆を頼むぞ、ウツギ」
「ええ。母様も、どうか失礼のないように」
待ちきれんといった様子でヤコがテントを出ていき、掴まれたままだった袖のせいでカインまでもが引きずられながら日の下に曝された。何か焦ってでもいるのか、これまでにない強引さに若干の違和感さえあれど、カインは黙って引かれるばかりで抗おうとはしなかった。
やがて体制を直したカインが自分で歩く頃には宿に辿り着き、ここ数日の間占領している2階の大部屋へと帰ってきていた。
「揃っているな」
ヤコから逃れたカインが辺りを一瞥すると、サニアたち4人が黙って頷き返したのを確認して、先日と同じようにベッドへ腰掛けた。
残りの面々も、さも定位置であるかのように同じ場所へ腰を下ろし、ようやく「それで?」とヴァースが切り出したのだ。
「前置きは無しだ、本題から入る。明日、我々はここを出てヤコを廃村まで案内した後に街へ戻って装備を整え、先日得た情報を基に勇者の痕跡を追うことになる。目的地は魔王領本陣、王都だ。今回とは比較にならない旅になるだろう」
「そういやこの前言ってたな、そンなこと」
「ああ。その際、道中立ち寄りたい所があるらしい。アベル」
「えーとね、ここから6時方向に下ると未開拓地を跨いで王都近辺に着くはずなんだけど、森に沿って8時側に行くとエルフの集落があるはずなの。ちょっとそこで調べたいことがあって」
エルフの集落。
国の領土として機能している場所は少ないが、その特徴はいくつかの世代毎に点々と集落を作り、森などの自然の中を散らばって生きている点だろう。場所によっては他種族と村を同じくし、木の上にエルフが、大地には他種族が暮らすような混在した所もあるらしい。
主だってエルフばかりな自然環境をエルフ領と勝手に呼んでいるようで、ざっくり言えば”あのへんを散策すれば会えるんじゃね”という程度の意味合いだそうだ。
「先日襲ってきた──迷い込んだが正しいのかは知らんが、毒蝙竜が来たのもその方角だ。話ではエルフたちから逃れてきた可能性があるらしいが、エレイン、ありえる話なのか」
「…………この近辺ですと、通常でしたら起こり得ないと思われます。毒蝙竜程度の魔物を人里への侵入を許すようでは、森の守護者の恥といって過言ありません」
「ずいぶんと厳しい物言いだが、そこまでのものなのか? 街によっては対空装備があるとも聞いたが」
「街にあるのは魔獣相手のもので、魔物相手にはあまり……」
「空を飛ぶ魔獣も居るのか……。ああいや、答えなくていい、ややこしくなる。ともかくそういうわけだ。サニア、それでいいか」
「正直に言うと、私は行きたくありません」
すっぱりと正面から反対したサニアの表情は芳しく無く、嫌がっているというよりは怯えているのだろうか、カインから目をそらして口元を歪めていた。
とはいえ目的には関係のない寄り道だ。いつ好機を逃すかもわからない状況で、時間を掛けている余裕があるかはわからない。可能な限り早期に勇者を発見し、戦争回避の策を講じるべきだろう。
それを理解しているのかカインもあまり乗り気ではないらしく、ただ単調に返事を返すだけだった。
「そうか。まあ、目的とは無関係だろうからな」
「ええ。あまり遅くなると、次の手がかりを失ってしまうかもしれないので」
「あの、よろしいでしょうか?」
おずおずと手を上げたエレインに対し、カインが頷くだけで促した。
どうしてかエレインは妙に丁寧というか、発言に慎重なのだろうか。
「わたくしとしても、毒蝙竜に関して近隣の集落に確認を取りたく思います。ただ……わたくしも、その……中に入ることは避けたいと……」
「……やけに歯切れが悪ィな?」
「仕方あるまい。他の神に仕えたエルフなぞ、無事に里から出れぬものよ」
