赤いホワイト疑惑(Suspicion of red white)
ニューギニア捕虜解放問題で盤石であるはずの連合国オーストラリアとアメリカの関係が悪化、これを仲裁する英首相チャーチルの執務室は霧のロンドンを彷彿させていた。もちろんこのスモッグの原因は石炭ではなく彼の喫煙によるものである。
最近はこれに加え、命の水(ジョニーウォーカー。恐らく黒ラベルだろう)の消費量も増加の一途をたどっていた。執務時間帯が新たに飲酒時間帯に加わったからである。
ドイツ軍との激闘が続くアフリカ戦線と、健闘むなしく大敗したニューギニア戦線。ドイツ軍と日本軍だけでも面倒(イタリア軍?なに?それ?)であるのに、アメリカとオーストラリアの関係がかなり険悪な状況に陥っている。
「君達は誰と戦っているのだ」
仲裁に立たなければならないチャーチルの喫煙量と飲酒量が増えるのは、当然と言えよう。
片方の当事者であるアメリカ合衆国のルーズベルトの酒量もチャーチルに負けず増加の一途をたどっている。
捕虜解放後の一連の対応のまずさ、特にオーストラリア国民のアイデンティティを刺激する不用意な一言が大舌禍を引き起こし、そのため米軍解放捕虜の帰国は未だ叶わず、(日本政府の発表により)息子、あるいは夫、兄弟の生存を確認した本国の家族からの不満は日に日に強くなっている。
当初、
「帰国が叶わないのはオーストラリア側が引き渡しを行わないため」
と説明していたのだが、オーストラリア側も黙って悪者扱いされる気はない。
「勇敢に戦った戦士を再び最前線に送り込もうとする米軍の非人道的な扱いを「連合国の一員として」決して無視することはできない」
「大日本帝国皇帝個人と彼ら(捕虜)個人との約定を尊重しない米国に彼らを帰国させるわけにはいかない。事態の解決まで彼らは我が国の賓客として遇する。ユナイテッド・キングダムの末席に位置するものとして、(米国とは違い)オーストラリアは彼らと皇帝との間に交わされた約定を最大限尊重する。まぁ、(歴史の浅い)米国には理解できないだろうが(ちなみにオーストラリアの歴史も米国と似たようなもの)」
とやり返したのだ。
チャーチルの言うところの「君達は誰と戦っているのだ」という事態にまで両国の関係は冷え込んでいたのだ。
オーストラリアのカーティン首相は、これを好機とばかりに避戦に走る。アフリカに派遣しているオーストラリア軍を「オーストラリア国内の『警備』のため」に呼び戻したいと英国に申し出たのだ。
カーティンは中東のオーストラリア軍のビルマ戦線への移動を拒絶して本国へ帰還させてしまった前科がある。オーストラリアの国益のためなら同様の事を複数回行ってはいけないという理由はない。
今は、マッカーサーの顔を立てて大人しくはしているものの、日本政府、それも皇室とのコネクションを新規に構築できた(と、本人は思っているだろうが間違いである。ニューギニアの棚ぼた主計少佐とのコネと言った方が正確だ)現在、大国や宗主国に取り入る必要性は少なくなってきた。
「局外中立」
連合国からの離脱をオーストラリアは真剣に考え始めていた。
時を同じく米国国内世論も避戦に動き始めていた。度重なるルーズベルトの失政にウィルキー、ランドン、デューイら有力な政治家や論客によるルーズベルト弾劾が勢いを増してきたのだ。
連戦連敗&死傷者の数うなぎ登りの戦況に加え、「卑怯者」であるはずの日本軍が連合軍兵士に対して人道的(に思える)振る舞いをしてきたのだ。
以前リークされた日本が開戦を決意せざるを得なかった米国の最終通告、いわゆる「ハルノート」の内容についても、「正義の味方」でありたい。「公明正大」でありたい、あるべきだと考えている米国民にとって、安易に賛成できないものであったのだが、ここに来て「卑怯な国」であるべき日本の行動は考えられない出来事であった。
フェアプレイ(殺し合ってフェアプレイもないものである)精神を発揮した(と、米国国民は思っているが、実情は「無駄飯回避」)日本軍に対し、米軍は解放された捕虜を再び戦場に送ろうとしていたのだから、反発は強いどころの話ではない。
あまりの反発に米国政府は、
「解放された捕虜は帰国させ、名誉除隊とする」
と発表し、事態の収拾を図ったのだが、これに欧州派遣の兵士の家族が噛みつく。「不平等」だと。
かくして開戦から急激に悪化しつつあるルーズベルト大統領の持病である高血圧は危険水域に軽々と達することになった。
政府批判を効果的かつ直接的に躱す方法は古今東西共通。政敵や不満分子の粛正である。米国はそこまでの独裁国家ではないので、反政府の立場を取る有力者の弱みを握ることで間接的に政権への攻撃を封じようとした。
幸い、米国にはこれにもってこいの組織があった。FBIである。
