閑話 -泥棒陣内(17)-
「これが我が軍の食料供給の現状です」
「主計に詳しい士官、あるいは下士官を帯同して欲しい」という妙な命令を受けて日本軍の担当者を待っていた我々の前に現れたのは、まだ新しい少佐の階級章をつけた士官だった。
席に着くなり彼が我々に示したものは数枚の表が記載された書類で、これを見た主計に詳しい下士官の顔色が変わった。どうやら我々にとって良からぬものらしい。
「貴方達(捕虜)の数が予想よりも遙かに多かったのと、こちらの死者が少なかったのが原因です。お互いが幸運なことになったのですけどね。主計を除いて」
「我々の待遇が悪くなると?それはジュネーブ…」
帯同していた主計に明るい下士官が書類の問題点をすぐざま読み解き抗議の声を上げたのだが、新米らしい少佐はこれも織り込み済みだったらしい。皆まで言わせず、彼は我々に対する日本軍の扱いを端的に、明確に説明した。
「我が帝国陸軍はジュネーブ条約を批准しておりません。無論、捕虜への人道的な扱いは、当然教育はされておりますが、この状況です。早晩、待遇が悪化するのは間違いないでしょう」
「どうしようと言うのだ。我々に農作業でもさせる気かね?」
「軽作業は条約で批准されている使役のひとつですね。しかし、穀物が収穫できるようになるまで食料が保ちません。ここ(ポートモレスビー)には現在の帝国陸軍兵士と貴方達を喰わせるだけの食料がないのです。つまり、頭数を減らす必要があります」
「後方、あるいは日本本土に送ると?」
少佐は残念そうに首を振った。
「ここ(ポートモレスビー)も、ニューギニア近辺も補給状態は変わりません。本当は食料持参で降伏していただきたかったんですけどね。愚痴を言わせて貰えば、貴方達の食料。特に昨夜の食事のシチューの具は苦労して後方から輸送してきているのです」
「その位はわきまえていたんだが、君たちの艦砲射撃で食料は細切れになってしまった。多くの指揮官と、秘蔵の酒類、葉巻なんかも一緒にね。主計担当が青ざめた理由も何となく理解できる。君たちは我々の数を減らそうとしている。端的に言うと「処分」しようとしていると考えてるのか?」
「その手段は極限時の究極の選択ですね。どの国の軍隊でも考えたくはないが考えなければならない手段でしょう。幸いにも我が軍はまだその状態ではありません。が、先ほども申し上げたとおり、このままではそれを選択せざるを得なくなります」
「メィジャーオートモ。私は貴方が何を言いたいのか理解できないのだ。端的に言ってくれないか?」
「「再び前線に立たない」という約束で、オーストラリアに帰っていただけないでしょうか?」
「はぁ?」
「食料がもったいないので、オーストラリアまで送りますから退去して欲しいんですよ」
「…言っている意味が全くわからんのだが?」
「一筆書いていただくということを条件に、ポートモレスビー守備隊捕虜を解放するということです」
「いやいや、それでは君たちに益がないだろう」
「無駄…食料が節約できます。食材、特に肉類はラビから艦上爆撃機2個小隊で空輸してきてるんです。我々日本人は肉はあまり喰いませんが、貴方達は肉がないと駄目みたいですからね」
「ご配慮痛み入る。しかし、繰り返すようだが君たちの益がないだろう?」
「我々にとって、一番重要なのは「必要なときに必要なモノが必要なだけ準備できる」様にすることです。この点で貴方達(連合軍兵士)は邪魔以外の何者でもない。本来ならここ(ニューギニア)から泳いでオーストラリアまで帰ってもらいたかったのですが、さすがにそれは問題になる。何せ海岸の水際まで鮫がウヨウヨしてます。血が流れすぎました。しかし、私やニューギニア方面の将官の独断で捕虜返還を行うのは問題になります。ですが、ご安心ください。ここで我が帝国陸海軍の統帥たる天皇陛下が救いの手を差し伸べてくださったのです」
「エンペラーが救いの手だと?」
「ええ、陛下との間に「帰国後は前線に出ない」事を誓約していただきたいのです」
