ポートモレスビー攻略戦(10)
ケアンズへの空襲は連合軍の想像の外側であったようだ。が、言い訳がましいが、連合軍にも理由はあった。
開戦劈頭、連合軍は日本軍の米濠補給線分断を予想。サモア、ニューカレドニア方面に「それなりの戦力」を配置し警戒をしていたのだが、肝心の日本軍はオーストラリア大陸東岸から北アメリカ方面を結ぶ方面への侵攻をなぜか行わなかったからである。
(実際は、帝国陸海軍が共闘を推し進めたため、海軍の主張する戦域が拡大されなかっただけである)
その代わり、ニューギニア方面では日本軍の猛攻が続いており、米濠陸海軍は消耗した戦力の補完のため当初配置されていた「それなりの戦力」をニューカレドニア方面から抽出したのだ。この結果、サモア、ニューカレドニア方面の戦力は帳簿上ではまさに「それなり」なのだが、実際は旧式の機材と練度不足の兵隊とで構成されており、戦力として全くアテにならない状況になっていた。(彼らの守備範囲限界のツラギ方面で旧式戦艦2隻に好きなようにされていたので、その実力は容易に想像できる)
もちろん連合軍もジリ貧なままではない。米本土から大量の資機材を補給拠点のケアンズに集積し、来る反攻に備えて準備を進めていた。
オーストラリア東海岸のケアンズは珊瑚海で前線と隔離されており、日本軍の直接の攻撃範囲にはない。目の前に続々と集まる大量の物資に「ここは後方だ」と思い込んでしまったのも仕方がなかろう。
この状況に慣れてしまっていた連合軍は、突然の日本軍。それも世界最大最強(米軍の空母は軒並み海の底である)の第一航空艦隊の攻撃になすすべもなかった。
「ラビ壊滅(陥落ではない)」
「ケアンズ空襲」
この報告は連合軍の将兵及びワシントンに十二分以上の衝撃を与えたのだ。
ワシントンは脊髄反射的に反撃を指示するが、米海軍機動部隊の主力はことごとく魚礁と化し、「空母遣い」ハルゼー少将をはじめとする優秀な将官はアーリントン墓地の住人になっている。現在も住人は増加傾向だ。
前線の将兵は人数こそ増強されてはいるものの、質の低下は無視できない。近代戦は体力、精神力だけで行うものではない。(例外はある。残念なことに日本陸軍である)
これに加え、味方であるはずの本土は、(政治的な意図、いわゆるスケープゴートとして)立て続けにキング長官、ニミッツ長官を解任するという暴挙に出ており、これにより太平洋艦隊司令部は弱体化した。これは相対的に大西洋艦隊との綱引きにも影響する。
手持ちの駒の不足に悩む太平洋艦隊は、戦線のテコ入れに大西洋艦隊の護衛空母群の派遣を上申しているのだが、これはことごとく拒否されている。何せ、嫌々太平洋に派遣した虎の子空母「レンジャー」が速攻で太平洋の魚礁になり、護衛空母「ロングアイランド」が(こともあろうに)旧式戦艦部隊との交戦に敗北。鹵獲されたからだ。
大西洋艦隊も、ドイツ海軍に対応するための戦力は必要だ。大西洋はニューヨーク、ワシントン、そしてヨーロッパにも面しているのだ。
その頃、(米海軍から見た)諸悪の根源であるワシントンは、ケアンズ攻撃、ラビ壊滅なぞ問題外のレベルの混乱が勃発していた。
武器なき戦争。「政争」である。
大統領の戦争遂行に不満を持つ者達が非公開とされたハルノートの内容(真意)と、ルーズベルト大統領、ハル国務長官の戦争開始に至る陰謀。すなわち、ルーズベルトは日本軍の真珠湾攻撃についての情報を前もって入手しており、アメリカが第二次世界大戦に参戦する理由づけとしてそれを看過した」という噂をリークしたのだ。
(これには、元米海軍太平洋艦隊司令部と、当時米国とヨーロッパに構築されたスパイ網「東機関」の暗躍があったと言われている)
この情報に、共和党の元大統領候補、ウェンデル・ウィルキー、アルフ・ランドンらが反応。対話による太平洋戦線の早期終戦を掲げ、ルーズベルトに反旗を翻す。
彼らの行動に元ニューヨーク州検事、ニューヨーク知事のトマス・デューイが呼応、
「誰が若者を無意味な戦場に送っているのか?」
と、徹底追求を求め行動を開始した。