「宗教がらみか……。サニアもか?」
「混種のエルフは戒律上、禁忌の産物です。私たちの場合、多種族と一緒でなければ即座に暗殺される可能性もあります」
「相変わらず同族には融通の効かん奴らじゃのぅ……」
呆れた様子のヤコからするに、昔からこの手の関係は厳しかったのだろう。
教えに背いた者をよしとしないのはさして珍しくもなく、カインたちの居た世界であってもそれは同じこが起きていた、程度こそ違えど信心深い人たちからは色々とあったのだ。それを誉として許されてしまうの地域すら存在したのだから。
そうとなってしまえば、カインとしても納得はできなくとも理解するしかない。
しかないのだが、どうにも気になって仕方がないようだ。
《確認だけなら単独でもいい》
《サニアを連れて行くべきか》
《同族に助力を求めるべきだ》
《別行動を避けた方が安全か》◀◀
《今回は見送っておくべきか》
さてどうするべきかと悩んでいたカインが溜息を吐き、トーンを下げて脅すように言葉をつないだ。
「サニアとエレインをヴァースに任せて魔王領へ……とも思ったが、無線機が通じる距離にも限界がある。悪いが別行動は避けたい。なにも滞在しようというわけではない、ただ話が聞ければいい」
「……なら、宿泊は無しで」
「無論、立ち寄れれば構わない。ヴァースとアベルにも護衛をさせよう」
「おねーちゃんにお任せっ」
「ンあ、俺もか……。気にはなってっけどよ。まあいいぜ」
「カイン様が守ってくださるのであれば、わたくしに異論はありません」
「悪いな。───以上だ。出立は明朝、それまでは各自自由でいいだろう。解散」
軽く手を鳴らしたのが合図になり、各々が腰を上げて散って行った。
サニアはベッドの上で転がっていたり、エレインは挨拶にだとかで出かけたり、アベルはふらりと姿を消したりと様々だ。カインもなにか用事があったのか部屋から出ようとした所、それを見計らったかのようにヤコが呼び止めてきた。
どうにもその顔は伏しがちで、とても明るい話ではなさそうだった。
「ちと、よいかの?」
「なにかあったか」
「あった……とは違うが、1つ頼まれてはくれんか」
「…………。その様子だと、ここで内容は言えないか」
「仔細はの。件の2人に関してなのじゃが、お主の手を借りたい」
それだけで内容を悟ったのか、不意を突かれたように口を開いていたかと思えば息も吐かず、狐面に秘されぬ口元をキッと結び直してただ静かに頷いていた。
カインにしては珍しく神妙な雰囲気だ。普段なら抑揚もなく返しそうなものだが、今回はそういった内容ではなかったということだろう。
「ヴァース、サニア、黙ってついてこい」
「はい? 突然何を言って……───」
「……チッ」
2人共文句を言いたそうな顔を隠しもせず、それでもヤコの様子が見えたからか素直に従っていた。
宿を出て向かった先はヤコの居たテント……ではなく、それよりも村から離れた他の獣人たちが寝泊まりしている区域だった。この辺りはカインたちが出入りしたことは殆どなく、獣人たちからしても彼らが珍しいのだろう、ヤコの後ろについて歩いている3人にはいくらかの視線が常に纏わりついていたが、行き先が森の入口ではなく横に反れた方向だと気がつくと一様に何かを察したようだった。
そのあまりに奇妙な感覚に不安を覚えたサニアがヴァースへ視線を向けるも、ただ黙って首を振るばかり。今ばかりは訊かずに従っておくのがいいと思ったのか前へ向き直った。
やがて離れた場所に見えてきたテントはヤコの居たものよりも一回り以上に大きく、他のテントが容易に複数個入ってしまいそうな規模や、他には無い刺繍からしても何か特別なものであることは明白だ。
