ツラギ攻略戦(2)
1942年4月。「土佐丸」は、ラバウル基地へ海軍呉特別陸戦隊を乗せ出港する。
と、簡単に書いたが、さすが「土佐丸」。「普通に」出航できる訳がなかった。
本来の目的は、ラバウルでツラギ攻略の護衛部隊と合流するためなのだが「どうせならこれもついでにお願い」とばかりにラバウルへの陸海軍向けの物資輸送まで引き受けさせられたのだ。
戦時標準船の倍以上の物資を搭載し、下手な敵なら返り討ちにできるだけの航空兵力を有し、21ノット(最高速度は30ノット)で突っ走り、なおかつ揺れが少なくメシがうまい(蘭印上陸に従軍した記者による)「土佐丸」である。活用しない方が馬鹿だ。
陸軍の貨物は作戦進行の関係上、呉に輸送して積み込む事になっていたのだが、この決定に陸軍補給部門の将官が反応、
「海軍に馬鹿にされるな!」
とハッパをかける。下手なものを積み込もうとするならば海軍側から嘲笑を浴びるのは間違いない。
その結果、呉の岸壁にこれ見よがしに陸軍の大量の規格型貨物函が集積されることになる。これを見た海軍の補給担当は驚いた。
兵器、弾丸は言うに及ばず、食料や嗜好品など、普通なら求めても絶対に補給されない類のものまでが、ご丁寧に
「陸軍 特級清酒、ウヰスキィ等」
と書かれた荷札とともにコンテナに掲示されていたからである。はっきり言うと嫌がらせである。こうなると、
「陸軍に負けるな!」
とばかりに、海軍も見栄の張り合いに参戦するしかない。「土佐丸命名会議」のドタバタが再び呉で再現されることになった。
その結果、ラバウルの主計担当者が見たら驚喜のあまり卒倒しそうな機材、部材が次々に積み上げられる。この見栄の張り合いが適当なところで終わったのであれば万々歳だったのだが、事態はついに「土佐丸」汎用貨物庫にまで及んでしまった。
陸海軍が過剰に物資を「盛った」ため、「土佐丸」の積載量が限界に達し、コンテナ庫から溢れたコンテナが汎用貨物庫を占領。当初予定されていたラバウルへの輸送用の航空機の搭載が不可能になったのだ。
当然、貨物を減らすよう陸海軍に働きかけるのだが、どちらも引き下がる訳がない。
「陸軍が(海軍が)退くべきだ!」
…お互いが過積載の責任のなすりつけ合いをするのだから始末に悪い。「土佐丸」側も他人事ではないので、
「そもそも計画外の貨物が多すぎる。さっさと量を減らしてください」
と、貨物の減載を懇願するも、両軍の補給部門が全く譲る気配を見せない。事態の解決をはかるべく、「荷主」の連合艦隊司令部にかけあうのだが、司令部もいつも以上に歯切れが悪い。強権発動が看板の連合艦隊司令部なのだが、今度は勝手が違う。相手が今後の協力を依頼しなければならない陸軍と、自分たちの胃袋をつかんでいる補給部門だったからだ。
当初は積極的に介入し、早期の解決を図ろうとしたのだが手酷い拒絶にあい調停はあえなく頓挫する。
「うるせー馬鹿」
「外野は引っ込んでろ」
である。船倉に満載の荷物を抱えたまま刻々と時間が経過し、これ以上の遅延は作戦に影響が出る。ここで陸海軍は非情の手段を採る。
「「土佐丸」以外は出航。「土佐丸」は事態を収拾後速やかに船団に合流すべし」
簡単に言えば、
「何とかしてください。ラバウルで待ってます」
である。簡単に言えば問題の先送りだ。
船団の出港で、事態が少しは理解できた陸海軍の補給担当者であったが、貨物の削減に応じる気配すらない。それどころか陸海軍共同で驚くべき「落としどころ」を「土佐丸」に押しつけてきた。曰く、
「まぁ、ここは「土佐丸」に泣いてもらって(笑)」
「土佐丸航空隊を降ろして、そこに(航空機を)搭載すればいい」
身勝手な「落としどころに」当然、「土佐丸」乗員の怒りが爆発する。同乗の呉陸戦隊の精鋭とともに、陸海軍の補給担当将校を拉致。揚陸用クレーンに縛り付け、海上に晒し上げ、一定時間毎に「強制海水浴」をさせるという暴挙に出る。
「ふざけんな!戦争やってんのは俺たちだぞ!そこで頭を冷やせ!」
この騒ぎは陸海軍の総参謀本部に届き、両軍参謀が呉に集結、協議の結果少量の貨物を降ろし、「土佐丸」航空隊は「パイロットのみ」半数を上陸させた。
そう、彼らはラバウルまでの戦闘機の空輸要員として借り出されたのだ。「土佐丸」」航空隊の半数は元「龍驤」「春日丸」航空隊からの異動組であり海軍機の操縦に問題はなかった。
当然、パイロット達からは不満が噴出したが、海軍に加え陸軍からもそれなりの手当を確約されたため、ぶつぶつ言いながらも輸送任務に就くことになった。
ようやく出航可能になった「土佐丸」だが、単艦でフラフラ航行していたら敵のエサになってしまう。このため、最短路を最高速度で突っ切る方法が採られ、出航後から「土佐丸」は公試以来初の長時間全速航行を行うことになる。
陸軍へのセールストーク「超高速貨物船」の名に恥じず、わずか7日間でラバウルに到着した「土佐丸」は、重砲、車両等の揚陸を完了。
必ず持ち帰るようにと厳命された規格型貨物函を再搭載している最中に、島伝いに移動してきた戦闘機の空輸部隊がラバウルに到着。パイロットと合流し、本来の戦力に戻った「土佐丸」は、再度出港。4月25日に本来の攻略起点、ラエに到着した。




