ハイエナたちの狂宴(連合国の不協和音と蠱毒の瓶)
「日本。半年以内の戦争終結を決断」
陛下の御聖断は連合国の諜報網を通じ各国に伝えられたが、各国の反応は一様ではなかった。
一方的に負け続けている米国は「勝つまでは(戦争を)止めない」という姿勢で徹底抗戦を訴えている。
しかしながら、対日強硬姿勢のルーズベルトに対し、身内であるはずの民主党からも疑問の声があがりはじめていた。
ニューギニアにおける日本軍の連合軍兵士に対する厚遇から、正々堂々(人殺しである戦争に正々堂々もあったものではないのだが)と戦う日本軍を評価する動きすらある。
米国はケンカ相手に対してもスポーツマンシップを要求する国なのだ(自国についてはその限りではない)。
これらの動きを押さえるため、ホワイトハウスは議会工作とFBI、OSSに国内の戦争反対派の封じ込めを指示しているが、OSSは予備役に編入された将官らの圧力、FBIは消極的な捜査により目立った効果はあがっていない。そればかりか、これらの動きが新聞社にリークされ、巷では
「ヒトラーは死んだ。残る独裁者はあと2人」
というジョークが囁かれるようにまでなっている。2人のうち1人はムッソリーニなのか、東条英機なのか、はたまた同盟関係にあるスターリン、チャーチルなのかはわからないが、残りの1人が誰であるかは(アメリカ人には)自明であった。
反対に、ヨーロッパとアフリカでドイツと、太平洋、インド洋で日本と対峙するイギリス、オランダは日本が(やむなく)勧めている植民地の独立運動を阻止するためのリソースを終戦(停戦)の気配が窺えるヨーロッパから極東に注ぎ込みたいと考えていた。
独立の気配がある植民地は武力をつぎ込んで独立を阻止。(今までどおり)利益を享受する。
そのためには植民地を占領、あるいは占領しようと攻勢をかけている日本軍の排除が必要だが、それは難しい。戦力不足を補うため日本軍が吹き込んだ「独立」という毒で腐ってしまってしまっている。(腐るというのは非植民地側の見解。植民地側の考えは180度異なる)
独立の気配が濃厚な植民地を再び支配下に置くのは難しい。「損切り」を行わなければならない。
損切りのプロセスとして、停戦、日本軍の(自国植民地からの)撤退は必須の条件だ。
本来であれば、独立をそそのかしている(と見られている)日本を叩き潰したいのだが、米国抜きで日本とやり合うのは下策だ。
従来であれば大英帝国連邦の威光でオーストラリア、ニュージーランドなどの戦力を注ぎ込めたのだが、ポートモレスビー陥落後の日本のオーストラリアに対する懐柔策(と英国は分析している)によりオーストラリアは英米から距離を取りつつある。アフリカ戦線は、ドイツ国内の混乱で戦線が膠着状態になっているが、ここからオーストラリア軍が撤退する可能性まで出てきている。
困ったことに隣国のニュージーランドもオーストラリアに倣おうとする動きが見られるのだ。
頼みの綱は米国だが、これも連戦連敗に加え国内では大統領弾劾の動きまで出てきており、補給の一部は米国議会などの反対によりヨーロッパに届かない状況が発生している。
加えて、これ以上米国を肥え太らせるのは英国の未来を考えると好ましくはない。
英国内も、独立の動きが強い植民地を切り捨て、日本に大義名分を与えて会話による終戦(あるいは停戦)を行い、決着は近い将来に持ち越すべきではないかという意見もそれなりに支持されつつある。
