始まりの出会い
ざわざわと草木が揺れる音に紛れ小さい何かが走っていくような音を聞きながら、少女はバクバクとうるさい心臓を必死に落ち着かせ、荒い息を整えようと大きく何度も息を吸っては吐いて繰り返す。
時折聞こえてくる木がなぎ倒される音に体がびくりと反応しながら、少しはましになった調子を確認して走り出す。
(はやく、戻って伝えなくちゃ……!)
走り出し震える体を抱きしめながら、止まりそうになる足を必死に動かしながら森の中を駆ける。思い出してしまうのは、薬草を集めていた時に遭遇した子供くらいの大きさの魔物と、大人の人間以上の大きさの魔物。
ぶるりと体が震える。
ありえない、と少女は考える。
(あんな魔物、聞いたことない!)
少女の知るあの魔物は子供くらいの大きさで、群れること自体は無いこともないが、大して問題視されていない。
少女が問題としているのは大きい方である。
見た目こそ小さい方と似てはいたが、大きさが異常である。
遭遇した魔物は広く認知されている魔物であり、単体の脅威が圧倒的に低く、腕に覚えがない人物でもかろうじて勝てる程度でしかない。特徴とされているのは、遭遇する固体が全て同じ大きさでしかないため、他の魔物と違い一定以上の大きさに成長することがない魔物と言われているのだ。
それがどうだ。
先程遭遇したあの魔物は、明らかに同じ種であると断言出来る。ならばあの大きさはなんだというのだろうか。
「ヒッ!?」
少女は一心不乱に走り続け、何とか拓けたところに出ることが出来た。あとは道を辿って戻るだけだ。
僅かの安堵を得たところで、あと少しであの魔物のことを報告出来る、そう思い背後の森を振り返れば、何対もの赤い目がこちらを見ていた。
自身を捉える複数の視線に思わず恐怖の声が漏れ出たが、なによりも恐ろしいのはその奥にあった。何対もの赤い目の奥には一際大きい赤い目である。
ゆっくりと、赤く大きい目が進み出る。
「あ、あぁ……ぅ」
少女は恐怖に声を震わせながらも、距離をとろうと足を動かすが、小さい方の魔物たちが素早い動きで大きく輪を作り少女を囲む。
「な、なんで……?」
一斉に襲い掛かってこないことを疑問に思いながら、目の前の脅威に意識を向ける。
それでなんとなく理解した。
(もしかして、遊んでる・・・!?)
魔物の表情など人間である少女には分かりづらく、目の前の魔物は特に表情が見て取れないが、それでも何となく気配で遊んでいると感じた。
遊ばれていると感じた少女は憤りを覚えるも、目の前の魔物にはどう足掻いても勝てないと自分で分かっていた。
それ故に歯がゆく、泣きたくなった。
(もう少しなのに……!)
少女は魔物に遭遇し、脅威だと感じた。
この脅威はきっと自分だけに襲い掛かるものではないと確信した少女は、敵わないと理解し、悔しく思いながらも情報だけは持ち帰ろうと必死になった。
それがこの様である。
戦う力もなく、情報すら持ち帰ることが出来ないのか。
そう思うと涙が溢れて来る。
「………ッ!」
せめて最後くらい目の前の化け物に一発でも入れてみせると、杖を握り先を向ける。
涙ぐましい行動に、魔物は益々愉快そうな気配を漂わせるが、少女は構わず杖を向け続け、呪文を唱え――
「炎よ、敵を―――――えっ?」
――赤い斬線が魔物に走る。
敵がいるのも忘れ気の抜けた声を漏らした少女の目に映ったのは、真紅の騎士であった。
爆音が響き爆発が砂埃を巻き上げ視界不良になる中、手応えに疑問を覚えながらイロアスは素早く身を翻す。
(……この臭いはガスか。どうやら俺は生きているらしいが、一体何が起こった?)
先の一撃は何かの拍子に外したものらしいと考えたイロアスは、ガス臭さに顔を顰めながら黒の異形の不意打ちに備えるべく油断なく構え周囲を窺う。
視界が段々と晴れてくるごとにイロアスの表情は難しいものとなっていく。
(……どういう状況なんだ?)
