ハイエナたちの狂宴(帝都の混乱)
警視庁刑事部捜査一課、平塚刑事
「辻斬りぃ?」
殺人事件の一報に、現場に駆けつけた警視庁刑事部捜査一課の若き刑事、平塚八兵衛は、講談や劇中でしか聞いたことのない言葉に耳を疑った。今は昭和の御代だ。徳川時代ではない。
「後ろからばっさり一撃です。辻斬りとしか言い様がありません」
老齢の巡査の言葉に半ば同意しそうになったが今は昭和だ。「ばっさり一撃」が商売になっていた時代から軽く70年は経過している。
「何を!今は昭和だぜ?辻斬りなんぞとうの昔に絶滅してる。しかしどうなってんだ?…うあ…肩口からの袈裟懸けかよ。お目にかかるのは初めてだ。…やっぱり辻斬りかもしれんな…」
惨殺死体を目の前にし、地回りの駐在との間で交わされる言葉はどこかしら他人事のようであった。
「傷の具合からホシはかなりの手練だな。素人じゃぁはこうはいかん。一回で致命傷にならんので複数回斬りかかるわけだが、斬られる方も命がけだから当然逃げる。で、膾斬りの状況になる。そうだな…剣道場、東京高師、日体、国士舘のそっち(剣道)関係、あとは実際に人を斬ったことのある軍人あたりが怪しい。ヤクザは除外だ。やつらは大抵最前線で頑張ってるし、最近は殴る蹴る、ぶったたく。たまにピストルでズドンだ。ホンボシはダンビラを持ち歩いても怪しまれない人間だね」
「…つまりホシは軍人さんで?」
「そう。このご時世、ダンビラ持ち歩いて咎められないのはそいつらしかいない。それも佩刀が許される士官以上だ。剣の達者な陸海軍士官。まぁ、俺の見立てはそんなところだね。当然、それを命じたホンボシがいる。ここんとこの時勢だ。まず間違いない」
「軍隊が絡むと面倒ですな。憲兵が「なかったこと」にしてしまいますから」
「おう、憲兵が来る前にさっさと調べちまおう。まず、ホトケさんだ。何者だい?」
「近所の元海軍の軍人さんです。言動がアレなんで特高からも目を付けられてました」
「で「どっち」?」
「ホトケさんの日頃の言動からすると停戦派でしょう」
「どっち」で判る程、御前会議の内容とそれに対する世の中の動きは活発になってきている。理性を以て利益と自らの企業体の安全と繁栄を願う財界人は、可能な限り連合国に譲歩し(中には降伏してもよいと考えている財界人もいる)停戦に動こうとしているのだが、感情で動く個人にはなかなか通用しない。
肉親を失った者。反米教育をたたき込まれた(選挙権はなく、実際に社会に与える影響は多くないと考えられている)いわゆる子供。それらを無責任に煽る新聞社。
戦地にある肉親に心を寄せ「戦闘行為の停止」を望む者も決して少なくはないのだが、肉親を失った者を慮ってか、大きな声を上げることはなかった。これらの数は多くはないが大きな声をバックに、陸海軍の一部の将官、将校、下士官などが数の上では劣勢を打破すべく直接的な方法で主導権取りに乗り出しはじめている。
既に「連合国への譲歩」に言及した軍の将官、将校や財界人、新聞記者などが脅迫されたり危害が加えられたりしはじめている。
今回の「辻斬り」もこれらの一連の流れであると地回りの巡査でさえ安易に見当をつけることができた。
「ホシは血の気の多い方か…下手に手を出すと鉛玉を食らうな。軍隊とドンパチやって勝つ自信はない」
「警官が束になったくらいじゃ駄目でしょう。二二六(事件)のときは大変でした。警察官なんぞ軍隊の前では屁の突っ張りにもならなかった」
「二二六かぁ。俺はまだ土浦でガキやってたなぁ」
「彼らは人殺しを職業としている。警察程度では相手にならん」