「入る前に訊いておくが……お主の仕える神は、命を奪うことをなんとする」
「”我らは悪を断じ裁くが定め。命為せぬ時、即ち今生の果てと也て”。 正確には神とは違うが、ともかくはこれが私たち……いや、私やアベルにおける絶対だ。誰かを手に掛けることは厭わない」
「ふむ。なれば、他の神への祈りはどうじゃ」
「先に言っておくが、私に関しては戒律や禁忌など一切気にするな。先の1節以外に誓約は存在しない」
「自由じゃのぅ……。何度も言うておったが、真に”神罰を代行するだけ”なのじゃな、お主は」
呆れたような口ぶりからヤコの緊張は解けているのか、今となっては普段通りの雰囲気と言って差し支えないほどに穏やかなもので、理解しがたいものを見せつけられている時の困惑にも近く感じられた。
先んじたのが彼なりの優しさなのかどうかはさておき、空気が変わったのは確かだ。
それでようやくヤコも覚悟が決まったようで、3人をテントの中へと招き入れた。
「あら。先程の」
小さく仕切られたテントの中で待っていたのは、少し前に別れたばかりのウツギだった。
こうも早く再開するのは意外だったようだが、気にするべきはもう1つの方、黒い毛並をした狐の獣人だろう。
「白毛の。……と、黒いのも増えたな」
「ふふ。毛色でお呼びにならないでくださいな。あてのことはウツギと、姉様のことはユリとお呼びください」
「…………」
「私はカイン。後ろの2人と他を含め、所要で数日滞在を───……なにかおかしいか?」
姉様、もといユリと紹介された黒毛の獣人は目を細めてカインの顔を凝視しており、サニアとヴァースは視界にも入っていない様子だった。
自分の顔がなにかおかしいのか、というか着用している狐面に何かあったのかと思って手をかけた瞬間、その手をがしりと掴まれてしまった。即座に空いていた手でMP-443を抜きかけたが思いとどまり、とても抗いきれない筋力に負けて力を抜けば、応じるようにユリも力を抜いて開放する。
理由はわからず困惑しかできないが、何も続けて来ないのだからそれでいいかと諦めたようだ。
「……それは、外してはいけない」
「そ……そうか。忠告、痛み入る」
「……神官と聞いてるのに、血の臭いがする。複数。……たくさん?」
「ユリや、其奴に関してはそういう手合と納得せい。件の2人を頼もうと思うてのぅ」
「……そういう。なら、神官様、こちらへ」
「どうぞお入りください。後ろの方々もどうぞ」
「お、おう」
「ここでなにが……」
言われるがまま仕切りになっていた布を押し退けてくぐってみれば、このテントがなんのためにあるのかはすぐにわかった。
他のテントにはない規模といくつもの刺繍、そして仕切られていた奥の空間で座り込む2つの姿はヤコの背丈ほどの祭壇を仰ぎ見、時に啜り泣くような声が響いている。
───ああ、彼女らが手篭めにされた人たちか。
何を聞かずともそれだけは如実に伝わってしまうほど、その雰囲気は他の獣人と違った。
「本来であればお主に頼まず済むのじゃが、いかんせん魔獣に追われた際に姫巫女が……お主らで言う神官がやられてしもうてな。仔細は違うても構わぬ、祈りの果てに夢を見せてはくれぬか。いかなる形であれ神に仕えておるのならばと、切に頼む」
「……おい、それってまさか──」
「黙ってろと言ったはずだ」
「っ……。わァったよ」
何か言いたげだったヴァースをカインが制し、先んじて端に座り込んでいたユリが手招いているのを見かけたからか、2人を行かせてヤコの正面に居直った。
真っ直ぐに交わされた瞳からはまやかしの類など一切感じられず、ここに来てようやく2人の意志は1つの曇りもなく真剣に、歪み1つなく通じ合っているのだろう。相手との探り合いや交渉ばかりする立場にあったのだから仕方がないとはいえ、なんとも奇妙な点で通ずるものだ。