「汚れ仕事」を引き受けることなったFBIはルーズベルトの政敵や、政府批判を声高に叫ぶ政治家、論客の身辺の徹底調査に着手する。表向き「他国のスパイ、煽動者が反米工作を起こしているという有力な情報を入手した」という理由だが、信じる国民は多くなかった。
FBIの徹底した調査は、ルーズベルトの支持者にまで及んでいたからだ。表向き、公平を記するためという理由だが、FBIの狙いは別にあった。
後年、アメリカ政府関係者のスキャンダルを一手に握り米国政府に「君臨」したFBI長官ジョン・エドガー・フーバーの著名人のファイル作成はこの頃から始まったと言われている。
フーバーの思惑が多分に含まれた、合衆国政府を運営する政治家、官僚全ての身辺調査(という名前のスキャンダル調査)はFBI職員に多大な負荷をかけて続いていた。
「なんか馬鹿らしくてなってきましたね。「こっち(ルーズベルト支持派)」側の人間の調査なんて大した埃は出ないと思ったんですが、出るわ出るわ…大半は腰からの埃ですから気が滅入ります。腰から下に注ぐ力を首から上に注いで欲しいですね」
「ふん。言うようになったじゃないか?神は首から上と腰から下に同時に十分な血液を送れるように人間を造らなかったんだよ。こいつらだっていつ何時「あっち(反ルーズベルト)」側に行くかわかんないんだ。取りこぼしのないようにしておくのが肝心だろ?人間、誰しも隠しておきたいものはある。だから叩けば埃がでるのさ。ウチ(FBI)の大将とか大統領閣下だと埃程度じゃ済まないとおもうんぞ?」
「いや、ホワイトハウス近辺にも聖人君子のような官僚もいますよ。さすが国務に携わる人間は違うなと感心しました」
「埃が出ない?それおかしくないか?どんなヤツにでも後ろめたいことは必ずある。それが一切ないのはかえっておかしい。そもそも、聖人君子なんてのは日曜日の教会でしかお目にかかったことはない。暢気に十字架に貼り付いているけどな」
と軽口を叩く彼の目は笑っていなかった。
「つまり」
「怪しい以外の何者でもない。誰だか知らんがそいつはクロだ。で、誰だ?そいつは?」
「あ~国務省の役人です。ハル長官の腹心とも言われてますね」
「国務省だって!それはもしかするともしかするかも知れないぞ!」
「へ?」
「お前も知ってるだろう?反大統領派が暴露した日本への最後通牒。マトモな人間なら激怒するような内容だ」
「ええ、さすがに日本も怒った。だから日本と戦争やってるわけですよね?」
「俺はわざとそうさせたと思っている。ステーツの国益になると大統領は考えたんだろう。だが、どうだ?今の有様は?」
「武器屋と葬儀屋が儲かっているだけですね」
「そうだ、ステーツが戦争に首を突っ込んだのは間違いだったと思っている。その原因は最後通牒だったんだが、そう仕向けた人間が国務省にいたとするとどうだ?俺達(FBI)がざっと調べた程度では何も出ないほど「身綺麗に」していたとしたら?」
「ウチ(FBI)の上を行くって…」
「俺達は国内専門だ。国外専門の連中に投げるのが妥当だ。とりあえず「何も出ないので怪しい」という報告書を書き上げろ。大将に直接提出する」
提出された報告書を重く見たフーバーの指示で徹底した「隠密調査」が行われた。(ばれたら何の意味もない)これには情報調整局(OSS)の協力もあったが、決して仲が良いとは言えなかった両組織が協力して事に当たったのは事態の重要性もさることながら、フーバーが交渉材料として提示した情報調整局に関する調査レポートによるものではないかと言われている。(この手の「協力」が功を奏した場合、真相は大抵藪の中に放り込まれる)
隠密調査から2ヶ月。「綺麗すぎる」身辺の国務省官僚は、反逆罪の疑いでFBIに逮捕、拘束され、外国への情報漏洩を示す資料が大量に押収される。
これに対し、大統領府は合衆国憲法第3章第3条の「援助と便宜を与えてこれに加担した」相手は「敵」ではないとし、FBIの逮捕であると糾弾、圧力をかけて国務官僚を釈放させた。
釈放直後、彼は[警察、軍、マスコミ、国務官僚に追い回されたあと何者かに殺害される。警察とFBIは犯人捜しに全力をあげるが、あまりにも「手を下す」理由がある組織が多すぎた。某国の諜報機関、大統領府、愛国者によるもの、兵士の遺族などなど、思い当たるフシが多すぎて迷宮入りとなる)
、検挙された国務官僚が日本への最後通牒作成に従事したことが報じられると「合衆国を戦争に導いた外国の手先」として非難を浴びた。
この事件は逮捕された国務省官僚の名前から「赤いホワイト疑惑(Suspicion of red white)」と呼ばれ、大統領の支持率低下、国務省への疑惑、そして便宜を図っていた国と言われたソビエトへの風当たりは強くなった。
これは相対的に枢軸国、特にドイツの攻勢が強くなったことを意味していた。




