-閑話- 極東からの使者
1943年9月 合衆国ワシントン州東南部ハンフォードサイト
乾燥した平原が広がるハンフォードサイトは「何かある方がおかしい」程、ワシントン州であるにもかかわらず田舎の僻地だった。そう、過去形だ。
開戦とともにわらわらと人間が押し寄せ、あちらこちらで何やら建設が行われ、鉛筆よりも重いものを持ったことのないようなヒョロヒョロした野郎どもとその家族が町中をうろつくようになり、その数は未だに増え続けている。
馬鹿げた勢いで建築された建物の大半は軍関係のもので、これのお守りは地元の警官や保安官の管轄外だ。介入は難しいし面倒事にこちらから首を突っ込むのは避けるべきだ。戦争中ではあるが、ハンフォードサイトはずっと、それなりに平和だったのだ。
しかしながら人が増えると軋轢も増える。軍とは関係ない部分で警官は忙しくなる。ヒョロヒョロした野郎どもであってもメシは食うし酒を飲んでクダを撒くこともある。当然喧嘩もある。それら全てに対応するにはハンフォードサイトの警察署は小さすぎた。
もともと人口の多くなかった街の少ない数の警察官は、市街地での新参者の相手で手一杯。「そこそこ使える」警官はリボルバーをライフルに持ち替えてヨーロッパや太平洋の島で実弾射撃を毎日行っている。つまり「お前たちでなんとかしろ」ということだ。
そのため、皺寄せがう一つの治安維持に携わる保安官にまで及ぶ。拡大された街の規模に対する治安維持要員の頭数が足りないためだ。
使えるものは使う。戦争という一大イベントに参加するには賞味期限切れが否めない元保安官のケリーと、これまた戦争に参加するには若すぎるマイクの2人組は臨時に保安官と保安官助手に任じられ比較的楽な仕事。市街地とその周辺のパトロールを命じられていた。
祖父と孫ほど年齢の離れたコンビだったが、連携は悪くはない。ケリーは老成していたし、マイクは大人に反発するほど大人ではなかったからだ。
軍から貸与された四輪駆動車の運転をマイクに任せ、助手席で紙巻き煙草を咥えたケリーは、やや大声でマイクに話しかける。車の騒音も原因だが、最近ケリーの聴力は少々怪しくなっている。煙草には火は点けない。「煙草は五感で味わうもの」というのがケリーの持論で煙が勢いよく流れてしまうオープントップの車での喫煙は論外だ。
「戦場に行ってる連中には悪いが、平和だなぁ」
「そうですね。街はいろいろできて便利になったし、俺はコイツを運転できるだけで楽しっす。ずっと貸しててくれないかなぁ。俺、彼女とコイツでドライブしたい」
「若者らしくて結構。とっくに引退した俺が仕事にありつけるのも軍の施設のせいだからな。まぁ、人が増えすぎたのは問題だな。お前も気をつけろよ?奴らの運転はお前並に危ない」
「へっ!保安官だって運転は怪しいっすよ?」
「俺は車よりも馬の方が得意なんだよ。ハンドル切らなくても勝手に動いてくれる。?お?ありゃ何だ?」
パトロールのルートには何の変哲もない平原が通り広がっている・・・はずなのだが、今日はなぜか違う。赤茶けた平原に白い物体が広がっていたのだ。
「マイク!ちょっと止めろ!妙なものがある!」
ジープを停車させたケリーは座席から立ち上がり物体を凝視した。
どうやら平和でない状況になった様だ。新参者(移住者)のカミさんが荒野で迷子になって大捜索をして以来の出来事だ。
「天気予報のヤツじゃない?」
運転席から首を伸ばして白い物体を視野に納めたマイクが問い返す。そうだったらどんなに気楽か・・・アレはその類いでないことは確かだ。
「図体がでかい。気象観測気球じゃないな。軍関係かもしれん」
「爆弾とかじゃないっすよね」
「こんな田舎に回すほどナチが気前いい訳なかろう。どんだけ離れてると思ってんだ?うん、人が乗るサイズじゃなさそうだがひょっとしたらひょっとするかもしれん。車から降りろ。周囲を確認する。ライフルを忘れるな!」
ケリーとマイクは軍から貸し出されたM1ライフルを構えて周囲を確認するが、人影は見当たらない。
「(周囲には)誰も見えないっす」
「誰かが乗ってたとしても、どこかに移動済みだろう。ここに来るまでに人の往来の痕跡は・・・なかったよな?」
「・・・なかったような・・・そんな気がします。いや、ここ(ハンフォードサイト)にナチとか・・・出来の悪い冗談っしょ」
「わからんな。でも注意するに越したことはなかろう。100フィート位まで近づこう。ゆっくりだぞ?」
2人は慎重に、周囲を、特に人間の動いた痕跡がないか確認しながら地面に伸びている気球らしきものに近づいていった。
有人だった場合も否定できない。しかし、ここまで酔狂なことをやる連中はナチ以外にもう1つ心当たりがある。そう、日本人は小柄だと聞いている。
近づくにつれ気球らしきものの大きさがはっきりわかってきた。普通の観測気球よりもかなり大きいものの、人間を載せて飛ぶようなサイズではない。気嚢に埋もれている盛りがたった部分、通常の気球のゴンドラにあたる部分がかなり小さい。あれだとプライマリースクールのガキでも難儀するだろう。
どう考えても一般に出回っているものではない。警察、軍に報告すべき類のものであるのは間違いない。
念の為周囲に人影がないか警戒しながら近づく。後で何を言われるかわからないから距離をとる。もしかすると気前がいいナチがいる(爆弾)可能性もないことはないからだ。
と、気嚢らしいものに何やら書かれている。
「白地に赤丸。ミートボール!おい!マイク!コイツはジャップの気球だ!!コイツは一体、どこから来たんだ!」
「「We'll give a reward to the person who picked it up. Please contact me BEPPU SHIPYARD(薄謝進呈 連絡乞う 別府造船)」?・・・どうやって連絡するんだろ?」
老保安官ケリーと保安官助手マイクは太平洋を制してはるばる北米大陸にやってきた日本軍の機密兵器を確認した最初の米国市民になった。
「べふ号」偵察気球
以前より攻撃兵器として提案、研究されていたものを別府造船がかっさらって「別製化」したもの。
書類上は
「別府造船「ふ」号偵察気球」
と記録されている。
米本土爆撃行で偏西風を利用するための調査用に機械式計算機、温度、気圧計とロラン(鹵獲品のリバースエンジニアリング)、通信装置、一定時間経過後に観測機器を破壊する時限信管付き爆薬を搭載して放出され、定期的に位置情報と気象データを日本本土に送信した。
飛行経路算出用として短期間使用し、そのまま運用終了となるところだったが、このデータを用いた米本土爆撃の成功後、米軍が過剰に反応。気球が迎撃されていることを知った日本軍は、諜報、謀略(嫌がらせ)用に週に1度の割合で20回、おおよそ500機を放出している。
散布された宣伝ビラは米政府により回収されたが、ビラに併せて散布された漫画本は検閲、没収をくぐり抜け、現在好事家の間で高値で取引されている。
特に、最初の調査飛行の際、気球に搭載された12ページの漫画「亜米利加への道~日本より愛を込めて~(The Way to America From Japan with love)」は希少価値が殊の外高い。