きっと彼らが、民を持ちそれを統べる側に居たからこそのものかもしれない。
「最善は尽くすが、先にいくつか教えてくれ。祈りの定型句、神の呼び名、死後の存在の有無だけでいい」
「祈り文句については自由でよいが、我らにもわかる言葉にしとくれ。死後は体を失い魂の存在になるとされておる」
「……その魂の行き先は」
「幾度かの浄化を経て、次の肉体へと移るのぅ」
「そういう……。まあ、それで神の名は」
キャソックの懐から掌に収まる程度の容器を取り出し、灯にかざして中身を確認すると握り込んだ。
「名は明かせぬ。”大いなる母”と、我らはそう呼ぶでな」
「ではそうしよう。……最善を尽くしはするが、期待に添えなかった場合はすまん」
軽く頷いたカインに対し、ヤコは深々と頭を垂れて送り出した。
本来なら足音など響かせないはずのブーツをわざと鳴らし、己をその場の全員に知らしめるかのように堂々と、さもここが正道であるように襟元を正しながら歩み続け、祈りを捧げる2人の正面で立ち止まる。
いつの間にか後ろをついてきていたウツギが隣に座り、祈りをやめるよう促していた。
「彼は我らが長より信を受け、永超の苦へ救いの手を差し伸べてくださる方です」
「ヤ───……君たちの長も見守っている。これより先に恐れるものはない。私は幾重の祈りを受け、その御霊を大いなる母の御身へと捧げるべく罷り越した」
神妙に、しかして霊妙に言葉を選び紡ぎ出された文言に1つの真実などありはしないが、瞳孔を歪めず光すら差さない瞳を射止めるには充分で、片方は念願叶ったと卑下た笑みすらうすらと浮かべていた。
他の獣人たちのように目立つ尾耳は見えなかったが、その頭には小さくも尖った耳が並び、笑みから覗く白歯は人と呼ぶには発達しすぎているのが垣間見え、この2人が紛れもなく獣人であろうことがわかった。ほんの僅かに視線を下ろせば、その腹は脂肪が付いたときとは違う膨らみ方──体の構造が人間のそれとさしたる変わりさえないのであればだが──をしていたのだ。
勇者が彼女らの集落を発ってすぐに妊娠に気がついた事には怪訝なカインだったが、なるほど、これならば早々に気が付きそうなものだ。人間種であろう勇者と獣人の間で如何様な原理が働いて妊娠するのかは不可解な事に変わりないが、メカニズムの基礎が齧歯類寄りならその早さにも納得がいく。
それに、話では獣人には男がおらず、もし勇者が立ち寄った際に種を持つ者が他に居なければ……もはや疑う余地もないといったところか。
「君たちは……その御霊を捧げる事を願うか」
静かに、ともすれば気迫のない声に獣人2人が頷き返し、カインも一度だけ頷いた。
「これは心に纏う穢れを排し、その魂を今際より乖離させ、祈りが真に届くよう開闢をもたらす香だ。右手をこちらに」
そうして握り込んでいた容器を2人に見せ、片手を差し出させたと思えば親指1本分ほどはあろうかという量の粉末をその手に分け与えた。
至って真面目な雰囲気で渡された純白の粉末は、祭壇で灯る蝋燭を反射して煌めきながら奇妙な香りを放っていた。決して嫌悪感はなく、かといって惹かれるようなものでもなく、ただどこかほんのりと甘いようでしつこさのないそれは突き放すようにも思え、2人はじっと見つめるばかり。
それがなにかもわかっていない様子で、これがこの世界にはあまり流通していないのか、あるいは日の当たらない所でしか存在しないのだろうと思わせた。
「私が灯を消したら、その香を一息に鼻から吸い込みなさい。空いている手で片方を塞ぐといい。そうしたら、私に続いて祈りの句を」
