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チィト家政婦が今日も行く

作者: イナンナ

「掃除っ掃除っそっうっじー」

 

あたしは通いの家政婦だ。今は、長い事雇ってくださってるご夫婦のお坊ちゃんの家を掃除中。

 

『ごめんなさいね。あの子ったら、一人暮らししたいってどうしても聞かなくて…お掃除も出来ないのよ。悪いんだけどお掃除しに行ってくれないかしら』

 

申し訳なさそうなお顔の奥様が脳裏に浮かんだ。いいえ、奥様。奥様の為なら何でもありませんわこんな事。ばっちりやって見せますとも!!お任せくださいな!!

 

あたしは心の中で奥様に胸を叩いてみせて、磨き上げた廊下から移動した。一人暮らしなのに坊ちゃまは物凄く広いお屋敷に住んでいるのだ。

 

「そろそろカビキラー効いたかな?」

 

バケツとモップを持ってお風呂場の扉を開けた。壁中を侵食していた真っ黒なほわほわ達に、これでもかってくらい塩素を吹きかけてそろそろ三十分が経過する。

 

「うっ…臭っ」

 

浴室には鼻だけでなく目にも沁みそうなくらいの塩素臭が立ち込めていた。入り口周りに塩素注意って張り紙しておこうかしら…ん?激しい足音がこっちに来て……

 

「風呂に入るから出てろ」

 

扉を蹴破る勢いで登場なすったのはこの家の主、坊ちゃまだった。長い前髪でさっぱり表情は見えない。

 

「ぼ、坊ちゃま、今はお風呂場は塩素を」

「うるさい!!入るったら入る!!」

 

どう考えても卒倒間違いなしの浴室に坊ちゃまを入れるわけにはいかない。あたしは必死に通せんぼしながらカビ漂白の最中であると説明した。と言うか扉越しでも痛烈な塩素臭に気付いてほしい。

 

「何で僕の邪魔するんだよ!!お前家政婦だろ!!何なんだよお前!!」

 

坊ちゃまは苛々と煙草をくわえ、ライターを取り出して火を……火!!

 

「坊ちゃま火はだめでっ――」

 

光と音と、それっきり。あたしの意識は途切れたのだった。

 

「むにゃむにゃ…むにゃ?ありゃ?」

 

あたしが起きたのは、ほんとに何もない空間だった。白いばっかりで、何も無いのに何故か広くも感じられない。奥行きが無い感じ。

 

「…あれ?あたし掃除してなかったっけ」

 

一つ思い出したら、後の記憶は自動的についてきた。そうだそうだ、坊ちゃまがライター使おうとなさったのを止めようとして…それからどうしたんだっけ?

 

「それから、あなたは吹き飛んだんですよ」

 

そう吹き飛んだの…はい?

 

「吹き飛んだってどういうこと?いやその前にあなたどなた?」

 

あたしの回想と疑問に答えてくれたのは、何時の間にかあたしの前に居た白い人だった。膝くらいまである白っぽい金髪、高級そうな白の一枚布を緩く纏って腰帯で留めている。

 

「言葉どおりですよ。あの後、あなたが危惧したとおり空気中の塩素ガスに引火しまして。お風呂場と一緒にドカンと」

 

ご親切にジェスチャーまで付けてくれた人は悲しそうな顔をした。

 

「ごめんなさいね。私の部下の不手際で、あなた達二人とも寿命まではまだ遠かったんですけれど」

 

「……つまり僕は死んだのか?」

 

ぎゃっと危うく声を上げるところだった……全く気付かなかったけど坊ちゃまもここに居たらしい。黒ぶちの眼鏡が光った気がした。

 

「そうです、そしてあなた達二人ともに対するお詫びとして私の管轄する他の…」

「世界に転生させるんだな!?」

 

白い人の言葉にかぶせるように坊ちゃまは叫んだ。転生?転生って生まれ変わるってあれのことかしら。白い人は驚いたような顔をした。

 

「良く解りましたね。それなら話は早いです、あなた達には違う世界、ウィザードカイへ転生してもらおうと考えています」

 

「うは。こ・れ・は」

 

全然話に付いていけないあたしを置いて、坊ちゃまと白い人は会話している。坊ちゃまはなんだかとっても嬉しそうだ。いやあたしは自分が死んだこともまだ受け入れられないんだけど。というかうはって何だろう。

 

「勿論能力や魔力なんかはサービスしてくれるんだろう」

 

「ええ、そのつもりです。勿論こちらに非がありますから出来る限りはご希望に沿いますよ」

 

「きたこれ」

 

「はい?」

 

「いや何でもない。希望は、まず無限の魔力、底なしの身体能力、魔法に関する全ての知識、不老不死、全属性、そして願えば全てがかなう力だ」

 

「えーと幾つか不可能ですね。魔力は無限には出来ません、身体能力も底なしは無理です。不老は可能ですが不死は駄目ですね、殺されれば死にますよ、それに……属性って何ですか?」

 

「む、属性概念の無い世界なのだな。では属性は取り消す。魔力と身体能力は世界最高水準をはるかに上回るくらいで良い」

 

「それくらいならできます。それから最後の願う力も無理です。それは神の権限ですからね、人に与えることはできません」

 

「そうか、結構制約が多いな。仕方あるまい…では、想像した物を創造する能力はできるか?それと外見だが超絶いけめそにしてくれ。金髪碧眼でな」

 

「出来ますが、それは魔力次第ですね。魔力が足りるものなら可能です。で、いけめそ…?ああ、イケてるメンズと言う意味ですか。つまり格好いい男性。はいはいそれなら簡単です。もう無いですか?」

 

「ふむ、あとは…望む形に変わる武器を。どの形でも素晴らしい威力を発揮できるようにしてくれ」

 

「…まぁいいでしょう。これでもう良いですね?」

 

「ああ、構わんよ」

 

「あなたの望んだ条件は全て整いました。では、失われた人生の代わりに新しい自分を楽しんでください」

 

キラリ。爽やかな金髪の男性に変わった坊ちゃまが急に光り始めて、完全にパニックになっていたあたしも思わず気を取られた。坊ちゃまは発光しながら消えてしまって、あたしがびっくりする。

 

「ぼ、坊ちゃま!?坊ちゃまは!?」

 

奥様が溺愛なさっている坊ちゃまが行方不明になってしまっては、奥様も旦那様もさぞお悲しみだろう。

 

「彼は既に転生しました。あなたは何を望みますか?」

 

白い人は、一応あたしの事を覚えていたらしくあたしに笑いかけた。

 

「ええと、それよりあたしはもう元通りには戻れないのですか?」

 

「ええ、残念ですが。同じ世界に同じ存在を元通り復元するのは、私達の存在律に反するのです…あなたには本当に申し訳なく思っています。彼のとばっちりでお亡くなりになってしまって…」

 

白い人は何か聞き捨てならない事を言った。

 

「とばっちり?彼って坊ちゃまのことですか?」

 

まあ確かに坊ちゃまのライターが引火の原因ではあったのだけど。でもちょっとカビに過剰反応してしまったあたしにも責任があると思う。ちょっと塩素を吹きすぎた。

 

「そうですね。こちらの不手際、と最初に言いましたよね。覚えてらっしゃいますか」

 

そのあたりまではどうにか記憶している。この白い人の部下さんの不手際で、あたし達は死んじゃったらしいってところだ。

 

「私の部下の一人で、彼……あなたの言う坊ちゃまですね……の守護を担当していた者がいたのです。ところが彼は勤務態度があまり良くなくて、その……たびたび守護を怠けていたわけです」

 

白い人が物凄く恥ずかしそうに俯いた。そんな、あなた自身が怠けたわけじゃあるまいし。そんなに思いつめると疲れちゃうよ。

 

「ありがとうございます。それでですね、今回までは無事に彼は生きていたわけなんですが、とうとうこの度お亡くなりになってしまって。あ、勿論怠け者にはちょっとした罰則を与えてあります」

 

白い人は深々と頭を下げた。一介の家政婦が人に頭を下げられる経験などあろうはずもなく、あたしは寧ろ慌ててしまう。

 

「や、罰とかは良いですから頭を上げてください。あなた自身の事じゃないですし、謝罪は聞き入れましたから」

 

白い人は嬉しげに元の姿勢に戻った。

 

「ああよかった。私もあまり厳しい罰を与えるのは忍びなくて。お気に入りなのでね」

 

白い人はニコニコとあたしの手を取った。

 

「今度は貴方の番ですよ。何を望みますか?」

 

そう言われて改めて頭を巡らせた。あたしの望み…と言えば一つしかない。

 

「元の世界で生き返るわけにはいかないんですね」

 

「ええ、残念ながら。それは私達の存在律に反してしまいます。先程の彼と同じ世界ならば、オプションも付けて転生可能なのですが」

 

オプションって言うのはきっとさっき坊ちゃまが色々言ってたあれの事だ。だけど、元の世界に帰れないなら特別なにも思いつかなかった。

 

「別に無いです」

 

簡単に答えると白い人はきょとんとした顔をしてあたしの顔をしげしげと眺めた。何かついてるかしら。

 

「いえ、欲の無い人だなと。皆好き勝手望みますけどね」

 

