追放された守銭奴令嬢、すべての物流と特許を引き揚げる〜公爵領が破産した頃には、隣国の腹黒王子と経済の頂点に立っていました〜
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華やかなワルツの旋律と、貴族たちの嬌声が響き渡る王城の大舞踏会。
シャンデリアの眩い光が降り注ぐ中、カタリナ・ヴァン・アシュクロフト伯爵令嬢は、壁際で静かにグラスを傾けていた。
カタリナの頭の中は、明日の朝に出荷される特産品の魔導鉱石の物流スケジュールと、新たに開発した『魔導紫外線硬化樹脂』を用いた魔導具の歩留まり計算で埋め尽くされている。
アシュクロフト公爵領が誇る莫大な富は、すべて彼女が裏で構築した精密な生産ラインと流通網によって生み出されていた。
「おい、カタリナ! こんな華やかな夜会でも、お前はまた金と帳簿の計算ばかりしているのか!」
不機嫌極まりない怒声が、優雅な音楽を切り裂いた。
振り返ると、カタリナの婚約者であり、アシュクロフト公爵家の次期当主であるレオンハルトが、怒りに顔を歪めて立っていた。
彼の腕の中には、可憐なピンク色のドレスを着た男爵令嬢ミアが、怯えたような、しかし口元には勝ち誇ったような笑みを浮かべてすり寄っている。
周囲の貴族たちがざわめき、一斉にこちらへ視線を向けた。
「お前のように可愛げがなく、常に金勘定しかできない地味な女は、次期公爵夫人には相応しくない! 公爵家にはミアのように、周囲を笑顔にする華やかな存在が必要なのだ。カタリナ、お前との婚約は今日この場をもって破棄させてもらう!」
大勢の観衆の前での、一方的で屈辱的な婚約破棄の宣言。
通常の令嬢であれば、泣き崩れるか、あるいは怒り狂って抗議する場面だろう。
しかし、カタリナの表情には一片の動揺も浮かばなかった。
彼女は手元のグラスを近くのテーブルに静かに置くと、レオンハルトとミアを極めて事務的な、温度のない瞳で見つめ返した。
「……左様でございますか。レオンハルト様のご意思、確かに承りました」
「ふん、やっと自分の無価値さに気づいたか。お前がいなくても、我が公爵領には無限に湧き出る富がある。明日にはお前の荷物をまとめて屋敷から出て行――」
「明日ではなく、今夜退去いたします。つきましては、こちらの書類にご署名をお願いできますでしょうか」
カタリナはドレスの隠しポケットから、あらかじめ用意していた分厚い羊皮紙の束と、携帯用の魔導万年筆を取り出した。
「なんだこれは?」
「『婚約破棄に伴う、カタリナ・ヴァン・アシュクロフト個人名義の商会およびギルド契約の一斉解除合意書』でございます。婚約破棄の慰謝料も、これまでの私の労働に対する対価も一切請求いたしません。ただ、私個人の名義で結んでいる契約をすべて白紙に戻すことだけを条件とさせていただきます」
レオンハルトは「慰謝料を請求しない」という言葉に鼻で笑い、分厚い約款の束をパラパラと適当にめくった。
「馬鹿な女め。公爵家の威光にすがりついていたお前の個人契約など、たかが知れている。そんな端金などくれてやるわ!」
彼は契約書の中身――『領地の全物流網』『魔導具の専属特許』『職人ギルドとの独占契約』がすべてカタリナ個人のものであるという極めて重要な事実――を一行も読むことなく、流れるような筆跡でサインを書き入れた。
「ありがとうございます。それでは、私はこれで失礼いたします。公爵領のますますのご発展を、心よりお祈り申し上げます」
カタリナは完璧なカーテシー(淑女の礼)を披露すると、唖然とする貴族たちを置き去りにして、夜会の会場を颯爽と後にした。
◇◇◇
