閑話2 -別府造船装備品開発室物語その3-(別製軌道牽引機)
架空戦記創作大会2016夏「架空の鉄道」参加作品
つか、「戦艦土佐の復活」そのモノが架空戦記創作大会の参加作品なんですよね。
参加作品中に、他のお題の作品を投稿とは、我ながら恥じ知らずかと…。
「『リ号』は研究にあらず!実戦である。工兵15連隊を先兵とし、帝国はニューギニア全土を掌握する段階に来た。そう!我が皇軍は無敵なのだっ!」
辻中佐殿の「演説」は未だにニューギニア方面の補給に暗い影を落としている。某主計少尉の大風呂敷による、1日2回の食料の「出前(空輸)」で士気こそ保たれているものの、峻険なオーウェンスタンレー山脈に進路を阻まれ工兵第15連隊の「進撃速度」は芳しくない。山岳地帯を踏破するためには緩い傾斜を選び迂回する事も必要だ。「直線でヨロシク!」などという都合の良いことはありえない。
ニューギニア主計本部の頭痛の種は、この「進撃」の遅さだった。今のところ大規模な戦闘は起こっておらず、15連隊のもっぱらの敵はマラリア等の風土病や高温多湿による体調不良のみだ。それすら、航空機による補給で大きな問題とはなっていない。何せ重篤な症状の患者は航空機でサラゴアとかラエに移送される程に改善されているからだ。
しかしながら、陸海軍の協力により、海路によるポートモレスビー攻略の糸口が掴めつつある今、『リ号』。すなわち陸路によるポートモレスビー攻略は意味をなさなくなってきている。それでも補給を続けているのは、この山脈越えの進撃路はポートモレスビーからの撤退路となり得るとニューギニア戦線主計部(とニューギニア戦線の将官達)は判断しているからだ。
それともう一つ。誰もが知っている(対外的には誰も知らない事になっている)帝国陸軍の毒薬、辻中佐へのご機嫌取りの意味合いもある。従って、15連隊よりも先にポートモレスビーに上陸でもされてしまうと、辻中佐の面目は丸つぶれ。これは最悪だ。ブチ切れた「毒薬(その1)」は何をしでかすかわからないからだ。
状況打破は?答えは簡単である。上陸部隊よりも早く、あるいは上陸部隊と呼応できる様に「進撃」速度を上げることだ。
道なきジャングルを切り開き歩兵の進撃する道路を整備する程度なら工兵15連隊にとって、さほど大きな仕事ではない。問題は、ここに重火器を運び込み、なおかつ山岳地帯を踏破するという辻中佐の無茶振りである。
軍隊における進撃路とは、重装備の通行が可能な進撃路かつ補給路である。ただ単に軽装の歩兵が目的地に辿り着くだけでのものであればそれほど苦労はしないのだ。つまり、工兵15連隊が苦労していのは、、
「ニューギニア北方から、ポートモレスビーに至るまでの機甲歩兵部隊の進撃路および補給路の整備」
を厳命されているからなのだ。
「精強に服を着せたら工兵15連隊になる」(精強=全裸)
とまで言われた工兵15連隊も、密林と不安定な足下、峻険な山脈に手こずっている。特に山岳地帯は急斜面の迂回、法面の保全などの余分な工数が必要であり、1m進むためにも多くの時間を要するようになっているからだ。
「補給の切り札」
と、少数導入され、主に海岸線の部隊で絶賛されつつある別製牽引機もこのスタンレー山脈では役に立たない。何せ道がなければただの置物なのだ。
とにかく、15連隊を何とかしなければならない。これに悩んだニューギニア戦線主計本部は(辻中佐を通じて)陸軍軍令部に圧力をかけた。
辻中佐も自らの無茶振りを多少は理解していたらしく、例のごとく気合いを入れて陸軍軍令部に圧力をかけた。(まぁ、怒鳴るだけならタダである)。
この無茶振りに悩んだ陸軍軍令部は、これを、別製対潜水艦曲射砲架、別製牽引機の納入で実績のある日商に丸投げすることになる。そう、柳の下のドジョウを狙ったのだ。
「峻険ナル山岳地帯ヲ踏破シ、兵器及ビ物資ヲ輸送スル手段ヲ早急ニ構築セヨ」
という、指示書類としてはいかがなモノかと思われる微妙に修飾された、無責任極まる開発命令を今回も随意契約(=逃げられない)で突きつけられた日商は、これを別府造船に丸投げした。ここもまた予定調和であろう。