白い人はそこまで言うと顎に手を当てて首を捻った。どう見ても何かを考えている姿勢だ。そう、考える人みたいな感じ。

 

「……特に希望が無いのなら。良ければですけど。私のお願いを聞いてくれませんか?」

 

しばらく経って白い人は真剣な顔であたしを見つめた。何だろう、何か大事なことらしい。

 

「出来るかわかりませんから、言ってみてもらえませんか」

 

「確かに、これは失礼しました。私のお願いと言うのは、先程転生して行った彼の抑止力になって欲しいのです」

 

抑止力。つまりストッパー。でも坊ちゃまを止める?どうしてだろう。

 

「何故さっき坊ちゃまを止めなかったんですか?止めておけばよかったのに」

 

白い人はごもっともですと苦笑した。

 

「こちらに非があって転生させる場合、その者の望みを妨げることは許されません。彼は世界を思いのままに出来得る程の力を望んでしまった」

 

えっと……坊ちゃまは確かに色々言ってた気がする。一つとか二つとか、制限って無いのね。で、白い人は気が進まないけどそれをあげなきゃいけなくて…

 

「なんかあなたって、凄いっぽいのに大変そうね」

 

口を衝いて出た率直な感想に慌てて口を押さえた。あからさまに失礼だったよね……でも白い人は何でか笑った。

 

「そう、凄いほど私達はがんじがらめなんですよ。だから世界の中の一個人に干渉することもできない。一度放たれた転生者は自由なのです」

 

転生者……坊ちゃまの事だ。そして多分あたしの事でもある筈。

 

「たとえ話をしましょうか。ある世界に、世界自体のバランスを崩しかねない強力な何かがいたとしましょう。私達はそれを取り除く力はあるけれども、権利が無いのだと考えてください」

 

うーんと……難しい話だけど頷いておく。ファミレスのジュースバーで遊んでるお客さんを止められない店員みたいな感じだ、きっと。

 

「苦しい例えですがまあ良いです。だから私達はストッパーを送り込む事しか出来ない。私達が干渉すると言う事は世界の廃棄に直結してしまうので」

 

白い人の話を総合すると、つまり坊ちゃまが世界のバランスを崩した時にあたしがそれを止めるってことらしい。そんな大それたこと、あたしに出来るのだろうか?一瞬迷った。

 

「……世界の廃棄って、つまり世界が無くなっちゃうってことですよね?」

 

「そうです。病気がはびこっちゃった植木鉢は捨てるしかないでしょう?随分手を尽くしてそれでも駄目だったら諦めるしかありません」

 

白い人の例えは的確だ。とはいえ、あたしの風呂掃除のせいで転生する羽目になった坊ちゃまが病原菌みたいにたとえられるのはかわいそうだった。

 

「……解りました。あたし頑張ります。坊ちゃまはきっとそんなことなさいませんけど、もしそうなった時にはあたしが責任を持って正しい道に戻してみせます!!」

 

一度決めれば口に出すのは簡単だった。白い人は意外そうに、でも嬉しげに頷いてくれた。

 

「ありがとうございます。少し意外ですけど、あなた以上の適任はきっといないでしょう。では転生する条件ですが」

 

白い人は、能力は基本的には彼と、つまり坊ちゃまと同じ条件ですと人差し指を立てた。

 

「ただし。彼は完成した力を欲しましたが、あなたには成長する力を差し上げます。最初は彼よりもずっと弱いですが、あなたが望みさえすれば、鍛えさえすれば。伸び代は遥か先まで続いています」

 

あたしは鈍い頭で一生懸命ついていくのに精いっぱいだった。うーんとつまり鍛えれば鍛えるだけ向上するってことだ。

 

「では最後に指輪を。彼が銀でしたから、貴方は金にしておきましょう」

 

飾り気の無い輪っかが指に巻きついた。小さい蛇を模してるみたいで少し可愛い。

 

「坊ちゃまが道を踏み外しそうになった時のために頑張る事を当面の目標にしようと思います。ね、神様」

 

あたしは白い人に笑いかけた。神様は相槌を打つと下を指した。

 

「ごめんなさいね、おまけで外見も変えておきましたから。うっかり彼にばれても嫌でしょ?さあ、それでは二度目の人生を――」

 

「あ、ちょっと待ってください。それなら、あたしも一つ欲しい物があるんです」

 

あたしにもあたしの持ち物が欲しい。神様は静かに待ってくれている。

 

「あたしに名前を。【借り物】じゃない名前が欲しいの」

 

ずっとずっと欲しかった物。勇気を出して、神様はそれを受け止めてくれた。さすが神様だ。

 

「では、リッカ=ディスウェイドと名乗ると良い。立夏、夏の訪れめいて明るい貴方に相応しいでしょう。楽しんでくださいね、リッカ」

 

神様の言葉に合わせてあたしの身体が光り始めているのが解った。あたしは慌てて礼をする。

 

「ありがとう。あたしだけの名前をありがとう!!神様、たまには息抜きした方が良いですよ。身体壊しちゃいます、それじゃあ行ってきま――」

 

最後まで神様に聞こえたのかはわからなかった。真っ白だった空間が消えていく。合わせて意識も霞んでいった。

 

何とか言う世界に向かっているんだろうと考えながら、あたしは意識を手放したのだった。リッカという新しい、あたしの名前を大事に抱えて。

 


「むにゃむにゃ……暑い……ありゃ」

 

眼が覚めたのは砂漠のど真ん中だった。道理で暑いと思った。とりあえず起き上がってみる。家政婦の時の格好のままだ。砂漠を歩くのにエプロンは無いだろうな。

 

「日差しがきついなぁ……太陽が真上だから今一番厳しい時間か」

 

やれやれと立ち上がって周りを見渡した。まあ何も無い。砂丘がずーっとずーっと続いているだけだ。

 

「……あ。えっと神様がくれた力が使えるかも?確か想像を創造するとかなんとか……えっと、ちっちゃなテントが欲しいです。砂色で目立たないやつ」

 

言い終わった時には目の前にテントが出来上がっていた。望み通り一人サイズでご丁寧に設置済み。何て便利な力だろう。

 

「お邪魔しますっと。あー日差しが無いだけで涼しいわぁ」

 

ふいーと一息ついて、あたしは落ち着いて考え始めた。

 

「砂漠に必要なのは……とりあえず動きやすい格好と」

 

いかにも【旅人の服】みたいな服が目の前に畳まれて現れた。でもゆったりしてて何となく快適そう。

 

「頭からかぶった方が良いのかな?マントって言うのかなぁ、あの顔隠せるやつもいいよね」

 

薄茶色の布が服の上に出た。保護色だなぁ。

 

「お水は見つけてないから水筒はまだいいや……えっと包丁があると便利だよね。何かと」

 

その内お腹もすくだろうし。もしかして自分で何か捕まえないといけないとすると、ちょっとした武器にもなりそうだ。ところが現われたのは大きすぎる出刃包丁だった。刃渡り二メートルって……

 

「……大きすぎるわねぇ」

 

呟いた瞬間、包丁が縮んで手に馴染むサイズへ。びっくりしたけど今更どうこう言ってもしょうがない。坊ちゃまも変身してたしね。

 

「神様が凄いんだってことにしときましょ。納めるって言うと鞘かしら。すごいな、ベルトの革凄い良い物だぁ……ああ腰に巻いて止めるのね」

 

だんだん力を使うのに慣れてきたのか、頭の中のイメージが固まり次第現われるようになってきた。おっかなびっくり鞘に包丁を納めると、とりあえずあたしは寝っ転がった。

 

「さーて昼寝昼寝。あ、涼しくしとかないと蒸し物になっちゃうか。えっとテントの中を涼しく保ちたい……わー趣味悪いなぁあたし」

 

言い終わって最後に出てきたのは、でっかい氷の塊だった。それもなぜかオリバーポーズを決めたボディビルダーの氷像……ちょっと自分にがっかりしつつ、あたしは気温が下がるまで寝ることにした。

 

何か夢見悪そう。えっ何で寝るんだって?だって一番暑い時に動きまわったら無闇に体力消耗するじゃない。これ真夏の知恵なの。涼しい朝か夕方に庭仕事。じゃ、おやすみ。


「ふわー……そろそろ良いかな」

 

陽が傾いて、大分暑さが和らいだころ。丁度良い頃合いにあたしは目覚めた。氷像は半分以上溶けて、随分スリムになっているけど水溜りは無い。やっぱり変な力だ。さーて着替えてと。

 

「ベルトも巻いて、よし。出発だわね」

 

包丁が丁度右腰の後ろに来たのを確認して、あたしはテントに消えて貰った。持って歩くにはかさばっちゃうもんね。

 

「んー、とは言えどっちに行ったら何があるんだか……わかんないわね」

 

とりあえず手近な砂丘に登って周りを見渡したけど、まあ解る筈もない。双眼鏡を出してみて眼に押し当てた。

 

「うー、蜃気楼でも何でもいいからあって!!あればそれ目指せるから……およ」

 

あんまり何も見つからなくってこぼした愚痴に応えるように、双眼鏡の中に砂煙が映った。砂嵐にしては小さすぎるけど。まあいいや、何はともあれ行ってみよっと。

 

「ん?悲鳴?」

 

砂丘を降りて、丁度砂煙との間に長い谷が続くような場所へさしかかった時だった。甲高い悲鳴みたいな声が聞こえた気がしたあたしは立ち止まった。

 

「――……あぁぁ――…」

 

……。何かわかんないけど、向こうで誰か困ってる。さすがにそれを無視するほどあたしは人でなしじゃあ無かった。幸い荷物類は無いし、全力疾走!!