王城の門を抜けたカタリナを待っていたのは、近隣諸国でも滅多にお目にかかれない、漆黒の木材と黄金で装飾された最高級の大型馬車だった。
「お疲れ様、私の見習いギルドマスター」
馬車の扉が開き、中からプラチナブロンドの髪と、宝石のような紫の瞳を持つ壮麗な青年が姿を現した。
隣国の第一王子にして、大陸全土に強大な影響力を持つ『特務商業ギルド』の総帥、アレクシス・フォン・ルミエールである。
「お迎え痛み入ります、アレクシス殿下。……見習いは余計です。私はただ、自分の特許と商圏を守るための正当な権利を行使しただけですので」
「相変わらずドライだな。だが、そこが君の最高の美点だ。あの愚か者が君という世紀の『アーティファクト・マスター』を手放す瞬間を、私はずっと虎視眈々と狙っていたんだからね」
アレクシスが優雅に手を差し伸べ、カタリナはそれを取って馬車に乗り込んだ。
公爵邸に戻る必要はなかった。彼女の私物であり最大の財産である「大量の帳簿」と「魔導具の設計図」は、すでにすべて空間収納の魔法鞄の中に収められている。
「それで? 我が国が誇る経済特区の総代としてのオファーは、受けてくれるね?」
「ええ。私が開発したレンズ加工技術や紫外線硬化の魔導特許は、すべて隣国へ移管いたします。公爵領の物流を担っていた輸送ギルドと職人たちも、明日には全員、国境を越えて殿下のもとへ合流する手はずになっています」
「素晴らしい。やはり君は最高のビジネスパートナーだ。さあ、新たな市場を開拓しようじゃないか」
馬車は滑るように動き出し、カタリナは十年過ごした王都を振り返ることなく、新たな戦場へと向かった。
◇◇◇
カタリナが去ってから一ヶ月後。
アシュクロフト公爵領の執務室では、レオンハルトが血走った目で帳簿を睨みつけていた。
「どういうことだ……! なぜ今月の領地収入が『ゼロ』になっている!?」
報告に上がってきた白髪の文官が、絶望に満ちた顔で震えながら答えた。
「も、申し訳ございません! 領地の特産品である魔導鉱石の採掘自体は行われているのですが……それを王都へ運ぶための輸送ギルドが、忽然と姿を消してしまったのです!」
「他の業者を使えばいいだろう!」
「それが……馬車に搭載されていた『自動積載魔導具』も、鉱山を動かしていた特殊な掘削機も、すべてカタリナ様が個人的に特許をお持ちのものでした。カタリナ様が去られたことで魔力供給のパスワードがリセットされ、ただの鉄クズと化しております。メンテナンスを頼もうにも、凄腕の職人たちは皆、カタリナ様を追って隣国へ移住してしまいました……」
公爵領が莫大な富を生み出していたのは、カタリナが構築した徹底的な効率化と、彼女自身の規格外の特許技術によるものだった。
レオンハルトの実力など、最初から一ミリも介在していなかったのだ。
「そんな馬鹿な……っ!」
そこへ、両手いっぱいに高級ブティックの紙袋を抱えたミアが、鼻歌交じりに執務室へ入ってきた。
「レオ様ぁ! 見て見て、王都の職人に特注した新作のドレスよ! 公爵夫人になるんだから、このくらい華やかじゃないとね。あ、お支払いは公爵家の金庫から出しておいたから!」
「ミ、ミア! お前、今月だけでどれだけ金を使っていると思っているんだ! 今は物流が止まっていて、金庫の底が尽きかけているんだぞ!」
「えー? レオ様ったら冗談ばかり。アシュクロフト公爵家に限って、お金がなくなるなんてあり得ないじゃないですか。あの地味でケチなカタリナがいなくなったんだから、これからはもっとパーッと使いましょうよ!」
数字の概念が全くないミアの無邪気な言葉に、レオンハルトは眩暈を覚えた。