「無茶苦茶言ってるなぁ~。ウチ(別府造船)はド○えもんじゃないぞぉ~」
で、無茶振りされた別府造船の来島社長は苦悩していた。
「誰です?そのド○えもんというのは?」
「ん~、アレだ。ド○えもんてのは、南朝の武将で、野比銅鑼衛門と言ってな、無茶振りを全部叶えてくれる、宮部技師長のような立派な人物のことだ。いや、こりゃ困ったねぇ~」
社長室に呼び出された宮部技師長は、厄介ごとが舞い込んで来たのを全身で感じていた。大体、社長室に呼び出しがかかるのは基本「とんでもないこと」か、「厄介ごと」しかない。とにかく、別府造船が滅亡の道(=丸損一直線)を辿るのだけは阻止しなければならない。何せ別府湾の片隅でちまちまやっていた頃とは事情が大いに異なる。守る者が多くなりすぎた。
「取って付けた様に褒めても何も出ません。第一、陸上は私の専門外です。で、どうされるつもりですか?」
「そ~なんだよねぇ~。困るよなぁ~。場当たりで今までは何とかなったけどねぇ~」
「じゃあ、何で受けたんですか?余裕がないと突っぱねることもできたんじゃないんですか?」
「前(牽引機)と同じ方法を採られたんだ。あの、随契ってのは害悪以外の何者でもないな。俺が総理大臣になったら真っ先に廃止してやる」
「その随契で我が社が潤っているのも確かですからね。牽引機みたいな社長のアイデアを期待したいところですね」
「そんなモンがポンポン出てくる訳ないだろーが!そうだったらエジソンか中○かと言われてるよ!あ~困った!つか、働きたくねぇ~。働いたら負けだ!」
「エジソンは知っていますが、○松って誰です?」
「さぁ~ね!多分、訳のわからないヤツだと思う!あ~嫌だ嫌だ嫌だぁ~」
ぶつくさ言いながら来島社長は応接セットの長椅子にダイビングする。と、目の前に果物籠の夏蜜柑が飛び込んできた。
別府造船の本拠地大分県は、13世紀頃から蜜柑の栽培が始まったと言われている。もっとも、最近では食料増産の大号令でみかん畑すらも潰されつつある。
「みかん畑もどんどんショボくなってる…みかん喰えなくなってきてるもんなぁ~みかん好きなのに…ん?みかん?みかん…象さん…ウサちゃん…」
突然唄いだした来島社長に宮部技師長は、社長の次の言葉を予想し、胸をなで下ろした。少なくとも「万策尽きた」訳ではない。
「キターッ!みかんキターッ!宮部ぇ~!ちょっと逝ってくる!」
夏蜜柑を鷲づかみにした来島社長は社長室を飛び出す。こうなった時の行き先は決まっている。超技研しかない。
「熟練工の手配をしなきゃならんな」
ほっとした表情で宮部技師長は労務部長に熟練工の融通を頼むため、受話器をとりあげた。
「と、言うわけだ」
「何がなんだか判りません!」
「まぁ、気にするな。嫌でも判るようになる!今回のお題は『道なき道を征く』輸送機械の開発だ。で、こんな感じで頼む」
自身満々で黒板に書き上げた概念図に、別府造船超技術研究所(略称:OTL)の面々は声を失った。
こうして開発されたのが別製軌道牽引機である。
簡単に言えば、急勾配対応のモノレール。みかんの産地の急斜面で活躍する農業用モノレールとか、山間部の土木工事などで活躍する建設資材用モノレールを想像してもらえば話は早い。
軽量輸送用に「別製牽引機」と同じV型2気筒を使用した1型と、、重量輸送用にもう2気筒分「余分に切り取った」V型4気筒エンジンからなる2型は、それぞれ750キロ、1.5トンまでの物資を、最大40度までの傾斜地を乗り越え、時速2.6キロで物資を運搬することができた。
もっとも、軽量貨物は単軌道の、いわゆる「モノレール」なのだが、重量物の運搬は主軌道の左右に副軌道を設けた3線式になった。単軌道の場合、レールにかかる負荷が大きすぎるからである。
わざわざ「別製牽引機」のエンジンを使用したことからもわかるとおり、牽引機も「別製牽引機」との部品の共有化が図られている。余談だが、今回は「切り身」の部分が2気筒分多かったので提供元の三菱も大喜びであった。
急傾斜を進むために、角鋼材のレールの下部には並状の鋼製ラックが溶接で取り付けられている。
