商談代理人
短編『異世界で代行商談屋はじめました』の連載版になります。
「それじゃあ、これで交渉成立ってことでいいですね?」
「ああ、そうだな。この辺りが落とし所だ」
とある喫茶店の二人席。
周りからはカップルや友人同士の笑い声や話し声が聞こえる中、一つのテーブルに向かい合って座る二人の男。
一人は小太りの中年、もう一人は黒髪短髪の青年という、友人同士としては違和感を感じずにはいられない組み合わせだ。
勿論、二人は楽しい話に花を咲かせている……わけではない。
「それじゃあ、この契約書にサインお願いしますね」
「チッ、抜け目のない奴だな!」
笑顔で一枚の用紙を差し出す黒髪の青年に舌打ちする中年の男。
そう。彼らはこの喫茶店で交渉を行っていた。
そして、その交渉も既に成立間近。
「いやいや、すみませんね~。何せ僕も雇われの身。依頼主にちゃんと形で残る物を提出しないといけないんですよ」
悪態をつきつつ、渡された契約書に渋々サインする中年小太り男。
そんな男に対して、交渉相手の青年は、
「まぁ、僕としては別にこんなものなくても困らないんですけどね――だって、ここで契約書を残さずに後悔することになるのは、十中八九あなたの方ですから」
「ぐっ」
表情こそ笑顔のままだが、その目は氷のように冷酷で、口の端をニヤリと釣り上げながら、遠回しに『妙な真似をすればこちらもそれ相応のやり方で対応するぞ』と告げる。
そんな青年の圧力に小太り中年男は唾を飲み、つい目を反らす。
勿論交渉において、相手に対する挑発的な物言いは、相手を怒らせ、交渉が決裂してしまう――そんなリスクまみれの危険な行為であることくらい子供でも分かる。
しかし、この青年にはリスクを覚悟した上で、相手の男にはこのやり方が効果的であるという確信があった。
「わ、分かっとるわ! ほら! サインしてやったぞ!!」
案の定、青年の目論見通りプレッシャーに耐えられなくなったのか、目を反らし、少し焦った様子でサインを終えた契約書を押しつける小太りの男。
「――確かに。それでは契約成立ってことで」
渡された契約書にさっと目を通した青年は立ち上がると、笑顔で手を差し出した。
自己中心的で自分の利益を最優先。
相手が自分より弱い者と判断すれば、どんな状況でも強気な言動を見せる。
一方で自分より格上や身分の高い者には逆らわない。
――これが、ここ最近青年が調べた小太りの男の性格だ。
(こういう性格の奴は自分より格上の人間には逆らえない。だから要所要所で相手の弱みをチラつかせながら強気な態度を示しておけば、自ずと主導権はこちらにやってくる――まぁ、計算通りってやつだな)
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。もう契約は完了してるんですし」
「チッ!」
すっかり柔らかな笑顔に戻した青年の手を、中年男はやけくそ気味に握り返し。
「ま、あくまで僕は『商談代理人』なんで。ご依頼いただければいつでもあなたの味方にもなりますよ――まぁ、当然それ相応の報酬は必要ですけどね」
「チッ! まぁ、機会があれば、頼らせてもらうよ」
不敵な笑みを浮かべながら、今度はついさっきまで敵対していた相手にまで自信満々に自分を売り込む余裕っぷりを見せつける青年を前にして、『こいつは敵に回したらダメな奴だ……』――そう一言呟き、そのまま店を後にした。
「それじゃあ、今後とも御贔屓に~」
それを最高の営業スマイルで見送る青年。
――が、しかし……、その後ろ姿が店の外に出て完全に見えなくなると、
「あ~、疲れた! もう限界!! もう働きたくない~!!」
突然電池が切れたかのようにテーブルに突っ伏した。
先ほどまで交渉相手を手玉に取っていた姿はどこにもなく、死んだ魚のような目をした男は、周りの目があることなど気にもせず、無気力な発言連発でだらけ始めた。
