ポートモレスビー攻略戦(12)
ニューギニア戦線最大の攻略目標で、最大の激戦となるであろうポートモレスビー。攻略の難関の1つだった連合軍戦闘艦艇の綺麗どころは、あらかたソロモン、珊瑚海の魚礁になった。加えて、モレスビー攻略の障害となる連合軍の「秘密基地」ラビは、連合艦隊戦艦部隊の艦砲射撃で更地と化している。
皇軍の進撃を阻む者はモレスビーとオーストラリア大陸に展開する航空機だけとなった。
しかしながら、オーストラリア大陸からの距離は500Kmを軽く越える。通常の戦闘機では、モレスビー方面に出撃すると、帰りはモレスビーに降りるか、珊瑚海での海水浴の二択となる。残念ながら、珊瑚海の鮫は海水浴をする兵士に対し甘くはないらしい。
このため、オーストラリア本土からの支援は戦闘行動半径の大きい爆撃機と一部の機体に限られる。その中でも双発のP-38は最大の脅威と考えられているB-17を護衛できる機体ではあるが、この時期、P-38の優位性を活かした空戦テンプレートは作成されていなかった。相手が悪い。歴戦の帝国陸海軍航空隊である。戦訓は得られない。何せ
「(零戦との)1対1での格闘戦は避けろ」
と言われるくらい分の悪い相手だ。
ニューギニア各地の基地航空機隊の零戦、一式戦だけでも大変な相手であるのに、これに加え米海軍将兵からは悪魔の如く恐れられるソロモン(あるいは珊瑚海)に展開していると言われている「ナグモ・タスクフォース」の脅威も無視できない。こうなると航空戦力の優位性も怪しいものだ。
ポートモレスビー攻略戦に際し、日本軍は、陸海軍に外務省まで加わった一大戦力の投入を行っており、特に陸上戦力の補完、補充、援軍のために内地から、「春日丸」「神州丸」を兵と共に派遣している。
あまり目立たないが、揚陸作戦用の艦艇である「土佐丸」もこれに加わり、その上空はニューギニア各地の戦闘機部隊が常時護衛に付いている。また、完全に制海権を得た珊瑚海には海軍の潜水艦部隊が展開。それを睥睨するかのようにソロモン海には最強の戦艦部隊、連合艦隊第一艦隊が位置している。
下手にちょっかいを出したら大火傷どころではない。
連合軍は気がつかないが、これに加え、内陸部のココダにはニューギニア各地から集められた歩兵が終結を終えていたのだ。
しかし、帝国陸海軍は目標であるポートモレスビーへの攻撃を未だ行わない。なぜか?
彼らは待っていたのだ。ポートモレスビー攻略戦開始の号砲を…
ポートモレスビー陥落は珊瑚海からアラフラ海を経てベンガル湾に至る太平洋経由での補給線の消滅を意味する。反攻を計画している連合軍にとって大打撃だ。
しかし、連合軍の動きは鈍い。太平洋、大西洋の両面で作戦を展開している米国では、陸海軍、統合参謀本部などの主要指揮官の間の意見の違いやヨーロッパ戦線、大統領選挙への影響、蒋介石支援のための大陸への兵力展開など、大局的な反攻は未だ決定されず場当たり的な対応しかなされれなかった。これではニューギニアの最前線で戦っている、いや、無為に前線に送り込まれ葬送航路に散った兵士達にとってはたまったものではない。
かといって、日本軍の台所事情も芳しくはない。連合軍が防衛に成功すれば、日本軍のニューギニア戦線の補給維持は難しくなる。必死に隠蔽はしているものの、既に限界に近い物資、人員の投入を行っている。ここで敗退すれば敗戦まっしぐらだ。
ポートモレスビー攻略の成功は日本軍にとって、(戦争に)負けないための最低条件。それを信じて帝国陸海軍はありとあらゆる手段を講じてここに「信じられないほど」の戦力と資材の投入を行っていたのだ。
「(可能な限り)万全の体制で戦闘に及ぶ」
日本軍、連合国軍ともこの一戦が戦局の分水嶺になると認識しているため、積極的な行動を起こさず、攻撃(防衛)の準備を様々な嫌がらせの元で実施しているといった状態が続いていた。
現在日本軍は陸海軍と外務省がニューギニア戦線へ全力以上戦力の投入を行っている。何せ後がない。必勝しか選択肢がない。
連合軍側のポートモレスビー防衛の指針は単純明快。航空戦力で防御戦を行い、上陸戦力を内陸に引き込み徹底抗戦を行う。これに尽きる。
そのため、多大な犠牲を払いながらポートモレスビーに物資・兵員の補給を敢行、有力な対抗手段である航空機の運用を最大効率で行うため、飛行場の拡張、臨時滑走路の新設まで行っていた。
この戦法はモレスビーの戦力をすり潰す事になるが、敵の攻略部隊もモレスビー近海30Km圏内に近づくことができなければその優位を発揮することはできない。(戦艦の主砲は30km~40kmまでしか届かない)
