閑話 -泥棒陣内(8)-
-ニューギニア沖-
「何だって!降りろってか?冗談だろ?」
陸軍揚陸母艦「土佐丸」の住人、呉第三特別陸戦隊(海軍)と、陸軍第十九戦隊の面々は船長(陸軍の船なので「船長」らしい)からの下船命令に思いっきり狼狽していた。
一向に明らかにならない上陸作戦にやきもきはしていたが、美味い飯と冷房完備の居室のおかげで「ああ、戦争っていいなぁ~」などと思うようになっていた(これを堕落という)のが悪かったのか?
「降りるときは命をかける時(上陸戦)」
と漠然と思っていたのだが、どうやら違うらしい。
彼らと「土佐丸」の付き合いは長い。
特に第三特別陸戦隊との付き合いは開戦当初まで遡っている。実質「土佐丸」は彼らの母艦だっただけに、この下船命令は完全に想定外だったらしい。
「土佐丸」側にも事情がある。
ニューギニア方面攻略戦最大の作戦となるであろう、ポートモレスビー攻略のため、海軍の厚意で戦艦部隊による砲撃支援が実現したからである。しかしながら、大喰らいの戦艦、空母を満腹にさせるだけの燃料がニューギニア方面にはない。
当初、「戦艦による砲撃」のみで十分と考えていた陸軍参謀本部だったのだが、ニューギニア方面主計本部と連合艦隊司令部との「話し合い」で、連合艦隊の大半がこの作戦に協力するとの言質を得たのだ。ただし、燃料は陸軍持ちという条件で。
これに陸軍参謀本部は慌てたのは言うまでもない。ボルネオから本土に向かっている油槽船を急遽、ニューギニア方面に向かわせてはいるものの、連合艦隊の腹を満たすには不十分だ。
協力だけ取り付けておいて「知らんぷり」をするという常套手段も検討されたが、燃料の切れた船はただの鉄の塊である。確実に沈められる。そんなことをすれば、呉の戦艦部隊によって三宅坂近辺が更地になってしまう。
喉から手が出る程欲しい協力なのだが、ここは断るしかない…。そう考えていた時、参謀本部の若手が状況の打開策を提案してきた。
「ニューギニア方面主計本部に任せてみては?」
である、(これを俗に丸投げという)
ニューギニア方面主計本部は、煩雑かつ不十分と言われる最前線の補給・輜重を驚異的な能力で効率化、正常化させている。万策尽きたのであれば、ついでに聞いておいてもかまわないだろう。
陸軍の毒薬2瓶を取り込み、海軍の信頼も高い部隊だ。高飛車に出てヘソを曲げられては困る。今や、オーストラリア方面制圧の鍵を握る部隊として、関東軍よりも慎重な扱いをしなければならない部隊だ。怒らせてはいけない。恐る恐る出した命令、
「連合艦隊ヘノ燃料補給ヲ担当サレタシ」
に対して、ニューギニア戦線主計本部の回答は、
「了解。タダシ2週間ヲ要す。PM作戦延期ヲ要ス。尚、補給期間ヲ欺瞞スル手立テヲ立案サレタシ」
であった。てっきり、「ニューギニア戦線ニ余裕ナシ」の回答かと思っていたのだが、参謀本部の予想以上にニューギニア方面の補給が改善されてきていたのだろう。(大きな誤りなのだが…)
この回答に参謀本部の参謀連中は大いにやる気を出す。
要するに、「補給OK、でも2週間かかるから、モレスビー攻略を延期してね。で、この空白期間を相手に作戦だと思わせてね」である。
参謀の「謀」の字は「謀略」の「謀」。要するに「相手の裏をかいてください」である。気合いの入った陸軍参謀本部は、「訓練(=謀略)」の成功を期するため、海軍軍令部まで巻き込んで訓練計画を練り始める。
訓練計画と作戦計画の確認電文はニューギニアと本土の間を飛び交っていたが、この電文量の増加に、米軍は「近く大規模な作戦が開始される」との予測を立てることになる。
問題は、それがどこかと言うことだ。
「通信量の増加はアクションの前段のトリガー」
諜報では当たり前であるが、今回の電文量は通常の作戦電文の倍近くある。(通常の上陸作戦関連に加え、「訓練」の電文もある。電文量が増えるのは仕方がない)
事情を知らない米軍は、日本軍の作戦は米軍が想定しているラビと異なるのではないかという疑心暗鬼に陥っていた。
ここのところ、日本軍の投機的な作戦行動はなりを潜め、極めて現実的な作戦(=守りを固めている)に終始しているからだ。しかし、投機的な作戦を立案する陸軍のツジ、海軍のクロシマが解任されたという情報も未だ確証が得られておらず、電文の増加は彼らが大勝負に打って出るという可能性も示唆している。
