ポートモレスビー攻略戦(7)
-ハワイ太平洋艦隊司令部-
「グッディナフに上陸だと?冗談を言うな!」
呉第三特別陸戦隊(海軍)、陸軍第十九戦隊がグディナフ島へ上陸を敢行したという報は太平洋艦隊司令部に驚きをもってもたらされた。
グッディナフ島は、ソロモンから珊瑚海に至る回廊にあたる海上戦略上の要所だが、補給が正常化された日本陸海軍のニューギニア各所基地航空隊から、散発的ではあるが執拗な攻撃が行われており、守備側のオーストラリア軍に組織だって反攻するだけの力は残されていない。ソロモンは完全に日本軍の勢力下にあり、グッディナフへの補給は途絶気味である。
要は(日米両軍にとって)「放置可」の場所なのだ。ここに「トサマル」からの上陸部隊が上陸したという情報は「解せない」の一言に尽きる。
この時期、太平洋艦隊司令部の予想した日本軍の攻撃目標は、
・手堅くラビ
・本命でポートモレスビー
・大穴でケアンズ
の3箇所。
補給の問題、制海権・制空権から考えて、ポートモレスビーは「やらなければならない冒険」。ケアンズはオーストラリアの戦意をくじくには有効だろうが、機動部隊の帯同がが必須となる。その機動部隊はトラックから動く気配がない。恐らく再編成中なのだろう。そうなるとミルン湾のラビは本命中の本命だ。
これらを大前提としていた連合軍は、ラビへの補給を多大な被害を受けながらも続行中だったのだ。
その状況下でのグッディナフへの陸上部隊の上陸は、太平洋艦隊司令部、いや合衆国にとっては全く考えられない動きに思えた。
「ヤツら(日本軍)、思いつきで戦争してんじゃないのか?」
意図を掴みかねる侵攻に、思考を放棄してつぶやいた若手参謀の一言が正鵠を射ていたのだが、その言葉を額面どおりに受け取る者は太平洋艦隊司令部には存在しなかった。
日本軍の不可思議な行動に、
「日本軍は堅実にソロモンの完全制圧を目論んでいる」
すなわち、グッディナフ、ファガーソン、ノーマンビーを奪取。ここを足ががりにソロモンの完全制圧を目指していると判断したのだ。
ツラギ近海を遊弋していた戦艦2隻(扶桑、山城)が時期を合わせて移動を始めたことがこの説の有力性を補強することになった。
戦艦によるニューコージア、レンドバ、コロンバンガラへの艦砲射撃もあり得る。何せ、ソロモンは既に日本軍の海なのだから…。
グッディナフに上陸戦隊(居候)を降ろした「土佐丸」はラエに急行。規格型水密貨物函を満載※1。合流した巡洋艦・駆逐艦を伴い、ボルネオに向け全力で航行していた。
山岡製作所※2から軍属(=因果を含めて)扱いで配属されているディーゼルエンジンの専門家の涙なしでは語れない努力の結果、格段に信頼性が向上した12基のエンジンと、常時予備の4基のエンジンまで総動員しての全力航行である。
一分一秒でも早くボルネオ(ブルネイ)へ!そしてラエへ!その想いがあったのか、「土佐丸」を旗艦とする「ボルネオ燃料調達艦隊(仮称)」は海軍艦艇に定められているありとあらゆる規定を無視して航行していた。
曰く、
「俺達は陸軍のフネだから」
である。何せ駆逐艦、巡洋艦への燃料補給も「土佐丸」の巡航速度21ノットで行われたのだ。はっきり言って狂気の沙汰である。(これを難なくこなした帝国海軍の実力も含めて)
無視された規定の中で、結果的に最も功を奏したのが船団運動規程の之字運動の無視である。実際には、唐突に4点~16点の艦隊運動を行い、之字運動の回数そのものを減らしていただけらしい。これは、規程違反にあたるので正式な文書として残されていない。
唐突に実行される、複雑な艦隊運動を可能としたのは「土佐丸」と海軍との連携の強さと、夜間にこれだけの運動ができたのは、別製夜間哨戒器の性能によることが大きいと思われる。
