下.恋する天使
結局ボクは、3週間入院することになった。
最初2日間つきっきりだったルカさんも、さすがに3日目からは業務に戻った。それでも1日に1回は顔を見せてくれた。
経過は順調で、傷の治りも早く、術後合併症もなかった。
桜の開花予想が発表される時期になった。
退院して数日、自宅で静養し、再び事務所に出勤したのは3月15日、晴れて朝から暖かい木曜日だった。
「我らが所長を身を挺して守った、英雄の復帰だね」と内田さん。
「シンジくん、本当によかった。しばらく無理しないでね」と吉野さん。
ボクが刺されたあたりの床を見てみる、カーペットが新しくなっている。
「家主と相談して、クリーニングじゃなくて取り換えることにした。相当古くなってたしね」とルカさん。
ボクが不在の間にも、時間は確実に過ぎていたのだ、ということを実感する。
被告人は殺人未遂で起訴。裁判員裁判になる予定とのこと。
きっかけとなった離婚訴訟は、ルカさんの望み通り、家裁判決が確定した。
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翌16日の金曜日、予定表のルカさんとボクのところには、「19時 打ち合わせ(社外)」と書いてあった。
しばらく残るという内田さん・吉野さん夫妻を残して、ルカさんとボクは事務所を後にした。
10分後、ボクたちは、駅前商店街の独立系ハンバーガーショップ「JUJU」の席で向き合っていた。
「お礼のデートなんだけど、ここでいいの?」
「入院してる間、ずっとここのクラシックバーガーセットが食べたかったんです」
「入院明けで、食べ切れる?」
「はい。ずっと病院食だったおかげで、ルカさんに負けない食欲です」
ほどなく、クラシックバーガーセットを2つ、オーナーの半澤さんが運んできた。
「聞きましたよ。深町さん大変だったとか」と半澤さん。
「おかげさまで、すっかりよくなりました」とボク。
「無理しないで、しっかり養生してくださいね」
二人ともしばらく黙々と、超ボリューミーなクラシックバーガーにむしゃぶりつく。
半分くらい食べ進んだところで、会話が戻ってくる。
「とりあえず半分、無言で食べるのが、クラシックバーガーのお作法だよね」とルカさん。
「はい。なんかそうさせるものがありますね」
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「それで、被告人の謝罪は受け入れるつもり?」とルカさん。
入院中に、弁護人がボクのところにやってきて、謝罪文を見せられ、示談について話をされた。
ボクは、退院するまで待って欲しいと告げて、そのままにしておいた。
「そうですね。謝罪は受け入れます。示談については、治療費は基本的に労災が下りますよね」
「そうだね。休んだ分の賃金は、休業補償でほぼカバーされるね」
「今のところ後遺障害もなさそうなので、そうなると、おシャカになった衣装代と、慰謝料くらいですかね」
「ルカさんのところにも弁護士が来て、ボクの退院を待ってから、とお話しされたんですよね」とボク。
「事務所の修繕も保険でカバーできてるし、キミの分も事務所の分も、求償請求が被告人に行くわけだよね」
「そうなりますね」
「休業による損失も、とりたてて言うほど発生してないし、事務所としても迷惑料くらいかな」
「それよりも、今回の事件は、例の離婚裁判がきっかけとなっている」とルカさん。真剣な眼差しになって続ける。
「だから、今回の件であまり厳しい対応をすることで、せっかく落ち着いた父親と娘に、被告人から理不尽な悪感情が向けられてしまうのが恐い」
「逆恨みの連鎖、ですか」とボク。
「そう。なので、キミさえよければ、『事務所に対して100万円の示談金、但し今後、父子に接近・接触することのない限り、支払いを猶予する』という、条件付きの示談にしてはどうかと思うの」
「ボクもいいと思います」
「じゃあ、それでキミも事務所も宥恕ということで。被告人の弁護士には、わたしから連絡します」
「ところで、被告人は殺人未遂で起訴されていますが、弁護側はどのように主張するんでしょうね」とボク。
「構成要該当性のレベルで争うなら、『殺意の有無』なんだろうけれど、凶器の殺傷性や、計画性、わたしの心臓を狙って突進したこととか、今回の件で殺意を争うのは難しいと思う」
「責任能力を争うのも難しいですね」
「そう。『娘と引き離された』という強烈な恨みはあったけれど、それが精神医学上病的と認められる水準になっていた、という証明は難しいと思う」
「そうすると、情状で刑の軽減を図るしかありませんね」
「改悛の情やら、本人の生い立ちから結婚生活、うちと示談してること、ありとあらゆる情状を申し立てても、『法治社会の根幹を揺るがす反社会性の高さ』という要素は重たい。実刑は免れないと思う」
「ですか」
「5年から7年の拘禁刑、というところかな」
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「ふふふ...」と、二本目のビールに口をつけたルカさん。
「どうしました?」と二杯目のジンジャーエールに口をつけたボク。
「だって...全然デートっぽくないんだもん。JUJUだし。仕事の話ししてるし」
「そう言えば、『法学部生あるある』がありましたね。森羅万象、すべてを法律用語で説明しようとする」
