魔法とは
何が起こった?
イロアスの頭の中はこの疑問で埋め尽くされた。今の今まで起こっている不可思議な出来事に対する疑問をまとめて吹き飛ばしてしまいそうな程、強烈な光景だったと言える。
イロアスからすれば、ミラが杖を握り『火よ、燃え上がれ』と言った途端、ネズミの死骸がいきなり燃え上がったようにしか見えなかった。
何をするか興味を以って見ていたため、ミラの動作には気を配っていた。結果、杖を握り、先端をネズミに向け、言葉を発し、死骸が燃えた。この事が分かった。
杖の動作と発言の意図は、燃えるネズミの死骸という結果を起こすためのものだと理解出来たが、どうやって燃やしたのかが全くわからなかった。
(ミラは、実は火竜の親戚だったりするのか?)
そんな馬鹿なと自嘲しながら、燃えるネズミの死骸を観察する。
(この火、燃え移らないのか。ますます以って謎の現象だ)
火の近くに生えている草は燃え移る様子もなくそよいでいる。もしかしたら、死骸を退かせば焼け跡一つない草が現れるかも知れないな、とイロアスは何気なく頷いた。
(やはり、街に着いたら調べ物が先だな)
分からない続きでいい加減頭が痛くなったてきたと、燃えているネズミの死骸から目を離し、距離のあいたミラをゆっくりと追う。
近すぎず離れすぎない距離を保ちながらミラの後姿を眺めると、イロアスからすれば酷く無謀な格好だと感じた。
頭からローブを被り全身を隠す様な出で立ちで、動くたびに聞こえてくる音から、ローブの下に身を守るような金属の類を身に着けていないと悟る。
(あの服装は、この辺りを出歩くのに適しているのか? 少なくとも人を襲うような凶暴なネズミがわんさか居るようなこの辺りで、あれは妥当ではないように思えるんだが……まあ、俺の知るところではないか)
何故か嬉しそうに体を揺らしているミラの後ろ姿を見て溜息をつく。
きっとあのローブにも何かあるに違いない。深く考えたら負けだと思考放棄をし歩き続けることにした。
ウェール街はミラと会話をしているうちに見えてきて、現在街の前の列に並び進入待ちである。会話と言っても、ミラがイロアスに一方的に話しかけているだけであり、イロアスは相槌をうつ程度のものだったが。
その一方的に齎された会話の中でイロアスは覚えのない事があった。
(でかいネズミなんていたか?)
そんなもの居たかと頭の中で探っていたが、イロアスは覚えていない。
黒の異形への斬撃がでかいネズミへ当たっていたという事実は、避けられずに死ぬと確信して体を大きく捻り攻撃を繰り出していたイロアスには知りえない事だった。
また、でかいネズミがの持つ特性からイロアスの持つ特殊な太刀を受けたことで爆発四散したために死体が残らなかったことも原因となっている。
因みに、ネズミの名前はアロスティアという魔物だとミラから聞かされている。
敢えてアロスティアという名称を使わないのは、近い名前を持った竜を知っているためである。ネズミに格好良い名前はいらないとも少しは理由に入っていたりもする。
(何か、やたらと見られているのは格好のせいか?)
