宿での一幕
日が昇ってから二度目の鐘の音が鳴り響く中、イロアスはベッドの上で眠り続けていた。
夜寝てから一度も起きていないわけではなく、一度目の鐘の音で警鐘と勘違いして跳ね起きたりしている。装備の一切はその時取り外し、全て収納して脇に置いてある。
身じろぎ一つぜす眠り続けるイロアスだったが、足音が部屋の前で止まったことで目を覚ました。
「お客様、いらっしゃいますか?」
軽いノック数回の後に聞こえたのは、受付をした女性の声だった。
イロアスはベットから降りて扉を開ける。
「何かありました?」
「…………え? え、えーとお昼にも降りてこなかったので、その、何かあったのかなと、思いまして……」
「ああ、なるほど」
何の用かと思っていたイロアスだが、理由を聞いて納得した。
頷くイロアスに、女性は半ば呆然とした様子で固まっている。
「ん? まだ何か?」
「あっ。いえいえ、それだけです。すいません」
「分かりました。あ、今食堂に行っても何か作ってもらうことは出来るんですか?」
「大丈夫ですよ」
「じゃあ何か適当にお願いします」
「かしこまりました。では、失礼します」
ゆっくりと閉じられる扉を見送り、凝り固まった体をほぐす。
体をほぐし終え、一度大きく伸びをしてから収納袋から服を一着取り出して着替え始める。
着替えが終わると、机の上に置いてある収納袋と収集袋、銭袋を腰に括りつけ、短刀を懐に入れる。
最後に髪を手でささっと整えてから部屋をあとにする。
(大分寝てたからか、随分すっきりしたな)
顔を手で揉みながら階段を下りると厳ついおっさんが仁王立ちしていた。
何故かイロアスを睨みつけているが、一瞬呆気に取られただけで構わず挨拶をした。
「こんにちは」
「……おう」
「どうしました?」
「お前、昨日の赤いヤツか?」
「ええ、そうですよ」
厳つい顔を訝しげにすることでおそろしい形相になるおっさんだが、イロアスは質問を理解すると普通に答えた。
あっさりと答えられたことが意外だったのか、片眉を上げる。
「昨日と随分雰囲気が違うじゃねえか」
「あー……」
雰囲気が違うと言われ、心当たりしかなく気まずげに頬を掻く。
「ちょっと気が立っていたというか、気を張っていたというか。そんな感じです」
気がたっていたというのにも理由がある。
イロアスは本来ならば、水晶都市で観光をしてからもう一つの名物である温泉に入りゆっくりしているはずだったのだ。それが至急緊急と言われ火山へと急行し、戦闘を繰り返しながら元凶を探り、黒の異形に出会い死を覚悟することになる。
死んだかと思えばいつの間にか草の大地に立っており、ネズミの集団に囲まれていた。訳も分からずネズミを殲滅すれば、謎の現象に頭を悩ませ、果ては御伽噺でしか聞いたことがない魔法が存在しているときた。
これで態度に変化がつかない人間なんていないだろう。
自覚があるイロアスとしては下手に言い訳もしようがない。
「ちょっとどころじゃねえ気がするんだがな」
「気を悪くさせてしまったのなら申し訳ない」
「で、何だそりゃ?」
「何だ、とは?」
気が立っていた理由を言われたのかと思ったが、どうやらそういうわけでもなさそうだと感じ取ったイロアスだが、何を聞かれているのかが分からない。
目の前のおっさんは今度は嫌そうに顔をしかめ、子供が見たら泣いてしまいそうな顔をしている。
「口調だ、口調」
「口調?」
「その気持ち悪い喋り方はなんだって言ってんだ」
「気持ち悪いって……」
今にもつばを吐いてきそうな顔をしている、目の前のおっさんの言いたいことがよく分からず首を捻るが、気持ち悪い口調と言われてつい苦笑いをしてしまう。
「一応、宿を借りている身として」
「いらねえよ」
「……」
「今一応って言っただろ? そういう見え見えな態度が気に入らねえんだよ。普通に喋れ」
「……まいった。分かったよ。これでいいのか?」
「おう」
何をするにしても、まずは礼儀を見せることは必要だというのは経験から嫌というほど分かっているイロアス。
いくら自分が類稀なる才能を持っていても、ハンターとしてあらゆる脅威を狩り続けていたとしても、立場は一般市民となんら変わりない。
一度大きい城塞都市で適当な態度をとっていたとき、お偉方から大顰蹙を買い、追放された上に兵を差し向けられるという苦い経験をした。兵を向けられた時城塞都市の上の連中の正気を疑ったが、面子だなんだを守るためには必要だったんだろうと友人に聞かされて、納得いかないながらもそういうものなのかと理解した。
故に、無駄ないざこざを持ち込まないために偉そうな、もしくは必要だと感じた人物には形だけでも礼儀をみせる方針を取っていたが、今回はそれが仇になったようだと再び苦笑いをする。
「普通は目上の人間を敬えとかあるんじゃなのか?」
「そんなもん気にするのは貴族や器の小せえ連中だけだ」
「そういうものなのか」
「ああ。お前の場合は渋々言ってますってのが丸分かりってのもあるがな」
「……それは悪かった」
演技に自信があるわけではないが、それでもこう簡単に見抜かれるとは思わなかったイロアスは衝撃を受けた。
(そんなに分かりやすいか?)