「我々が誓約したとしても、国が約束を反故にする可能性があるんじゃないのか?」
「その時は仕方がありません。ただ、その時は」
「その時は?」
「「陛下への誓いを反故にした恩知らず」として我が日本国民の間で未来永劫語り継がれることになります。端的に言えば、我が国の歴史上の人物になります。外交文書には確実に残りますね。あと、Primary Schoolの教科書に「悪い濠太剌利人」「恩知らずの亜米利加人」として掲載されるんじゃないかなぁ」
教科書に掲載される文面を想像したらしい。ポートモレスビー守備隊最先任士官(オーストラリア陸軍中佐殿だ)は渋面を作る。まぁ、想定の範囲内だ。身内(連合軍兵士)に「日本軍に協力しろ」と言うのはそりゃ、憚られる。下手をすると後ろから(銃はないが)撃たれるパターンだ。
「誓約を拒否する連中のことまでは責任が持てん。捕虜になったとは言え、我々の戦意は衰えてはいない」
知ってる。だから「返品」したい。可能であるならば、彼らが再び前線に出てこないようにして。私は意図的に笑顔で応じた。
「そりゃ、仕方がないですね。その場合は「彼は意気軒昂な歴戦の勇士である。彼を捕虜とするのはサムライのプライドが許さない。解放するので最前線で我々と再び相まみえることができるよう切に配慮願う。我々はいつでもここ(ポートモレスビー)で待っている」と添え書きします。何せ「そんな連中に」食わせる糧食はないので、さっさと開放します。ああ、そういう勇者(兵員)の名簿を頂きたいので是非よろしくお願いします」
彼の渋面が(なぜかわからないが)恐怖の表情に変わった。
「メイジャーオートモ。私はとてつもなく貴方が怖くなってきた。オーケイ。一時の蛮勇は人生をも滅ぼす。添え書きをしなくても済むよう努力することを約束しよう」
捕虜解放の決定は、世界中の在外公館やトーキョーローズ(笑)を経由し、全世界に報道された。普通ではあまりあり得ないことらしい。恐らく、軍令部、大本営、外務省が頑張ったのだろう。
交戦中であるにも関わらず人道的(人道的なら戦争なんぞしないと思うんだが)な措置を採った大日本帝国皇帝の行為は連合国、枢軸国の戦争遂行者達に微妙な衝撃を与えた。
珊瑚海を挟んだ真向かいのオーストラリアは、嫌々ながら「大日本帝国皇帝陛下の寛大な措置に感謝する」とのコメントを出さざるを得なくなり、「日本は立憲君主国ではなく、専制君主国家だった」との(良い意味での)間違った認識を全世界に植え付けた。
枢軸国のイタリアは「愚か者の行為だ」と味方であるにも関わらずその決定を非難。ドイツも表現を多少押さえて「日本の行為には理解しがたいものがある」との声明を出した。大日本帝国軍(実は前線の一補給部隊)の行為は多大な驚きをもって受け止められたのだ。
振り返って、日本国内では一部の連中が「気にくわない」と、抗議行動を取ろうとしたのだが、大元帥陛下自らが、
「ニューギニア(の陸海軍)はよくやってくれている。生国は異なろうとも人の命は等しく重い」
とのお言葉を発せられ、これを侍従が意図的に主要新聞に流したため、立ち消えになった。そればかりか、ニューギニア戦線の兵士達は「サムライ」「武士道の具現者」などと理解に苦しむ評価を受けることになり、その行為が他の戦線にも波及するようになった。誰しも「エエ格好」はしたいのだ。
捕虜返還のため、ニューギニア各地と珊瑚海は一時的に休戦状態になる。
オーストラリア本土からの攻撃が期間限定とはいえ、戦闘が中止されたため上陸戦部隊は軍事施設の復旧や、密林の中に残された連合軍兵士への降伏勧告、放置、廃棄された武器弾薬、機械類の回収にいそしむことになる。
連合艦隊戦艦部隊の過剰な砲撃で回収可能な資材はそれほど多くはないと思われたのだが、戦車の残骸からは航空機エンジンや主砲、機関銃が、航空機の残骸ははプラグやコード、ピストンリングなどの細々した部品が回収される。エンジンオイルなども漏斗でちまちま回収するという細かさだ。
「捨てればゴミ。使えば資源。日本製部品はゴミ以下」
「戦場にはお宝が埋まっている」
