閑話 -泥棒陣内(19)-
「スエズを占領する力がどこにあるんですかっ!インドのその先への補給なんて不可能です!」
「占領だと?貴様も大概だな。こんなもの(蘇士打通)ただの大風呂敷だ。大風呂敷は広げるためだけにある。無論広げた風呂敷は片付ける必要があるがな」
「(厳秘)蘇士打通作戦計画書」と書かれた作戦書類を見た瞬間、目の前の人間が上官、それも絶対に機嫌を損ねてはならない類の人間であることを忘れて絶叫に近い声を上げてしまったのだが、当の参謀殿は至って冷静だった。
どうやら本気で「スエズ打通」を考えているのではないらしい。正直ほっとした。必敗作戦の片棒を担がされないのは、実にありがたい。
しかし、これ以上辻参謀に付きあわされる訳にはいかない。何せ計画書の表紙を見た瞬間、周囲が一気に真っ暗になるような気がしたからだ。ここは何としても逃げる!
強力な助っ人が必要だ。可能であれば参謀殿の暴走を止める。不可能なら私だけでも参謀殿の魔の手から逃してもらう。そのような人物に渡りを付けなければならない。そうなると親分(堀井少将)と連合艦隊総参謀長殿(宇垣少将)あたりか?
即座に脳内で2人に相談する算段をまとめ上げる。うん、いけそうだ。ならば反論だ。
「その大風呂敷に、なぜ私を巻き込もうとされるのですか?」
「いい質問だ。大風呂敷を広げるには作法というものがあるのだ。それらしく(大風呂敷を)広げないと大風呂敷でなく大法螺になる。御前会議でも攻勢防御云々を主張してた馬鹿がいたが、ありゃ、絵に描く以前の問題だ。それにだな…」
珍しく辻参謀が言いよどむ。
「それに何ですか?」
「陸海軍。特に陸軍の大法螺作戦案が採られると、帝国は破滅に向かって全力で突っ走ることになる。特に第15軍だ。何せ15軍にはこの辻がおらん。
15軍は以前からビルマの山岳地帯を抜けてインパールを占領する作戦を主張していたが、15軍の牟田口の馬鹿はこれを実施しようとしたのだ。が、いかんせん補給がない。加えてスタンレー山脈を踏破した手段。そう、ニューギニア鉄路がビルマには「今のところ」ない。
誰かがあの馬鹿中将の暴走を止めなければならんが、嫌われ役を買って出る奇特な人間は陸軍内にはそう多くはなかった。この辻を除いてな」
おお!すごい!辻参謀殿がまともな事を言われている。しかし、そのような残念な方(いわゆる馬鹿)が陸軍に、それもトップにいたとは…。陸軍の人事はどうなってるのだ?
それと参謀殿!軍司令を呼び捨てにしてオマケに「馬鹿」のレッテルを貼ってよろしいので?
「あくまでも、15軍の暴走を止めるため「だけ」の「大風呂敷」に私を巻き込む言うことでよろしいでしょうか?」
ここは重要!個人名を出すと後々問題が出るので組織名にしよう。個人だと言い逃れされる可能性がある。個人の集合体の組織にすれば逃亡不可能だ。
そもそも、我が軍の「作戦」は「予定変更」が頻発する。気分は戦国時代、下剋上上等だ。辻参謀殿の作戦は、陸軍の暴走止めのための「だけ」の作戦「案」であることを確認するのは必須だ。
いや、私は辻参謀殿の「作戦」を「実際に実行」させないように努力する必要があるのだろう。インパール程ではないが、スエズだって十分以上に無謀だ。
私が賛意を見せたと勘違いしたのか?辻参謀殿は気をよくして、大風呂敷の内容を話し始めた。
「それは正しくない。陛下の「半年以内の戦争終結」の下命実現のため、帝国は今一度、連合軍に痛撃を与える必要があるという点で、陸海軍及び政府、産業界は一致したのだ。そのために一大作戦を展開することになった。
ちなみにだ。15軍司令官は御前会議の後、急に体調を崩されて陸軍病院に入院されておられる。現在も面会謝絶の重体らしい。実に不幸なことだ。そんな訳で、15軍の作戦は実施不能になった。
陣頭指揮すべき司令官が病を得られてはどうしようもない。で、替わりとなる作戦が立案されている。秘匿作戦名「SKI」だ」
「帝国。いや日本開闢以来の大作戦になるだろう。なにせ、この作戦に全戦争資源を割り振ることに決定している。下世話な言い方だと「有り金全部を盆の上に置いた」というところだ。
そのための補給、輜重、配置転換、戦線の縮小などやることは山盛りだ。貴様もニューギニアで伝票整理を行ってる暇などない。
陸海軍の侵攻作戦は、すべて中止。もしくは規模縮小。逆に撤収と物資輸送は増強ときている。主計がいくらいても足りない。で、この辻と堀井少将殿、西山少将殿、海軍の武井中将殿の肝煎りで、本作戦の全ての補給、輜重に関する権限を臨時に設立される「統合主計本部」が持つことになった。
貴様はそこで本作戦の補給、輜重を担当することになる。ああ、辞令は明日辺りに届くだろう。もちろん、この辻の推薦もある。感謝しろ!