視界が晴れて露になった光景。
まず、どうして自分はここにいる? という疑問が生まれた。
イロアスは、間違いなく自分が火山に居たと断言出来る。決して緑溢れる大地ではなく、熱を孕んだ大地に焼きつく様な空気の火山にいたはずである。
次に、何故ネズミに囲まれている? である。
何故かイロアスは人間の子供ほどの大きさのネズミ達に囲まれていた。黒の異形は気配を微塵も感じない。
最後に、後ろの少女は何者だ? というものだ。
(降って沸いたわけではない、だろうな)
降って沸いたという表現は正しく使われているのだが、今のイロアスの知るところではない。
ただイロアスは、自分のやるべきことは正しく理解出来た。
即ち、目の前のネズミの殲滅である。
「ギッ!?」
ネズミの姿を持つ魔物は軒並み口を開けて呆けていたのでイロアスの敵ではない。
蹂躙。
正にこの言葉が相応しい状況が繰り広げられた。
例えネズミの魔物が正常であってもイロアスを止めるどころか攻撃の一つも当てられないであろう動きで、一振りごとに数匹をまとめて切り伏せていく。
瞬く間に数を減らしていく同胞に、ネズミの魔物は遅まきながらイロアスに食ってかかったが、全滅までの時間が早まるだけに終わった。
最後の一匹を切り捨てると、イロアスはようやく張り詰めていた空気を霧散させる。
敵の影は近くには見当たらない。それらしい気配もなく、黒の異形も火山とともに何処かへ消えてしまったようだ。
(いや、消えたのは俺のほうか)
火山より消失したのは間違いなく自分のほうだろうとイロアスはぼんやりとしながら考えた。
未だ現実が身に染みない。
イロアスからすれば火山が、黒の異形こそが消失したのだ。変わりに現れたのは緑の大地にネズミの群れ。
一体これから何を察しろというのか。
癖になりそうな溜息を吐き、太刀を収めながらこれからどうするかを考える。
腕を組み沈黙していると、居合わせた少女を思い出す。
(そうだ。そういえば人がいたか……ん?)
イロアスが戦闘をしている間も、これからどうするかを考えていた間も、ずっと大人しかった少女に振り返れば、そこには座り込んで依然呆然としたままの少女がいた。
よく見れば、目が輝いているように見えなくもない。さらに言えば、頬も僅かに色づいているように見えなくもない。
(これは、あれだな。仕事終わりに街を歩く俺を見る子供たちのような顔に近いな)
イロアスが依頼を受け、見事遂行し街に帰還すると、まるで英雄を迎えるような歓声を受けることが度々あった。その中で、大人に混ざり小さいながらも興奮して声を上げる子供たちに、今の少女のような顔をしている者がいることがあった。
それはさておき、イロアスとしては話を聞きたいところなので、いつまでも呆けてもらっていては困るのだ。
緊急ではないが、よく分からない陥ったままの状況は精神によろしくない。
少女に触れるのは気が引けるが、こういう手合いは触らなければすぐさま正気に戻る保障もない。
ぽん、と手を置けば少女の体は面白いほどに震えた。
「―――!!」
少女は正気に戻ったらしく、顔を真っ赤に染め上げながら謝罪の言葉を口にして何度も頭を下げている。
しかし、イロアスの表情は芳しくない。
顔全体を覆う装備のせいで、少女がイロアスの表情を知ることは出来ないが、もし少女がイロアスの表情を見ることが出来たなら、顔を赤から青に変え、今以上に謝罪の言葉を口にするだろう。
イロアスは眉を寄せ、事態は割りと深刻かも知れないと考える。
(多分、ありがとうとか、助かりましたとか、そんなことを言ってるんだろうな。……参ったな、言葉が分からない)
イロアスは少女の言っていることが分からなかった。最初は聞き取りづらいだけかと思い耳をすませてみると、はっきり聞き取れるが何を言っているのかが分からないことが分かった。
言葉が通じないと察しながらも、流石に無言を続けるのは不味いと判断したイロアスは、通じないと分かっていながらも身振り手振りを交えて話かけてみることにした。
「すまない。俺は君が何を言っているのかよく分からないんだが、俺の言葉は通じるだろうか?」
「――? ――――! ――――!」
「ん?」
少女が小首を傾げた時、イロアスはやはり通じないかと溜息を吐こうとしたら、少女が予想外な程反応し、荷物を漁り始める。
何を取り出すのか大人しく見ていたイロアスは、お目当てのものを見つけ出せたらしい少女が掲げたカードを注視した。
(カード? 出身地でも確認するつもりか?)