口の端や目じりを弄りながら思案するイロアスだが、おっさんに声をかけられて中断する。
「無駄なことしてねえで席に着け。簡単なもんしかねえからもう出来る」
「無駄とは酷いな。了解」
おっさんが厨房に入っていくのをみて、今更ながら宿の関係者なんだと気付く。
(チンピラかと思ったが、宿の主人だったのか? あの顔じゃ直ぐには気付けないな)
失礼なことを思いながら席に着くと、さっきまでは感じられなかったいい匂いが漂ってくる。
然程待つこともなく、おっさんが料理を持ってこちらに向かってくるのが見えた。
「おっさんは何者だ? ここは女の子が持ってきてくれるところじゃないのか?」
「はん。悪かったな、若い娘じゃなくて」
料理を目の前に置くと、そのまま向かいに座るおっさん。
思わず顔を顰めるイロアス。
「俺はおっさんの顔を見ながら飯を食う趣味はないんだが」
「俺も野郎の食事シーンを見る趣味はねえ。言っとくが、俺はここの主人だ」
「そうらしいな」
「分かってるなら話は早い。てめぇ、何が目的だ?」
「は?」
目の前に腰を落ち着けたということは何か話があるのだろうとは思っていたが、いきなりドスの利いた声で何が目的だと言われても、答えることは出来ない。
何のことか分からず素直に聞き返す。
「何が目的っていうのは、どういうことだ?」
「とぼけんな。てめえが昨晩持ち込んだこの光る鉱石のことだ」
「光石か。それがどうかしたのか?」
昨晩持ち込んだ光る石というのはは、言わずもがなイロアスが宿代代わりに渡した鉱石である。
目の前に置かれた光石は、丁寧に布で包まれていた。
「どうもこうもあるか。魔力もなしに光ってるこの鉱石、どう考えたって厄介な代物だ」
「……」
光石は、イロアスからしたら一般に流通している極普通の鉱石だ。厄介なものと言われる意味が分からない。むしろ魔力という謎の力で光っている石のほうが万倍厄介な代物だと言える。
どう考えても厄介な代物と思えない光石を、厄介だと断言されると何も言えなくなる。
「これを使ってこの宿に何かするつもりか? もしそのつもりなら……容赦しねえぞ」
目の前に座る宿の主人の目が剣呑とした色を見せ、声には威圧感が乗り、弱くない殺気も叩きつけられる。
敵意全開の宿の主人を前に、指がぴくりと動いたが、他に反応は見せない。
イロアスは目の前の主人の反応に、すこぶる遺憾だと顔を歪めるが、何と言って収集を付ければいいのか思考を巡らせる。
(宿に何かしら仕掛けるつもりと勘違いしているようだが、どうやって誤解を解くべきか。説明しようにも、光石が何で光るのか俺でも分からないからな。マリョクがどうというのも無理だな。昨日初めて聞いたから分かるはずもない。……分からないことしかないな)
溜息を吐きたくなる衝動を抑え、何かないかと思案するが、全く何も浮かばない。
仕様がないからありのままに思ったことを喋ることに決めた。
「……何もするつもりもない」
「その証拠は何処にある」
「証拠はない……が、そもそもこの光石を使って何が出来ると言うんだ?」
「考えられるのは盗品か、盗掘か。光というのは生活に於いて必需品と言える。この光石とやらは魔力を使わないことからも相当な代物だと考えられる。これほどの品が目にしたことも耳にしたこともないってのはおかしな話だ」
「……それなんだが、聞いて欲しいことがある」
「……何だ?」
宿の主人の挙げる疑うべきことは、イロアスにも理解出来た。理解出来たが、通じることはない。
何せ、宿の主人の言うことは、イロアスにとってありえないことだからだ。
ならば黙っていても良い事はない。言うべきなのだろうと決心する。
何か大事なことを言うのだと悟った宿の主人は、殺気を抑え警戒しつつ話を聞く姿勢を取る。
