ツラギ攻略戦(3)
当初の作戦要綱によると、「土佐丸」は、ラエからツラギまでは、ポートモレスビー攻略部隊に帯同、途中で「土佐丸」と第十九駆逐隊の駆逐艦2隻が分離されツラギ攻略を行うことになっていた。
陸軍の船ではあるが、輸送船とは比べものにならない重装備の「土佐丸」は「守られる側」ではなく「守る側」にあると、臨時護衛部隊旗艦「鈴谷」艦長の木村昌福大佐は考え、到着早々にラエ近海で、「土佐丸」を含めた護衛部隊全艦による船団護衛、連携の訓練を開始する。
最前線で、作戦直前に訓練が実施されることについては、連合艦隊司令部から「何をしているのか」との非難も出たが、山本長官の
「おっ、気合い入っとるな。悪いことじゃないね」
で、承認(黙認)されることになる。これが後に幸運を呼ぶことになった。
ラエから、ラエへの通信量の増加で、日本軍の動きを警戒していた米国太平洋艦隊は、工作員による「ラエに輸送船団」の情報に反応、いつもどおり地道に嫌がらせをすべく4月26日、「ヨークタウン」と「レンジャー」の艦載機がラエとサラモアに航空攻撃を敢行した。
この攻撃でラエ、サラモアの日本軍は艦船2隻沈没、中破小破8隻、戦死60名という損害を受けた。
十分な戦果を上げつつあった「ヨークタウン」と「レンジャー」だったが、地上攻撃に気を取られていた攻撃隊は、近海で連携訓練をしていた「土佐丸」「祥鳳」から緊急発進した航空隊の不意打ちに近い迎撃を受けることになった。
数の上では有利な米軍航空部隊だったが、日本軍の必死の迎撃と、ラエには十分な迎撃戦力がないと判断し、十分な護衛を付けていなかった米軍側の作戦上のミスにより「ヨークタウン」と「レンジャー」の第一次攻撃隊はその数を大幅に減らすことになる。
「ラエ近海に日本軍機動部隊!正規空母1、軽空母1。正規空母は新型!」
悲鳴の様な通信で、太平洋艦隊はラエ近海に敵の機動部隊が展開してきた事を知る。
一次攻撃隊に遅れて発進した米軍二次攻撃隊は、「正規空母」と「軽空母」を求めてラエ西方向に突撃するが、生き残ったラエ航空隊と「土佐丸」の補給により、機材のやりくりに余裕が出たラバウル航空隊、「土佐丸」「祥鳳」航空隊、「神川丸」航空隊の迎撃を受けることになる。
見た目全くの空母である「土佐丸」は、敵の集中攻撃を受けるものの、至近弾3、機銃弾の被弾。負傷者12名という損害を受けるに止まった。
航空隊の奮戦と、甲板上に呉陸戦隊が臨時に設営した対空陣地(機材はツラギ攻略用の機材を船倉から引っ張り出した)からの砲撃。全エンジン運転状態で禁断の「スラスター連動レバー」使用を行い、ひたすら海上を逃げ回ったためで、改めて「土佐丸」の優秀さを証明することになった。
(熱中症で倒れる機関部員が続出。航海要員は艦体の軋み音の幻聴にしばらく悩まされた)
に第二次攻撃隊も壊滅に近い損害を出し、ラエ空襲は米軍の失敗に終わった。
復讐に燃える日本軍は、「土佐丸」「祥鳳」「神川丸」、ラエ航空隊と、補給により機材に余裕が出たラバウルから急遽分遣された航空隊による徹底的な索敵を実施され、ついにオーストラリア方面に待避しつつある「ヨークタウン」「レンジャー」を発見し、彼らは全力で攻撃をかける。
戦闘機主体の攻撃であったため、艦体に大きな被害はなかったものの、迎撃機の多くが撃墜され、第11任務部隊、第17任務部隊は単独での作戦行動が困難なレベルにまで航空兵力をすり潰された。
第11任務部隊、第17任務部隊によりもたらされた情報
「未知の大型空母がラエ近海に展開している」
は太平洋艦隊司令部を大いに驚愕させた。(もちろん、誤解である)
日本軍機動部隊による迎撃でラエ攻撃は失敗し、「ヨークタウン」「レンジャー」航空隊の稼働可能な機体は50%を切っている。この海域に航空母艦2隻(もちろん誤解である)を投入してきた日本軍の意図(米豪分断)は明確であり、何としても阻止しなければならないが、明らかに航空兵力が不足している。このままでは大型空母1と軽空母1の日本軍機動部隊に対抗することはできない。
これに対応するため、陸上機による東京攻撃のため日本近海に接近していた第16任務部隊が急遽戦線に投入されることになり、ルーズベルト大統領の熱望していた東京空襲は米機動部隊の台所事情で頓挫することになった。(東京空襲中止が「土佐丸」の「戦果」であると判明したのは戦後のことである)