 

思ったより近かったらしく、結構すぐ砂煙の元へたどりついた。あたしと同じような布を被った小柄な人が、砂煙の何十メートルか前を走っている。

 

丁度こっちに向かってるし、回れ右して並走しながら話しかけてみようかな。

 

「こんにちはー」

 

ゆっくり走ってる人に並ぶように、ペースを落として先ずは挨拶から。悲鳴は聞こえたけど、ただ走ってるだけみたいだし。

 

「……っ、はっ、はっ!?な、何って……っ!?」

 

あららこの人ぜーはー言ってるわ。大丈夫かしら、ペース落とした方が良いんじゃない?

 

「こんにちはー。なんだかずいぶん辛そうですけど、もうちょっとゆっくりにしても良いんじゃないかしら。身体に悪いですよ」

 

ねえ。まだまだ暑さが残ってる砂漠で心臓発作なんて起こしたら絶対死んじゃうじゃない。救急車も砂漠は走れないだろうし。ところでこの世界って救急車あるのかしら。

 

ところが人……顔が見えなくって男か女かも解らない……は立ち止まるとフードを脱いだ。あら、可愛い女の子。髪の色が水色ってところが、さすが異世界だわ。

 

「馬鹿じゃないの!?止まったら食われるだけじゃない!!」

 

ざあざざざざざざ!!

 

「……なるほど。身を持って証明ありがとう、可愛い女の子。アレってなに?」

 

砂煙の根元から、沢山の砂を振り落としながら大きなミミズが立ち上がった。口と思しき穴には沢山の突起。なるほどアレに食われるってわけね。

 

「あーっもう……!!サンドワームも知らないの!?ど素人が灼熱砂漠になんか来るんじゃないわよ足手まといなのよ!!引っ込んでなさい!!」

 

女の子は見た目に似合わない口調であたしを押しやると、どこからか杖を取り出してサンドワームと言うミミズに向き直った。えっとこの流れから行くと……

 

「戦うの?一人で大丈夫?」

 

「さっき言ったでしょ、あんたは足手まといなの!!あんたのせいで逃げ切れなかったんだからせめて邪魔しないで頂戴!!行くわよ、【氷槍≪アイス・ランス】】!!」

 

女の子は最後はサンドワームに向かって叫んだ。すると急に空気中に大きな氷柱が現われる。手品かしら……あっこれが魔法かぁ!!種も仕掛けもございません、と。

 

「行けっ!!」

 

三十本近く作られた氷柱は、女の子が杖を振ると一斉にサンドワームに向かって飛んだ。全部命中。サンドワームの体は柔らかいみたいで、半分以上がぶっすり刺さっている。痛そう。

 

「ジーッジジジィーッ」

 

変な声みたいな音を出してサンドワームは大きな頭をこっちに向けた。そのまま凄いスピードで、あたし達がいた所に口が来る。ぎゃー怖い。生きたまま食べられるのは遠慮したいわね。

 

「ちっ……やっぱり一撃じゃ無理か。でも……、そうだ。ちょっとど素人!!」

 

女の子は爪を噛んで何か呟いている。それから急に呼ばれたもんだから、あたしはびっくりして声がひっくり返ってしまった。

 

「な、なァに?」

 

「あんたあのデカブツ止めなさいよ!!詠唱時間さえ稼げればあんなの倒せるんだから!!三十秒止めて!!」

 

幸い裏声は流してくれたけれど、代わりに大変難しい事を頼まれた気がした。えっ動きを止めるってどうやったらいいのよ?

 

「ジジジイジーッ」

 

「あわわわっ」

 

また落ちてきた口を慌てて避ける。女の子は何かブツブツ言いながら一歩も動こうとしない。わーんもう、想像力を働かせるのよあたし!!えっと動けなくするもの、動けなく……固定……そうだ、

 

「【ぐるぐる巻き《チャー・シュー》】!!」

 

ぎゅんっと音を立てて、極太の凧糸が……凧糸って言うか綱引きの綱みたいだけど……サンドワームにがんじがらめに絡みついた。急に、それもぎっちぎちに縛りあげられたサンドワームは堪らず頭を落とす。

 

じたばたじたばたサンドワームは暴れている。だんだん砂から巨体が出てきていた。あたしはどこまで括っちゃったんだろう?と、女の子があたしを押しのけた。三十秒たったみたいね。

 

「よくやったわど素人!!どいてなさいっ!!【極寒の荒野より出でし精霊、我が請う声に応え給え!!我が望みは敵の凍結!!冬神の指先インテンス・コールド】!!」

 


時間が止まったみたいだった。もがき狂っていたサンドワームが、瞬きするより早く凍りついてしまっていた。魔法ってすごいんだぁ……何か色々言わなきゃいけないみたいだけど、それでも凄い威力。

 

感心しながらサンドワームの氷漬けを眺めているあたしに、女の子が近寄ってきた。つかつかって感じだ。

 

「ちょっと?それであんた、ここで何してたわけ?それにさっきの魔法って何体系?聞いたこと無いわ」

 

「特に何もしてないの。魔法もよく解らないし」

 

全然嘘は言ってない。でも異世界から来たとか言っても全然信憑性ないしなぁ。うん、記憶喪失ってことにしておこう。

 

「はぁ?じゃあなんでこんなとこに居たわけ?」

 

女の子は眉間に皺を沢山寄せた。可愛いのにもったいない。

 

「解んないの。あたし、リッカ=ディスウェイドって言う名前なんだけど、名前しか思い出せない」

 

それだけ言ってあたしは女の子の様子を窺った。うーん嘘って気が引ける。でも異世界から来ましたなんて突飛過ぎて、いくら本当でも絶対信じてもらえないだろうし。

 

「……一番近くの町まで連れていくわ。だけど勘違いしないで、それ以上は絶対何もしないから。サンドワームを倒す手伝いの礼よ、これで貸し借り無し」

 

女の子はこちらを見ないままでそれだけ言うとさっさと歩き始めた。いやーん全然信用してくれてないみたい……まぁ、町まで連れて行ってくれるだけでありがたいか。

 

「ありがとう、えーと名前聞いても良い?」

 

後を追いかけながら話しかけてみる。多分短い付き合いだろうけどせっかくなら名前くらいは聞いておきたい。

 

「なんで名乗らなきゃならないわけ」

 

「ううん強制じゃないけど。女の子で通すから、言いたくないならそれでもいいよ?」

 

あたしは女の子なんて呼ばれ続けるのは嫌だけどねぇ。幸い女の子も同じ考えだったらしく、どことなく嫌そうだったけどこっちを振り返った。

 

「……アンネローゼ=セイレン=ドゥカティ」

 

「素敵な名前ね。ロゼって呼んでも良い?」

 

思ったままを口に出すと、どうしてかロゼは驚いた風だった。何かおかしなこと言ったかしら?見つめ返して数秒、ロゼははっとしたようにまた歩き始めた。

 

「好きにすればいいわ」

 

ざかざか砂を蹴りながら進むロゼ。どうやら何かをつついたらしい。触らぬ神に祟りなし、だ。暫くそっとしておこう。あたしは特に何も言わず後をついていったのだった。

 

この世界でも、夕焼けと言うのは赤い物らしい。赤く大きく太陽が沈みかかった頃。ロゼは足を止めると振り返った。

 

「今日中に抜けたかったけど、まだ少し届かないわ。今日はここで休むわよ」

 

この辺りね?何か理由があるのかしら。砂漠だから岩影の方が無難な気がするけど。

 

「ね、少し戻ったとこの岩影にしない?寝てる間に砂だらけになりそうな気がするよ。この場所じゃなきゃ駄目かしら」

 

明日の朝悲惨な事になりたくないあたしはストレートに伝えてみた。するとロゼはすごい勢いで歩き始めた。

 

「そんなことわかってるわよ、今から戻ろうと思ってたとこなの!!ど素人が偉そうに口出すんじゃないわよ」

 

がるるとか聞こえてきそうな口調で、ロゼはあたしを一睨みすると進んでいってしまった。ロゼってせっかちなのかしらね。

 

「えっとテントさん来てくださいな。岩影に固定されてるともっといいなぁ」

 

目指す大岩の影について、あたしは昼間の調子でテントを想像した。ただし、ロゼが荷物を何も持ってなさそうなので、今度は二人入れるサイズだ。まぁ、魔法で何とかするのかも知れないけど。

 

「ロゼ、寝る場所決まった?良かったら一緒に入らない?」

 

岩に腰かけて片膝を抱え込んだロゼに声をかけると、ロゼはぶすったれた顔のままで了承した。

 