敵戦力を削ることができれば、モレスビーの陸上及び航空戦力とオーストラリア本土の爆撃機で上陸部隊に痛撃を喰らわせることができる。物量で対抗。これにつきる。
地球よりも重い(らしい)人命を単なる数字に換算している。わかりやすく例えるならば、日本陸軍の「兵隊の命は一銭五厘」を連合軍兵士に強いている。
通常であれば「傷を負わせただけで懲役」な人命を、戦争中は「たくさんさつがいしたらえいゆうだ」と真逆の価値観を負わせている。
彼らの言う、「人道的見地」はどうやら白色人種にのみ適用されるようだ。少なくともそう考えている感がある。しかし、これも、ポートモレスビーで「至死」の抵抗を行う羽目になったオーストラリア軍兵士や、「葬送航路」に散った輸送船の船員には適用されない。
ラビ陥落の教訓(戦艦部隊による艦砲射撃)を踏まえ、ポートモレスビーでは滑走路を道路に偽装するなどという努力も払われている。
このような努力で、道路工事を装って造成された、あるいは造成中の滑走路だが、地形の関係から細い曲線で構成されているポートモレスビーの道路の中にいきなり幅広の直線路が造成される訳で、これを「道路」だと言い張る方が無理がある。気がつかない方が馬鹿だ。「努力」というものの大半は報われることがない。やってる方も「やらないよりかはマシ」程度なのだろう。
しかしながら、彼ら(連合軍)の努力により、偵察機の単独強行偵察は危険になってきた。まだ、速度的には偵察機(新司偵)に有利だが、さすがに複数機で迎撃されると危険だ。 新司偵に帯同できる高速戦闘機は、ニューギニアには足の短い二式戦しかなく、それも配備が進んでいない。戦場はニューギニアだけではない。このため、ニューギニア各地の戦闘機部隊がポートモレスビー近辺への攻撃(銃撃)任務を与えられていた。偵察の陽動任務。囮だ。
強攻策はパイロットの消耗を強いるものであり上策ではない。実施にあたり、あちこちから不満が噴出すると司令部(ニューギニア主計本部)は予想したのだが、意外にも戦闘機乗りからの文句は少なかった。曰く、
「撃墜数を稼ぐ絶好の機会だ」
ラビで「発掘・調達」された米国製部品のおかげで機体の調子は上々。これに加え任務に「危険手当(現物)」として支給された各種嗜好品及び食料が功を奏した。戦後に出版された海軍ラバウル航空隊飛行下士官の戦争録に、
「空戦は行わず、地上に、それも応戦されそうな場所を上手に避けて適当に銃撃やるだけでいい。手当とは別に洋モクやら酒が現物支給されるのは大変ありがたかった。ジャク(若手)は羨ましそうに見ていたが、「お前等には無理だ。しっかり留守番してろ」と言って出撃した。囮任務はベテランの証し。実に気分のいい、美味しい任務だった」
と記されている。この時期の連合軍と帝国陸海軍航空隊のパイロットの技量は隔絶していた模様だ。実際、ポートモレスビー上空で偶然居合わせた一式戦闘機と零式戦闘機が、即興で編隊を組んでモレスビー基地上空で編隊宙返りを敢行しても、反撃も、銃撃すらされなかったとの記録まである。
この様な挑発行為はたびたび行われた。連合軍側は来る決戦に備え機体の損害を少しでも減らすべく「上空待避」を厳命するのだが、血の気の多いパイロット(特に飛行経験の少ない若年パイロットにその傾向が強かった)が果敢に立ち向かい、そのの数を減らすことになった。
人命 > 航空機
と、極めて普通の感覚を持っていた連合軍は人的損耗を防ぐため、機体の地上撃破には目をつむって若いパイロットを地上待機させたのだが、これを良しと思わないヒヨッコは、ムキになって出撃しようとした。これに対し、
「(被弾して)俺達の仕事を増やすな!(撃墜されて)俺達の仕事を減らすな!」
とスパナの一撃でパイロットを(物理的)に黙らせる整備員もいた。この頃のポートモレスビーの航空兵力は、「量的には有力だが、質的には全く期待できない」と身内に評価されるようなものだったからだ。
だが、物量は正義だ。近代戦はいかに無駄弾を撃つかで勝敗が決定するとまで言われている。そのため、海を挟んだオーストラリアのクックタウンには最新の航空機が大量に準備されていた。これをモレスビーまで無事に運搬できるかが大きな問題だったが。
海路は既に「葬送航路」と呼ばれている。ここを輸送船で征くのは自殺行為だ。
かくして、パイロットと機体の補充を兼ねて、新米パイロットをモレスビーやクックタウンのベテランパイロットが護衛して戦力増強を図っているのだが、百戦錬磨の日本軍パイロットにとって、輸送途中の「アタリ」が出ていない半製品の戦闘機と、「とりあえず、まっすぐ飛ばせる事ができる」レベルのパイロットとの組み合わせはカモ以外の何者でもなかった。