進入待ちのミラとイロアスは、先程から好奇の視線に晒されていた。
街に入る前に受付が必要だと聞かされていたイロアスは、列に向かって進むミラに着いていき、同じく列に並んだのだ。
その時である。周りがぎょっとしたようにイロアスを見たのは。
何だ? とは思いつつも、何か言ってくるわけではなかったので放置していたが、視線だけは鬱陶しいほど無遠慮に向けられていた。
周囲の人たちは、ほとんどが馬車を連れ、そこそこな布の服、それこそイロアスの故郷でも普段着として着ていたような服を着た者だ。ちらほらと皮の防具は鉄の防具を身につけている者もいたが、イロアスのような格好の者は、僅かでも似ている者すらいない。
イロアスの見た目は目に悪すぎない真紅を主体とした防具で、間接部ごとに金の線と刺繍が施され、肩当には黒で何かの模様が描かれている。更には生身の部分が一切見えないことも注目される一因となっている。
有体に言えば、圧倒的に浮いていた。
早く進まないだろうか、と視線に嫌気が差してきたイロアスは、手持ち無沙汰に足で土を均し始めた。特に意味はなく、本当に何の気なしに土を平らにする。
その行動を見た周囲の人たちは、落ち着かない様子でそわそわとし始めた。
そこへ数人の門番と思しき人物がやってくる。
向かってくる先は、当然イロアスである。
何処か警戒したような面持ちをみるに、面倒な予感しかしないイロアスはミラに気づかれないように小さく息を吐く。
向かってきた数人の仲から一人が進み出る。
「遥々ウェール街へようこそお出でくださいました。私は門で管理を預かる者のアヴィーと申します。少し、話をお聞きしたのですが……よろしいでしょうか?」
緊張の滲んだ表情でこちらを窺うアヴィーの様子にイロアスは嬉しくない予感があたり心の悲鳴を上げる。
イロアスはハンターといえど、一市民でしかない。
定住する場所もなく放浪を続けていたイロアスは、市民の範疇を大きく逸脱した権力などは持ち合わせておらず、もっているとすれば脅威の討伐時における発言力くらいだ。
そんな自分に一体何の話があるのか、というのが正直な心境だ。
考えられるのは超常のものや跋扈する巨大な脅威に対する知恵を貸して欲しいというものだが、この街や周囲の人たちからはそんな臭いは感じられない。
むしろ、イロアスを脅威とみているような節すらある。
分からないことだらけで、聞きたいのはこちらのほうだといいたいくらいだ。まったく、頭の痛い話である。
「構わない」
そっけない感じになってしまったのは仕方のないおとである。
「ありがとうございます。ご足労おかけしますが、こちらのほうへお願い致します」
気にした様子もないアヴィーはイロアスを先導しようとする。
しかし忘れてはいけない。
「すまないが、彼女も一緒でいいだろうか?」
「彼女? ……おや、ミラちゃんじゃないか」
「ど、どうも」
面識があったらしい二人だが、イロアスとしては喜ばしい。
正直なところ、今ミラと離されると大変困った事態になりそうな予感がしてならなかった。
「何があったか分からないけど、ちょうどいい。ミラちゃんがいるってことは、少しは関係しているってことだ。悪いけど、一緒にきてもらっていいかな?」
「は、はい。大丈夫です」
アヴィーは二人を連れて、門の脇に設置されている詰め所へと入る。
ミラは緊張した様子で、イロアスは興味深げに視線だけを動かし辺りを見回す。
そんな二人に気づいたわけではないが、若干緊張の取れた様子のアヴィーが言う。
「どうぞ、こちらにお座りください。今飲み物を用意させています」
促されとりあえず腰を椅子い下ろすイロアス。ついでに背負っていた太刀と戦槌を取り外し横に立てかけてから気づく。
「そういえば、これはそちらに預けないでいいのか? ……何やら、警戒していたようだが」
「……流石に気付きますか。不快な思いをさせて申し訳ありません。少々、派手と言いますか……その、他の方と違いましたので、結果的に警戒してしまうような態度となってしまいました。武器に関しては問題ありません。ここで暴れるような方なら、あそこで大人しく並んでいるはずもないという判断です」
なるほどと頷く。
武器に関しては、理由を述べたことだけではないような感じもするが、嘘は言っていないだろうと判断した。
イロアスが頷くと、アヴィーは武器を、戦槌を珍しそうに見ていた。
「私事でお聞きしたいのですが、そちらは何というのでしょうか?」
アヴィーが知るものに近いのは二つある。一つは槌と言われる工具であり、大工がよく使っているのを街中でみたことがある。 もう一つはハンマーと言われる、冒険者が稀に武器として持っているものである。
工具である槌は円柱の鉄の塊に堅い木の棒を通したものであり、冒険者の使うハンマーは、工具である槌をそのまま戦闘用に大きくしたようなものである。