薄ら笑いを浮かべたままの獣人は素直に頷き、もう1人は少し遅れて返事を返していた。
カインがウツギとヤコに軽く視線で確認をとるも「任せた」と言わんばかりに真っ直ぐな目で返され、これより先に何を案ずることもないのは確かだ。
ふっと息を入れた後に向き直り、カインは再び口を開く。
「……私の言葉通りに。深く息を吸って……そう、体から全てを流し出すようにゆっくりと吐き出して。もう一度──」
2人を言葉通りのタイミングで深呼吸をさせる事3回。
期を見てカインが祭壇から蝋燭を取り、口元を照らすように構えてみせた。
「次の一息で君たちの体を蝕む不浄は流され、全てはこの灯火と供に闇に消える。新たな穢れを宿さぬよう、直後にその香を目一杯身の内へと取り込みなさい。……もう一度──」
胸を膨らませるほどに深く、カインの言葉を疑わずに繰り返された行為にはなんの意味があるのか、一縷の希望が従順にさせるのだろう。
2人の間に差し出された蝋燭は息を吹きかけるには高く、けれど手元を一瞥するのに要する最後の光であった。
「ゆっくり……いつものように。この灯は息をかけずとも、君たちの不浄を受け止め闇へと消えるだろう。……全てを吐き出して。香を飛ばさないように」
慎重に息を押し出す背が丸まっていくのを見ながら、ほんの一瞬のうちに蝋燭の炎を消し去った。
2人からすれば唐突の出来事だったろう。意図的に視線を手元へ移された事すら理解する前に、その合図によって意識は各々の1点に集まってしまう。
「穢れなきその身に、一息に母より授かりし香を受け入れなさい」
言われた通りに2人が粉末を思い切り吸い込むと、いくらか残ってしまったようだがそれは仕方のないこと。見越していたカインは言及するわけでもなく、ゆっくりと、1つ1つ丁寧に続きを始めた。
きっと、彼女らに反発する意識は存在しない……いや、できないだろう。
もはや自我などと呼べるモノが残っているかどうかすら怪しいのだから。
「さあ、目を閉じて……。我ら、この身を不浄へ堕とされし徒なり。災禍を経て穢れども、この御霊は純麗なるままに」
「「我ら……この身を不浄へ堕とされし徒なり。……災禍を経て穢れども、この御霊は純麗なるままに」」
さしたる変化は見受けられないが、2人の口運びはどこかたどたどしく、一部では発音も妙に聞こえた。
表情も初めのようなものではなく、今は安堵すら感じるような……むしろ、顔筋が無意識に緩んでいるような。
「この身に宿る一切を拭い、我ら御身の下へ」
「「この身に宿る一切を拭い、我ら御身の下へ」」
わざとらしく足音を響かせていた先ほどとは反対に、今度は全くの無音のまま立ち上がり、笑みを浮かべたままの獣人の後ろへとカインが回り込んでいた。
その手には蝋燭など無く、迷いも無く、躊躇いも無く。
かつて幾程もなぞった軌跡を再び描くように、1人の頭をカインの腕が僅かに浮いたまま包み込んだ。
「大いなる母よ、どうか、どうか」
「「大いなる母よ、どうか、どうか」」
「っ───!」
カコンッ。
小さな薪を1つ落としたかと思うほどにあっけなく、愛しき者を想うかのように大きく、その身に”死”を象徴する魔素を持つに相応しく。
腕に抱かれた獣人は笑みを浮かべたまま生を終え、骸へと成り果てた。
「……あの、カインはなにを」
「殺したンだろうな、ありゃ」
「なっ、どうしてそん───」
隅で見ていたサニアが声を荒げようとしたが、すぐにヴァースが口元を押さえつけて止めてしまった。
静かにしたほうがいい、それはわかっている。この空気はそういうものだ。
けれども。
だからといってアレを放っておけと言うのか? なんの罪もないというのに、あたかもそれが神聖であるかのように偽って殺したあの男を放っておけと?
