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落日の鈴木商店

 1922年。ワシントン軍縮会議は列強の保有する戦闘艦艇の大幅な削減を決定した。

 際限のない軍拡を制限し、経済の回復を待とうとするこの会議は各国海軍軍人の猛反発に遭うが、財政難に悩む列強の官僚と政治家に受け入れられ、艦齢10年を超える老朽艦と未成艦などの一斉除籍、廃艦が行われる。

 大日本帝国では日露戦争の鹵獲艦、老朽化した戦艦などが廃艦の対象となり、建造中の「高雄」「愛宕」「紀伊」「尾張」「加賀」「土佐」もそれに該当。これらは解体するか標的艦として破壊されるかの検討が行われていた。


 これに目を付けたのが鈴木商店であった。


 第一次世界大戦の資材調達で莫大な冨を築いた鈴木商店だったが、大戦後の反動で経営に打撃を受け、個人商店から持株会社制への移行が検討されていた。

 この時期、金子自身も経営の一線から退くよう鈴木商店内外から圧力がかけられており、かつて「財界のナポレオン」と呼ばれた神通力も陰りを見せ始めていた。


 そんな金子は「土佐」に自分自身を重ね合わせたのか?いや、そんなタマではなかろう。金子は鈴木商店破産後も精力的に事業を展開、数十社を傘下に置く太陽曹達グループを切り盛りしていたのだ。何かしらの意図があったのは間違いない。理由はとにかく、金子は並々ならぬ意欲を見せて「土佐」の払い下げを画策した。これは事実である。


 この動きを、


 「金子は『軍縮の終焉は早い』と予想していた」


 との説を掲げて説明しようとする史家がおり、これに賛同する経済学者や軍事評論家も少なくはない。

 欧州の戦乱長期化を予想し、投機的な買い付けで莫大な利益を上げた金子ならではの状況分析であるとも言えるし、「夢よもう一度」と「土佐」を投機の対象としたのではないかとも考えられる。

 また、軍縮条約に対し「もう一度(戦争が)起これば問題ない」と発言したとの不確かな伝聞すらある。本当であれば物騒な話であるが、彼の人物像からはそのような事を画策する人間ではないと断言する研究者もおり、「土佐」購入は現在、各分野での格好のネタとなっている。


 その他にも、金子が高知出身であることから三菱財閥を巻き込んで(三菱財閥の岩崎家も高知出身)「土佐」を残そうと画策したのではないかと推理する郷土史家の説もそれなりに有名ではある。(お国自慢は微笑ましいが、当時の三大財閥と鈴木商店との確執を考えるとさすがに無理がある)


 とにかく、金子による「土佐」購入は不可解以外の何物でもなかったのだ。


 払い下げにあたり、鈴木商店はその理由を「鉄材の有効利用と、超大型の貨客船としての改装」と政府提出の書類に記している。

 もっともな理由だが、軍艦の民間への転用は難しい。貨物船への転用となると「猫にワンと鳴け」と言うに等しい。


 ここに太平洋戦争期の輸送船と戦闘艦艇との輸送量の比較資料がある。


 輸送船の場合、船舶1トン当たり概ね1トン。一隻あたり数千トンの輸送が可能であるが、戦闘艦艇は排水量約2500トンに対し輸送量は15トン~20トン程度とわずか0.8%にしか過ぎない。

 この尺度をそのまま適用すると、「純粋な戦艦土佐」クラスの輸送量は250トン程度にしかならない。

 そもそも沈まないように細かく区画を区切る軍艦の構造と、できるだけ多くの荷物を搭載するため広い区画を設けるという輸送船の構造は根本的な部分で相容れないものがある。それを知らない金子ではなかろう。

 「土佐」購入には何らかの意図があったと考えるのが妥当なのだ。


 関係者の多くが鬼籍に入っており、鈴木商店、いや、金子直吉が何を考えていたのかを推し量ることは今となってはできないが、とにかく「土佐」は鈴木商店に払い下げられた。1922年4月のことであった。



「土佐」を手に入れた鈴木商店は、早速これを購入理由に記された「貨客船」に改装着手しようとしたのだが、案の定、様々な障害が発生した。


 まず、改装を行うためのドックが国内に存在しなかった。

 当初は「土佐」を建造した三菱重工業長崎造船所のドックをそのまま使用して改装を行う計画だったが、「土佐」払い下げが正式決定された後、三菱が一方的にドック使用を拒否してきたのだ。

 理由は

「建造元でそのまま改装を行った場合、条約違反の嫌疑を掛けられるので申し訳ないがお断りしたい」

 ということ。まぁ、商売敵にドックを貸し出す訳はない。


 当時「土佐」が入渠可能なドックは佐世保以外に横須賀と呉にしかなかった。これらは海軍工廠であり民間の鈴木商店の仕事を請け負うはずがない。

 残るは海外だが、幻の最新鋭戦艦の改装を海外で行うなどという選択肢は最初から存在しない。いや、存在した時点で反逆準備罪確定だ。


「鈴木商店に解体不能の鉄屑を掴ませ、大いに散財させる」三菱の謀略は成功したかに見えたが、どっこい、金子はこの程度の事には屈していなかった。


「(ドックがなければ)つくればええ」


 とはいうものの、鈴木商店傘下の播磨造船で「土佐」の改装を行うためのドックを新設するのは難しい。新規にドック建造を行うには、かなり懐が寂しかったのだ。

 資金調達を台湾銀行のみで行っていた鈴木商店に、調達できる資金には限度がある。その限りある資金を「土佐」関連事業に振り分けるのはなかなかに難しい。それこそ、戦争でもない限り。

 そこで金子は利害関係の少ない商売敵を懐柔することでこれを実現しようとした。

 幸運か不運か?白羽の矢を立てられたのは、九州に覇を唱えつつある新興財閥別府造船だった。



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