揺れる二大陸
ポートモレスビー陥落でソロモン、珊瑚海は日本軍の内海となった。
島と呼ぶにはあまりも大きすぎるニューギニアの東半分と、南端の連合軍の一大拠点陥落で、米国西海岸からオーストラリアを経由したインドシナ及びフィリピン方面へ補給線は事実上消滅した。
早急に巻き返しを行いたいところだが、制海権を取り戻すための艦艇が揃わない。
開戦から現在に至るまで、次々と敗北。その記録を更新中の連合軍。特に米海軍と英海軍には、大規模な作戦に従事させるための艦船及び人員が決定的に不足していた。オーストラリア海軍?あれは既に海軍ではない。
連合軍は突貫工事と極端な促成教育で、モノ、ヒトの不足を解消しようとはしているもの、現時点では稼働可能な戦力は質、量ともに日本海軍に大きく劣っていた。
「なんとかしたい!」
そこに、降って湧いたようなニューギニアからの一方的な捕虜返還。当然、米軍はオーストラリア政府に米兵の引き渡しを要求した。再び前線に立ってもらうためだ。
しかし、オーストラリア政府はこれを政治案件として扱い、米軍捕虜を国内リゾート施設に「隔離」し、米軍の要求には応じなかった。自然、軋轢が生じる。
米国(米軍)の言い分は、
「卑怯な手段(真珠湾攻撃)で開戦した日本との一方的な約束を守る必要なぞどこにもない」
だったが、オーストラリア政府は、
「貴国の主張は関係ない。米軍捕虜が再度前線に立たないという確約が貰えない限り、彼ら(米軍捕虜)はオーストラリア国内で「休養」してもらう。もし彼らが再び前線に立った場合、我が国のメンツが潰れる。そうなると、日本のエンペラーの温情が今後得られなくなる可能性がある。正直、貴方方(米軍)が信用できない」
と応じて捕虜の米国帰還に慎重な立場をとっていた。
米濠が大もめしている一方、片方の当事者である日本軍は捕虜引き渡しが補給だけではなく戦術、戦略レベルで大きな効果があることに気が付きつつあった。
万年貧乏体質の帝国陸軍にとって、捕虜返還は物資節約と捕虜管理の人的リソース削減に多大な貢献をする。
一番懸念された、解放された捕虜が再び戦場に舞い戻ってくる危険性も、大元帥陛下への誓紙提出という、書類一枚で下っ端兵士までも取扱注意の外交案件にまで強引に格上げし、再度の前線への配置が阻止されている。(実ににえげつない手段だ)
これに第17軍(百武中将。第17軍は堀井少将の南海支隊の上位組織)が乗った。
彼も南海支隊と同様、陛下への誓紙にサインすることのみ条件として連合軍(主にオーストラリア軍)捕虜を解放しはじめたのだ。
「輸送船の手配が難しいから」とポートモレスビーの捕虜返還とは異なり、今回は少人数を数度に分けての返還となった。(本当は、返還の間、戦闘が中止されるからである)
捕虜解放のための戦闘停止は両国の軍部(上の方)から不満の声が出たが、最前線では好意的に受け止められる。誰しも好んで死ぬ危険性のある「仕事」はやりたくない。
米軍とオーストラリア政府との交渉が難航している間に、両国の軋轢を知ってか知らずかニューギニア方面からの捕虜返還は次々に行われていた。
加えて、日本は「ニューギニアの連合国捕虜は次々とオーストラリアに送還され「二度と前線に出ないことを条件に」捕虜から解放された」との報道を世界に向けて発信し続けていた。(ご丁寧に送還者名簿まで読み上げられている)
そう、米軍は、夫、息子、兄弟の帰還を待ちわびる家族の声と、勇者(ということになっている。米国自身がそうしてしまったので今更撤回はできない)の引き渡しを拒むオーストラリア政府との間で板挟みになってしまったのだ。
そして、小さな事件が起こる。
幾度となく繰り返された交渉時に、業を煮やした米軍側の将官が苛立ち紛れに
「罪人の子孫が何を偉そうに…」
とこぼしたため、激高したオーストラリア軍高官に彼は殴り倒され、乱闘が発生したのだ。
さすがに大人げないというか、礼に反する行為であったため、両軍とも
「感情的になってしまった。申し訳ない」
と、謝罪したのだが、手を上げたオーストラリア軍高官はこの件の責任を取って軍を辞した。
それに対して、米軍側は「担当を外した後、厳重注意の上謹慎」と寛大な(大甘な)処分を済ませたため両軍の間に遺恨が残る。オーストラリア軍はこの件を国内メディアに発表。当然、米軍に対する非難が高まる。
オーストラリアを中継地とする彼らは、戦場までの道中のつかの間の命の洗濯に基地の外へ足繁く通っていたのだが、この件でオーストラリア人から白眼視されるようになり、基地内への引きこもりを余儀なくされた。彼らは、