日本はかつては同盟国である。仲違いの歴史はそんなに長くはないのだ。
当事者の大日本帝国では、陛下の御聖断を絶好の機会として自らの野望を実現しようとする者や、揺らぎ始めた自らの立場を堅持したい者、それに乗せられる者、煽る者がそれぞれ暗躍しはじめていた。
統制物資であるはずの紙を大量に使用したビラや街頭での「憂国の士」によるアジテーション(なぜか取り締まられない)などは序の口。町内が継戦、停戦で割れてしまったところすらある。何せ20日という期限付きだ。ヒートアップは尋常ではない。
政府や軍は必死で情報統制と血の気の多い連中の取り調べ(という名前の保護)を行っているが、10日も過ぎると陛下の御聖断は市井に広がり、もはや収拾がつかない状況に陥っていた。
「待てぃ!国賊辻ぃ!」
参謀本部への道を急ぐ陸軍参謀辻政信中佐と従兵は、いきなり現れた陸軍軍服の賊に取り囲まれた。
味方よりも敵が多いと言われている辻である。このような事態を予想して参謀本部から複数の従兵を借り受けて警戒していたのだが、白昼堂々宮城至近で襲撃を受けることは予想しておらず、わずか1名の従兵を伴うのみであった。
「中佐殿。お逃げください!」
賊の一人が軍刀を抜き放ったのを見て、従兵が辻の前に出る。従兵にしては気の回らない奴だと思っていたが回らないだけで(気は)太かった模様だ。
辻は佩刀を賊に対峙する従兵に差し出す。辻も一応漢だ。丸腰の従兵を置き去りにしたまま逃走するなど全く考えていない。なによりもこの状況で権力抗争に走る上層部に対する怒りのほうが勝っていた。
「この辻、剣の達者ではない。任せてよいな?」
佩刀を差し出された従兵は一瞬あっけにとられた顔をしたが、次の瞬間実に頼もしい笑顔を浮かべ、佩刀を受け取った。
「この程度!命にかえてもお護りいたします!」
「うむ。心強い!頼むぞ!」
ここで命を落とすのはまっぴらごめんだ。ここは舌先三寸で撃退するに限る。不本意ではあるが、辻は賊の説得にかかる。何事も誠意をもって、偽らざる気持ちで接すれば相手が相当の馬鹿でない限り辻の立場とそしてこれから成そうとすることを理解してくれるだろう。そう、「至誠天に通ず」である。
「しかし、貴様ら何だ?偉そうに軍服なんぞ着おって!闇討ちには軍服は似合わん!着替えて出直してこい!ただし、姑息な手段ではこの辻を弊することなんぞできん!正々堂々、この辻を排除しろと貴様に妙なことを吹き込んだ馬鹿に報告しておけ!」
必要なことを普通に伝えればいいのだが、残念ながらそこまでの器用は辻にはなかった。火に油とはこのことだ。
「その貴様の態度が帝国を破滅させるのだ!」
「ほぉ。破滅だと?この辻の首一つでそれが回避できるのか?それならいつでも差し出すが、この辻に替わる者が帝国陸軍におるのかな?もしかして貴様が成り代われると思っているのか?それは全く不勉強だな。もう一度幼年学校からやり直したほうがいい」
「なにおぅ!」
罵詈雑言の応酬となりつつあったが、口撃は辻が上だった模様だ。反論できず怒りのやり場を失った賊の一人が、抜き身の軍刀を振り上げた瞬間、光が疾り右腕から短い刃物が生え、賊は軍刀を取り落し右腕を押さえて背を丸くした。