と言うのはこの回収作戦に遙かラバウルから参戦した航空機整備班長の言葉だ。
捕虜返還に先だって、ポートモレスビー守備隊の米豪のトップには陛下より感状が送られた。(陸海軍と外務省の陰謀だろう。実にエゲツない奴らだ)これにより(元)ポートモレスビー守備隊兵士達は、一介の捕虜から「取り扱い注意」の外交案件に格上げされてしまう。ここらへんも停戦工作に大きく寄与することを期待しての外務省の策だろう。
ポートモレスビー守備隊の米豪のトップは、連戦連敗を隠匿するため「皇帝と交渉して自由を勝ち取った英雄」と評価されることになった。
中立性を保つため、無線電話でやりとりされた捕虜引き渡し交渉の結果、引き渡し場所に決定されたケアンズは、引き渡し日の前から帰還する捕虜を出迎える家族と連合国および中立国の関係者、新聞記者とで大混雑となった。もちろん、
「Kill JAP! Kill JAP!」
と騒ぐ一部の過激なオーストラリア市民もいたが、「状況によっては捕虜引き渡しを中止する」と事前に伝えてあったため、そのような輩は警官やMP。何よりも帰還を心待ちにする捕虜の身内にボコボコにされた。
巡洋艦をはじめとするオーストラリア海軍艦艇(米海軍は参加をオーストラリアに拒否された。日頃の行いが悪かったのだろう)と帝国海軍駆逐艦二隻に護衛された「土佐丸」はケアンズに接近。「接岸は危険。反対分子を完全に排除できない」とのオーストラリア側からの申し入れにより、ウェルドックから別製運荷艇で海岸に上陸する。
海面を舐めるように走り、水煙と砂煙を巻き上げながら陸上に乗り上げる運荷艇に、オーストラリア市民は度肝を抜かれた。
尚、捕虜の引き渡しを行った際、オーストラリア側から「持っていけ」と、大量の缶詰と嗜好品を押しつけられた。「食料が足りない」と言ったので、それに対する彼らなりの配慮、または意趣返しだろう。ありがたく頂いてニューギニアの各方面に分配したのだが「ニューギニア主計本部には連合国から分捕った物資が大量にデポされているらしい」という噂が広まり、主計本部がしばらくの間、各方面からの「呉呉電文」に悩まされることになったのは別の話だ。
上層部が懸念していた捕虜の再度の前線配置は、外交上悪手だと判断され、オーストラリア兵の多くは叙勲、昇格の上、名誉除隊、また後方勤務に就くことになった。
(日本軍の猛攻に晒された兵士の決して少なくはない数が、PTSDを発症しており、重傷者は軍務、それも最前線への復帰は望めない状態だった。彼らには十分な治療が必要だったのだ)
米軍は、早速オーストラリアに引き渡された自軍の捕虜を引き取ろうとした。工業製品は莫大な国力で大量生産可能だが、それを扱う兵士の数は有限だ。すぐにも別の戦場に投入したい。何せ米軍の戦場は太平洋だけではない。
しかし、これをオーストラリア政府は拒否した。アメリカ政府は日本皇帝との誓約を履行しないのではと疑ったのだ。
自国兵士の引き渡しを迫る米軍に対し、オーストラリア政府は「休養およびポートモレスビーへの再侵攻に備えた編成」を行うため、米軍捕虜をオーストラリア国内の軍隊保養所、あるいは政府が借り上げたリゾート地で「保養(実は隔離)」させることにした。彼らの大半は、ここで「決して悪くはないリゾートライフ」を終戦まで送ることとなる。当然、「前線に戻せ」と叫ぶ血気盛んな兵も一定数いたのだが、リゾート地での生活は彼らから覇気を吸い上げていった。人間、誰しも立場よりも現実を愛するものなのだ。
オーストラリア政府の対応により、米軍は即戦力の確保に失敗。ソロモン、珊瑚海での海軍戦力の喪失もあり、深刻な人員不足に陥り少ないパイを太平洋とヨーロッパで取り合う状況になった。
太平洋方面利権の旗手であり、強大な発言力をもつマッカーサーと、打倒土佐丸をスローガンに掲げる「ハルゼー基金」はその持てる政治力を駆使して太平洋戦線の維持に成功するが、それはヨーロッパ戦線への戦力投入の減少を意味し、イタリア、ドイツの攻勢を強めることにしかならなかった。




