ポートモレスビー攻略戦(11)
「手詰まりだ」
ポートモレスビーの海路及び空路からの攻略に避けて通れない戦略上の要所、ラビ。
戦艦による山脈越しの艦砲射撃という奇策を用い、ほぼ無傷でこれを攻略(というか完全破壊である)した帝国陸海軍は、本命のポートモレスビー攻略に二の足を踏んでいた。
ラビ攻略の損害は軽微であり、またオーストラリア本土からの補給は第一航空艦隊によるケアンズ空襲により一時的ではあるが途絶えたままである。また、辻参謀が強引に進めているスタンレー山脈越えの進撃路はナウロから小規模な戦闘を繰り返しながらイオリバイアを抜け山岳地帯終点のウベリ近郊のカギまで延長済みで、ここに重砲の運び込みが行われている。どう考えてもポートモレスビー攻略の好機なのだが、陸海軍はそれをしなかった。いや、できなかった。
ソロモン乱戦、ラビ攻略、ケアンズ空襲と少ない損害で大戦果をあげた海軍と、劇的な補給改善で人的資源の損耗が押さえられつつある陸軍はポートモレスビー攻略での連合軍との大規模な交戦での自軍の損害を恐れだしたのだ。
「勝って兜の緒を締めよ」帝国軍は次戦での自軍の消耗を予想し、表向きは慎重に(裏向きには臆病に)なっていたのだ。
特に直接戦闘を担う陸軍においてはその傾向が顕著で「あの」辻参謀ですら「十分な戦力が海側と山側に揃わなければモレスビー攻略は行うべきではない」と発言している。
圧倒的な数の敵軍に突っ込んでゆくほど間抜けではない。というか、連戦連勝の帝国陸軍の記録を自分の所で止めたくないと言うのが本当のところであろう。
「勝って兜の緒を締めよ」は慢心を戒める諺だが、この場合は消極性を取り繕う詭弁であろう。まぁ、陸軍においてはそうではないかも知れない。何せポートモレスビー攻略部隊は依然として密林の中。「勝って兜の緒を締めよ」は英語で「Don't halloo till you are out of the wood.(森から抜けきるまでは歓声を上げるな) 」と言われているからだ。
ともかく、慎重路線に舵を切った帝国陸海軍はポートモレスビー攻略開始を
・カギへの重砲陣地整備後
・第一航空艦隊の航空兵の休養、整備完了後
と定め、その間は攻勢を行わず、ひたすら戦力の回復に努めることを申し合わせる。
ここで、陸海軍(当然、陸軍が多い)の輸送船団が活躍しはじめる。ソロモン及び珊瑚海からは連合国の潜水艦隊は軒並み駆逐されていたからである。
十分とはとても言えないが、後方からの補給があるのはありがたい。「ある」というだけで心構えから異なるからである。
まぁ、積極的な攻勢を行わない「だけ」であり、防衛戦闘や補給を中止するというわけではない。事実、ニューギニア戦線主計部は「死んだ方がマシ」なレベルでの補給業務に邁進しているのだ。
しかし、この空白期間に敵が動かないという保障はない。何せ「おやすみ」は帝国の都合であり、それを連合国側に了承して貰うのは虫が良すぎる。
連合国側、それもこの方面の陸上戦力主力たるオーストラリア軍に「おやすみ」を強要する方法はないか?帝国陸海軍はこの難題をニューギニア戦線主計部に丸投げする。表向きは「前線の将官では思いつかないような妙手を常に立案するニューギニア戦線主計部に期待して」であるが、「帝国陸海軍の上級将官では何も思いつかないからヨロシク!」である。
この無茶振りにニューギニア戦線主計部が出した回答は「捕虜の引き渡し」であった。
帝国陸軍南海支隊(堀井富太郎少将)名でオーストラリア軍に対し、
「帝国陸軍は、ラビ攻略時に捕虜となったオーストラリア兵の引き渡しを行う用意がある。条件は、引き渡した捕虜を再び最前線に送らないこと、引き渡しまでの一切の攻勢を中止すること。この2点のみである。尚、捕虜引き渡しは帝国陸軍南海支隊主導で行う」
と、捕虜引き渡しを提案したのだ。
通常であれば虫が良すぎてガン無視されるような提案だが、南海支隊(隷下にニューギニア戦線主計部)のエゲツないところは、通常ルート(いわゆる軍使を経由した通達)以外に、これを音声でオーストラリア国民向けに放送したことである。