カインが自身の知る神官のあり方と大きく違っているのはわかってる。そうだとしても、なぜ助けるのではなく殺してしまうのか。そんなものはまやかしであっても神官がするべき行為とは思いたくもないし、ましてやまともだと思えたヤコがそれを頼んだのかも理解できない。
駆け抜ける思考に楔を打ち、サニアが手を振り払っても尚その手は掴まれたままだった。
「放してください」
「なにすンだ?」
「なにって……止めるに決まってます。あんなのは見過ごせません」
「だったら放せねェな。ありゃ納得はできねえが、間違ってるとも言い切れねェ」
「───あれは許されていいものなんかじゃ! ……ああ、もうっ……!」
カインが抱きかかえていた1人を寝そべらせ、残されたもう1人の後ろへと回り込み始めた。
今動かねば間に合わないと力を込めてもヴァースの手は振り解けず、ついぞ両手でその腕をどかそうとするも、腕を掴んだ拳はどうやっても開けなかった。その瞳は酷く真剣で、だというのに唇からは紅い雫が僅かにこぼれ落ちていて。
その手は、無理矢理に押し殺した衝動を唯一表せていた。
「あなたはあれを許すんですか!」
「許せるわけねェだろ。あいつがやってンのは人殺しだ、無抵抗の相手を騙して殺す、最低の行為だぜ」
「だったらどうして!」
「だから止められねえンだよッ。無抵抗になるまで信じ込ませて、最期まで信じたまま終わらせてンだ!」
「言ってる事がわかりません! どうしてそれがカインを野放しにする理由に!」
『いやぁっ!!』
震えた声が響いた。
言い争いをしていた2人が声の方を見てみれば、今まさにその命を刈り取ろうとしていたカインの跳ね除け、残された獣人が足を引きずりながら這って逃げていた。
行き場を失った腕をだらりと下ろし、カインはただその様子を眺めているだけだ。追うわけでもなく、声をかけるわけでもなく、片膝を付いたまま傍観している。
「姉さん……姉さん……! ああ、大いなる母よ、どうか悪鬼よりお助けください。大いなる母よ、大いなる母よ」
「…………まあ、こんなものか。獣人相手にどの程度効果があるかと期待していたのだが」
「どうか私と姉さんを、どうかっ。慈悲の御心を」
「悪いが、慈悲を拒んだのはお前だ」
「お助けくださ───」
どうにか上体を起こそうとした獣人の後ろにするりと回り込み、1人目と同じように首元を抱いたかと思えばあとは一瞬だ。
ほんの数秒の抵抗もぱたりと消え、力無く横たわるだけだった。
それを見ているしかできなかったサニアも、今となってはただ無力感からか……もう、ヴァースに抵抗すらしていない。
「ありがとうございました、神官様」
「……ありがとう、神官様」
「後ほど、お礼を品をお渡し致します」
「いや……礼はいい。私の判断で2人目を逃してしまった。あの子は死を受け入れられていない」
「構わぬ。もはや措いてはおけぬが、近くの教会に預けるとしようかの」
「それなら、明日からの旅路に連れて行くといい、街に教会がある。頭の内部で強い刺激を受けているから、夢か何かと錯覚するだろう」
命の抜け落ちた死体にヤコたちが短く祈りを捧げ、ウツギとユリは布に包んでテントから運び出してしまう。
終始なにもできなかったサニアがぼろぼろと大粒の涙を零し、強く、強く恨みの籠もった瞳はカインを射抜いていた。
初めて出会った時、サニアは彼を危険だと思った。けれど目的のためには必要なのだからと抑えていたが、そのうちにわかってきたことがある。彼は知らない世界の、知らない戦いのために生きた危険な人だ。けれど、それでもその言動には優しさのようなものが確かに有った。だからこそ救いを求めたヒトを手に掛けた事が許せない。
ましてや、人を守ることが正義だと語ったヴァースがそれを助長したことも許せなかったのだろう。こみ上げてきた怒りか、あるいはやり場のない想いを力に変え、振り払おうとしていたはずの腕に爪を立てるしかできない。
「サニア、ヴァース、帰るぞ」
「そうしてえンだが……」
「……どうして」
はっきりとカインを芯に捉え、またカインも視線を逸らさずにその言葉を受け止めた。