「―――」
ならばこちらもと懐に手を入れようとしたイロアスは、取り出したカードに何かを呟いていた少女が再び口を開くことで、驚いて動作を止めてしまうことになる。
「どうでしょうか? 私の言葉、分かりますか?」
「っ!」
「あ、あれ? 壊れちゃったのかな……ううん、高いのにこれ」
「い、いや……聞こえている」
「え? あっ! 良かった!」
壊れてなかったー、と喜ぶ少女だが、イロアスはそれどこれではなかった。
(なんだ? 何でいきなり言葉が通じた? あのカードに各地の言語の特徴を記すものでも書いてあるのか? いや、だとしても特定が早すぎるだろう。そもそもあんな小さなカードにそこまでの情報が書き込まれているとは思えない。待てよ、壊れたとか言ったか? あれは何かの装置なのか? あんな小さいカードのようなものに、一体どんな……)
「―――てますか? あのー、すいませーん! 大丈夫ですか!?」
「………ああ、うん。大丈夫」
「本当ですか? なら、いいんですが」
「それよりも、聞きたいことがあるんだけど、いいかだろうか?」
「あ、はい。大丈夫です。私に分かることなら、ですけど」
イロアスは、カードのようなものも気になるが、色々と確認することが先だと判断し、質問をすることにした。
少女も何やらこちらに聞きたいことがあるように見受けられるが、申し訳ないと思いつつも先にこちらの質問を優先させてもらうことにした。
「まず、ここは何処だろうか?」
「え? ……あ、えーと、えーと……そ、そこの森がアドルの森と言いまして、ここから……」
「ああ、そうか。すまない。何という地名だろうか?」
イロアスは混乱のあまり大雑把な質問をしてしまったと反省し、続いて少女の表情から間抜けな質問をしたとも察した。
「え、ええと? あ、すいません。ら、ラナド地方、ですね」
「ラナド地方……」
聞いたことがない。
(質問すればするだけ疑問が増えそうだ)
「どうしました?」
「…………いや、遠くまで来たな、と」
「遠くから! やっぱり異国の騎士様なんですね!」
「やっぱり?」
「はい! この辺では見たことも聞いたこともない鎧でしたので、異国の方なのかなと。それに、言葉も通じませんでしたし」
「………」
思わず頭を抱えたくなる衝動に襲われた。
突っ込みたいところが沢山あり、しかし変に返すと何かと面倒が起きそうで突っ込めないという板ばさみになる。
騎士とは何か。そもそもどうして確信に至る? みたこともない鎧? 言葉も通じなかったから?
(騎士とは同業の者だろうか? いや、やっぱりという言葉からそれはないな。そもそもみたこともない鎧と言ったが、ハンターの連中が皆同じ装備ということはほとんどありえない。言葉も通じなかったから? 言葉の通じない相手との打開手段を持っていて、かつ直ぐに対応出来るとなると、日常的にそういった対応が求められているのか? ……駄目だ、全然分からない)
考えれば考える程泥沼へと嵌っていきそうだ、と一旦考えることを放棄して、まずは落ち着ける場所へと行くべきだと行動方針を固める。
「すまないが、えーと……」
「あ、ミラ・アクフィスと言います。ミラと呼んでください、騎士様」
「そうか。ミラ、俺はイロアス・エヴィニティ。イロアスって呼んでくれ」
「はい、イロアス様!」
「……あと、俺は騎士ではない。様付けも止めてもらえると嬉しい」
「ええ、そうなんですか!? すごく騎士様っぽいのでてっきりそうなのかと……」
騎士様っぽいと言われてもピンと来ないイロアスは、自分と同じような格好をしている連中を想像し、頭を振った。
(非効率な連中だな)
騎士とやらの存在の重要性を薄くし、頭の中を整理していく。
「とりあえずミラ、近いのは場所は? ここに来る前に色々あって少し疲れたから、ゆっくり休みたい」
「ここから近いのはウェール街ですね。私も疲れてしまいました」
あはは、と笑う少女ミラはイロアスから見ても疲労の色が濃い。肉体的な疲労もそうだが、精神的な疲労が大きいと感じる。
ここに来たとき、ミラはネズミ共に囲まれていた。どういった経緯からあのような状況に陥ったかは不明だが、あの囲まれた状況が精神を大いにすり減らす原因となるのは想像に難くない。
イロアスがネズミの魔物に視線をやっていることに気がついたミラは、ハッとしてネズミの魔物に近寄った。
「改めてありがとうございます、イロアスさん。ウェール街に着いたらお礼しますね」
「感謝の気持ちは受け取ることにしている。楽しみにしておこう。ところで、何をするんだ?」
「はい。ええと、このまま放置すると危ないので、処理してしまおうかと思いまして。……証明部位のほとんどが酷い状態になっていますが、一応取っておきますか?」
「……いや、いい」
証明部位。おそらく仕留めた相手の特徴的な部分の素材を取らないのかということだろうと、わざわざ聞きなおすこともない。
ほとんど酷い状態と言ったのはイロアスの太刀で焼き切ったためである。
「では、失礼します。火よ、燃え上がれ!」
ミラが処理をするといったので、何をするのか分からないが、イロアスはネズミの魔物を一箇所にまとめて置いた。
イロアスが離れたのを確認したミラは杖を握り、呪文を口にした。
途端に燃え上がるネズミの魔物たち。ミラは満足げに頷くと、イロアスに振り返る。
「では、行きましょうか!」
心なし軽い足取りのミラ。
「なん、だと……?」
唖然とするイロアス。