何故幸せを感じられるのだろう
「私癌らしいよ」
付き合い始めて一年程だったであろうか
急の告白に僕は何を言われたのか理解出来ずにいた
しかし頭では理解出来ていないのに、頬を涙がつたう
「このまま放って置いたら一年もたないとも言われたよ」
何も言えずに呆然とする僕に彼女が更に言葉を投げかけた
冗談だろ、と笑って返したかった
だけど、理屈抜きでこれは現実だと体が教えてくる
「放って置いたら一年だろ?治療すればちゃんと治るだろ?」
僕は出来る限りの元気な声で言った
これが精一杯なのだ
気を抜いたら泣き崩れて話す事すら出来なくなりそうだ
彼女は俯きながら「うん」と一言
彼女の表情からは感情を伺えない
僕は彼女を軽く抱き締めながら言った
「大丈夫、きっと治るよ」
僕の胸の中で彼女が小さく頷いた
次の日から入院生活が始まった
僕は仕事を深夜に変え、お見舞いが可能な時間帯はなるべく病院に行き可能な限り一緒に居る時間を増やした
昨日は何を食べた?仕事はどう?
僕達は時間さえあれば、この先一生出来るであろう会話を毎日した
最初のひと月程は、お互い毎日を笑って過ごしていた。
しかし、ある日を境にお見舞いに行くと彼女が「う〜、う〜」とうなされて要る事が多い事に気が付いた
抗がん剤治療が始まったのだ
彼女は必死に痛みに耐えていた。
彼女が言うには筋肉痛の様な痛みがするらしい
僕はその日からお見舞いに行くと彼女の体をさする様になった
体を揺らされると痛みが散るらしい
毎日毎日・・・
僕はこの頃から家に帰ると彼女の居ない部屋を見て、不安に押し潰されそうになりながら毎日の様に泣いた
しかし本当に辛いのは彼女なのだ、痛みに耐え、不安に耐え病室でたった一人戦っているのだ
彼女の前では涙を見せず精一杯笑い、笑わせてやろうと決意した
ある日彼女がそんな僕に「いつもありがとう」と呟く様に言った
僕はありがとう何て言われる事は何もしていない、出来ないのだ
背中をさすっているので表情は解らない
だけど解る・・・彼女は泣いている
僕も彼女の背中をさすりながら、声を押し殺しながら泣いた。
辛さが体の痛み以外にも顔を出してきたのは、それから直ぐの事だった
肌はボロボロになり、体重はストレスからか見る影もなく太り、髪の毛も抜けた
普通は抗がん剤を打つと痩せるらしいのだが、稀に逆に太ってしまう人もいるらしい
彼女はその事も気にしている様子だった
手術をしたら90%治す事は出来る、と医者は言う
しかし彼女は決して首を縦には振らなかった
子供が欲しい、こんな姿になっても体中が激痛に苛まれても、その夢を諦める気は無いらしい
僕はそこまでしても子供が欲しいと言う女性の誇り高い気持ちは理解出来なかった
子供なんて要らない、彼女が隣でずっと笑っていてくれるならそれだけで十分だ
しかし僕は彼女に手術を勧められなかった
彼女の気持ちを汲んだ訳では無い
手術がもし失敗したら命の危険性もあるのだ
万が一にも彼女を永遠に失うかもしれない選択を僕は選べなかった
もし医者から失敗は有りませんと宣言されていたら僕は彼女の気持ちなど考えずに手術させていただろう
抗がん剤治療と放射線治療を繰り返し一年が過ぎた
何もしなければ保たないだろうと宣言された一年である
今の彼女は入院はしていない
たまに病院に行き検査はしているが、自宅で普通の人の様に暮らしている
だが治ったわけでは無いのだ
普通は五年間再発しなければと言われているのだか彼女は手術をしていない
再発どころか完治していない
不安は尽きぬまま日常を過ごす
当たり前の会話をし、一緒にご飯を食べ、朝起きたらおはようと挨拶する
この当たり前が何と幸せな事か。
もちろん喧嘩もするし言い争いも毎日の様にある
だが、その喧嘩ですら幸せの一つなのである
そんなある日、一枚の手紙を見付けた
今まで有難う、私は幸せだったよ。
ずっとごめんね、本当なら病気になった時に君とは離れて自由にしてあげるべきだったんだ
今の私に出来る事は死んで君の心にずっと残る事だけ。本当に幸せだったよ