物流は止まり、職人は消え、支出だけが天文学的に膨れ上がっていく。
その数日後。
青ざめるレオンハルトのもとに、見知らぬ商会の男が訪ねてきた。
「公爵様。お困りのようですな。我が『ルベール商会』が、つなぎの融資をいたしましょう。秋の税収が入るまでの間、ほんの少しの利息で莫大な資金をお貸しいたしますよ」
藁にもすがる思いだったレオンハルトは、男が差し出した契約書――公爵領の土地と税収のすべてを担保とする、法外な複利計算が仕組まれた借用書――に、またしてもろくに中身を読まずに飛びついてしまった。
◇◇◇
それからさらに三ヶ月後。
アシュクロフト公爵領は完全に崩壊していた。
融資された金はミアの浪費と、機能を停止した魔導具の無駄な修理費であっという間に消え去った。
領民への給金は未払いが続き、飢えた民衆が公爵邸の門前に押し寄せて暴動の一歩手前となっている。
「レオンハルト様! ルベール商会の者が、借金の取り立てに参りました!」
文官の悲鳴とともに、屈強な男たちが執務室へ踏み込んでくる。
「約束の期日だ、レオンハルト公爵。元本と利子を合わせて、金貨五十万枚。今すぐ耳を揃えて払ってもらおうか」
「ま、待ってくれ! あと数日すれば秋の税収が上がってくる! そうすればすぐに――」
「それが……駄目なのです!」
文官が泣き崩れた。
「税の徴収と計算を自動化していた『魔導集計システム』もカタリナ様の特許だったため、システムが完全にロックされて機能しません! 手作業で集めようにも、暴徒化した領民から税を取り立てることなど不可能です!」
完全に詰んだ。
その事実をようやく理解したレオンハルトは、ミアの手を引いて執務室の隠し通路から夜逃げを企てた。
しかし、屋敷の裏口を抜けた瞬間、松明の光に包まれた。
「アシュクロフト公爵家嫡男、レオンハルト。および男爵令嬢ミア。国家経済への重大な背任、および巨額の債務不履行の疑いで拘束する!」
王家の紋章を掲げた近衛兵たちが、逃げ惑う二人を無情にも捕縛した。
◇◇◇
数日後、王城の大法廷。
国王と高位貴族たちが冷ややかな視線を下ろす中、レオンハルトとミアは手枷をはめられ、罪人として法廷の中央に引きずり出されていた。
「陛下! 私は騙されたのです! あの悪辣なルベール商会が、法外な利子で私を陥れたのです! どうか、我が公爵家への救済を!」
床に額を擦りつけて命乞いをするレオンハルト。
その無様な姿を見下ろすように、大法廷の重厚な扉が静かに開いた。
「……騙されたのではありません。あなたが『契約書を読まなかっただけ』ですわ」
冷徹で、よく通る凛とした声。
足音を響かせて現れたのは、隣国アレクシス第一王子に優雅にエスコートされた、カタリナだった。
かつての地味な令嬢の面影はない。隣国の最新技術で仕立てられた、気高く洗練されたドレスを身に纏い、その瞳には大陸屈指の商業総代としての絶対的な自信と威厳が満ちていた。
「カタリナ……!? なぜお前がここに……しかも隣国の王子と……!?」
「お久しぶりです、レオンハルト様。本日は隣国特務商業ギルドの総代として、債権の回収に参りました」
カタリナは国王に向かって深く一礼すると、二枚の書類を提示した。
一枚は、婚約破棄の夜にレオンハルトがサインした『合意書』。
もう一枚は、ルベール商会が結ばせた『借用書』だった。
「ルベール商会は、我が特務商業ギルドの傘下にあるダミー商会です。つまり、あなたが借りた莫大な借金の債権は、すべて私が所持しております。そして契約に基づき、担保となっていたアシュクロフト公爵領の土地、鉱山、すべての利権は、すでに正当な手続きを経て私個人の所有物となっております」