当初、モノレールの方式は鋼材に穴を開け、軌道部の突起で保持するいをゆる「ホール式」で設計が進んでいたのだが、これに対し、来島社長がラック&ピニオン式を主張して社長権限で設計を変更させる。
「ラック&ピニオンは国鉄(信越線)で導入されてるから技術的な問題点が少ない。壁にぶつかれば、国鉄に頭を下げればいい。何せ納期が迫ってる。ホール型は物資の節約にはなるんだが今回はあきらめて欲しい」
製造コストの問題はどうなるのか?との声に、来島社長は、
「レールの製造はウチ(別府造船)でやる」
と、答えた。
自社製造用前提で設計されたラックレールは、取り回しが(比較的)簡単な3mと、5mに統一された角鋼材の下部に波状ラックが溶接された構造となる。
このラックレール。別府造船は陸軍(海軍は半ば意地なのか、発注が少ない)や民間の船舶の建造で、余裕はほとんどなく、製造に多くの工員を裂くことはできなかった。そこで、鋼材へのラックの溶接に、近隣の主婦を短時間で臨時雇用、既存人的資産の分散を防ぎ、なおかつ低賃金によるコストダウンを図った。今で言うパートタイム工である。
これについて、来島社長は戦後、
「働き手が戦争やってる訳よ。つまり十分な収入が無い。だったら、留守番にも収入があってもいいんじゃないかなと思っただけなんだ」
と、述べている。
女性の雇用は、労働力を手っ取り早く手に入れるための方便ではあったが、一般の工員の賃金よりも安いものの、家計に苦しむ主婦にはとって「別府造船の臨時工」は非常に魅力的な職場に映ったらしい。
当初、1日4時間程度の労働で2交代を考えていたのだが、応募者が殺到したため、1日4時間労働の4交代制にまで採用枠を拡大。熟練工の指導の下、女性らしいこだわりで溶接されたレールが大量に製作された。
余談だが、この臨時雇用で溶接の技術を身につけた主婦達は、戦後、熟練工不足に悩む別府造船グループをはじめとする全国の造船所、工場で熟練工として重宝され「溶接女子」「溶接主婦」「熱いオンナ」と呼ばれる事になった。
臨時ではあるものの、女性の雇用を生み出した別府造船は、最大の女性団体である大日本婦人会をはじめ、新聞各社から絶賛され、これにより陸軍もラックレールの調達を控えることができなくなった。
発注担当者が、自宅での晩酌の最中に、
「十分な量を発注した。契約は完了かな」
などと漏らして、翌日から配偶者による兵糧攻めに遭ったからである。
結果的にニューギニア戦線用では、副軌道を敷設しても十分なだけのラックレールが確保され、これらの機材、資材は「土佐丸」で「別製牽引機」とともにニューギニア戦線に輸送された。
別製牽引機による輸送で、別製軌道牽引機を受領した工兵第15師団はその性能とコンセプトに狂喜。ここから第15師団の新たな伝説が始まることになる。
投入された「別製軌道牽引機」は、エンジンむき出し(別府造船は熱帯でのエンジン冷却効果を高めるためと称しているが、カバー代をケチったコストダウンとしか思えない)の、よく言えば無骨な、悪く言えば粗製濫造の気が外観が意外にうけ、「ドカレール」と呼称されることになった。「ドカ」は「別製牽引機」の愛称である。ちなみに大型の2型は「大ドカ」と呼ばれている。
「ドカレール」は、スタンレー山脈越えルート構築のためレールを満載しルート構築にあたり、「大ドカ」は「ドカレール」が切り開いたルートを火器、物資を搭載して進む。
別製軌道牽引機の一番の戦果は、スタンレー山脈を踏破し、ポートモレスビー北方20キロまで重砲(九六式十五糎榴弾砲)を運搬、重厚な野戦陣地を構築したことだろう。
重砲運搬に合わせて実施された陸海軍共同のポートモレスビー上陸作戦において、海上からの重砲からの射程から逃れるため、ポートモレスビー北方に待避した連合軍を、山側から重砲群が狙い撃ちしたのだ。
南北からの挟撃により連合軍は壊滅的な損害を被り、継戦能力を喪失する。これによりポートモレスビーは陥落。陸軍「毒薬(その1)」辻中佐は大いに面目を施すこととなった。辻中佐は狂喜。側近によると「拳銃で頭を撃たれても笑って許すほど機嫌が良かった」らしい)。 陥落後のポートモレスビーへ「視察&激励」という名目でスタンレー山脈越えで訪れたほどである。恐らく、自分の「偉業」はハンニバルやナポレオンに並ぶとでも思っていたのだろう。ある意味、あくまでもこの場合「だけ」ではあるが、辻中佐は部下に恵まれたと言うべきであろう。