文は短かったが彼女の気持ちが全て詰まっている気がする
別れようと思っていた事
それでも一緒に居てくれた事
有難う
そして幸せだった事
僕はその手紙を元に戻した
この手紙はもし僕に挨拶も出来ずにお別れすることになった時の為のものだろう
つまり自身もいつ死んでもおかしくないと理解しているのだ
それはどれほどの恐怖なのだろう
くだらない事で笑いあっている時も
食事の時も、喧嘩している最中でさえ
次の瞬間は会話すらも出来なくなってしまうかもしれない。
そこまでの覚悟を持ち僕と一緒にいてくれる彼女をとても愛しく感じた
「大事にしなくちゃね」
自然と口からこぼれた言葉だった
もちろん僕は彼女が病気に負ける事なんて考えていない
だから手紙の事も言うつもりもない
僕は手紙など見ていないし、これから先も見る事は無いはずだ
何故ならば、手紙を見る時は彼女が病気に負け、僕が一人ぼっちになった時だけなのだから
そんな未来来るわけがない
だが僕はその手紙を別の思惑で思い出す事となる
悪い事は重なるもので、そんな折家族の悲報が届いた
実家で暮らす母がくも膜下出血という病気で倒れ意識不明になってしまったのだ
簡単に行き来出来る距離ではない
僕はなるべく早く戻るよと言い残し家を出ようとした。
彼女はそれに対して優しく言った
「たった一人のお母さんでしょ、そばにいてあげなきゃ」
彼女は笑顔で見送ってくれた
数日後、病院の手続きや家の事の問題が片付き始めた頃不意に電話が鳴る
彼女からだ
いつもの様に話しかけるが、何か様子が変だ
突然彼女がカンシャクを起こした様に叫び出す
「もう女の子と話すのはやめて、友達付き合いも辞めて縁切って」
いくら何でも無茶な注文だ
生きていれば会話くらいはしてしまうものだ
「落ち着いたらもう一度電話かけておいで」
僕はなるべく刺激しないように電話を切った
おかしい。
確かに彼女はヤキモチ妬きではあるが、こんな無茶を言う子ではない
次の日電話が掛かってきた
僕は気持ちを逆立てないように諭す様に話しかけた
「落ち着いた?何があったの?」
しかし彼女の応えは、もう戻って来ないで
決別の言葉であった
僕の居ない間に何があったのだろうか
電話をしても出てくれず、何も理解出来ずに数日が過ぎた頃、電話がなった
彼女の面倒を見てくれている看護婦さんからであった
どうやら通院の時は必ず付き添う僕が居なかったから、どうしたのかと連絡をくれたようだ
僕は素直に彼女に戻って来ないでと言われた事を伝えた
すると看護婦は、私が死ぬ前にはちゃんと別れてあげないとね、と相談された事があると言った
全てが繋がった気がした
あの手紙の一節、自由にしてあげないとね
どうしたんだ?と思う様な喧嘩の内容
そして看護婦さんの相談
僕が家を出る時のお母さんのそばにいてあげなきゃの言葉
彼女は僕と別れて、僕を自由にして
これから先一人で生きていくつもりなのだ
いつ死んでも良い様に
涙が止まらなかった
今すぐにでも彼女の元に帰りたい
また彼女の作ったシチューが食べたい
また一緒に漫画が見たい
一緒に笑いたい
一緒に泣きたい
一緒に・・・死にたい
だけど彼女はそれをさせない為に別れを告げたんだろう
僕がここで戻るのはエゴだろうか
決心して別れを告げた彼女に対しての侮辱になるのだろうか
いくら考えても僕には答えがわからなかった
皆様もお気付きだとおもいますが、この物語はまだ完結していません。
和猫自身もこの先どうなるか解らないのです。
ですが、作中の彼はこの後彼女に会いに行き、彼女も受け入れてくれました。
この先どうなるか解りませんが、ただ一つ言える事は、何があろうとも彼は彼女を愛し、この先の自分の人生全てを賭けて彼女を守ると誓います。
もし、それでも力が及ばなければ……彼女と共に永遠の眠りにつく事も考えています。
その行為は彼女の為になるのかすらも解りませんが、それでも彼は一人で生きていけるほど強い人では無いのです。
どうかこの小説を見た読者様、二人の幸せを祈ってあげて下さい。