新米パイロット(カモ)の護衛で十分な機動のとれないベテランパイロットも、オプションのネギ扱いになる。この状況下での連合軍の被害は推して知るべしだ。だが、戦争は待ってくれない。
ベテランの機体だけでも何とかしたい。仕方なくモレスビーからパイロットごと本土まで飛行。本土で新鋭機受領と機種転換訓練(という名前の遊覧飛行レベルの訓練)を行った後、日本軍の戦闘機が待ち受けるモレスビーまで突っ込むという策が採られた。
勿論、モレスビーから本土への飛行中や、本土からモレスビーまでの飛行中に少なくはないベテランパイロットが珊瑚海に消えている。うん、ジリ貧だ。
それでも、それでも、ポートモレスビーを防衛しなければならない。
途絶え気味な(空路での)補給と、日本軍の戦闘機による挑発飛行、「ニューギニア放送組合(NHK)」を名乗るオーストラリア向けの謀略放送により、ポートモレスビーの兵士達のモチベーションはダダ下がりの状態だった。
ラビ陥落(消滅)から3週間。膠着状態だったニューギニア戦線が動く。ニューギニア各所に置かれた連合軍コーストウォッチャーからの緊急電。
「ラエの日本海軍戦艦部隊が動いた」
である。これは攻勢開始でしかない。連合軍もニューギニア方面へ全戦力の即時対応を行おうとしたのだが、ここでも問題が発生していた。太平洋最強を誇る連合艦隊機動部隊に対抗する米海軍機動部隊がその動きを封じられていたのだ。
米海軍は虎の子の空母を温存し、消耗した母艦搭乗員を補充、その慣熟訓練のためオーストラリア本土ではなくヌーメアに機動部隊を駐留させていた。
オーストラリア本土の駐留は、北太平洋方面への緊急時展開が難しくなると言う理由で行われなかった。これにより、日本軍の攻勢に抑止力となる航空兵力が削がれることとなる。
戦場に一番近い場所に駐留するのは基本だが、日本機動部隊によるオーストラリア本土の空襲と謀略放送でオーストラリアの世論は避戦に傾きかけており、そんな中、明確な敵対を意味する(同盟国ではあるが)米海軍の主力艦艇がオーストラリア本土に駐留するのは避けたいというオーストラリア政府の意向もあった。
この時点では足並みが揃っている日本軍と、反攻の準備が完了せず、足並みが乱れ始めていた連合軍との戦力は五分五分であった。
戦艦部隊の行動開始と各地の基地からのポートモレスビーへの空襲の状況から日本軍の攻撃パターンはほぼ予想がつく。
払暁もしくは夜間に航空兵力が出撃
滑走路及び航空兵力を無効化
戦艦部隊による艦砲射撃
上陸戦
絵に描いた教科書どおりの作戦だ。いや、これ以外は考えられない。留意するとすれば、航空戦力の夜間出撃だが、こちらはレーダーとインターセプターを常時待機させれば問題はない(パイロットの技量にいささか怪しいところはあるが)
攻撃3倍の法則というのがある。つまり、一気に3倍の兵力を投入できなければ日本軍の勝利はない。そして3倍の兵力を投入しようとするとどうしてもポートモレスビーに接岸する必要がある。それには連合軍の空からの攻撃を排除しなければならない。つまり、日本軍が動いた時点で連合軍の負けはなくなった。
そう考えていたのだ。
敵上陸部隊がラビ沖を通過したとの連絡に、ポートモレスビー基地は夜を徹して出撃準備が行われていた。警戒すべきは敵航空部隊の攻撃と、戦艦部隊の艦砲射撃だが航空機の姿はない。日本軍は(連合軍もだが)夜間に作戦行動ができる機体を保有していないのだ。問題は戦艦部隊だが、ニューギニア島の各地に敵の掃討と飢えに耐えながら潜む友軍偵察部隊からの連絡により、ほぼその行動が判明している。
上陸部隊を伴っているらしく、その速度はラビを廃墟に変えた時ほど速くはない。
連合軍側にできるのは、1秒でも速く攻撃隊を離陸させ、敵の上陸船団を攻撃してその数を減らすことしかない。幸い、ラビの様に敵の盾になる山脈はない。敵航空機が決死の覚悟で夜間攻撃を行ってくる可能性もあるが、地の利はこちらにある。敵航空隊の夜間攻撃も考えられるが、連合国側も決死の覚悟で戦闘機を上空に上げ、制空権を確保しつつある。
ラビの戦訓に倣い、極力照明を落とした滑走路上で日本軍の上陸部隊に痛撃を与えるべく全力で出撃準備を行っている連合軍兵士達の表情は明るかった。
必ず勝てると考えているからではない、数週間の閉塞感が戦闘という物騒な理由で払拭されたからである。
「ジャップめ!目にもの見せてやる!」
日本軍、特に帝国陸軍が彼らと同じ事を考えていたと気がついたのは真夜中のポートモレスビーの滑走路が炎に包まれた時であった。
大幅改訂、大幅加筆。