「俺はどうやら、転移してきたらしい」
「何?」
「それも、海の向こうから」
「……何だと?」
「信じられるか?」
「…………俄かには、信じがたい……」
難しい顔をして唸る宿の主人にそうだろうな、とイロアスは思う。
海の向こうからの転移。
自身ですら信じていないことだからだ。
証明できるものはなく、嘘だと言われればそれまでだ。現在これが最も有効な説であるという程度の認識だ。
というよりも、それ以外に説明する術をイロアスは持っていない。
だから言うのだ。
「だろうな、俺も信じていない」
「は?」
何を言ってるんだこいつ? みたいな顔をする宿の主人だが、当然の反応だとイロアスは気にしない。
「実は、気が付いたらこの土地に居たんだ」
「……詳しく聞かせてもらおうか」
「もちろん」
冷め切った料理を残念に思いながら咀嚼する。
味は中々のもので、最近淡白なものしか口にしてないイロアスからすると冷めていても十分なご馳走だった。
おっさん改め、アルマは赤ら顔で空になったグラスを机に叩きつける。
「イロアス! 酒はいける口かぁ!?」
「うるさいな。仕事しろよ」
「客なんざ夜んなるまで帰ってきやしねえさ!」
「宿屋なんだから他にもあるんだろ。そっちやれよ」
「娘たちがやるから問題ねえ!」
「……そうかい」
光石の説明も兼ねて、イロアスはここに来る前のことを含めてこれまでのことを話すと、何が琴線に触れたか不明だが、いきなり気安く接し始めたかと思えば酒を持ってきて絡み始めた。
その際自分の名前はアルマだと言い、現在向かいではなく横に座っている。
食事の邪魔なので何処かへ行けと言うも、全く意に介しない。挙句に酒に付き合えと言って来る始末である。
「悪いけど、この後用事があるんだよ。今日中になんとかしなければならないことだ」
「ああん? 金ならこいつで充分だぞ」
こいつと言いながら光石を叩くアルマ。
その様子に呆れながら食べ終えた食器を片付ける。
「確かに金の問題もあるが、そうじゃない。冒険者カードとやらを発行してもらいに行くんだ」
アヴィーと別れるとき、一時的に借り受けた使いきりの魔法カードを懐から取り出してひらひらと振るう。
使いきりの魔法カードを見て納得したアルマは思い出したように言う。
「そういえば、あの赤い鎧はどうした? 部屋の管理はしっかりとするが、絶対じゃない。あれ程のものは間違っても置いてくんじゃねえぞ」
「それなら問題ない。仕舞ってある」
一目見ただけで赤い鎧の価値は凄まじいものだと分かるが故に、それ程のものを部屋に置いていかれると困った事になりかねないと懸念したアルマだが、イロアスは問題ないと腰に括りつけてある袋のうちの一つに手をかけた。
その仕草を見て目を瞠るアルマ。
「お前それ、アイテムボックスか」
「アイテムボックス? いや、あんなもの持ち歩けるわけないだろ」
微妙に話のかみ合っていない二人だが、それは認識の違いだ。
アルマの言うアイテムボックスは、魔力によって容量が変わる、見た目布袋のマジックアイテムである。
一方イロアスの言うアイテムボックスは、自宅に設置する大きな箱のようなものだ。腰に括りつけている収納袋より圧倒的に物が多く入る代物である。
つまり、イロアスはそんな大きいものを持ち歩けるはずがないだろうと言ったのだ。
「なんだ、違うものか?」
「似たようなものだ」
食器を返却し、そろそろ出るかと軽く足を曲げては伸ばしを繰り返す。
「それじゃ、行って来る」
「おう、行って来い」
酒を呷りながら送り出すアルマに内心仕事をしろと思いながら、イロアスは冒険者ギルドへと向かった。
こういう話って意外と好きなんです