声の方向。宮城側に目をやると、軍刀を抜き放った老齢の士官と短刀を複数指に挟んだ隻眼の士官、まだ「新品」と評しても良さそうな青年士官が近づいてくる。
「双方動くな。この場は近衞が預かる」
先頭の士官が落ち着いた声で告げる。大して大きな声でなかったのだが、その場の全員の耳に良く届く声だった。
「陛下の盾たる近衞が国賊に付くか!」
無言で近づいてきた軍刀を抜き放った近衛士官。階級章から陸軍大佐であろう男は刀を八双に似た構えを取った。そこからは有無を言わさぬ気迫が滲み出てくる。
隻眼の士官は大佐の構えを確認し、怒鳴る。
「陛下のご宸襟を安じ奉るのが近衞の責務である。白昼堂々宮城の目と鼻の先で殺し合いをするのを見逃せるわけはなかろう。さて、どうする?伊集院大佐殿は手加減せんぞ。腕一本くらいで済めばいいがな」
賊に動揺が走る。廃刀令が発布されてから久しいが、近衛大佐の構えはそれなりの訓練を受けた陸軍将兵から見ても別次元のものに思えた。
加えてその構え。幕末の殺人集団すら恐れた薩摩藩の必殺剣の構えだ。
賊共の動揺が伝わったのか、隻眼の士官は口の端をつり上げ、こう付け加えた。
「銃も刀も…箸も握れなくなるだろうが、伊集院大佐殿は寛容であらせられる。傷病年金で静かに暮らせるように計らっていただけるだろう。そうなると戦争の行く末すら気にならなくなる。市井で理想国家を論ずるのもまたひとつの生き方だ。どうする?試してみるか?」
「先任。脅しすぎだ」
困った様な伊集院の声で張り詰めていた空気が一気に緩む。毒気を抜かれた辻と賊にこれ以上やり合う気は残ってなかった。圧倒的な格の違いというやつである。
こうなると、辻の独断場だ。従兵からうやうやしく返された佩刀を受け取ると、辻の口撃の熾烈さが増した。
「この辻一人を殺めたところで事態は好転せん。停戦派、継戦派両方からこの辻は狙われているが、馬鹿な事は止めて自分の配下の教練を今からでもいいからさっさと行え。停戦するにも継戦するにも機会が必要だ。この辻がその機会を創る!」
族どもの納得ゆきかねる表情を辻は確認する。よし、乗ってきた。辻は声を大きくして畳み掛けた。
「いいか!連合国、いや、米国は開戦当初から帝国にやられっぱなし、連戦連敗を重ねている。そして米国は大統領選挙を控えている。権力の座から引きずり下ろされたくないルーズベルトは負け分を帳消しにするための一大攻勢をかけてくる!間違いないっ!恐れ多くもっ!」
一声大きく叫ぶと直立不動の姿勢を取った辻参謀に引き込まれる様に辻参謀を襲った賊どもが直立不動になる。
「大元帥陛下が戦争終結期限を半年とされたのは、米国の反攻がその頃になると見込んでの慧眼であらせられる。我ら臣民はそれまでに米国の戦意をくじかねばならん!でなければ国土は蹂躙され屈辱的な敗戦を受け入れることになる。
継戦も同じだ。米国の攻勢準備が終わる前に米国に痛撃を与えることができねば、早晩、負けが確定する。
しかるに!貴様らは一体何だ!軍人の職務を何と心得る!
良い機会だ、この辻が教えてやろう!いいか!軍人の職務とは戦争だ!人殺しだ!蹂躙だ!虐殺だ!煮えるほど血をたぎらせ、凍り付くほど冷静な心でただ一心に!情け容赦なく!呼吸をするがごとく!魚が水中を泳ぐがごとくっ!殺す!殺すっ!ただ一心に!ただひたすらに!殺す!これが軍人だ!わかっているのか?