ポートモレスビー陥落により、工兵第15連隊の敷設した鉄路はポートモレスビー近辺まで延伸され、日本軍の一大兵站拠点であるラエからの補給路として終戦まで活躍をする。
潜水艦に狙われる海路。輸送量に問題がある空路。開けた場所にあるため、しばしば航空機からの攻撃(といっても、制空権は日本側にある)を受ける海岸経由の陸路と比べ、山脈越えの鉄路は密林の中を隠れる様に走り、また、十分以上のレールが提供されたため、調子に乗った工兵15連隊は、迂回路、欺瞞路を各所に構築。欺瞞路の先に構築された対空陣地からの銃撃により、少なくはない数の連合軍の航空機が撃墜されている。
この鉄路は「ニューギニア鉄路」と日本軍に呼称される。名付けたのは辻中佐である。 ネーミングセンスは平凡だが大げさであろう。ちなみに連合軍は「ネズミの通路(Aisle of a mouse)」と呼ばれており、こちらの方がしっくりくるような気がする。
戦争終結後、アジア、オセアニア地域では独立機運が高まり、宗主国も戦争により疲弊から回復するため、国内への投資を行わざるをえず、世論の反対を押し切ってまで植民地支配を続けることがむつかしくなり、多くの国が植民地支配を脱して独立国家となった。
激戦地ニューギニアも、「ニューギニア」「パプアニューギニア」として独立を果たし、軍隊の駐留は不要となる。
島内の空港(前線滑走路)は放棄され、十分な施設のある基地は公共施設に転用された。
この中で、密林を抜けて山脈を越える完全な軍用路であり、真っ先に不要となるはずの「ニューギニア鉄路」は、重要なインフラと判断され、独立直後のパプアニューギニア政府は鉄路の維持を日本とオーストラリア政府に強く求めた。
日濠政府はこの申し出に対し、始まったばかりのODAの支援先として、共同で鉄路の整備と、軌道牽引機を提供した。
整備された「ニューギニアトレッキングライン(NTL)」は、「世界でもっとも高低差のあるモノレール路線(何だか微妙なカテゴリ)」としてギネスブックに記録され、住民の足、輸送路、観光資源として今日も大活躍している。
本家本元の日本では、別製軌道牽引機は国内の急峻な斜面での農産物栽培、工事用の資材及び人員運搬手段として、みかんの産地である大分県や難工事と呼ばれた黒部渓谷のダム工事の機材搬入などで大活躍している。
軌道牽引機は、戦後、製造を三菱、別府造船から、別府造船グループの山岡製作所に移る。国内での需要が多い軌道牽引機は次々と新型が開発されるが、最も耐久性を要求される機種はNTLで耐久試験をするのが恒例となってきており、NTLの起点から終点までのタイムアタックに山岡製作所の面々は執念を燃やしているらしい。
いやぁ~。勢いで書いてしまった…。
史実の工兵第15連隊の活躍は結構イイ線いってたと思います。
ここで補給の困難が解消され、更に進撃速度を高める施策がされれば…というのが本作です。
おまけ
ドカラック(ドカレール)の唄。(DOKA Lucky Song)
Though Sun Luck Luck Ah We So Run
Us Chance Luck Luck Mom Mom No Hanna
Luck Luck Luck DOKA Luck
Luck Luck Luck DOKA Luck
(意訳)
息子はビンビン!突っ走るぜ!
俺達ツいてる!ついてるぜ!ママ、ヤクなんてやってないよ!
ついてる、ついてる めちゃ ついてる
ついてる、ついてる めちゃ ついてる
DOKAは「Very」だと誤って伝わったらしい。
元唄は日本語。
米軍、オーストラリア軍捕虜に作業をさせた時に、たまたま日本兵が歌っていたのを
強引に英訳したものらしい。
ノリが良いのでオーストラリア海兵の新兵教育で歌われているそうな
(いや~、元唄…どんな曲なんでしょうねぇ~)