笑うでもなく、あしらうでもなく、ただまっすぐに、愚直とも言えるほどに。
「どうして、あんなことをしたんですか……」
「あんなこと? ……ああ、あれが最善と考えたからだ」
「最善? 人を殺す事が!? 確かにあなたは物騒な人だと思ってましたが、善を語って人を殺すほど落ちぶれているとは思いませんでしたよ!!」
ヴァースに腕を抑えられたまま、サニアはこれでもかと叫んでいた。
檻に閉じ込められた獣のような様はこれまでからは考えられないほど激昂し、ここまで周りが見えなくなるほどに感情を剥き出しにできるのかと関心すらさせるほどだ。
けれど、カインから返ってきた返事はいつもの淡々としたもので、この件をどうとも思っていないようにすら感じられた。
「少し勘違いをしているようだが、殺しに善悪は無い」
「今自分で言ったじゃないですか! それにあなたは嘘をついて、騙して! 殺したじゃないですか! これが悪でないならなんだと!」
「外側から観測すればそうなるか……。いい機会だ、いずれ話す時が来るとは思っていたからな」
「殺し方の流儀ですか? それとも正義感ですか!?」
「命を奪う行為に善も悪も正義も、およそ人の意思が関わるものは何も無い。あるのは目的を達するために選び出された手段、それを実行した結果に死が付随してしまうだけだ」
「殺しておいて”死んでしまった”とでも言いたいんですか!」
「そうだ。幻想であれ幸福を与え、以降確実に不幸を感じさせない手段が生命活動の停止だった、死なせようとは思っていない」
面倒臭そうに大きく溜息を付いたのが悪かったのか、サニアの感情は湧き出るばかりで収まる気配を感じさせなかった。
およそこの状態に陥った相手に何を言っても無駄なのは経験上カインも理解しているが、それでもこの問題に直面した以上は話すべきだと感じたのだろう、どれだけ面倒でも、どれだけ労力が掛かろうとも、伝えなければならない事があるのだと内心で自分に言い聞かせていた。
ぎゃあぎゃあと騒いでいる姿にヤコもどうしたものかと遠目に眺めていたようだが、カインが手で追い払ったのを見て、気を失っている獣人を引きずってどこかへ消えてしまった。
「まずは……そうだな、拘っているようだし、私の正義感から話してやるか」
「邪魔者は全て悪とでも言いたいんでしょう!?」
「だァーもう、ちったァ落ち着け!」
「私にとって悪とは、己のために、利己的に権力を振りかざし、それを盾に他者を陥れる者だけを言う。そして私にとって正義とはそれを”裁き、罰を下す事”だけであり、その手段や結果を内包したものが世において悪と呼ばれている事は理解している」
今にも噛みつきそうなサニアをヴァースが必死に押さえつけ、その真正面にカインが腰を下ろして語りだした。
煽っているわけでもなく、そうすべきだと思っての事なのだろうがどうにも間が悪い、せめて落ち着いてから話せば理解もしれくれそうなものなのだが。
「あの獣人はなぜ死んだのか、その必要は無かったのではないか、その問いに答えるのなら───そうだな、死ぬ必要性なんてものは無かった」
「なら、あなたはよしとされたら殺すんですか!」
「他者からの評価や可否は私の勘定に存在しない。無辜の民を生む者を裁く、それだけを使命とする私の前に現れていれば頼まれずとも結果は同じだったろう。が、あれは……私にしては随分と相手を鑑みたものだと思うが、理解できないのは若さかもしれないな」
「あんなものを許せるのが歳老いる事なら、私はそんなふうになる前に死にます! あなたのような人を絶対に許したくない!」
「随分と嫌われたか」
やれやれと頭を掻き毟り、どこから話せば理解してくれそうなものかと考えても埒が明かず、きちんと話そうと思っていたカインも面倒になりつつあるようだった。
だとしても、彼は話さねばならない。自身の行ったことと、彼女の望んだものの共通する部分も含めて。