統合主計本部への異動に際し、貴様は臨時に主計中佐に昇進する。これは西山少将殿が特に強く推された。しかし異例だぞ?ヒラの主計少尉が数ヶ月で中佐というのは!
帝国陸軍始まって以来の昇進記録だ。貴様の名前は帝国陸軍史に刻まれることになる。あと、仮に戦死でもしたら一発で陸軍少将に昇進できる。正直うらやましい」
はい!全然!全く迷惑であります!死んだ後の事まで考えてくれなくてもかまいません!しかし、妙な作戦名だ。一応聞いておくのが礼儀か?
「作戦名「SKI」ですか。英文字3文字の作戦というのは聞いたことありませんが戦略目標を指しているということですか?となると、一つはサモアあたりだと思いますがあとの2つは?」
「うはははっ!そう思うかっ!そうか!そうか!うん。そう思ったのか!よしよしよし!あー、「サモア及びクダウーバッドホー島侵攻作戦(Operation Samoa and Kudahuvadhoo Island)」というのが表向きの正式作戦名だが、これから先は軍機だ。聞きたいなら教えてやるが?」
とんでもない!誰が好き好んで厄介事に顔を突っ込むか!謹んでお断り申し上げます!それとなぜそんなに機嫌が良くなるのだろうか?
「いえ、主計たる自分には荷が重すぎます。辻参謀殿の武運長久をお祈りする次第であります」
「ふーん。うまく逃げたな。やはり貴様は参謀に向いている。貴様がいないと補給が滞りそうだが、どうだ?参謀本部に来んか?」
「いえ、半年先に戦争を終わらせるとのことですよね?そうなると戦略、戦術を練る参謀職は失業です。が、主計は軍がある限り必要なので当分は失業しなくていいようです。何せ兵は居るだけでメシを食いますから」
「武功よりもメシが大事か!貴様らしい!うん。統合主計本部での活躍に大いに期待しているぞ!とりあえず、大風呂敷に穴がないようにしておかなければならん。机上の作戦であっても実現性の確認は必要だ。近く、補給案の策定命令が参謀本部から出される。真面目に算定してほしい。それを頼みに来た」
「命令とあれば」
「補給はもちろんだが、作戦進行で問題があると思う箇所があれば添削しておいてくれ。違った目で見るとあらが見えてくることもある」
辻参謀殿は「蘇士打通計画書」を私に押し付けると踵を返した。
「ああ、これは軍機だ。「SKI」作戦の頭文字は目標戦術もしくはその覚悟に相当する。この辻が知謀を振るうのは「I作戦」である。ちなみに「I」は「一の谷」だ。では!」
それだけ言い残して、いつものように辻参謀殿は去っていった。まったく嵐のような御仁である。しかし、いちのたに…だと?
主計の私は戦史、戦術の教養に乏しい。気を落ち着けて再び書類と格闘を始めたのだが、気になって仕方がない。仕事にも気が入らなくなったので、居合わせた陸軍少尉(歩兵少尉共である)を捕まえ、「一の谷」について説明を求めた。
どうやら一ノ谷というのは、源平合戦の際、神戸近辺で行われた戦いであることがわかった。
平家が源氏に敗れたのは間違いないのだが、今ひとつ一ノ谷の内容がわからない。源平合戦というと宇治川とか屋島程度しか頭にないのだ。浮かない顔をしていたのだろう。少尉は「軍記では有名ですよ。鵯越はご存知ですか?」と聞いてきたので合点がいった。そう「義経の逆落とし」だ。
辻参謀殿は、奇襲作戦を立案している!(いや、知名度で言えば「桶狭間」ではないのか?もしかして「SKO」では字面、特に「O」と「0」の誤記誤読に配慮したのか?)そして、奇襲の目標は?
そこまで考えた時、「大風呂敷」と言ったスエズ打通作戦が、果たして欺瞞作戦なのかどうか怪しく思えてきた。本当にスエズ(打通作戦)は「大風呂敷」なのだろうか?
それでは残りの「S」と「K」は?
私は考えるのが恐ろしくなった。我が身にとんでもない不幸がにじり寄ってくる。そんな気がしたからだ。
辻参謀が押し付けた「蘇士打通作戦計画所」が、西洋で言う「禁書」「悪魔の書」に思えてきた。
どうしてこうなった!
そして、どうなるんだろう…