これに対し、ルーズベルトは彼らを利敵行為だと激しく非難。その活動を停止させるためFBIとOSSに世論誘導と彼らの失脚工作を命じた。が、負けっ放しの戦争遂行状態による先行き不安に加え人格的に高い評価を受けていたウィルキー、ランドンと、公明正大と評価されていた検事時代のデューイに心酔するニューヨーク市警、検察は、FBIからの命令を間接的に妨害しはじめる。
FBIも一枚岩ではない。ルーズベルトに良い印象を持っていない捜査員による「被疑者リストの紛失」などが頻発。政敵の排除はスムーズにはゆかなかった。
加えて、世論工作(新聞社への圧力)には新聞社、あるいは新聞記者が「取材メモのうっかり放置」「差し替えミスによる誤った記事の発行」「一方的な間違い電話」などの法律抵触ギリギリの手段で対抗。合衆国は表面上盤石なルーズベルト支持(=戦争遂行支持)なのだが、その実反戦という奇妙な状態「radish public opinion※」になっていった。
「早期の戦争終結」は支持政党の如何を問わず、米国国民の総意となりつつあったのだ。
しかしながら、表面上、彼らはルーズベルトを支持してたし、反ルーズベルト派も言論統制下であるため、おおっぴらに反戦なぞ唱えることができない。
要するに
「自分たちを支持している人間の数が判らない」
「自分達と同じ考えを持つ者がどれだけいるか判らない」
状態だ。
自らの支持層が掴めないまま政争に突入したため、「広いリング内に、目隠しをしたま放置されている」状況で、お互い、相手を恐れて逃げる事を優先している状況だった。
この状況は兵隊を動かす(=兵士を戦場に送る)陸海軍の作戦遂行、特に太平洋地域の作戦計画に即座に反映された。政府は有権者におもねる様になり、政治介入で消極的な作戦が更に消極的になってしまっている。
通常であれば現場から激しい反対が起きるのだが、開戦劈頭、全くの政治的な意図で解任された「骨のある」将官連中を欠いた米陸海軍には、ホワイトハウス(ワシントン)の決定に抗命する気概すらなかった。
連戦連敗の太平洋戦線と世論の反戦への転向でルーズベルトは心労が更に重なる。持病である高血圧は既に危険水域に達しており、副大統領のウォレスが執務を代行するようになっている。(当時、高血圧の治療法はまだ確立されていなかったのだ)
大統領の健康状態は政敵である共和党、与党である民主党からも新聞社意図的にリークされルーズベルト支持基盤のさらなる弱体化に繋がっていた。
また、彼がひた隠しにしていたポリオ罹患による下半身麻痺が暴露され、「半病人に戦時対応が可能なのか」と揶揄されたのもこの頃である。今日であれば、関連団体から抗議が殺到する報道であったが、現在と異なり身体障害者に対する風当たりは、自由・平等を掲げる米国においても強く、大統領の支持率低下は更に加速する。
連戦連敗の不景気な報道は当局から意図的に掲載禁止となっているため、ネタがない新聞社は、意図的に(健康に、あるいは不健康に)撮影された大統領の顔写真が新聞の一面を掲載し続けることになる。
新聞記者からルーズベルトに対し、健康を心配する(揶揄する)質問も飛んだのだが。これに「If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.」と当時公開されていた映画の台詞で切り返したものの、彼「hard」でないのは明らかだった。
米国は、日本軍からの攻撃ではなく国内の武器を持たない国民からの攻撃で瓦解しようとしていたのだ。
※radish public opinion(赤かぶ世論)
ルーズベルトが「私は国民とともにある。国民は私とともにある」と発言したことに対し、デューイが「radishの様に表面と中身の色が違うことはよくある。大統領は中身を確認すべきだ」とやり返した。このやりとりから表面的な支持と、実際の支持が異なることがradish public opinionと呼ばれることになった。この発言でデューイが「radish public prosecutor(赤かぶ検事)」と呼ばれるようになったのは別の話である。
どこが「ポートモレスビー攻略戦」やねん!というツッコミはなしです。
短期間決戦となると、敵失を期待するしかありません。