そんないきなりの豹変ぶりに、周りの人々も彼の方を指さしながらヒソヒソ……。
青年は、一瞬にして周囲の視線を独り占めしていた。――勿論、悪い意味でだが……。
すると、そこへ、
「ちょっと! ミズキさん!? こんな人前でダメ人間ぶりを披露しないでくださいよ! あなたには恥ずかしいという感情はないんですか!?」
先程まで別の席に座っていた少女がやってきた。
歳は12,3歳といったところだろうか。
透き通るような長めの銀髪に白い肌、そして、ツリ気味の大きな瞳に可愛らしい白いワンピースを着た幼女――そんな明らかに年下の少女に大声で叱責される青年。
「いやいや、人前でそんな大声張り上げてる奴の方が恥ずかしいと思うんだが?」
しかし、怒鳴られた張本人――ミズキには恥じらいも反省の色もなく、突っ伏した状態から首だけ動かし、半目で少女を見上げた。
「な!?」
その言葉で自分自身が周りから注目を浴びているという状況をようやく理解した少女は、思わず顔を赤らめた。
そんな彼女の様子に、ミズキは下衆のようにニヤリと笑った。
「そ、それはいいとして――」
「あれ~? 誤魔化すのは良くないんじゃないの? リアちゃん」
恥ずかしさをこほんと可愛らしい咳払いを入れて誤魔化そうとする少女だったが、ミズキをそれを逃がさず、嬉々として反撃を開始する。
「そもそもこの場で俺に話しかけなければ、周りから見て、俺とお前は無関係。つまりスル―しておけば恥ずかしがる必要性はなかった。しかしながら、突然人前で怒鳴り散らされた俺は回避できず、周りからは『小さな子に怒られている男』とか『大声を出していい場所かどうかも分からない子供を連れている無責任な男』といった目で見られる俺の方が被害を被っていると思うんだが、どうだろうか?」
見た目年齢20代前半の男が、顔を赤らめ、俯き、肩を震わせている幼女を容赦ない言葉で責め立てている――そんな風に周りから見られているにも関わらず、ミズキという青年は一向に口撃の手を緩めない。
そんな状況に、周囲の人々はリアと呼ばれた少女を可哀そうに思い、青年に冷ややかな目を向けている。が、しかし……、
「……うるさい」
「はぁ? なんだって~? リアちゃん、胸だけじゃなくて声も小さくなっちゃったんでしゅか~?」
確かにミズキという青年はとてもウザく、大人気ない。
極端なことを言ってしまえば弱い者いじめに見えた者も居たことだろう。
しかし、実際には……
「大体さ~お前はいつも――」
「うるさいって言ってんでしょうが!!」
「ぐはっ!!」
それは一瞬の出来事だった。
少女の拳がミズキのみぞおちを正確に捕え、一発KO。周囲は静まり返り、皆、目の前の光景に目を疑った。
リアという少女にボディブローを喰らわされ、その場にうずくまるミズキ……。
一方、息を荒げ、顔を赤らめ、涙目になりながら、腹を押さえてうずくまるミズキをキッと睨みつけるリア……。
「大体、私の胸はそこまで貧粗な物じゃありません! 標準サイズですからっ!!」
ミズキにバカにされた慎ましい胸元を押さえながら睨みつける。
「い、いやいや、さすがに標準サイズっていうのは――」
「標準サイズです!」
「いや、でも――」
「標準サイズ、ですよね?」
「……はい。仰る通りです」
「それに、自分の方が口が達者だからって、一々ことある毎に言い負かそうとしないでくださいってのも何度も言ってますよね?」
「……すみません。人前なら殴られないだろうと思って調子に乗ってました」
見た目一回りくらい年の離れた小さな少女に一発KOされた挙句、逆に説教されて謝る青年。
強い者=リア
弱い者=ミズキ
……実際には、ただ弱い者が公衆の面前で調子に乗っていただけだった。
最早この青年が、さっきまで小太りの中年を圧倒していたのと同一人物とは誰も思うまい。
