閑話2 - 海上護衛隊重雷装艦「大井」「北上」-
連合艦隊の活躍で、米海軍の脅威は薄れつつあり戦場は奇妙な小康状態を迎えていた。全開死に物狂いで戦っていた日本陸海軍のニューギニア方面部隊も一時的に落ち着きを取り戻しており、戦闘ではなく訓練が実施されるような状況になっていた。
ポートモレスビー陥落で、ソロモン、珊瑚海の制海権が完全に日本軍のものとなったのと、オーストラリア軍捕虜の返還などで期間限定ではあるが戦闘が停止したからである。
凄まじい生産能力を有する米国は、昼夜を問わず、損耗した戦力の補充、破壊されたインフラの復旧を行っている。その速度は日本のそれを軽く凌駕していた。
しかし、大型艦艇。特に今後の戦力の中枢となるであろう航空母艦などの戦力化には時間が必要であった。空母などは2ヶ月とか3ヶ月で建造できるものではないのだ。
そのため、比較的短期間で建造が可能な潜水艦が戦力化されているが、これについても人的リソースが不足しており、訓練不足を実戦でまかなうしかない状況であった。
「実戦は百回の訓練に勝る」
いささかとってつけたような理由で、反撃のない輸送船を相手にする通商破壊で日本軍にダメージを与えようとするものの「ハルゼー財団」の懸賞金(が原因と言われている)に目がくらみ、大物(「土佐丸」)狙いに走る若い潜水艦乗りは次々と海の底に消えていった。(「土佐丸」も馬鹿ではない。最近は連合艦隊の駆逐艦が数隻、輸送の護衛に付いてくれているのだ)
それでも日本軍の補給線を断ち切るため、ダーウィンを起点とし、制海権のあるアラフラ、ティモールを経由し、セレベス、スールー海海域で地道に通商破壊を推進する。いや、推進するしかなかった。
逆襲されないとたかをくくっていた輸送船への攻撃だが、「別製夜間哨戒器」を装備している輸送船相手の場合、夜間の攻撃では完全に不意を突かないと逃走されることが多く、「別製対潜水艦投射架」を装備している「おおが」「ていとく丸」級の場合、逆襲されることもあった。戦果は少なく、損害は多い。しかし、地味ではあるが「戦果」と潜水艦乗組員の練度は向上しつつあった。そう、今は米海軍にとって雌伏の時なのだ。
これに対し、ポートモレスビー攻略で補給、輜重の重要性を痛感した陸海軍は、海上護衛総隊を設立。第一、第二護衛戦隊に「扶桑」「山城」を改装して配備することにしていたのだが、改装完了までの期間仮の司令部機能が運用可能な艦艇が必要とされた。要するに「間に合わない!今すぐ寄越せ!」である。ここで、普通なら、
「連合艦隊には余分な艦艇などない!」
と言うところであったのだが、何事にも例外はある。そうではない艦艇が2隻ほど存在した。
軽巡洋艦「大井」「北上」である。
艦齢20年を超える旧式艦ではあるが、61cm魚雷4連装発射管10基40門を備えた、重雷装艦で艦隊決戦の切り札として配備されていた。もともと練習艦として使用されていた艦であったので、思い切った兵装に改装されたのだろう。海軍らしからぬ思い切りの良さだったが、これが裏目に出た。
開戦前から指摘されていたのだが、実際に日米開戦で、敵も含めた海軍の戦略は否応なしに航空主兵に移行しなければならなくなった。最前線の連合艦隊はそれを認識しており、連合艦隊の宇垣参謀長が開戦直後の「大井」視察で重雷装艦を軸とした海軍の戦略に不満を持ち戦術の変更を求めていた。
このとばっちりを受け、主戦兵器とは見なされず、台湾との輸送船の護衛任務や単独輸送任務(何せ36ノットの高速だ)などについていた。要するに「いらないコ」である。
しかし、これを船団の輸送任務に使用するとなると14cm単装砲4基の兵装では船団の用心棒としては十分でなかった。船団護衛用途に「使える」ようにしたいが、大規模な改装のインフラが全くない。何せ「扶桑」「山城」の改装ですら、民間の造船所に委託しているくらいだ。可能であれば艤装岸壁だけの作業で終わらせたい。
万策尽きた軍令部は今回「も」別府造船に泣きつくことになる。うん、奴らならなんとかしてくれそうである。
「んじゃ、雷装は全部外して。どうせ魚雷なんぞ使わん。それと、兵装は陸軍にも協力を取り付けといてくれ。上手くいけば「おおが」や「ていとく丸」にも搭載できる」
海上護衛総隊の旗艦として絶賛改装中の戦艦とは違った八面六臂の活躍をする。重(爆)雷装艦「大井」「北上」の誕生である。
-船体-
船団護衛を主任務とするため、別製魚群探知機(強化型)と性能の安定してきた受動型探信器を艦首水線下と船体中央水線下に装備。輸送船団の最大の脅威である潜水艦の探知力向上を狙っている。
-武装-
「採算が悪い。一発で家一軒なんて馬鹿な消耗品(魚雷)なんぞ載せられん。俺だったら一発撃ったら(金銭的)ショックで死ぬ。近代戦はいかに無駄弾をバラ撒くかで決まるんだ!」
との別府造船来島社長の持論により、元来の主兵装の4連装10基の雷装を全撤去(当然、建造中の駆逐艦や巡洋艦に転用された)
撤去跡に、お馴染みの「別製対潜水艦投射架」、陸軍の九七式中迫撃砲を9門束ねた「別製対潜水艦投射架(大)(別名「大ガチャ」「三連ガチャ」)」と、同じく陸軍の九八式臼砲2つ束ねた「試製対潜水艦臼砲発射架」、弾体を流線型に改良した八一式爆雷投射機を搭載。それでも余ったスペースには、陸軍九九式八糎高射砲や三式十三粍固定機銃を搭載した。
単に兵装を入れ替え艦内スペースの再編成(魚雷と乗員が減った)を行っただけの改装だったが、艦の性質は「艦隊決戦兵器」から「対潜水艦の切り札」に激変する。
何せ、別製魚群探知機(強化型)で敵潜水艦の接近を感知、大小ガチャポンの射程距離(3キロ圏内)に入った瞬間に対潜水艦ロケット弾(いや、迫撃砲弾です)の攻撃を受けるのだ。
この様子を、船団を組んでいた輸送船の船長は、
「巡洋艦の船体のほとんど全ての場所が爆発したように光ったと思うと、フネの上を弾がビュンビュン飛んでいって、潜水艦の居る(らしい)海面にバカスカ落ちていった。ありゃ、たまったもんじゃない、潜水艦乗りにはなりたくないなぁと思ったね」
と語っている。
「大井」「北上」の配備で、輸送船の最大の脅威である潜水艦をぶっちめる頼りになる用心棒ができたため、これまで独航が多かった輸送船は船団方式に改められ、護衛総隊の指揮の下、輸送任務に当たることになった。
「わははは、いいフネだ!何より、名前がいい!「おおい」によろしい!」
とは海上護衛総隊参謀の言である。
わははは!宜しい!おおいに宜しい!