「しかし、人間……まあこの世界では亜人と呼ばれる奴らもそうだろうが、およそ意思疎通ができて知性と感情を持つ生物なんてものは、尊厳も抵抗も意志も権利も力も、全てを超えて振るわれた暴力によって得た傷を無くすことは余命全ての時を経てもできやしない。傷ついた者を皆で庇いたて、あれよあれよと過ごすうちに元の生活に戻ったとしても、そいつの根底には絶対に拭えない闇が居座り続けるものだ。その闇は現実を曲解させ、宿主をいつ如何なる時であろうと絶望と恐怖に染め上げてしまうほどに心の中を巣食い、起因する様々な衝動が襲いかかる。……果たして、その地獄の中で強制的に生かし続ける事が善や正義と言えるのだろうか」
「それはあなたの決めつけで、本当にそうかはわからないはずでは!」
「そうでもねえンだ。俺たちの世界じゃ───」
「黙れと何度言えばわかる?」
庇ってか言葉を挟もうとしたヴァースに再び釘を差し、今度こそその口を完全に閉ざさせた。
余計なことを。というよりは、ヴァースへ矛先が向かないよう配慮したのだろう。
人間関係がどうなろうと目的の邪魔にさえならなければどうでもいいと常々思っているカインであっても、真偽不明とはいえ命を握られている相手を操る手段が減りすぎるのを危惧したようで、あくまで利己的な判断が彼らしさともいえるが。
「まあ、そうして絶望を乗り越え、社会復帰して平常に見えたとしても、それはきっかけになるものが深く眠っているだけでどこかに認知の歪みは起きているからな……」
違う世界。
違う過去。
決してサニアには知りえない数多くの経験と、考え付きもしないほどの犠牲。
その結末としてカインは苦しみの無い安寧を与え。ヴァースは殺すことを看過できずとも、それがある種において当人の救いになることを知った。
決して定められた絶対の解ではないとしても、ある1つの最適解にはなりうるのだと。
「ならば、例え騙すことになろうともそれ以上の苦を与えず、永く苦しい絶望の旅路に放り出すことなく早々に最期を迎えさせ、その際だけでも安寧を与えることはある種の救いになり得る。だからこそ彼女らの意志を尊重し、わざわざあいつらの様式に則って神の慈悲なんぞを語ったわけだからな。全く面倒だった」
またしても溜息を1つ。
ただただ本当に面倒な作業をさせられたかのような姿には怒りすらも通り越しそうなもので、強張っていたサニアの体もいつのまにか力が抜けていた。
それに気がついたヴァースは押さえつけていた腕を放し、ようやく自由になった……のだが、どうにもその様子が気になってしまう。
「しかしだ。綺麗事を並べて着飾ったとしても、私利私欲のために血塗られようとも、摂理を説いて正当化しようとも。如何なる理由があったとしても、命を奪う行為に善も悪も正も邪もありやしない。そこにあるのは手段と目的、そして付随した結果のみだ。ただ、1つ言えるのは───」
面倒事も終わりだと、そう暗に伝えるようにわざとらしく立ち上がり、背を向けてぼそりと続けた。
「世間へ隠蔽したとしても、お前が望んだ勇者の暗殺なんてものは、より多くの人に地獄を見せる事になるぞ」
次回からは再び長々と話が進まない武器選択回の始まります。カインくんとサニアの関係が破綻寸前なんですけどこれどうなるんですかね。
ところでガルフロの魔素集めがかったるいです。
カオナシ
自称:カイン
本名:???
種族:人
職業:無職
特技:キャベツの千切り(料理が上手いわけではない)・スキニング
特殊技能:無顔の呪い(被害者)
サニア・ルルイラフ
種族:ハーフエルフ
職業:冒険者
特技:火起こし
特殊技能:神託
エレイン・カーボネック
種族:エルフ
職業:弓の教官→神官
特技:裁縫・交渉(笑顔ごり押し)
技能:神聖魔術・弓
ヴァーテル・スレイム
種族:人
職業:刑事
特技:錆落とし
特殊技能:刑事の勘
ヤコ
種族:獣人(妖狐?)
職業:獣人集落の長
特技:???
特殊技能:千里眼(?)
ツラハガシ
通称:アベル
本名:???
種族:人
職業:無職
特技:お姉ちゃん特権(ワガママ)
特殊技能:???
ウツギ
種族:狐の獣人(白毛)
職業:集落代表
特記事項:母より大きいことを気にしてる
ユリ
種族:狐の獣人(黒毛)
職業:次席
特記事項:匂いフェチ




