閑話 -「ソロモン乱戦」とは -
近代史研究 昭和39年4月号掲載
「ソロモン乱戦」と呼ばれる一連の戦闘は巷で信じられているような知力の戦いではない。
狭いソロモン海で複数の艦隊が唐突に戦端を開き、それが全海域に広がっただけの、いわば「グダグダ」の遭遇戦であったというべきであろう。
戦後、幸運にも新聞記者の職を得ることができた私は、「ソロモン乱戦」の戦艦部隊、機動部隊の作戦立案者の、連合艦隊参謀黒島大佐(当時)を取材する機会に恵まれた。
私の
「最も記憶に残る作戦立案は何か」
という質問に対し、彼は即座に、
「ソロモン(乱戦の作戦計画)だ。あれには本気で落ち込んだ」
と述べており、ソロモンの一連の戦闘が、必ずしも彼の予想どおりに進まなかったことがうかがえた。
また、乱戦の敗戦の責任を取って解任、更迭された米国太平洋艦隊司令部暗号解読担当のロシュフォード中佐の自叙伝「ワイキキの魔法使い達の日々」の中で、ソロモン乱戦について、
「平文の電文を最後まで暗号電だと信じてしまった。我々は日本軍が「賢い」と思いこんでしまった。それがソロモンの敗因だ」
と記述している。(日本人としてはいささか承服しかねる)
黒島にすれば、自分達第一艦隊が「囮」であると認識していたにもかかわらず、誘引されたのが敵の「囮」だったこと。それに気づかずに総力戦をかけたことが、落ち込んだ原因のようであり、ロシュフォードにとっては、平文の電文に何らかの意図があると深読みしすぎたことが後悔の要因であるようだ。
これ以降、黒島の投機的な作戦立案はなりを潜め、極めて定石的な作戦立案を行うようになる。帝国海軍軍令部は彼の変貌に(ある意味)胸をなで下ろしたのだが、反対に大半が入れ替わった米国太平洋艦隊司令部は、「投機的な作戦立案を得意とする」と分析されていた黒島参謀の豹変に右往左往することとなる。この時期、米海軍内では
「クロシマはソロモンで戦死したのではないか?」
とまで分析されていたらしい。
戦後、この話を聞いた黒島は、
「俺の命日はいつなのかな?墓参りに行かねばならんだろう」
と笑った後、
「ソロモンが自分の参謀としての能力の限界だったかも知れない」
と自嘲気味に語ったそうである。
事実、戦勝に沸く第一艦隊首脳部をよそに、彼はトラック島帰島まで自室に引きこもっていたらしい。(ちなみに、宇垣参謀長は新たに「笑い仮面」のあだ名が新たにつくほど上機嫌で、数年来の山本長官との確執も綺麗さっぱり解消したそうである)
戦史、歴史は「飾りすぎる」傾向があるが、結局のところ、「ソロモン乱戦」という一大海戦は、日米とも、
「どうしてこうなった」
の一言に集約されるべきであろう。
執筆:福田 定一
感想とか、メッセージが書き込まれる度プレッシャーがかかってきます。
これを創作の原動力にしているなろう作者の皆様はホント、すごい。
この時期は特に本業が忙しいです。
1月…逝く
2月…逃げる
3月…猿、いや、去る
4月…死ぬ
と言うくらい…
最低、1話/月を目指したいと思います。