「あんたが邪魔しなきゃもう街に入ってたのに。ふん、随分狭いけどこの天幕と毛布でチャラにしてあげるわ、仕方ないからね!!」

 

なんだかものすごく変わった言いまわしのお礼を言われてしまったけれど、まぁ坊ちゃまに比べれば会話してくれるだけ随分ましだわね。

 

「ありがと。砂漠って夜冷えるって本当なのね。ごめんね、食料はあたし持ってないから布団までで勘弁してね。じゃあおやすみなさい」

 

お腹は空いてるけど一食抜いたくらいじゃ死なないし、とにもかくにも、おかしなこといっぱいで疲れた体を休めようっと。あたしはさっさと目を閉じた。

 

「……ひもじいわ」

 

背中かからちっちゃな呟きが聞こえてきたけど……ほんとに何も無いのよね。想像して出てきた物って食べられるのかしら?でも何だか謂れの無い物を口にするのは抵抗あるし。

 

「サンドワームって食べられるかしら?食べられるなら取って来るわ、あたし」

 

昼間に氷で固めたミミズを思い出してあたしは身体を起こした。だけどロゼは物凄く渋い顔をして、眉間の皺を伸ばす仕草をした。

 

「どんな魔物も口をつけない肉を食べるくらいなら飢え死にするわ」

 

「あ、そう?じゃあやっぱり寝よっか、おやすみなさい」

 

やっぱりミミズは美味しく無いらしい。残念な気もするけど、そんなに切羽詰まってるわけじゃ無いし。また背中から恨めしげな唸り声が聞こえたけど……うーんごめんね、ロゼ。

 

すとんと落ちるようにして眠って……風の音で目が覚めた。断続的な強い風が、妙に規則正しく繰り返しながら近づいてくる。何となく気になったあたしは起き上がってテントを出た。

 

「ぅわ、寒……暖かいストール巻きたいな」

 

まだ口に出さないと上手くイメージできない。でも暖かさをイメージしたせいなのかふんわりした大判のストールは、巻いただけで不思議に寒さが消えた。

 

徐々に徐々に近づいてくる風の音の発信源は空だ。でも暗くて何が何だかわからない……

 

「暗くて?」

 

思わず口から零れた疑問だった。だって空じゅうあんなに星だらけで月も冴え冴えして、どうして何も見えないの?あたしは思わず振り返って、今しがた出てきたはずのテントを探した。

 

「見えない、でも触れる。ってことは、うーん?何だろ」

 

「……動揺せぬか、小さき者よ」

 

テントを触って首を捻ったところで、空から低い声が落ちてきた。地鳴りに似て良く響く声だけど、妙に明瞭で聞き取りやすい。変な声。

 

「どなたですか?ごめんなさい、あたしは全然あなたが見えてないんだけど、あなたには見えてますか?」

 

位置的には妙だけど、とにかく上から声がするのであたしは上を向いて問いかけた。特に返事は無かったけれど、その代わりなのか猛烈な突風が巻き起こった。慌ててテントを保護する。

 

「あわわ、ロゼが起きちゃう。寝不足はお肌の大敵なんだから」

 

「警戒も威嚇もせぬ、無知か自信か或いは妄信か」

 

風が収まって一息ついたところで、あたしはふと周りが見えるようになっていることに気付いた。そして最初に気になったバサバサ言う音も無くなってるってことにも。

 

「小さき者よ、砂礫蚯蚓を縛り付けたのはお前か?問うたところで理解も出来まいが」

 

また低い声がした。今度はテントと反対側、つまりあたしの後ろから。砂礫蚯蚓?砂礫……って言うと砂だし。縛ったって言うと昼間のミミズだろうか。

 

「あなたが言うのがサンドワームって生き物なら、そうですよ。わあ、あなたとっても大きいんですね!!」

 

振り返って返事をして、あたしは思わず語尾に感嘆符を付けていた。あ、感嘆符ってビックリマークのことね。

 

だって眼の前には(とは言え十数メートル離れてるけど)見上げても足りないくらい大きな……多分竜って生き物があたしを見下ろしてるんだもん。

 

「わたしの言葉を理解するか。そうだ、砂礫蚯蚓を人はそう呼ぶ。お前がわたしを恐れぬのは何故か?」

 

多分竜さんは独り言とあたしへの質問を一度に言った。えっと最後のに答えなくっちゃね。

 

「何もされていないし、あなたから悪い感じがしないので。うーん、上手く言えないんですけど何となくあなたは信じられる気がするんです」

 

竜さんは長くしなる髭を何度か揺らした。月明かりのせいなのか、身体を覆う鱗の色は春の森の緑だ。それが地に近づくほど暗く黒くなっていく。

 

「綺麗」

 

夜に燃える、太陽じみた瞳と相まって竜さんはこの世のものとは思えないほど綺麗だった。思わず見とれて、竜さんが不意に手を伸ばしたことに気付かなかった。

 

「……良い度胸だな。このまま爪が当たれば、お前は砕け散るのだぞ」

 

何時の間にか漆黒の爪があたしの脇腹辺りに当たっていた。それでも何故か怖くない。竜さんの眼がひどく穏やかだからかもしれない。

 

「……名を何と言う、小さき者よ」

 

しばらく見つめ合った後、竜さんは手を引っ込めた。

 

「リッカ=ディスウェイドです。竜さんは?」

 

竜さんは首を上にふりあげて一声吠えた。どうやら笑ったらしい。

 

「わたしの名を問うか!!面白い、面白いぞ……お前は人か?」

 

竜さんは変なところがツボだったらしい。笑いながら次の質問が来た。

 

「はい人間ですよ。ちょっと神様におまけして貰ってるけど」

 

正直な答えに竜さんはもう一度、今度はくつくつと笑った。この笑い方だとまるっきり地鳴りだ。

 

「おまけと言ったのは初めてだ、【抑止力】よ」

 

竜さんはあたしの事を抑止力、と言った。神様が言ったことと同じ。

 

「ああ、わたしは創造者達の眷族ではない。わたしも被創造者だ、が、かなり他の者より力を多く分配されているな」

 

竜さんは先回りでもするようにそう言った。じゃあ神様の仲間じゃあないんだ。

 

「創造者は、抑止力にはわたしの言葉を理解できるようにして送り込んでくるのだ。数日前、異世界者が来たばかりで既に抑止力が来ようとは思わなかったがな。大抵数年は間が空く」

 

竜さんは長い尾を一度振った。綿ぼこりが引っ掛かったのが気になったらしい。

 

「異世界者って…竜さん見かけたんですか?金髪の若い男の方でした?」

 

坊ちゃまとあたしが転生したのは数分しか違わなかった筈だけど、数日の間にそう何人も転生ってやつをするとは思えないし。

 

「ああ、若そうだったな。あちらはわたしの言う事が解らないし、何故か殺されかけたからあまりまともに接触はしてないがな」

 

やれやれとでも言いたそうに竜さんは髭をしならせた。鼻息がここまで来る。多分ため息だ。

 

「【素材げとー】だの【大剣きたこれ】だのおかしな言葉を口走っていたな、そういえば。かつて無く危険で容赦の無い異世界者らしい……知り合いか?」

 

ど、どうやら坊ちゃまはお部屋に沢山あったゲームのモンスター達と竜さんを一括りにしてしまったらしい。大分違うと思うけど……

 

「あたしは家政婦だったんです。ちょっと手違いで……坊ちゃまと一緒に死んじゃって、神様に坊ちゃまがおかしなことなすったら止めるようにお願いされてきました」

 

どうやら既に被害者の竜さんに正直に告げると、竜さんはもう一度ため息を吐いた。

 

「わたしが第一の被害者だな。リッカ=ディスウェイド、抑止力よ、あの者は実に狡猾だ。どうやったのか知らぬが、今や奴の存在を感知することさえ不可能になっている」

 

竜さんは髭を揺らしてあたしを摘まみ上げた。鋭い爪だが傷つかないように気遣ってくれているのを感じてあたしは微笑んだ。

 

「欲深き異邦人を妨げるのは並大抵では無かろうよ。覚悟は出来ているのか?出来ていないのならば今のうちにわたしが滅ぼしてやろう、その方が後々辛く無い」

 

竜さんは淡々と告げた。真剣なその眼(直径は一メートル弱くらい)をあたしは見つめ返す。

 

「ありがとうございます、竜さん。でもあたし、奥様にも旦那様にも、神様にも坊ちゃまをよろしくってお願いされてるの。約束破っちゃ家政婦失格だわ」

 

大丈夫、そういう意味を込めて手を目の前に翳した。さすがと言うところなのか、竜さんは一瞬で意図を見破ってくれる。

 

「異世界者と同じ指輪だな。と言う事は用途も同じか……ひいては能力も同等なのだな」

 

「坊ちゃまは完成なすった力ですけどね。あたしには努力の報われる力を頂いてます」

 

竜さんが瞬きをして、周りの空気がざわめいた。気のせいかもしれないけど。瞳にともったのは燃える金よりも更に輝く光だ。

 

「ふむ。創造者達も知恵を凝らしてきているのか……これを」

 

竜さんは空中に光を浮かべた。ふわふわとあたしに向かって漂ってくる光を掴み取ると、それは何故か指をすり抜けて耳に刺さった。

 