「さしずめキミなら『天使の構成要件該当性』ってところかな」
いたずらっ子のような目をしてルカさんが言う。
「法律論としては支離滅裂だよね。そもそも天使自体、犯罪じゃない」
ルカさんが続ける。
「実は昨日の晩、なんか気になって、天使について調べたの。エンジェルの原語にあたるギリシャ語が『使者』の意味、そしてヘブライ語が『遣わされた者』という意味。なので『神の使い』=『天・使』ということらしい」
「なるほど」
「だから、キミにとって、わたしが天から遣わされた者に思えるなら、わたしは、キミの天使なんだと思う」
「でも、それもやはり、支離滅裂ですね。そもそも天使は恋をしないとか」
「だとしたら、支離滅裂なのは、天使に恋してるキミのほうだね」
「でもさあ」とルカさんが、ボクの瞳の奥をのぞき込むような視線で言う。
「ほんとに、わたしでいいの?」
「なんか、改めて言うのは恥ずかしいですが、はい」
「『姫』なんてちやほやされて、我儘勝手に育った後期アラサー女性。それにキミより5つも年上」
「全部わかってます」
「それよりも、ボクなんかに資格あるんですか? 旧天歌藩主のお姫様のお相手の」
「うちの家なんて、大名だの華族だのともてはやされているのは、せいぜい450年あるかないかのことなんだよ」
「へええ」とボク。
少し前のめりになるようにしてルカさんが言う。
「家系図では『清和源氏の末裔』ということになっているけど、その実、戦国時代の初めは野盗の頭目だったらしい」
「野盗っていうと、盗賊?」
「犯罪集団と、自治組織や商物流業者との垣根が低い時代ではあったけれどね。そこに下剋上の世が訪れて、その中で要領よく立ち回ったおかげで、天歌藩十万石の大名にまで成り上がったらしい」
「そうなんですね」
「だから、日本列島にホモ・サピエンスが住みはじめてからの歴史と比べれば、浅山家の450年もキミと会ってからの1年も、そんなに大差ない期間なんだよ」
「白状するとね」と言って少し遠くのほうに視線をやるルカさん。
「1年前に面接で初めてキミに会ったときから、気になってはいたんだよ」
「面接のとき、ですか」
「もちろん、キミを採用することに決めたのと、個人的感情とは無関係だからね」
「なんでボクなんかを採用したのですか?」
「切れ味が鋭かったり、弁舌が巧みだったり、知識量がハンパなかったり、そういった面で君より優れている候補者はいっぱいいたよ。でも最後の決め手は『誠実さ』。場数を踏めば切れ味や弁舌は磨けるし、経験と勉強で知識量も増える。ただ、誠実さだけは、持ち合わせているものからなかなか変わらない。一緒に面接した内田くんも同じ意見だった」
「じゃあその、なぜ、ボクのことが気になったのですか」とボク。
「ううむ。どうしてだろう...」
しばし思いを巡らすルカさん。
「...たぶん、キミの『頼りなさげ』なところかな」
「『頼りなさげ』ですか」
「私の周りの男性は、父親も兄貴も、内田くんも、そして、キミの面接の後すぐに別れた元カレも、みんな『頼りになる』タイプだから。頼りなさそうに見えたキミが、新鮮に映ったんだと思う」
「なんか、喜んでいいんでしょうか...」
「でも、ああやって身を挺して私を救ってくれたキミのことを、『頼りない』なんて言ったら、罰が当たるよね。出刃包丁の刃先は、キミの肝臓のかなり近くまで達していたらしい。だからキミが庇ってくれなかったら、たぶんわたしの心臓に突き刺さっていた」
「実は、その、血を流しながらルカさんの腕の中で意識が遠のいていくときに、『幸せだ』と感じたんです。この人の腕の中で死ねるなら、なんて幸福な人生だろうって」
「だめだよ。もうそんなこと考えちゃ。これからの人生、キミはわたしの腕の中で、しっかり生きなさい!」
そう言うと、ルカさんは念を押した。
「約束だからね」
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「大丈夫なら、城址公園へ散歩しない?」とルカさん。
夜9時前、ボクたちはJUJUを出て、駅のほうへ歩いていた。
コートがいらない暖かい夜気だった。
「よいですね」とボク。
駅の改札前を通って反対側に出る。
景観保存地区を抜けて5分ほどすると、城址公園の西口。並んで夜の公園に入る。
「夜桜には、まだ早いね」とルカさん。
「そうですね。でももうじきですね」とボク。
「あの日は雪が積もってたのに、もう桜の話をする季節になった」
城址公園を桜並木の道沿いに通り抜けて、東口に着いた。
公園を出てしばらく行くと、文教地区。
ボクが入院していた天大附属病院もこの一角にある。
ボクたちは、ルミナス女子高校と県立天歌高校が並ぶ通りに出た。
「天高時代のボクたち男子にとって、ルミ女の制服姿の女子は、天使だったんですよ」
「そういえばキミはこの一年、ルミナスが当事者の事件にいくつも関わったね」
「そうですね」
「恋愛契約、持ち株比率10%の少女、特殊詐欺の受け子...」
ここまで言うと、ルカさんは立ち止まってボクのほうを向いた。
「わたしも...その一つに加えてもらって、いいかな?」
「もちろんです」
そう言うとボクは、ルカさんを優しく抱きしめた。
ルミ女の制服姿のルカさんが思い浮かんだ。
やはり、天使なんだ。
<完>