「まったく……。分かったら、さっさと仕事です! 依頼人に報告するまでが仕事なんですから!!」
「チッ、雇われの身のくせに偉そうに……」
「まだ何か?」
「……いえ、何も」
「あなたが店長でしょ!? まだまだ借金も残ってるんですから、しっかり働いてくださいよ!」
「……いや、それはお前の――」
「何か言いましたか!?」
「いえ、何も!!」
先程までの威勢はどこへやら。
小さな声でボソボソと反論しようとするも、小さな少女の一喝で封殺される24歳の青年の姿がそこにあった。
リアはそんなミズキの姿と周りからの視線にため息をつくと、
「それじゃあ、さっさと行きますよ」
「はい……」
ミズキを引き連れ、周りの客の注目を集めながら店を出ていった。
※※※※
店から出てしばらく歩いたところで、リアは改めて店の中から気になっていたことをミズキに訊ねてみた。
「そういえば、どうしてあんな生易しい条件で交渉まとめたんですか? あのおじさんの弱み、握ってたんじゃないんですか?」
「んあ? あれはあれで良かったんだよ。ていうか、そもそもお前にそんな説明しても無駄だろ? どうせお前程度には理解できんだろうし~」
先程ボコボコにされたこともあり、あからさまに反抗的な口調で答えるミズキ。
しかし……
「どうやらもう一発殴られたいみたいですね?」
「すみません、調子に乗りましたー!! お願いなので殴らないで!!」
自分から挑発しておきながら、この男は何の躊躇もなく即座に土下座の姿勢。
そして、そんな目の前の男にため息をつきながら、リアは改めて問いかけた。
「それで、さっきの交渉の話ですけど……、もっと弱みを散らつかせれば、良い条件で交渉成立できたんじゃないですか?」
そんなリアにミズキは面倒臭そうにため息をつきつつ説明する。
「確かにお前の言うとおり、奴の弱みをもっと意識させれば、俺達にとってもっと良い条件で交渉成立できただろうな」
「それなら――」
「ただ、あくまで“この場”ではだ」
「ど、どういうことですか?」
「人間ってのは死守したいものがあるから、保身に走ろうとする。奴の場合は自分よりも格上の奴にすり寄って、な」
しかし、その説明を聞いても尚、頭にはてなマークを浮かべたまま。
そんな彼女にミズキはより分かりやすく解説する。
「つまり、人間ってのは追い詰められるとなりふり構わず反撃に出る習性があるってことだ。あのおっさんをあれ以上追い詰めれば報復してくる可能性があったからな。――だから、敢えてあそこで引いておいた」
「だ、だけど、あんなおじさんが報復しに来たって、また返り討ちにすれば――」
「おっさんが俺達をターゲットにすればな」
「!!」
「あのおっさんが俺達の依頼人に報復するってことも考えられる。――いいか? 俺達はあくまで“代理人”。依頼人の損害になることしてたら意味ねぇだろ?」
「た、確かに……。今回ばかりは不本意ながらミズキさんに同意せざるを得ません。――それにしても、やっぱり交渉って難しいんですね……」
交渉の奥深さを改めて痛感し、自分の無知さに肩を落とすリア。
「”交渉”ってのはそんなに単純なことじゃねぇんだよ。まぁ、少しずつ覚えてけばいいんじゃねぇの?」
そんな彼女に、ミズキは照れ隠ししながらぶっきらぼうに言葉をかける。
「はい、そうですね」
そんな彼なりの不器用すぎる励ましを受け、彼女は思わず苦笑する。
そして、どこかすっきりした表情で、
「それじゃあ、私は事務仕事があるので、依頼人への報告の方は任せますね!」
そう言い残し、リアは上機嫌で先を歩いていく。
「ったく…アイツもあの突発的な凶暴性さえなければ…。なんであんな面倒臭い奴と一緒にこんなことやってるんだか……」
一方で、ルンルンと歩いていく少女の後ろ姿を眺めながら、ミズキは思わずため息をこぼした。
――つい1か月前、黒崎ミズキが“初めてこの世界にやってきた日”のことを思い出しながら……。