「痛っ。痛いですけどこれ何ですか?」

 

随分昔に、包丁で危うく指を落とすところだった時程ではなかったものの結構痛かった。じんじんする耳たぶを抑えると何やら硬い感触が一つ。どうやら耳から石が生えてるみたい。

 

「それはわたしとお前の夢を繋ぐ触媒だ。わたしは抑止力に協力する為に居る、つまり早急にお前の力を伸ばさねばならない」

 

竜さんは簡単に説明するともう一度翼を羽ばたかせた。

 

「わたしは異世界者が見つけられぬよう聖域へ戻る。感知能力に長けているようだからな、創造者の庇護がある地域に居ねばいずれ見つかる……わたしはまだ死ねぬのでな」

 

また物凄い突風が起きた。あわわ、あたしの回り二メートルだけ風が避けるところを想像しよう。幸いにして成功したらしく眼に砂は入らなかった。

 

「ではな、抑止力。明日の夢から鍛錬するぞ」

 

竜さんはさっさと別れを告げて飛び立ってしまった。

 

「竜さーん!!ありがとうございますー!!また明日ーっ!!」

 

力いっぱい叫んだ声は届いただろうか?良く解らなかったけどあたしは何となく満足してテントに戻った。

 

「……あら?そう言えば名前聞いてないや。明日聞こっと」

 

これは絶対誰にも聞こえてない筈だ。だってロゼはあたしの努力が実ってすやすや寝てたし、他に砂漠に居るのは砂と風と星くらいだもの。

 

さて、おやすみなさい。眼を閉じればすぐに睡魔があたしを襲ったのだった。

 


「おはよう、ロゼ。お腹空いたねぇ」

 

ロゼは疲れきってたみたいで、陽が昇っても目覚める気配が無かった。長年の習慣で夜明け前には起きてたあたしとしては暇なわけで。

 

「ん……もう朝なの……ヴァレリー、後もう少し……」

 

「ごめんね、あたしヴァレリーじゃなくってリッカよ。ロゼもお腹空いたと思うんだけど……」

 

言ってる途中でロゼは跳ね起きた。そしてあたしを睨みつける。

 

「さっさと行くわよ!!ふん、食料も用意せずに灼熱砂漠に来るなんてどれだけ砂漠舐めてるのよ」

 

まぁ、普通は砂漠に手ぶらで来る人っていないよねぇ。素直に謝っとこうかな。

 

「ごめんねロゼ。街に帰ったらたらふく食べて」

 

返ってきたのは無言だけだった。どうやらやっぱり空腹って人を刺々しくさせるらしい。黙っとこう。

 

正午まで無言のままロゼは歩みを進めた。砂を蹴り飛ばす勢いだ。そして小高い砂丘を登りきって、不意に懐を探った。取り出されたのは折りたたまれた紙。

 

「街に戻るわよ」

 

ロゼが唇を突き出したまま紙を広げた。紙の端を突き出されてあたしはロゼの顔を見た。どうするの、これ?

 

「なによ、帰還陣の使い方も知らないの!?あんたほんとに人間なの……紙のどっかを持ってないと効果が出ないの。さっさと持ちなさい」

 

あうー、語尾がとげとげしてる……。あたしは特に何も言わず紙の端を持った。何言っても藪蛇な気がする。

 

「【イアウ出立の間、使用許可番号00528、アンネローゼ=セイレン=ドゥカティ】」

 

紙が光ってロゼの髪が浮き上がった。世界が歪む。紙とロゼと、多分あたしだけがそのままの形で残って、何時の間にか景色が変わっている事に気付いた。

 

「お帰んなさい、アンネローゼ。隣の美人はだぁれ?」

 

後ろから声がかかって、ロゼは振り返った。あたしも一緒に向きを変えて声を掛けた人に会釈した。びっくりするような美人さんだ。

 

長く波打った黒髪をそのまま流してゆったりした布を体に巻きつけている。何だか中東の踊り子さんみたい。垂れ目に泣き黒子が凄く艶っぽい。髪に挿した金の飾りが動くたびに音を立てて素敵だ。

 

「記憶喪失のど素人です。名前はリッカ=ディスウェイド。帰還陣の使い方も知らない癖にサンドワームを楽々拘束しました、マスター」

 

ロゼが一礼してからあたしを紹介(多分紹介だと思うんだけど)してくれた。マスター?ってことは、

 

「えっとロゼはこの方のお家とか会社とかにお勤めなのかしら」

 

素朴な疑問を繰り出したあたしにマスターさんはころころと笑った。

 

「うふ、面白い事言う子ねぇ。あたしは冒険者派遣所のマスターだからマスターなのよ。ロゼはここに登録してるの、だから一応あたしに敬語使ってくれるのよぉ」

 

仏頂面のままのロゼとは対照的ににっこり笑んだマスターさんは、ところでと身体を少し捻った。びっくりするほど色っぽい。

 

「サンドワーム縛り付けたって本当?どうやって?あ、アンネローゼを疑ってるんじゃないわよ。本人に状況と使った魔法の聞き取りするのも仕事なの」

 

マスターさんの言う通り、ロゼも全然気にした様子は無かった。それどころか知らん顔をしている(ただし耳はこっちに向いているけど)。

 

「本当ですよ。魔法って言うか……魔法ですね」

 

「聞いたことも無い名前の魔法でしたけど。とんでもなく広範囲で」

 

あたしの説明にロゼが補足してくれた。まぁ確かにあたしが勝手に唱えただけだしなぁ。神様は魔法の構築についての知識はばっちりくれてるんだけど、一般的な魔法についてはさっぱり解らない。

 

「あのう使えるんですけどそれがなんなのかは覚えてないんです。使って見せた方が早い気がしますけど、何か的ありませんか?」

 

あたしの我ながらいまいち信憑性の無い説明に、マスターはにこにこしたまま指を弾いた。近くにあった絨毯がくるくるっと巻かれて垂直に立ち上がる。すごく綺麗に巻いてあるなぁ。

 

「丁度新しい絨毯を注文したところだったのよね。隣町の弟に譲るから、少々じゃ解けないようにくくって頂戴な」

 

おお、慣れた作業だ。旦那様は中東の絨毯をコレクションしてらしたから、虫干しの季節にはものすごい数の絨毯を広げて巻いてを繰り返していたのだ。ちなみにあたし一人で、である。

 

「では失礼して。こほん、【叩けばキレイ・キレイ】、【ぐるぐる巻き《チャー・シュー》】」

 

ついでに絨毯を綺麗にしてから幅広の帯紐でぐるぐる巻きに止めると、マスターさんは拍手してくれた。と言うか括る素材も自由自在らしい。ラッピングに便利かもしれない。

 

「おおー。確かに見たこと無い体系だわねぇ。うふふ助かっちゃった。ねえうちで登録して行かない?あなたなら絶対仕事バンバンこなして稼げるわよぉ」

 

「マスター!!こんなに怪しいし常識ないし鈍臭そうな子スカウトするんですか!?」

 

……ロゼったら結構酷いのね……。怪しいのは自覚してるし常識も無いけど、鈍臭そうって。ちょっぴり悲しい。

 

「いえ、あたし家政婦なので。とっても光栄なんですが、冒険はちょっと経験ないので遠慮します」

 

お断りすると、マスターさんは物凄く意外そうな顔をした。

 

「ええー?それだけ魔法自在に使って家政婦さんなの?絶対冒険者が天職よぉ。なんだったらあたしが手取り足取り教えてあげる、あぁお弟子さん取るのなんて久しぶりだわぁ」

 

るんるんとマスターさんは机の引き出しから何やら書類を引っ張り出し始めた。それから分厚くって古めかしい大きな本も。と、ロゼが震えてる?寒いの?

 

「マスター!!どうしてっ」

 

ロゼは何かを言いかけて無理やり口を閉じたように見えた。マスターさんは、おっとっと、凄く真剣な顔をしてロゼを見つめている。

 

「最初に言ったわよね、アンネローゼ。特別扱いはしないって。弟子になりたいなら、あたしが弟子にしたいと思うほど自分を磨きなさい。三度目は諭してあげないわよ?」

 

ロゼは何だか泣きそうに見えた。くるっと踵を返すと扉へ早足で向かう。

 

「……失礼します、マスター」

 

何だか色んな感情が見え隠れする声音でロゼは退出を告げたのだった。

 

「ロゼ……」

 

「いいのよ、リッカちゃん。アンネローゼもちゃんと解ってるわ。あの子も色々必死なのよ……ところでうちで登録してってくれるわよね?大丈夫損はさせないわ」

 

マスターさんはにっこり笑ったけれど。うーんどうしても冒険と自分が結びつかない。だって剣を振りまわして、ぷよぷよした青い奴とかと戦うんでしょう?