ラジオ・トウキョウの上を行くニューギニア戦線主計本部の謀略放送である。
オーストラリアの民間人をターゲットにする放送であるため、聴取させることが第一である。そのため、民間ラジオ局が使用する中波帯で放送を行わざるを得ず、自然、電波の到達範囲はオーストラリア北部に限定された。それでも、電波到達範囲(=聴取範囲)を少しでも伸ばすべく、ニューギニア戦線主計本部はこの放送を珊瑚海上空を飛行する輸送機上に仮設されたラジオ放送局から行うという冒険に出た。
「葬送航路」での大量の人的資産の消耗、ケアンズ空襲による本土攻撃の危険性。厭戦気分が盛り上がっていたオーストラリアはこの虫の良すぎる提案を無視することができなかった。
戦死したと通知されていた息子(あるいは夫)の無事を交戦国側の放送で確認できたのだ。オーストラリア国内のいわゆる「銃後」の市民はこれに敏感に反応する。
これに対しオーストラリア放送協会が反応は日本軍の放送を「ラビに日本軍が放送する兵士は存在しない。これは(日本軍の)謀略放送である」とのキャンペーンを張ろうとしたのだが、オーストラリア放送協会の反論に対し、翌日にはその兵士の名前が訂正されて放送された。
「昨日放送された○○軍曹は、自称、○○とのことです。帝国陸軍は本人の意志を尊重し、捕虜尋問の際に申告した氏名を先日放送しましたが、今回は独自の手段で入手した本名と思われる名前も併せて放送しています」
この放送に対し、日本軍の謀略放送のソースは正しいのではないかとも思われてくる。同時に「姓名、所属を偽ることは捕虜にはよくある。問題はいかにして本名を聞き出したのか?」という疑問も出てくる。大半のオーストラリア人はこれを拷問によるものと解釈。一刻も早い兵士の引き渡しを望むようにと政府に圧力をかけ始めた。
実際のところは、
「アンタの無事を母国に放送してやる。でだ。我々に申告した名前「以外」の「通称」があるのならそっちも教えて欲しい」
と通称(=本名)を聞き出しただけなのだが…。
窓口がそれぞれの現場であるため「現場の判断」で早期に捕虜引き渡しが完了すると思われたのだが、これに双方の政府が介入したため話がややこしくなっってきた。(帝国陸軍の場合は「捕虜に喰わせる牛肉を何とかしろ!ニューギニアにはヤツらに喰わせる牛肉はない!」との一言で文句は出なかったのだが)オーストラリアの場合は同盟国や、今や風前の灯火となっている宗主国との関係がある。ニューギニア戦線主計本部の見積もりでは「せいぜい5日」と考えていた時間稼ぎが10日間にも及ぶことになった。その間、オーストラリア軍は独断で攻勢を中止しており一触即発のはずであるニューギニア戦線に奇妙な「休日」が発生した。
この10日間を双方とも攻勢(あるいは守備)の準備に費やしていたのだが、補給が途絶え気味のオーストラリアと、潤沢とまでは言わないが十分なレベルの補給が受けられる帝国陸軍とではどちらに利があったかは明確だった。
結局、オーストラリア政府は捕虜引き渡しを拒否したのだが、ここで帝国陸軍は思いもよらない行動に出た。ケアンズに白旗を掲げた輸送船を派遣し、一方的に捕虜を引き渡したのだ。
「帝国陸軍は連合国の同意如何を問わず捕虜の本国への送還を行う。彼らは勇敢に戦った勇士であり、オーストラリアの宝であり、オーストラリアの未来を担う重要な資産である。彼らに勇者に値する扱いを、また、勇者を再び戦場に送ることことのないよう希望する」
との堀井少将のメッセージはオーストラリアに大きな衝撃を与えた。
また、この捕虜送還の一連の出来事はラジオ・トウキョウから連合国に向け放送されこれを聴取した最前線、特に次回の日本軍の侵攻先大本命であるポートモレスビー守備隊に動揺を与えることになる。
かくして、十分な攻勢準備の時間を確保した帝国陸海軍は米豪遮断の決定打となるポートモレスビー攻略に全力で乗り出すのだった。
どうも、ご無沙汰しております。本業からの逃避で投稿しております。