何せ靄さえなければ、新月の夜でも3km先の手旗信号が確認できるのだ。
この唐突な艦隊運動に米軍の潜水艦隊は翻弄された。
この時期、之字運動のパタ-ンは解析されており、米軍の潜水艦はこのパターンを先読みすることで、攻撃に有利な地点に移動。攻撃を加えることができていた。
「土佐丸」そのものは、「祭り囃子」と揶揄される程の音量で探針音を放ち続けているので、航行場所を知るのは容易だ。
現在位置の把握は容易。オマケにあれだけの図体である。雷撃を外す方が難しい。しかしながら米軍の潜水艦による攻撃が、「土佐丸」に届くことはなかった。
何せ、唐突に進路を変更するのだ。それも随伴艦艇(駆逐艦・巡洋艦)をも含めた見事な艦隊運動である。貨物船団とは訳が違う。(結果オーライと言えばそれまでだが、時間を切られていた艦隊の事情が潜水艦隊の攻撃からその身を守ることになったのは皮肉なことである)
その上、「土佐丸」の超大音響の探針音で聴覚に変調をきたす米軍の潜水艦乗りが多発し、彼らの「耳」は一時的にその性能を大きく下げることになる。
また、日中は「土佐丸」航空隊による上空警戒に加え、近辺の基地からの戦闘機による航空支援があり、「ハルゼーの懸賞金」目当てに一攫千金を狙う米軍の航空機、艦艇はこれに阻まれ、「土佐丸」への攻撃を敢行することができなかった。
この航空機による警戒網だが、命令系統が全く別の陸海軍、あるいは各基地が(結果的に)一致協力して途切れることなく維持されていたのだが、この奇跡に分類される警戒網が、なぜできあがったのかを示す記録は一切ない。何せ、この後、「土佐丸」警戒網に相当する濃密な警戒網を構築することは誰にもできなかったからである。
ただ、警戒飛行を実施した基地搭乗員が、任務終了後、嬉しそうに酒瓶や「洋モク」と呼ばれる米軍(英軍)からの押収品の煙草を抱えていたという証言があった。
これについては、
「洋モク1カートンで、哨戒任務に就いた。ものすごくオイシイ任務だった」
「なぜ、自分の部隊は哨戒任務に就けないのかと、上官に意見した」
と証言する陸海軍基地航空隊のパイロット達は決して少なくない。
ちなみに、その「洋モク」。多くは「ラッキーストライク」だった模様である。
「ラッキーストライク」は、そのネーミングから、米軍では縁起を担いで喫煙する者が少なかったため、大量の余剰品が日本軍に押収されることになった様だ。
肝心の日本軍であるが、読解力から、
Lucky Strike=幸運な命中→縁起が良い
と誤訳(笑)されたのと、パッケージの色が友軍機(緑地に赤の丸。海軍限定だ)と同じで、見てくれで、「なんとなく幸運が舞い込んでくるんじゃないかなぁ~」
と思ったらしい。当然、日本の軍用煙草よりも遙かに味は良かったそうだ。
米海軍艦艇、航空機、潜水艦に少なくはない損害を与え、ラエからわずか6日。「土佐丸」はボルネオ(ブルネイ)のバリクパパンに入港する。ここに、ニューギニア主計本部から空路で文字通り「飛んできた」海軍中尉の指揮の下、燃料を満載し、更に7日後、グディナフ島で呉第三特別陸戦隊(海軍)と、陸軍第十九戦隊を引き取り(両戦隊は感激のあまり大泣きしたそうな)、ラエに入港。「燃料よこせ!」と待ちわびていた海軍艦艇への燃料補給を行った。
燃料の問題はなくなった。大日本帝国陸海軍は、ニューギニアの全島支配に向け、その行動を開始した。
※1 当然内部は空。油槽として使用するためである。
※2「土佐丸」のディーゼルエンジンは山岡製作所製
完全に不定期投稿になってます。