 

「ごめんなさい。あたしやっぱり慣れた職業で生活費稼ごうと思います。…家政婦派遣所ってありますよね?」

 

マスターさんは残念そうな表情を一瞬したけれど、もう一度微笑んでくれた。

 

「まぁ、仕方ないわね。家政婦派遣所も勿論あるわよ、丁度あたしの同級生だった子がマスターやってるから口利いといてあげるわ。はいこれ地図ね」

 

地図を受け取ってあたしはお礼を述べた。良かったあっさり諦めてくれて。

 

「ありがとうございます、初対面で記憶喪失なのにこんなに良くしていただいて。きちんと生活の基盤が出来たら、改めてご挨拶へ参りますね」

 

きっちり四十五度の礼(これは旦那様仕込みだ)をするとマスターさんは机の上に両肘をついて口元を組んだ手で隠すようにした。

 

「うふふ、待ってるわ。派遣所はすぐ行って大丈夫だからね。あ、あとうちには女好きで有名な男の子がいるから、顔は隠して行った方が賢明よ。かなりしつこいから」

 

最後にアドバイスをくれたマスターさんに感謝しながらあたしは部屋を辞した。あたしに助言ってことは、その人は女なら誰でも良いのに違いない。変わった人もいるもんねぇ。

 

しっかりローブのフードを下ろし切ってから、あたしは館内見取り図に沿って出口に歩いて行ったのだった。

 

「ふふふ。リッカちゃんね。逸材だわぁ……あ、ジェシカ?あたしよ、ねぇお願いがあるんだけど。……え?そんな大したことじゃないわ、依頼したいのよね……」

 

誰もいなくなった廊下には、マスターの誰かと話す声だけが漏れ響いていた。

 



「んー、ここみたいね」

 

マスターさんに貰った地図によれば、この眼の前の二階建ての大きな建物が家政婦派遣所の本部らしい。

 

え?女好きには出会わなかったかって?いたよ、ちゃんと。マスターさんの助言は正しくて、老若男女……いや男は外して……全然問わずだったもん。逆に貫いてたよ。

 

「でっかいなー。家政婦業界ってこんなに儲かるもんなのかしら」

 

お屋敷にも程がある格式高い建物を感慨深く見つめていると、何もしてないのに門が開いた。誰か出てくるのかな?

 

「……」

 

門の前からどいて数秒、門はひとりでに閉じた。えっと今のってすごく自動ドアっぽかったけど。自動ドアなんてこの世界にあるの?よしもう一回チャレンジ!

 

「えいっ」

 

待つこと十秒、もう一度門が開いた。うーんやっぱり自動ドアに近いような気がする。でも十秒も待たなきゃいけないなんて面倒ねえ。

 

「お邪魔しまーす」

 

物凄く入念に手入れされた庭を通り過ぎて、お屋敷の扉にたどり着いた。ノッカーを鳴らしてしばし待つ。

 

あー、このアナログ感が何とも言えない良い感じ。警報鳴ったらレーザーとか、そう言う無闇なハイテクさってあたしにはついていけてなかったし。

 

「いらっしゃいませ。本日はどのような御用向きでしょう」

 

おっとっと、いつの間にやらドアが開いて、背筋の伸びた男の人が立っていた。お待たせするなんて家政婦失格だわ。

 

「こんにちは。私はリッカ=ディスウェイドと言います。登録したくて来ました」

 

ちゃんとフードを下してご挨拶。ローブも脱げれば脱ぎたかったけど、日差しが厳しいのでちょっと省略。

 

「ディスウェイド様、それでは登録を行いますので――」

『アシュラ、その子はマスター室へ連れていらして』

「――こちらへどうぞ」

 

途中で違う声が割り込んだものの、男の人の笑顔は全く途切れなかった。ちなみに通りすがりの鳥が喋ったことにあたしはびっくりした。カナリアっぽいラメピンクの派手な鳥だ。何故かトサカ付き。

 

「あのう、その鳥は何ていう種類なんですか?」

 

長い階段をあがりながら、アシュラさんと判明した男の人に話しかけてみた。だってもうずいぶん長いこと静かなんだもん。

 

「この子ですか?この子はマスターの愛する使い魔、明朗鳥ですよ。良く気付きましたね、伝令鳥に化けさせているのですが」

 

伝令鳥自体初めて聞く名前です、とは何故か言えない雰囲気で、あたしは苦笑いをした。

 

「キラキラ光る鳥って珍しいなと思ったので。特に他意はないです」

 

喋った後はアシュラさんの肩にとまってる明朗鳥が目に眩しい。ラメピンクって表現は控えめだったなぁ。どっちかって言うとメタリックピンクに近いかな。

 

「……博識ですね」

 

何故かアシュラさんはあたしをちらりと見た。鳥も一緒にこっちを見ているのが微笑ましい。

 

「……な、何でしょうか?」

 

しばらくの間見つめ合って、沈黙と視線に耐えきれなくなったあたしはとうとう立ち止った。何か顔についてたかしら。

 

「これは、私とした事が失礼致しました。さあ参りましょう」

 

アシュラさんは一度目を細め、首を小さく傾けてからもう一度笑った。怪しさ全開のまま放置なんだ……いや、あんまり真面目に考えるとくたびれるかも。気にしない気にしない。

 

「マスター、失礼致します。リッカ=ディスウェイド様をお連れ致しました」

 

アシュラさんは三階の奥の、ひときわ豪奢な扉を叩いて声をかけた。うひゃー、あたしだったら恐れ多くて触れないや。指紋なんてとてもじゃないけど付けらんない。

 

「お入りなさいな」

 

鈴みたいなころころした声が部屋の中から聞こえて……ありゃ?さっき喋った明朗鳥と同じ声の様な気がする。うーん謎は増えるばっかりだ。

 

「失礼致します」

「失礼します」

 

アシュラさんがドアを開けてくれて、あたしは部屋に入った。扉に負けないくらい綺麗で質と趣味の良い部屋だ。旦那様のお部屋と張り合えるかも知れないくらい。

 

「初めまして、リッカさん。ケイトからお話は伺っておりますわ。私、家政婦派遣所中央本部マスター、ジェシカ=ラヴメール=オーバルと申しますの。以後宜しくお願いしますわね」

 

お部屋の主、つまりジェシカさんは物凄く品の良い美人さんだった。ふわふわした蜂蜜色の髪と完璧な形の宝石みたいな青い瞳。ひゃー凄いなぁ……っとと、呆けてる場合じゃなかった。

 

「初めまして、リッカ=ディスウェイドです!この度は登録を希望して伺いました、どうぞよろしくお願いいたします!」

 

慌てて頭を下げる。きっかり四十五度、これは譲れない。ジェシカさんはころころ笑った。笑い声まで素敵だなんて、天は二物を与えずとか言うけどそんなことないと思う。

 

「なるほど、これは確かに」

 

「え?」

 

アシュラさんが何か言った気がして振り返ったが、アシュラさんは何でしょう、と言っただけ。気のせいだったらしい。

 

「リッカさん、登録する際にいくつか試験を受けて頂かなくてはいけませんの。当派遣所の名に恥じない家政婦でなければ登録できないのです。ご都合が宜しいなら、今から行いたいのですけれど」

 

おおっ、やっぱりどこでも試験や面接はあるもんなんだね。いったい何を試験されるんだろう?

 

「ぜひお願いします」

 

住所も仕事もお金もないし、早いところ定職につかなくちゃね。と言うわけであたしは早速お願いしたのだった。

 

「では移動しましょうか」

 

ジェシカさんがにこりと笑い、次いでアシュラさんが一つ手を叩いた。あっこの揺らぐ感じ、ロゼが使った帰還陣に似てる。

 

「まずはこの廊下を雑巾で磨き上げて頂きますわ」

 

一瞬であたしたちはお部屋からどこかの廊下へ移動していた。毎度ながら魔法って凄すぎるわぁ。

 

「ここですね。かしこまりました」

 

雑巾を受け取って一礼すると、ジェシカさんはアシュラさんの手を取って姿が消えた。多分さっきのお部屋に戻ったんだろうな。さーてと。

 

「良かった、あんまり広く無くて」

 

これならお屋敷の客棟くらいだ。母屋の正面廊下の三分の一くらいかな。よし、頑張るか!あたしは髪の毛を手早くまとめて……あれ?あたしショートにしてたのになぁ。まいっか。気にせずくるくる結いあげる。

 

「よっし!!」

 

気合を込めて、あたしは雑巾を絞ったのだった。


「どうかしら、アシュラ。彼女」

 

ジェシカは書類に目を通しながらアシュラに尋ねた。アシュラは一旦手を止めて振り返った。その手には拳大の水晶が握られている。

 

「はい、マスター。凄まじい手練れです。天井から窓の桟、カーテン、床の板目に至るまで既に清掃を済ませています」

 

あらそう、とジェシカは書類から目を放さないまま呟いた。試験を開始してからまだ五分と経っていないが、まあそれほど珍しい記録ではない。

 

「魔法の使える方なのね。素敵だわ、錫、鉛、鉄を飛ばして銅級で採用して――」

 

「マスター。彼女は魔法を使用していませんよ」

 

ジェシカは書類から目を離した。興味を示したジェシカにアシュラは微笑んで見せた。

 

「今、燭台を磨き終わりました。もう呼び戻しても構わないと思います」

 

「そうして頂戴。最初の試験は合格ね」

 

ジェシカは転移陣の浮遊感にふらつくリッカを面白そうに眺めた。

 


