閑話2 -別府造船装備品開発室物語その0.75(「ヤン坊 マー坊整備手帳」)-
「なぁ、山岡(社長)さん。お宅のディーゼル(機関)。取り扱いが難しいなんとことはないよな?」
唐突に山岡製作所に現れた、九州に覇を唱える別府造船グループの総帥、来島社長の用件は、山岡が精魂込めて創り上げたディーゼルエンジンのユーザビリティに関する質問から始まった。
山岡製作所が総力を挙げて、小型ディーゼルエンジンのノウハウをスケールアップして開発した船舶用ディーゼルエンジンは、艦本式と比較しても決して後れを取るような製品ではない。
「何を藪から棒に。ウチ(山岡)のディーゼルは世界一扱いやすいぞ!誰か使いにくいとでも言ったの?ふざけたヤツやな。連れてきなよ。どついたるから」
山岡の軽口に気が軽くなったのか、来島は来社の経緯を説明し始めた。
「海軍の連中なんだ。「ていとく丸」級のエンジン不調が多いんだよ。陸軍版の「おおが」よりも多い」
「海軍かぁ~タービンしか使ったことがないやろからねぇ。タービンとは全然別物やから苦労するかもな」
「そんなに違う?」
「津軽弁と鹿児島弁くらい違う」
「…どっちも俺には理解不能な言語なんだが、海軍が感覚で整備しているというのはまぁ間違いないな。そんな連中に限って「整備手順書どおりやったのに壊れた」とか言ってくるんだよな。当然費用はこっちの持ち出しになる。第一そんな杜撰な整備をやられたのではエンジンが可哀想だ」
「陸軍の輸送船とかは問題は出なかったんやろ?」
「陸軍は船舶用エンジンすら始めて扱う連中だけだから、きっちり説明書は読んでるみたいだ。妙な扱いをして故障させたなんて話は聞かない」
「そりゃそうだ。ウチ(山岡)の整備説明書は(ディーゼル機関を扱う人間にとって)常識的なことしか書いてないが、良くできているとおもう。でも、海軍じゃダメなんか。もうちょっとわかりやすいように書くかな?」
「無駄だろ?好き好んで教本なんか読むヤツはいない。面白くもなんともないもんな。面白いかったらそりゃ熟読するよ。面白けりゃ」
「良く書けているんやけどなぁ」
「そりゃ、その道を極めた人間の感想だろ。せめて新聞の4コマ程度の面白さがあれば…待てよ…ちょっと東京逝ってくる」
何かを思いついた来島社長の動きは速かった。上京した来島は超売れっ子漫画家、田川水泡に整備手順書の解説画の執筆を依頼したのだ。田川は、整備手順の漫画化という新ジャンルに興味は示したものの、まともに成し遂げようとするならば、現在の連載を切る覚悟が必要だったため、この一大事業(来島社長談)に弟子の長谷川市子を紹介する。
前年に連載が終了して収入が途絶えていた、当時20代の長谷川は、二つ返事で了承したのだが、ここから長谷川の苦行が始まる。
来島社長は、早速彼女を山岡製作所大阪工場に送り込み、ディーゼルエンジンの実物と対面。ベテランと若手工員に交互に操作方法、整備手順を叩き込ませたのだ。
その手順を漫画に起こすのだが、ネームを作り、工員のダメ出しを喰らい、山岡社長のチェックをパスしても、来島社長の異次元のツッコミが入る。
曰く、
「コマ割りがなってない」
「キャラが立ってない」
「線が甘い」
「背景が明るい。(エンジンが動いているのは)船底だぞ!」
「人物の頭の上から眺めるような感じで」
「大事なことを言うときは、逆光で」
「大ボケかました時は引きのコマを使う」
「音はこう、実際よりも派手に」
である。簡単な仕事だと思い込んでいた長谷川にとって、この整備手順書の作成は難事業だったようで、長谷川は
「来島さんにダメ出しされる都度、工場の裏で泣いてました。なんだか漫画家としての全てを否定されたような気がして。ホント来島さんのダメ出しは酷かった。けど、私の漫画家としての第二の財産は山岡製作所で作られたと思いますね」
と後年述べている。
こうして完成したのが「ヤン坊マー坊整備手帳」である。複数巻で構成された、B5版小冊子ではあるが、随所に長谷川の実験的漫画要素が取り入れられており、台詞のフキダシや思考のフキダシ、三次元視点からの描写、線画から突如劇画調に変化する顔の表情など、「全ての漫画・劇画のルーツはここにもある(手塚冶虫)」と後年、漫画家達に絶賛される。
各章の末尾には「漫画短信」という山岡製作所での出来事を面白おかしく描いた長谷川の小作品が掲載されており、これが娯楽のない軍隊内で大いに受け、小冊子は常に貸出中となり、機関部要員でないにも関わらず機関部員並のエンジン知識を持つ水兵が続出した。
これに触発された各社もエンジンの整備手帳の漫画化に乗り出す。整備の習熟度が格段に上がり、山岡へのクレーム修理が激減したのに気が付いたのだ。
漫画整備手帳の一番の「戦果」は愛知航空機の作成した「アツタ発動機整備冊子」で、当時収入を絶たれていた松浦茂を、来島と同じように高額なギャラで釣り、長谷川の「ヤン坊マー坊整備手帳」を燃料にして対抗意識テンコ盛りで作成された冊子は、扱いが難しいとされたアツタエンジンの安定稼働に多大な貢献をした。
「動きのない平面で動きを表現する、機械類の説明書には漫画が一番だ」
という来島社長の発想が実を結んだ訳である(恐らく、本人は漫画が読みたかっただけだろう。別府造船の社長室には、各社の図入りの整備冊子がずらりと並んでいたそうだから)
後年、世紀末救世主伝説の画風で長谷川の代表作である「ササエさん」の登場人物を描くことが流行していたが、これを見た長谷川が「まだまだね」と編集者の目の前で劇画調のササエさんを一気に描き上げ、「こんなもんかな?(人には)見せないけどね」と描いた絵を破り捨てたというエピソードがまことしやかに伝えられている。