となると、ラビを無視して、大本命のポートモレスビーか?それとも…
連合軍の太平洋方面軍は日本軍の次なる攻勢の矛先を掴みきれずにいた。その日本軍だが…。大量に突っ込んだ戦力への補給に難儀していた。
「糞っ!御殿暮らしは終わりだ!みんな!酒保に繰り出すぞ!、少しでも役に立つモノをまとめ買いだ!給料袋、貯金を空にする気で買い占めろ!」
「おお!」
この日、「土佐丸」酒保は就航以来最高の売り上げを記録した。
-トラック島-
連合艦隊は、退屈を持て余している。勿論、日々の訓練は滞りなく行われている。ダラダラ過ごしているわけではないのだが、それでも退屈を持て余しているという表現がしっくりくる。
陸軍の厚意でボルネオからニューギニア経由で燃料が供給されており、訓練程度であれば燃料の不足を心配することはない。が、全力出撃を行うにはいささか燃料が心許ない。
これを何とかするため「訓練」と称して戦艦2隻、軽空母1隻を中心とする「練習艦隊」がニューギニア方面に向かった。要は戦艦を油槽船代わりにしているのだ。何せニューギニアの前線には大容量のタンクなぞない。仕方なく戦艦の燃料タンクを油槽船のタンクとして流用しているのだ。
陸軍に借りを作るのは好ましくない。「練習艦隊」は、ソロモンから珊瑚海に至る海域の輸送船、潜水艦狩りを敢行し。海軍主流派にとっては「外道」扱いされるものの、予想外の戦果を上げて陸軍の輸送部隊に感謝される事態になっている。
何より、大喰らいの戦艦2隻を出稼ぎさせたことで、補給事情が好転しつつあるのが嬉しい。
「「武蔵の出番はいつか?」と砲術長に聞かれました。ニューギニアやツラギの連中が相当羨ましいらしいらしい。自分(参謀)に言っても無駄だとは思わないのでしょうか」
連合艦隊総旗艦、戦艦「武蔵」の艦橋で、変人参謀こと連合艦隊司令部主席参謀の黒島大佐がぼやく。
「ソロモン乱戦」以降、投機的と分析されている黒島参謀の作戦立案はなりをひそめている。そのため、連合軍の情報によると「死んだ」ことにされているらしい。実際のところは、作戦を行いたくても、先立つもの(燃料)がないだけなのだが…。
「その程度で愚痴を言うな。俺のところには大砲屋と水雷屋と…多聞丸が直談判にきた。まったく…どこに戦線を拡大する戦力がある?我々にできるのは、敵の漸次殲滅しかない。それも、圧倒的な勝利のみしか許されていない。今できるのは、戦力の保持、兵員の練度強化くらいだ」
連合艦隊の顔、連合艦隊司令長官山本五十六大将は黒島大佐の愚痴に苦笑で応じる。
「確かに…しかし、トラックの連中の欲求不満は最高潮になっとるような気がします。どっかでガス抜きをしないと大変な事になりそうで…」
「わかっている。それは十分わかっている。だが、戦力維持は絶対条件だ。積極的には戦力強化、消極的には現状維持。我々が今、できることはそんなところだ。皆が苛立つのは当たり前だろう。何せ俺が苛立っている。戦力外扱いでツラギに半ば放置されている「扶桑」「山城」すら羨ましく思えるくらいだ。宇垣のあれは言うまでもない。実質は輸送艦隊なんだが、それさえ羨ましい」
「活躍しているように見えますからね」
「隣の芝生は何とやらだ。実際、潜水艦、輸送船狩りで戦果を上げているからな。ま、仕方がない。こちらは宇垣からの連絡待ちだ。何せ我々の行動は新品陸軍大尉殿に握られている」
「ニューギニア方面主計本部…ですか。いつの間にか関東軍を上回る勢力になってしまいましたね」
「戦力としては、無視できる存在だが、人間、胃袋を掴まれると逆らえないということだ。誰しもメシを抜かれると堪える」
連合艦隊司令部が黄昏れている中、通信兵が伝聞綴りを持ってきた。電文を一読した山本長官は、笑みを浮かべて綴りを黒島参謀に手渡す。
「コメヲクライニコラレタシ ウガキ」
電文を読んだ黒島参謀の表情が明るくなった。
「さて、黒島主席参謀。かねてより立案の第一艦隊の「訓練」だが、いつ発令できる?」
「要項は既に作成済みであります。「訓練」の発令を願います」