「リッカさん」

 

バケツと雑巾をどこに片すか解らなくてきょろきょろしていると、一瞬浮いたような感じがした。次の瞬間には両手の物は消えうせて、再びジェシカさんとアシュラさんの前にいた。慣れないなぁこれ。

 

「お疲れ様でした。すぐに次の試験に移っても構いませんか?」

 

ジェシカさんがそう言ってくれたので、あたしは大丈夫ですと返事をした。お屋敷のお掃除に比べたら、これくらい何でもないもん。

 

「じゃあ、次は――」

 

それからあたしはいくつか試験?を受けた。お茶淹れ、お料理、お洗濯に始まり、来客対応、庭師、美術品取扱い、身体測定、お化粧とマッサージ、調香、裁縫……その他色々。幾つか関係ないような気もするけど。

 

幸いにしてどれも旦那さまのご趣味や奥様のご希望に沿ったものばっかりだったから、どうにかあたしにもこなせたけど。この世界の家政婦ってずいぶん高性能なのねぇ。さすが異世界。

 

もっと頑張らなくっちゃと心の帯を締め直していると、一旦退出されてたアシュラさんがいつの間にか部屋にいた。

 

「次で最終試験です、ディスウェイド様。最後まで素晴らしいお手並みを拝見させて頂けると期待しています」

 

輝くような笑顔でそう言われると、なんか緊張するなぁ。しかも無闇矢鱈と整ったお顔がオールバックに撫で付けられた髪型のせいで全然隠れてないし、効果抜群だわ。

 

「最終試験は、護衛です」

 

アシュラさんの声と同時にまた景色が変わって……ダンスホール?えっと護衛って誰を?

 

「護衛対象は私です。準備はよろしいですか?はい、開始」

 

アシュラさんがにこりとした。えーっととにかく頑張れば何とかなるに違いない!若干畑違いの様な気もするけどきっといけると思う!!

 

アシュラさんが立っているのは入り口から約十メートルのだだっ広い何もない所。障害物がないから隠れられない、よし創ろう。

 

「【蝋燭お化け《ジャック・オー・ランターン》】!」

 

ぼわんと音がして、アシュラさんをでっかいランタンが捕まえ……じゃなくて隠してくれた。イメージの都合によりかぼちゃ型なのがちょっと残念だけど、ちょっとは保つでしょ。

 

「お命頂戴!!」

 

何か時代劇みたいな台詞で黒ずくめの人達がカーテンの陰から現れた!えっとその手にあるのは剣ですね。一体多数はちょっと苦手。

 

「とうっ」

 

懐に金串の束を作って取り出して投げた。これだけ何も無いと飛び道具に使えるものも無くて困っちゃうね。上手に壁に縫い止められて一安心。ナイフ投げお上手だった足立さん(執事)お元気かしら……

 

「覚悟っ」

 

次は天井からダイブした黒ずくめさんだ!!む、壁縫い付けは無理か。となれば、

 

「【芋蔓式ナルト・キントキ】!!」

 

ぶわっと音を立てて芋蔓を床から生やしてみた。裏庭の家庭菜園がこんなところでイメージに役立とうとは思わなかったな。芋蔓で黒ずくめたちを捕まえたところで、あたしは棒立ちになった。

 

「えっ」

 

ランタンの側に誰かがいた。全然気付かなかった、けど、そいつは剣を振り上げてランタンを破壊しようとしている。間に合えっ!あたしは金串を投げ付け腰に隠しといた包丁を握った。

 

「はあっ!!」

 

金串を避けて一歩下がった侵入者に包丁を叩きつけた。何故か柄が若干しっかりして、刃渡りは二メートルに戻っている。どんな仕組みなんだろう。でも便利!

 

幾度か包丁と剣がぶつかって、ああよかった、これならあたしでも生け捕れる。あたしの方が幾らか強いみたいだった。

 

あたしはローブを跳ね上げ侵入者の視界を奪った。その隙に鳩尾をつま先で蹴り抜く。侵入者は壁まで吹っ飛んでぶつかり、そのまま崩れ落ちた。

 

「……あれ?」

 

一拍置いて、あたしは首を傾けた。壁まで……って。えっこんなに飛ぶもの?十メートルはあったのに?なんだか人間離れしてないかあたし。神様のおかげなの、これ?

 

「はい、終了です。お疲れ様でした」

 

アシュラさんがもう一度手を叩いて、気付けば元の部屋に戻っていた。ジェシカさんも座っていて、包丁とランタンがちょっぴり場違いだったのでランタンを消して包丁を腰に戻した。

 

「お見事と言うほかありませんわ、リッカさん。さぞ名のある御屋敷に派遣されておいでだったのでしょう」

 

ジェシカさんがそんな風に褒めてくれて、ちょっと照れる。旦那様、奥様、あたし誇らしいですわ。

 

「記憶が無いのですが、きっとそうだと思います。旦那様と奥様がお家にいらしたのは覚えているので」

 

そう言うと、ジェシカさんはまあと口に手を当てた。なんだか心苦しいです。

 

「そうでしたのね。納得ですわ、それだけの実力がお有りなのに何故新規登録なのか不思議に思っていましたの」

 

ジェシカさんは一回瞬きをして表情を切り替えた。心苦しい身としてはとってもありがたい配慮です、はい。心の中だけでも謝っておこう。

 

「貴方の採用条件ですが、文句無しの金級です。七階級中の上から二番目ですわ」

 

アシュラさんが合わせて階級一覧を見せてくれた。なになに、錫、鉛、鉄、銅、銀、金、白金で、金級は最低日給が三十万カネで銀級が二十万カネ。って言うかカネって単位なのか。

 

「すみません、この辺りではパン一斤が何カネですか」

 

この世界の経済事情なんてさっぱりわかんないし、ここは素直に聞いてみた。アシュラさんがすかさず答えてくれる。

 

「黒パン・ラヒ麦パンで約二百カネですね。白パンでしたら五百カネ前後でしょうか。参考までに、ニワトラの卵が五個で大体二百カネです」

 

へー二百カネ。ニワトラが何なのかって疑問は取りあえず置いといて、大体地球と同じくらいだね。ってことは日給三十万?

 

「あの、一桁間違ってませんかこれ」

 

思わず確認してみた。だって家政婦さんが日給三十万って変だ。むしろ二桁間違ってないか確認したい。ところがジェシカさんはにやりと笑って机の上のタクトみたいな棒を取り上げた。

 

「ふふ、そう仰ると思いましたわ。リッカさん、貴方には可能性があります。その桁のずれを修正できる可能性がね」

 

難しい言い回しだし何だか変なような。でも三十万円も日に頂くのってあからさまに貰い過ぎだしね。よし。

 

「どうすれば修正できますか?」

 

「一ヶ月の見習い研修を受けて頂くだけです。現段階でも十分即戦力ではありますが、向上心がお有りならば、私は研修をお勧めいたしますわ」

 

ストレートな質問には明快な答えがあるものらしい。微笑むジェシカさんは美人にますます磨きがかかって素敵だ。研修を受けてお給料が下がるってのも何だか変だけど、まあいいや。

 

「是非受けさせてください」

 

あたしの申し出は、二人共の微笑みで受け入れられたのだった。


「ふぃー……あや?どこだここ」

 

あの後、登録用紙と研修受諾書に署名して、待機寮の一室を貸してもらったあたし。驚いたことに表記はアルファベットだった。いや読めたからいいけど。英語喋ってる感覚ないんだけどなぁ。

 

えっそれより待機寮の説明しろって?えっと、派遣されている家政婦さん達が派遣先を離れたり、変わったりする場合に一時的に貸してもらえる部屋なんだって。ちなみに滞在最長期間は一カ月。

 

説明はもういいかな?それよりあたし確か適度に固いベッドにひっくり返ったと思ったんだけど。何故か草原に居るこの現状は一体何?

 

「もう来たのか。まだ日も高いのに感心な事だ」

 

……地鳴りが喋った。そうかぁ、そうだったわね。

 

「夢の中ですけどこんにちは。自分で思ってるよりくたびれてたみたいで、早々に寝付いちゃいました」

 

起き上がってまずはご挨拶。竜さんもふむと言って髭を左右交互に揺らした。結構自由に操れるらしい。

 

「慣れぬ環境であろうし無理も無い。だが修業は休ませてやれぬ故、心せよ」

 

「了解です。ところで竜さん、あなたの名前をまだ聞いてないんですよ」

 

教えてくださいと言うと、竜さんはにんまり笑った。

 

「では名を第一の賞品としようか。さて、夢は時間が限られている。始めるぞ」

 

竜さんはそう言うなり口から火を吐いた。ぼわっと音がしそうなそれはあたしに向かってくる。

 

「あわわっ」

 

天ぷら油が着火するとかそういうレベルの火じゃないわけで、えっと何か避けるもの避ける物……

 

「でっかい中華鍋!」

 

直径二メートルはある中華鍋があたしの前に直立した。炎が逸れていくのが視界の端に映っていてリアルに怖い。しかも足元が一番逃がしにくい事に竜さんはものの数秒で気付いたらしかった。

 

「その形状はなかなか優れているようだが、これはどうする?」

 

中華鍋の向こうから次の問題が飛んできて、一気に足元の方に炎の分量を増やされた。炎が鍋の端から溢れてきてます、そして熱いです。鍋自体も温まってきてるしなぁ、これはやばい感じ。

 

試しに水の塊を作ってみたけど、炎の量も温度も半端なものじゃあないらしい。みるみる薄くなる水の膜。いよいよまずいです。水じゃ冷やし切れないみたいだし……あ?

