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聖夜の悪魔は祝福の子  作者: 浅木せと(旧PN:鴇)
降誕節 Christmas
20/29

聖夜の光

 燭火礼拝は終わりを告げ、信徒たちの群れが教会を離れはじめた。

 蝋燭の火が金色の点になって列をなし、宵闇に漂いながら少しずつ散っていく。

 風の強い夜だった。

 教会の前庭、静かにざわめく人ごみの脇に、彼はひとりたたずんでいた。

 胸の前に小さな両手で持っているのは、火のない一本の蝋燭。

 礼拝後のキャンドル・サービスで配られる蝋燭には、神の光をたたえる火が灯される。

 この世を照らす光――イエス・キリストの降誕を祝う夜。

 聖夜の燭火は、救い主の光の象徴だ。

 それなのに、彼に与えられた光は、教会を出ると同時に風にさらわれてしまった。

 手元に残ったのは冷たい蝋と、燃え尽きた芯、そして真冬の闇だけ。

 そのことが何かを暗示しているように感じられて、胸の底に重たいものがわだかまっている。知りえぬ未来に抱いている漠然とした不安に似たものが。

 早く家に帰りたい。

 それと同じくらい、帰りたくなかった。自分の家以外のどこにも帰れないのに、なぜそう思うのかわからない。

 少し離れたところで、彼の両親が司祭と立ち話をしている。

 彼はその話が終わるのを待っていた。白い息を吐き、じっと自分の靴を見つめながら。

 彼は自分の靴がほかの子供たちより上等なことを知っている。

 コートも、マフラーも、上着も、シャツも。

 それらを与えてくれる両親がいて、当たり前に帰れる立派な屋敷がある。

 それなのに幸せじゃないなんて許されない。

 蝋燭の火を失くしたくらいで、こんなに不安になってはいけない。

 なんでもないって顔をして、前を向いていなくては。

 たまたま強く吹いた風で、火が消えてしまっただけだと。

 ありふれた、なんでもないことだと、そう思いたい。そう思いたいのに。

 神の愛を、こんなことで疑うべきじゃない。

 もしかしたら神さまは、ぼくのことを見守ってくださらないのかもしれない、ぼくのことをあんまり好きじゃないのかもしれない、なんて――。

「火、消えちゃったの?」

 突然話しかけられ、彼はびっくりして顔を上げた。

 思わずたじろぐほどの近さに、見知った少女が立っていた。

 大きなはしばみ色の瞳で彼の顔をのぞきこみながら、ちょこんと首をかしげている。こまかくウェーブのかかった髪が、フードの下であどけない頬の周りをふちどっている。

 彼は驚きのあまり口を開けたけれど、言葉は出せなかった。

「分けてあげる」

 目を丸くする彼にかまわず、少女は持っていた蝋燭の火を近づけてくる。

 黒ずんだ芯に炎が接し、金色の光がふたつに分かれて燃え上がった。

 その炎が燃え移ったかのように、彼の胸にも何かが宿った。

 凍える寒さの風にも消えない、ほのかに明るいぬくもりが。

「あ……」

 ありがとう、と言おうとして、彼はうまく声にできない。

 冷たい風が吹いて、蝋燭の火が揺らめいた。

 彼はあわてて手のひらを炎にかざす。

 風は燭火を吹き消す代わりに、少女のコートのフードをさらった。

 長い髪が散らされていく。

 色づいた麦の穂のような髪。

 それほど艶もないのに、灯火よりも美しく光って、彼の目を奪う。

 少女はわずらわしげに頭を振った。

「あーん、もう、この髪! クリスマスくらいおとなしくしてくれてもいいのに」

「え……?」

「ちっとも言うこと聞かないの。だからさっきも、あんなかっこ悪いことになって……」

 少女は頬をふくらませてうつむいた。

 くるくるした毛先を指先でいじりながら、少しさびしそうに言う。

「ほんとはね、マリアさまの役がよかったんだ。でも女の子の中で一番背が高いから、賢者の役になったの。さっきの、あなたも見てたでしょ?」

 さっきの、という言葉が何を指しているのか、彼にはわかっていた。

 けれど何を言えばいいのかわからなくて、ただ喉が震える。

 蝋燭の明かりが彼女の顔を照らしている。

 その濡れたような瞳に、星に似た光がまたたいている。

 何か言わなくちゃ、と彼は思う。

 言わなくちゃ。言わなくちゃ。言わなくちゃ。

 母に見つかる前に。

 見つかって、叱られる前に。

 夢から覚めてしまう前に。

 彼女が行ってしまう前に。

「ぜんぜんお話ししないのね。……ほんとに天使みたい」

 彼の顔を見つめて、少女がつぶやく。その頬がほんの少し、赤く染まっている。

 喉が、動かない。

 火を、ありがとう。伝える言葉は、それだけでいいのに。

 それだけでいいのに。

「エルヴィン!」

 母が悲鳴のような声を上げた。

 途端に心臓が、きゅうっと縮まった。

 母が彼の手を引っ張る。強い力で、彼は少女から引き離される。

「ふらふらしないで、こっちに来なさい! 女の子に見とれてはいけないと言ったでしょう!? どうしてお母さんの言うことを聞けないの!」

 悲しげな顔の母が、腕をつかんで彼を揺さぶる。

 ささやかに灯っていた火は、その揺さぶりと風にさらされ、ふっと消えてしまった。

 彼は動揺し、どうしたらいいかわからなくなる。

 たったひとりの愛する母に、クリスマスの夜に、そんな悲しい顔をしてほしくはないのに。

 母を失望させまいとする言い訳が、真実の仮面をかぶって、喉までせりあがってくる。

 違うよ、ぼくは見とれてなんかいない。

 あんな女の子には。あんな子には。

 母にそれを証明しようと、彼は必死に顔をめぐらす。

 ふたりに遠慮してか、少女は建物のほうへ離れて行こうとしていた。

 少女の背中を追いかけ、彼は手を伸ばした。

 名前は知らないから呼べなくて、とっさに麦藁色の髪をつかむ。

 少女が振り向いた。

「エルヴィン!」

 肌を切り裂くような母の悲鳴。

 焦りが胸を締めつける。

 違うよ、お母さん。ぼくは見とれてなんかいない。

 だって、この子は――

 この子はきれいじゃない。

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