この辻は軍人である!一点の迷いもなく軍人である!帝国の敵はこの辻が叩き潰す!ことごとく殺す!どうだ!貴様らにその覚悟があるか!笑いながら殺戮し、黄泉の坂を駆け下り、地獄の釜で湯治を決め込む気概があるか!なければ尻尾を巻いて帰隊して教練に励め!死に場所くらいはこの辻が作ってやろう!」
「何?あるか?あるのか!よろしい!おおいによろしい!大元帥陛下の定められた期日はあと10日である。そして、この辻は連合軍を叩き潰す一大作戦を上奏する予定である。停戦?継戦?そんなくだらないことはどうでもよろしい!まずは連合軍を叩き潰してからだ!一緒に三宅坂に来い!連合軍に敗北と絶望を強要する、地獄への片道切符の立案を手伝わせてやる。それを見てからこの辻の首を刎ねても遅くはない。従兵!皆を参謀本部へ案内してやれ。何?捕縛?バカなことを言うな!人手が足りんのだ。ああ、貴様ら2~3日徹夜してもらうから覚悟しておけ」
一気に畳み掛けると辻は近衛大佐に一礼した。
「ご助勢かたじけなくあります。伊集院大佐殿」
伊集院と呼ばれた佐官は苦笑で応じた。軍人の本質を「人殺し」であると言い切り、それに対する迷いがない。少なくともその様に公言した男にどのように接するか決めかねていたからだ。
商売で人殺しをやるからには辻なりの信念があるだろう。それが何であれ、まずは尊重すべきだ。そして伊集院は近衛である。陛下のご宸襟を安じ奉ることが近衛の第一の責務だ。陸軍内の抗争なぞ埒外。それが「近衛の昼行灯」と影で呼ばれている伊集院大佐なのだ。
「宮城の警護は近衞の職務です。気にとめる必要はありません。しかし、困った輩が増えましたな。聖断にかこつけて自分と意が異なる奴を排除しようとしております。大義名分があれば人はここまで冷酷になるのかと恐ろしくも思えます。出る杭は打たれる。気をつけてと言いたいところですが、貴官にはその覚悟はありそうですね。辻中佐」
「ははは…この辻、先ほども申したとおり大の戦争好きであります。しかしながら正直、最近は勝つだけでは物足りなくなってきたのです。戦争。その先を見たいと考えておる次第であります。恐らく次の一戦でその先がおぼろげではありますが見えてくるでしょう。それが楽しみでもあるのです。では、失礼いたします」
辻中佐はいつものぞんざいな敬礼でなく、文字どおり敬意を払った敬礼を伊集院に送ると、先ほどまで自分を狙っていた連中を引き連れて三宅坂に歩き始めた。伊集院が目配せすると隻眼の先任士官が彼らに続く。「あの程度」の連中であれば、先任の相手にすらならないだろう。
「狂ってるな」
青年士官がつぶやく。若いな。そのような言葉は腹に納めておく類のものだ。それがいいのかも知れない。数十年前の自分も確かそのような青年将校だった様な気がする。
ただし、狂っている者が少ないと思って貰っては困る。
「辻中佐に限らん。世界中が狂っている。貴官も、そして私もだ。狂った連中が「自分は正しい」と徒党を組んで命の取り合いをしている。それが戦争というものだろう。そして帝都は、いや帝国は今や蠱毒の瓶だ。
毒虫どもが喰い合いをしている。帝国にこれだけの毒虫どもが潜んでいたとは私もおもわなかったがね。
生き残った連中がどう帝国を引っ張ってゆくのか。少々怖くもある。貴官は好んで瓶の中に身を投じるとは思えないが、近衛の責務は御上、陛下のご宸襟を安じ奉ることだ。政争などに構っている暇はない。ここ数日、陛下に直訴すると称して押しかけてきたり、堀を泳いでくる輩が増えてきた。まずは、それらの排除だ。坂鬼少尉」
最後はおどけてみた。これに乗ってくるのであれば、そこそこの資質はあるだろう。
伊集院の意図に気が付いてか、気が付かなかったのか、坂鬼と呼ばれた少尉は伊集院の言葉にこう切り返した。
「蠱毒の瓶ですか。せめて、舶来の箱にしていただきたいですね。あれは最後に希望が残るそうですから」
「ふむ。少尉はなかなかのロマンチストだな。得体の知れない不安よりも、何か望みを繋げるものが1つでもあるというのは心強いかもしれん。例えそれが縋れば切れる蜘蛛の糸のような細いものでも。身を任せればたちまち沈む水面の麦わらのようなものでも」
石原莞爾元陸軍少将
「辻が継戦派と停戦派を押さえただと?何の冗談だ?さてはニューギニアでマラリアにでも罹患したか?」
来島義男別府造船社長
「麦わらじゃないんだよな。竹なんだよ。竹!」