「よろしい。大いによろしい。それでは戦争を始めようではないか…。連合艦隊は明日の払暁をもって「訓練」を開始する。各部隊に「訓練」の開始を周知。すぐさま準備に移れ」
連合艦隊が動き始めた…。
--ツラギ沖 戦艦「扶桑」--
「帰還命令?上(連合艦隊司令部)は何考えてるんだ?俺達がここに居座ってるから米軍の動きが判るんだろ?」
「妬みだよ。美味しい仕事を老朽艦に任せたくないのさ。交替で、そうだな…「伊勢」「日向」あたりが派遣されるんじゃないかな」
「で、次はどこになる?」
「さぁね。どうでもいい所になるのは間違いない。せっかく、一人前になった兵どもは全部引き抜かれるだろうが」
「Hells Tower(「扶桑」「山城」の事らしい)が動いた!」
「扶桑」「山城」のツラギ沖からの移動は連合軍に驚きをもって伝えられた。部隊の交替があったとは思えず。事実上、この海域の守りが手薄になっている。つまり、連合軍に一方的にアドバンテージを譲り渡すことになるからだ。(もっとも、譲り渡されたとしても、そこに進出する兵力がないが)
電文の増加、ツラギ沖戦艦の不穏な動き。連合軍は日本軍の狙いを把握しかねていた。
--ラエ ニューギニア方面主計本部--
「大友大尉殿。しばらくぶりであります。ご一緒に仕事ができるのを嬉しく思います」
サラゴア主計部陣内特務少尉(昇進した)が満面の笑みを浮かべてやってきた。うん、笑っていられるのは今だけだぞ?
「良く来てくれた。これから2週間、陣内少尉は一生分の恨みを背負って貰うことになる。今から謝っておく。誠に申し訳ない。が、お国のためだ、甘んじて背負って貰いたい。何、少尉だけじゃない。俺も一緒に背負うから心配するな」
「開口一番、物騒ですね。で、自分の役回りはどんなものなので?」
「「土佐丸」がボルネオに燃料の受領に向かうことになっている。今頃はグディナフにお客さんを降ろしてる頃だろう。陣内少尉の仕事は、「土佐丸」を常に我が軍の援護下、監視下に置くためにニューギニア、パプア、フィリピンの陸海軍部隊との連携を取る事だ。「土佐丸」が沈めば…我が軍は恐らく敗北する。まぁ、海軍サンに巡洋艦、駆逐艦を護衛に付けて貰っているが、用心することに越したことはない」
「そっち方面が(護衛・監視)の戦力を出してくれますかね?」
「まぁ、普通は『我ニ余裕ナシ』だな。実際はそんなことはないんだけど。で、私と陣内少尉、それと仲曽根中尉の出番だ。ここ(ラエ)の将官が私蔵している嗜好品を根こそぎ徴収、これを手土産に各基地に戦力抽出を強要させる」
「うわ…恨まれそうな役回りだ…」
「仲曽根中尉。他人事じゃない。君は連合艦隊と連絡を取り、燃料補給の手順を確立させろ。こっちに向かっている陸軍の油槽船は海軍艦艇への洋上補給なんぞやったことがない。そっちは「土佐丸」が一手に引き受けなければならん。連合艦隊の船の燃費なんぞ私は知らないから、補給順間を分単位で作成してくれ、それが終われば、ボルネオに飛んで欲しい」
「へ?ボルネオってここから2000キロ以上離れてますよ?」
「司偵を使えば半日で着く。ボルネオは古巣だろう?「土佐丸」接岸と同時に燃料積み込みが終わるよう完璧に手順を整えておいて欲しい。1分の遅れが兵士1名の命に相当すると思ってくれ。人間用の潤滑油(嗜好品)は100キロほど用意する。残念ながらウィスキーは国産だ」
この後、ニューギニア戦線の将官の私室から隠匿してあった洋酒、高級煙草、甘味などが突然消える事になる。一番の被害者は堀井少将だと言われている。警戒が厳重な戦艦内に私室があった海軍の宇垣少将も何らかの被害にあったらしい。(本人は苦笑していたが)
この鮮やかな盗みの手管と、その後にニューギニア、パプア、フィリピン方面にばらまかれた嗜好品から、下手人はニューギニア方面主計本部であると推測された。通常なら憲兵の出番なのだが、憲兵出動も起こらなかった。恐らく何らかの確約があったと思われる。
華麗な盗みのテクニックに、当初は「鼠小僧」「怪盗ルパン」という名称が流布したが、「小僧」にやられるのは癪、ルパンは連合軍ということで、主計本部を揶揄した名称「泥棒陣内」が一般化した。
陣内少尉。すまん…
陣内特務少尉 「どうしてこうなった…」
仲曽根中尉 「上に同じ」




