ポートモレスビー攻略戦(2)
勝手に揺れ始めるオーストラリア、日本軍の「大規模作戦」に恐怖する米軍。罵詈雑言を平文で発信する海軍を尻目に、「命令は命令だ…」と首をかしげながらもボルネオに向かった「土佐丸」は、2週間後、石油を満載してラエに帰還。なぜかトラックから「訓練」名目で寄港していた戦艦「陸奥」「日向」の出迎えを受けた。
軍令部と激しいやりとりを行い、タンカーのアテはついたのだが、ラエへのタンカー到着が(「土佐丸」の帰港に)間に合わないことが分かったからだ。残念だが、ラエには1万8千トンもの石油を備蓄するタンクはない。タンカーの到着を待つという選択肢は陸軍ニューギニア戦線主計部(臨時に設立されたらしい)が正式に拒否してきた。
やむを得ず、連合艦隊は(計画どおり)戦艦をタンカー代わりに使用することになったのだ。
さすがに軍令部に気兼ねして最新鋭の「武蔵」はトラックで留守番だったが、護衛と称して(燃料補給をアテにした)巡洋艦、駆逐艦、輸送船を多数引き連れており、ラエ近海は「戦争でもあったのか?」と思うほどの賑わいを見せていた。
ラエの盛況ぶりを強行偵察で知った米軍は当然、真っ青になる。太平洋艦隊暗号解読担当部門の報告が「正しかった」ことが裏付けられたからである(全くの誤報である)。しかし、一番の脅威である機動部隊が随伴しておらず、戦艦部隊の直援に軽空母2隻のみという陣容に日本軍が何をやりたいのかを把握することができず、米軍の情報分析担当官が頭を抱え込んでしまった。まぁ、「燃料補給のため、大挙、ラエまで来てみました!」という真の理由が予想できたなら米軍はここまで苦戦はしなかっただろう。
上空を多数の友軍機(大半は海軍の空母艦載機だったが、陸軍も対抗意識を燃やしてか、敵勢力圏の近くに一式戦、二式戦を多数飛ばした)が米軍の偵察機を阻んだことから、「近日中に大規模な軍事作戦が実施される」という情報部の誤った報告を補強するものとなってしまった。
この状況で米軍のできる行動は限られている。被害の少ない潜水艦部隊での攻撃である。真っ先に狙われたのは「土佐丸」。無理もない(「土佐丸」が原因ではないものの)米軍は「土佐丸」を「新型の空母」と誤認したばかりに、少なくとも引き分け(戦術的敗北&戦略的勝利)に持ち込めるツラギ、ソロモンの戦いにボロ負けしているからだ。
「土佐丸」がソロモンを抜け、ボルネオに向かったとの報告を受けた太平洋艦隊司令部は、全力をあげて「土佐丸」を撃沈するよう、潜水艦部隊に命令を下した。苦杯を舐めさせられた「土佐丸」を撃沈することで日本軍の戦意をくじき、かつ自らが有能であると大統領に示すためである。
この手の、不純な動機で決定された作戦が上手くいったためしは古今東西非常に少ない。(「ない!」とは言えないのが、この類いの作戦が繰り返される遠因である)
「土佐丸」撃沈に向かった潜水艦隊は、「土佐丸」に搭載されたチタン酸バリウム素子を使用した新型ソナーと、急遽空輸された「対潜水艦曲射砲架」からの遠距離(おおよそ3000m前後)攻撃により、次々と撃破されていった。
かくして、派手な戦闘(対潜水艦戦闘は、相手が見えないだけに地味)は全くなしに、大量の石油を陸海軍に無事提供することができた「土佐丸」乗組員は周囲の熱狂とは裏腹に、妙に醒めた気分になっていた。
この頃になると、「土佐丸」乗員は自分達のフネが「揚陸母艦」であることを意識しなくなっていた。何せ、本格的な揚陸戦は蘭印上陸戦のみで、それも横腹に自軍の魚雷を2本も受けての戦場離脱。その後、雪辱を果たそうと意気込んだポートモレスビー上陸戦は、「ソロモン海クルージング」に終わってしまっている。対潜水艦戦闘では結構な武勲を上げていると考えられるのだが、何せ相手は「最初から沈んでいる」のだ。沈没したかどうか、戦果も今ひとつはっきりしない。
「まぁ、アレだ。『土佐丸』は壊滅的に武運がないんだよ」
という、好戦的な陸軍士官(「土佐丸」は陸軍所属のフネである。一応、念のために)のぼやきに同意する者も少なくはなかったが、それ以上に、
「とんでもない幸運艦!俺達は立場よりも現実を愛する!」
と、考えている乗員が多かったのは間違いない。何せ直接的な被害は、味方の魚雷攻撃と、米機動部隊艦載機の甲板上への銃撃以外全くないのだ。
こんな幸運艦(悪運艦?)「土佐丸」に新たな任務が与えられた。今回は「潜水艦への補給」である。
ポートモレスビー輸送船団への攻撃で消耗(=魚雷がない)しきった潜水艦部隊への補給を命じられたのだ。
本来、潜水艦への補給は「潜水母艦」という専門の艦艇を充てるのだが、帝国海軍は当時保有していた潜水母艦を全て航空母艦に転用してしまっていた。
「いやぁ、まさか潜水艦がこれほど活躍するとは思わなかったので…」
というのは、潜水母艦の空母転用を積極的に支持した海軍軍令部某少佐の言葉である。
事実、連合艦隊はオーストラリア-ポートモレスビー間の補給を寸断すべく、多数の潜水艦を展開し、(連行艦隊には珍しく)輸送路の破壊を徹底させていたのだが、いかんせん、分母が多すぎる。報告の電文で、
「どこに(魚雷を)撃っても命中する」
とまで言われた「葬送航路」の戦闘である。魚雷なんぞすぐに底をつく。通商破壊に従事している潜水艦の劣悪な艦内の居住環境によるストレスの緩和は必須の要件だ。が、それを担う潜水母艦は既にない。ここで、「土佐丸」の高い汎用性が仇をなし、「土佐丸」は敵地(と味方陣地の境界線)で今度は潜水艦に魚雷を補給し、乗組員のケアを行うことになったのだ。
…どうしてこうなった…




