閑話2 -別府造船装備品開発室物語その-0.25(規格型冷蔵(冷凍)輸送函)-
昭和8年夏
「あぢぃ!ビールくれビール!クルマん中は暑いんだよ」
得意先から帰宅した別府造船グループの総帥来島義男は、玄関をくぐるなり上着とネクタイを汗ばんだ身体から引っぺがす。
日本の夏は暑い。印度人も裸足で逃げ出すほど暑い。気温はアフリカやアラブほどではないのだが、恐らく、湿度が関係しているのだろう。
廊下を歩きながら着衣を脱ぎ散らかした来島社長は腰に手ぬぐいを巻いて庭先に降り、手押しポンプを忙しく上下させて井戸水をブリキのバケツにくみ上げ、頭から一気にかぶる。
「うひゃぁ~。ちべたい!だが、それがいい!」
当初は何事かと周囲の家からの問い合わせがあったが、最近では来島社長の「奇行」は町内レベルで容認されている。これもひとえに彼の細君によるところが大きい。社長とは歳の離れた夫婦であるが、気が合うのだろう。何せ彼女は「あの」金融恐慌を来島社長と2人で乗り切った女傑でもある。
汗を強引に流した来島社長は、浴衣姿で首に最近普及してきたタオルを巻いて濡れ縁に腰を下ろした。程なく細君がビールとつまみを運んでくる。
この時代の人間に言わせれば「リア充!氏ね」なんだろうが、転生者である来島社長にとっては物足りないのだろう。コップのビールを一口含むと、思わず文句が出た。
「ぬるいなぁ~。ビールというとこう、キンキンに冷えて飲んだ瞬間に全身の毛穴が一気に収縮するようなヤツじゃないといかんのだが」
「そうですか?私はよく冷えていると思うのですが。先日買った芝浦電機の冷蔵庫で冷やしてますわよ?それに英国のビールは冷やしてなかったじゃないですか」
「ん~?英国?あいつらドMだ。大英帝国は何でも一流だけど、例外がある。奴らの味覚と料理だ。ありゃ、犬猫以下だ。ひょっとすると食事を修行(苦行)だと考えているかもしれん。うん、なんとかせんとな。よし!明日大神に行く!キンキンに冷えたビールとアイスがバカスカ作れるようにするぞ!」
「アイス?アイスクリイムの事ですか?それはよろしゅうございますわ。頑張ってくださいまし」
細君の激励を受け、かなり不純な理由ではあるが、来島社長は新たな事業のネタを見つけたらしい。電話、電報を駆使して各所に連絡を取る来島の姿は見た目情けないオッサンではあるが、日本の実業界の最前列を走る者からしか発せられない覇気というものが見られた。
うん、理由はかなり不純だ。
-大神 別府造船所 超技術研究所(OTL)
「冷蔵庫と冷凍庫を開発してもらう。業務用、軍用だ。家庭用?どんな未来の話してんだ?庶民に手を出せるまで値段を下げれるとは思わん。量産効果が出てくるのは100万(台)越えてからだと財務部長に言われた。俺もそうだと思う。だがな、業務用なら何とかなる。なじみの店で、真夏にキンキンに冷えたビールをガブガブ飲むことができるようになるぞ?うん。当然一番最初の納品先はここ(別府造船)の社員食堂になるけどな」
来島社長の声に、いつもなら文句を言ってなかなか動かないOTLの連中。特に技術に対して一家言持っている独逸組が目の色を変えた。何せ九州は東京に比べると圧倒的に赤道に近い。絶対に東京より暑いはずなのだ。
「「保温規格型輸送函」に冷却装置を取り付けるのが基本構想だ。函全体が均一に冷えるように工夫が必要だ。露天設置も考慮せにゃならん。規格型貨物船内では外部電力で冷却。それ以外は自己動力で冷却できるよう考えてくれ。寸法は規格型貨物函のサイズと全く同じにすること。それと、冷媒はフレオンを使え。確かどこかが輸入か製造してるはずだ。アンモニアは絶対駄目だぞ!誰も小便くさいビールなんぞ飲みたくないだろ?色合いなんか似てるからな」
こうして完成したのが「別府造船規格型冷蔵(冷凍)輸送函」。ぶっちゃけ、冷蔵(冷凍)コンテナである。
試作機は別府造船の食堂及び社員倶楽部に配置され、厳しい(食堂のおばちゃんによる)運用試験の後、国内外航路の貨物船と小型のものが国鉄に納品された。
国鉄の冷蔵コンテナは、従来不可能だった北海道からの海産物を新鮮なままで帝都へ輸送することを可能にし、蟹、生鮭などの海鮮物を大量に帝都に送り込むことに成功する。
帝都の百貨店では各地からの物産をコンテナごと借り切り「○○大物産展」と称して地方の味覚を都民に紹介。大いに懐を潤すことになった。
これに目を付けたのは東京市。築地に建設中の市場での食品保存用に貸与品と言う形で別府造船より大量の冷蔵、冷凍コンテナを調達。期せずして築地市場は世界最先端を行く食品市場となった。(氷室などを運営する業者からは文句が出たが、フレオン冷凍庫を年賦で貸与することで話し合いが着いた)
当然、別府造船との結びつきが深い陸軍はこれに飛びつく。基地開設時の最重要設備として冷蔵コンテナと冷凍コンテナを配備するよう指示したのだ。
これは、夏期に何度となく行われた別府造船主催の
「お客様感謝夏の集い(来島社長命名)」
で、主要取引先にかこつけて招かれた陸海軍将官と高級将校(=戦時においては最前線の司令官になる)達が「大神ドイツ村」製造のキンキンに冷えたビールとシュナップスの虜になったためだと言われている。人間、胃袋を掴まれたら終わりである。
熱帯での作戦は気力、体力を大いに消耗する。そんな時に冷えた飲み物があれば士気が回復する。また日持ちしない食材も冷蔵、冷凍することで長期間の保存が可能になると考えたらしい(まぁ、そういうことにしておこう)
意外なことに寒冷地の部隊も冷蔵庫を欲しがった。曰く「入れていないと凍る」そうだ。
大戦勃発後は、島嶼部の侵攻に際して上陸部隊(=占領部隊)から「最も重要な設備」として扱われるようになった。
大戦の帰趨を決定づけたニューギニア戦線では、輜重、補給の拠点であるラエに大量の冷蔵(冷凍)輸送函が設置され、小銃と短機関銃(鹵獲品)で武装した憲兵が銀蠅の警戒に当たっていたそうである。
ああ、小数点の向こうにマイナスが付いた。