法廷がどよめきに包まれた。
一人の令嬢が、己の知略と特許技術だけで、大公爵家を合法的に丸ごと飲み込んでしまったのだから。
「な、なんだと……!? お前、最初からこれを狙って……!」
「私はただの『金勘定しかできない守銭奴』ですので。利益を最大化するための当然の投資と回収を行ったまでです。……ああ、そういえば、あの日こう仰っていましたね?」
カタリナは氷のように冷たい瞳で、愕然とするレオンハルトを見下ろした。
「『お前のように可愛げがなく、常に金勘定しかできない地味な女は、公爵夫人には相応しくない』と。――ええ、その通りです。帳簿も読めず、特許の価値も理解できないような無能な公爵家など、私にとっても不要でございます」
完璧な意趣返し(ブーメラン)に、レオンハルトは言葉を失い、崩れ落ちた。
ミアは「嘘よ、私が公爵夫人になるはずなのに!」と泣き叫んでいるが、もはや誰の耳にも届かない。
国王が静かに、しかし厳格な声で判決を下した。
「国家の重要拠点である公爵領を、自らの無能によって他国に奪われるという前代未聞の失態。アシュクロフト公爵家は即刻爵位を剥奪し、全財産を没収する。レオンハルト、および共犯のミア。貴様らはカタリナ嬢への負債を返済するため、隣国の過酷な魔石鉱山へ終身労働送りとする!」
「お待ちください陛下! カタリナ、俺が悪かった! お前の魔導具がないと駄目なんだ、お願いだ、助けてくれぇぇっ!」
衛兵に引きずられながら泣き喚くレオンハルトを、カタリナは靴の先で冷たくあしらった。
「無益な不良債権に割く時間はありません。せいぜい鉱山で、自分の流した汗の価値と数字の計算を一から学び直すことですね」
◇◇◇
場面は変わり、隣国・特務商業ギルドの最上階にある総代執務室。
窓の外には、カタリナの技術によって新たに整備され、活気に満ち溢れた経済特区の美しい街並みが広がっている。
執務机の上には、今期の莫大な利益を弾き出した帳簿と、新たな魔導具の設計図が山積みになっていた。
「見事な手腕だったよ、カタリナ。君のおかげで、我が国の経済は過去最高の成長率を記録した」
執務室に入ってきたアレクシスが、極上のワインが注がれた二つのグラスを持って微笑んだ。
「殿下の全面的なバックアップがあったからこそです。新しく導入した物流網も順調ですし、来季はさらに利益率を十五パーセント引き上げられる見込みです」
「あはは、君は本当に休むことを知らないね。だが、今日は少しだけ帳簿から目を離してくれないか」
アレクシスはグラスを机に置くと、カタリナの前に静かに片膝をついた。
そして、彼の手の中に握られていた小さなベルベットの箱を開く。
中には、カタリナ自身が開発した最高純度の魔導石が嵌め込まれた、美しい指輪が輝いていた。
「これは……?」
「最高のビジネスパートナーへの感謝と、……私がずっと愛し続けてきた女性への、一生をかけた専属契約の申し込みだ。私と結婚してくれないか、カタリナ」
普段はどんな巨額の契約書を前にしても表情一つ変えないカタリナが、この時ばかりは驚きに目を丸くし、やConfiguringやがて頬をほんのりと朱色に染めた。
「……殿下は、本当に計算高いお方ですね。私という労働力を、一生涯タダで囲い込もうというのですから」
「君という世界最大の財産を手に入れるためなら、どんな投資も惜しまないさ」
カタリナは小さく息をつくと、長年握りしめていた魔導万年筆を机に置き、アレクシスに向けてふわりと――かつての婚約者には決して見せたことのない、心底嬉しそうな笑顔を咲かせた。
「ええ。この契約、喜んでサインさせていただきますわ」