「(オーストラリアの)牛や羊の方がマシだ!牧場は広い!」
と愚痴をこぼすことになる。
軍隊において福利厚生は非常に重要だ。「くうねるあそぶ」の人間の三大本能を制限される軍隊では、何らかの方法でこれを満たしてやる必要がある。このうちの2つ、「くう、遊ぶ」は基地内で充足させることは難しい。
栄養を補給するための食事はあるが、ストレス解消、鬱憤の発散のため飲食&あそびを基地の外に頼っていた彼らは、オーストラリア国民側からそれを拒否されたのだ。(もちろん、例外はある)
彼らは、いずれ最前線に赴かねばならない。行き先はドイツ軍が優勢と伝えられているアフリカか、ポートモレスビーが陥落したニューギニアだ。同じところ(オーストラリア大陸)に居ながら、ポートモレスビーで負けた連中はリゾート地で悠々リゾートライフを満喫しているのが気に入らない。これが舌禍の大元となったのだろう。簡単に言うと、
「あいつらをさっさと戦列に引っ張り出せ!俺達だけが貧乏くじを引くのか!」
何のことはない。「隣の芝生」だ。
彼らがポートモレスビーで死ぬ寸前の酷い目に遭った事は頭にない。単純に素敵なリゾートライフを(本人の意思にかかわらず)過ごしているのが気に入らないのだ。
置かれている立場が命のやりとりの最前線の一歩手前であり、本能的に生き残りたいと考えるので、芝生の色がますます青く見えたのだろう。
「ニューギニア方面に出征なら、速攻で捕虜になって戦争が終わるまでオーストラリアで楽しく過ごすさ。白旗の準備は万全!俺は準備がいいんだ!」
「HAHAHA! その前に珊瑚海で鮫の餌だ!」
などというジョークも蔓延していた。
困ったのは米政府だ。
事態の打開を図るべく米国国務省が調停に乗り出すも、自らのアイデンティティを侮辱する様な発言が両国に刻んだ溝は浅くはなかった。
国務省と、駐米オーストラリア大使との間の協議では、
「確かに我々は罪人の子孫かも知れません。いや貴方達(米国)はそう思っているのですから間違いないのでしょう。しかし、我々が罪人の子孫なら、貴方達も「食い詰め者、ならず者の子孫」ではないでしょうか? そんなことはどうでもいいのです。我々が貴方達から見習うべきものは確かに多い。そうそう、内閣はモンロー教書に興味を示してるそうです。それと、貴国の兵士の引き渡しは当分延期させて頂きます。ならず者が約束を守ったという話を耳にすることは少ないので」
との発言があった。多少は駐米大使の私見が入っているだろうが、オーストラリア本国の意見と考えて良い。米国はオーストラリアとの関係は、戦争が終わるまで回復しない。それどころから、オーストラリアの連合軍からの離脱まで憂慮しなければならないことを悟ることになった。
そして、決定的な事件が発生した。
オーストラリア駐留米軍の一部隊が、「同胞の奪還」を名目に近隣に「保護」されている米兵の奪還に動いたのだ。一歩間違えれば武力侵攻と取られない暴挙であったが、幸いにもオーストラリア軍と現地警察、他の米軍部隊により奪還作戦は失敗に終わる。
(「解放に来たぞ!さぁ、諸君。征くぞ戦場へ!」「やだよ!」と言うようなやりとりがあったと言われている)
二国間の協力体制を根底から覆すこの暴挙は、両国軍部でも秘密にされていたが、人の口に戸は立てられない。隠蔽を図る米軍の努力も及ばず、3日後にはホワイトハウスに情報が届けられた。
ホワイトハウスの知らないところで何が起こったのか?調査報告に目を通したルーズベルト大統領はテーブルに拳を叩きつけて
「なぜこのようなことが起きる!なぜきっかけを作った将官を処分しない!なぜ米国軍人が山賊まがいの行動を取る!」
そして更に2日後、チャーチル首相から、
「オーストラリアから日本軍、「米軍」来襲に備えるため、アフリカに派遣している兵力を引き上げたいとの申し入れがあった。君達は誰と戦っているのだ!」
との怒りの電文が届く。
ドイツアフリカ軍団の攻勢に劣勢を強いられていた連合軍(主力は英連邦軍)からオーストラリア軍が撤退するという話は英国にとっては裏切り等しい行為で、その原因が日本軍と「米軍」であった事がチャーチルの葉巻ではなく、怒りに火を付けたということなのだろう。
相次ぐ敗戦、オーストラリアとの軋轢、英国からの叱責と、医者から高血圧症と診断され健康に留意するよう指導されていたルーズベルトであったが、血圧の上昇は抑えられるものではなかった。
なんか最近調子がいいぞぉ~
多分通勤しないからだぞぉ~
でも腰が痛いぞぉ~
腰砕けの話を書いてみたいぞぉ~