会話に割り込んできた声に振り向くと、制止を無視して現場に立ち入ったらしい中年の男の姿が目に入った。くたびれた格好をしてはいるものの、目深にかぶったハンチング帽からの視線は強い意志を感じさせる。職業柄この手の視線を見慣れている平塚をしても只者ではないと判断せざるを得ない。恐らく同業者。だが、見覚えがない。となると…
「あんた…特高かい?」
「別件で追ってた。ホシは某陸軍少尉だ。逃げられたよ。あっち…(三途の)川の向こうだ。覚悟を決めていたのか、それとも口封じなのかはまだわからん。身柄は憲兵が強奪していったんで検死すらできん。恐らく(事件そのものが)なかった事になる。哀れ少尉殿は事故で殉職。二階級特進で靖国の英霊の仲間入りさ」
平塚の問いに男は辻斬りの犯人の情報を流すことで応えた。継戦派の動きを追っていたのだろう。言葉の端にわずかな悔しさが見受けられた。
「特別高等警察」。「警察と」名前が付いてはいるのだが、特高と「普通の警察」とは仲が悪い。(警察にかかわらず、同じ目的を持つ複数の機関があればそれらの関係は良好であることは少ない。各国の陸海軍を見れば一目瞭然である)「特別」で「高等」であるらしい彼らと警視庁の仲は良いわけはない。
「あんたら(特高)も同じようなものだろ。ちょっと左右に傾いた…右の方は随分傾いても大丈夫みたいだが、そういう人間はあんたらに連れて行かれて、全身痣だらけのホトケさんになって帰って来る。でも、なぜか病死になってる」
嫌悪感をにじませて平塚が揶揄する。警察の取り調べも褒められたものではない。しかし特高に比べればまだマシだろう。取り調べで殺されることは特高よりも「かなり」少ないからだ。
平塚の言葉を特高の刑事は何事もなかったように受け流した。
「俺は引っ張る方だ。吐かせる方じゃない。あんたら(警視庁)には同じに見えるだろうが、奴ら(憲兵)よりはマシだとは思ってる。俺は思い込みで捜査はしない。いや、そう考えているだけかも知れん。理解しろとは言わんよ?」
特高の刑事(?)の言葉に一瞬、平塚の反応が遅れる。
今まで特高の連中とまともな会話を交わしたことがなかったことと、お互いの対立もあって「特高は人にあらず」という先入観があった様だ。うん、刑事として失格だ。
自己認識を恥ずべきものとして素早く修正し、ちょっと遠くを見るような目を平塚は済まなそうな声で、彼自身の思うところを要約。返す刀で特高側から情報を得ようとした。
「すまん。やっぱり同じように思える。いや、まだあんたらの方がマシかもしれんな。で、逃げたホシに斬り殺されたホトケさんに用事なのか?それとも俺たちか?」
「両方だ。あんたらのおかげでホトケさんの素性もわかった。近々そっち(警視庁)に要請が行くだろう」
「立ち聞きかよ!それと要請って何だよ」
「「帝国が必ず勝利する方法」を直訴するため皇居に殺到しているキ○ガイどもの相手で憲兵、特高、警視庁は大忙しだ。とうとう殺人事件まで起きた。で、殺人事件阻止のため、尖っている連中を理由をつけてブタバコに叩き込んで保護しろと指示が来ている。特高の施設だけじゃ手狭だし、人手も不足しているんだ。それと…大声で捜査情報を話さん方がいいぞ?外れたら売り出し中の敏腕刑事の名が廃る。それじゃ」
言いたいだけ言って特高の刑事(?)は現場を去って行った。
「殺人犯の事前保護だと…世も末だ」
「殺し合いは戦場でやって欲しいですなぁ。シャバだと人を一人殺しただけで懲役ですが、向こうは数が多ければ勲章くれますからねぇ。ホントに二二六にならなきゃいいんですけどねぇ~」
「暴走しそうな連中を特高とホンチョウでブタバコに叩き込む。嫌疑は後付けだろうな。さし当たって「公務執行妨害」ってとこか…また恨まれるなぁ~」