そのどちらとも違うイロアスの持つ、おそらくは武器であるもの。
アヴィーは珍しい形のそれに目を奪われた。
イロアスとしては、周りのハンターたちも結構な確立で戦槌を所有していたので、何が珍しいのかよく理解出来ないでいた。
特に隠し立てするようなものではないので素直に答える。
「これは戦槌という。丸い方は打撃を、尖った方は貫くことを目的とした武器だ」
イロアスの持つ戦槌は三つの鉱石から出来ており、柄に使用された鉱石以外には条件に応じて性質を変化させる特別なものだ。
勿論、そんな余計なことをイロアスは言うはずもない。
ぱっと見ると、柄が赤く丸い部分が青く尖った部分が紫と不思議な、言ってしまえばセンスのない配色であるなとしか思えない。
「戦槌。成る程、機能性のある素晴らしい武器だ」
ほう、と感嘆した様子でしみじみと呟くアヴィー。
何が琴線に触れたのかイロアスの知るところではないが、自身の持つ武器が褒められているのは確かであり、悪い気はしない。
何しろこの戦槌、武器屋の主人に特注で作らせた唯一の代物である。
武器屋の主人に、性能は良いが見た目が悪いと言わしめた一品であり、その性能はイロアスの持つ武器の中では断トツに高い。欠点はリーチが短いことであるが、イロアスからすれば欠点とは言わない。
二人の男が内心盛り上がっているなか、置いてけぼりのミラはなんとなく、へーと分かってる風に相槌をうつだけだった。
やがてやってきた飲み物を手に取り、イロアスは目的を聞く。
「それで、話とは?」
「ええそれなんですが、貴方は……失礼、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「イロアスだ」
「ではイロアス様、貴方は何処かの国の騎士でいらっしゃいますか?」
また騎士か、と内心気落ちしながらも否定する。
「ミラにも同じことを聞かれたが、騎士ではない。この格好は、向こうでは普通だった」
「そうでしたか」
「ああ。それと様はやめてくれ」
騎士ではないと聞いた途端ほっとした空気を漂わせたアヴィーに訝しむが、続いて答えづらい質問がとんでくる。
「分かりました、イロアスさん。向こう、と言いましたが、それはやはり海の向こうということでしょうか?」
「………」
どう答えるべきか。
正直なところ、正解が何であるかイロアスですら分かっていない。
イロアスの現実は、黒の異形と戦っていたらネズミに囲まれていた。これだけである。こんなことを言えば頭のおかしい人間だと思われるに違いない。
そう考えると余計答えが出せなくなってくる。
「どうしました?」
「……いや、それについてなんだが」
正直に言うべきか否か、葛藤が生まれるイロアスを救ったのはミラだった。
「あ、アヴィーさん!」
「ん? どうしたんだい、ミラちゃん」
「実は、イロアスさん……急に現れて私を助けてくれたんです! こう、空から降ってくるみたいに、バッと!」
救われなかった。
イロアスの心境は、一体何を口走っているのかこの子はというものであった。
現に空気はこれでもかといった具合に静まっている。死んだといっても過言ではない。
「あ、あれ?」
ミラは何故か急に苦しくなったような空気に戸惑っている。
これで頭のおかしい人間入りかと考え、言ったのは自分ではないと気付き、気を持ち直す。
とりあえず、この場をどうにかしないとなと考えたところで、目の前の人物、アヴィーの様子がおかしいことに気付く。
「まさか、転移魔法……? いや、そんなはずは」
ぶつぶつと呟くアヴィーであるが、イロアスには聞こえていた。
(転移魔法? 転移というからには移動させることに関するものだと思うが……魔法だと?)
イロアスの知る魔法。御伽噺で語られる奇跡の行使である。
小さいこころに聞かされた、人の身で使うことは出来ない魔法と言われる奇跡の現象を扱う魔法使いの話だ。
魔法使いの起こす奇跡はかつて世界に猛威を振るった超常の存在を容易くあしらったと言われる。
曰く、灼熱の光は天より災害を振り撒く天龍を焼き落とす。
曰く、凍て付く風は島を覆う巨体を誇る皇龍を封殺する。
曰く、地割れは大地を蹂躙する塵龍を追い落とす。
人の身では到底扱いきれない超常の現象を起こす存在、それが魔法使い。
魔法使いの由来である超常の現象、それが魔法。
御伽噺で語られる魔法という言葉を、今この場で聞くとは思いもしなかったイロアス。
(この不可解な現象は、転移魔法とやらのせいだと? ……ありえない。魔法使いが実在するなど、聞いたことがない)
混乱するイロアスに、更なる爆弾が放り込まれる。
「転移魔法と言えば、ズェスィ法国ですよね」
誤字脱字や気になるところがあったらお願いします。