 

「もしかしたら」

 

液体窒素なんてどうかしら。マイナス百九十度くらいだったらあの炎も少しは消してくれるかも。思い立ったら即実行だね。一回だけでも料理に使った事があってよかったぁ。

 

中華鍋の向こうに、液体窒素の滝を作る。途端物凄い白い煙が立ち込めた。うわー何も見えない。前も後ろも何にも。

 

「リッカ、早くこれを止めろ!地面が凍みてしまっているぞ」

 

竜さんの切羽詰まった声がして中華鍋が一気に冷えた。多分炎を止めたんだと思う。あたしも窒素を消した。

 

「何なのだこの白い煙は……やりすぎだリッカ。大きな力を持つからと言って、小さいものを軽んじてはならぬ」

 

煙に映った竜さんの影が、ゆっくりと周りを見渡すような動きをした。つられてあたしも下を見る。地面は凍りつき、草はそのままの形で時間を止めてしまっている。

 

「……ごめんね」

 

葉っぱの上にいた小さなバッタに謝った。摘もうとしたけど、ぼろっと崩れてしまった。

 

「お前なら周りに被害を出さず、防ぐことが必ずできる。実践式でいこうと思ったが、まずはお前の力の規模を知ることから始めた方がよさそうだな」

 

竜さんの気遣うような声がなおのこと痛かった。改めて坊ちゃんとあたしが与えられた力を実感する。これよりずっと強い坊ちゃんをお止めするのか……

 

「竜さん」

 

竜さんはなんだ、とだけ言った。

 

「あたし、頑張りますね」

 

「……うむ」

 

返事は短かったけど構わないのだ。だって今のは自分に向けた言葉だから。

 


「いいか、先程私は炎を吐いたな。炎の軌跡を見てみるがいい」

 

竜さんは地面を尻尾で指した。えっと竜さんの口からあたしに向かって一直線に来たから……あれ?

 

「地面が焦げてないですね。ちゃんと熱かったし…何かで遮った、とか?」

 

そうなのだ、よく見てみると、地面には何の跡も残ってない。幻だったのかと疑うくらい綺麗なままだった。

 

「うむ、では次だ。何で遮ったかわかるか?」

 

竜さんは火の玉を一つ吐き出した。ふわふわ揺れる火の玉に、竜さんは枯れ枝を近づけた。枝に火が燃え移って、火の玉は消える。

 

「これは魔法ではない、ただの火だ。これにさっきと同じことをして見せるから当ててみよ」

 

竜さんが言うが早いか、火が消えた。それも唐突に。煙の一筋も立たないところをみると……真空かなあ。

 

「真空状態にしてあるみたいな気がします」

 

生徒よろしく手をあげて回答すると、竜さんの髭が波打った。

 

「よろしい。ちなみにこちらでは真空という認識はない。【無】で覆う、という魔法の高みにのぼった者だけが行う技……という事になっている。人間の間ではな」

 

どことなくばかばかしげな竜さんは小枝を地面に刺した。

 

「世界の仕組みを知ろうと言う物好きはこの世界ではごく少数派だ。皆それよりも魔法の研究に忙しいからな。私とて、創造者から与えられた知識にすぎぬ」

 

向上心が足りないと締めくくった竜さんの足元には何と若葉を付けた小枝が刺さって……生えていた。魔法って凄い。

 

「……言っておくが、生き返らせたのではないからな。小枝の生命力に少し手助けしただけの事よ。世界律は揺るがせてはならぬのだ」

 

燃やした小枝にお礼をしたってことらしい。そっと足を引いて体の向きを変えた竜さんの後をあたしも歩きだした。

 

世界律ってのも初めて聞く言葉だけど、神様の言ってた存在律って言葉の仲間だろう。存在するためのルール、世界のルール。決まりごと。何にでも法則ってあるもんなんだ。

 

「今日はここまでにしておこう。ところでリッカ、生計は立てられそうか?この世の常識には疎かろう」

 

数分の沈黙の後、小さな泉の前に辿り着いてから竜さんに話しかけられた。

 

「家政婦派遣所って所に無事登録できましたよ。もともと家政婦だったし、住み込みなら住所もいっぺんに決まりますからね」

 

喉が渇いたらしい竜さんは、泉から水を浮かせて上品に水を飲んでいる。一口大(あたしの背より直径が大きいけど)に水が並んでるのって凄く珍しい光景だ。

 

「そうか。生前の経験を生かせるならばそれも良い。何もなければ冒険者派遣所を進めるつもりだったが…いや?」

 

竜さんは水を飲み終えると脚を畳んだ。竜さんの骨格は全体的に華奢だ。なんだか絵に描いたように優美だった。

 

「自分の力を磨くのには適した職業だ。機転を利かせる練習にもなるしな…余裕があれば兼業を勧めるぞ」

 

うう、なぜかこの世界の人たちは冒険が好きらしい。だって青いぷるぷるしたやつをやっつけないといけないんでしょ?何だかなあ。思わず俯いてしまった。

 

「……生きるには何かを殺さねばならんよリッカ」

 

竜さんは、あの燃える金の目であたしを見据えている。家政婦でも冒険者でも、生きているからには何かの命を食べているのだ。解ってるけど。

 

「心配するな。意に染まぬ依頼を必ず行わねばならぬわけではない。受ける依頼は自分で選ぶのだ」

 

無闇に何かを狩り集める事もまず無いしな、と竜さんは言った。

 

「人間は愚かだからそう言う事もするが、そのために創造者は私をはじめ管理者達を創ったのだ」

 

竜さん曰く、大昔も羽の綺麗な魔物を人が乱獲して絶滅しかかったらしい。その時は残った魔物を聖域に移して事なきを得たとか。

 

「他にも人間からすれば絶滅している種があるが実際は生存している。人がどう思おうと我々の知った事ではない。この世の生ける物が一種たりとも滅ばぬように努めるのが、管理者の使命なのだ」

 

ごほんと竜さんは咳をした。熱弁をふるったのが照れくさかったみたいだ。あたしは大人しく続きを聞いた。

 

「あーそれに、近頃は人間も色んな意見があるらしく途中で止めたりだな……つまりだ、夢の中だけでなく実地の経験も積むといいということだ」

 

何だか無理やり繋ぎ合せた様な最後だったけれど、そっか。いろいろ経験しておけば応用も効くってことだね。

 

「わかりました。研修が一カ月あるんですけど、その後登録だけでも行っときますね」

 

うむと竜さんは頷いたのだった。

 


「くぁ……」

 

起床してすぐ、おはようと窓の外の雀もどきに話しかける。ここ一月のあたしの一日はそこから始まっている。

 

早いもので、研修期間の最終日。なんとアシュラさんとのマンツーマンだった家政婦研修は、もっぱら家事用魔法の習得だった。

 

「家政婦における知識はすでに完璧なようでしたので、一般常識と実用的な家事魔法を習得致しましょう。私がお教えできるのは、ノダ体系、スミール体系、カサブランカ体系の三通りです」

 

初日の初っ端にアシュラさんが完璧なスマイルで言った通りだったのだ。幸いにしてどれもそんなには難しくなかった。

 

まあ、ちょっとしたことの積み重ねが常識だもんね。量はいっぱいあったけど…でも、あたしこんなに物覚えが良かったかなぁ。本相手に悪戦苦闘した記憶があるんだけど。

 

身支度して、ご飯食べて、雀もどきに米粒そっくりのヨメ粒をまいてやってから寮を出た。

 

「おはようございます。さあ、最終日は今までの経験を実践してもらいますよ」

 

アシュラさんがにっこり笑った。これが、研修の総仕上げ。これで無事にあたしは日給三千カネの家政婦になれるんだ。気持ちを引き締めて頷き、アシュラさんの先導について進んだ。


その後、無事に白金級家政婦になったあたしが派遣された先が冒険者派遣所のギルドマスターの所だったり、どういうわけか家政婦業と同時進行で冒険者家業をやることになったり、そうこうしているうちに坊ちゃんが隣の国を簒奪しちゃったり周り中のお国を侵略し始めたりしたもんだからそれを食い止めて見たり、それで死にかかったあたしの為に竜さんが竜さんじゃなくなっちゃったり、色々なことが起きたんだけど。


「じゃ、今日も行ってきまーす」


「こら、待たんか。大事なものを忘れてはいかん」


「そーだぞかーさん忘れ物!はいっちゅう!」


「うむ、ヴァレリアンは良い子だな。どれ、うっかり物の母にわたしも祝福をやろうか」


「エ、エインガナ様の祝福は長いからみじかっ……んー、っむむむぅっ」


「あはは、とーちゃんはかーさん好きだからなー」


と、とりあえず!あたしは今日も元気です!


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