2.
会計はそこそこな額になってしまった。旅情に当てられて飲み過ぎたのか、それとも噂通り都会の物価が高いのか。そんな事を酩酊した頭でぼんやりと考えながら店を出る。恐らく前者らしい。
雨はまだ降っていたけれど、人が減った街から傘の層は消えている。
僕は喫煙所に視線を向けた。ライターが使えない事など、とうに頭から抜け落ちていた。そうして向けた視線の先には、あの下品なライターと悪戯な笑顔をこちらに向けている先程の少女の姿があった。
「なんや、まだ居ったんか」
「お兄さんがライター使えなくて煙草吸えないと可哀想だなって思って。てか急に関西弁じゃん。ウケるんだけど」
「ああ、ワイ実は関西出身ですねん」
流石に日常会話でも聞かないようなコテコテの関西弁でそう返しつつ、煙草を取り出して彼女に近づいた。少女は笑って僕の煙草に火をつける。
「——どう?2万とホテル代、払う気になった?」
それがさも当たり前の世間話であるかのように、少女はあの悪戯な笑顔のまま訊ねた。アルコールによって原始的な思考に後退してしまっていた僕は、少々狼狽しながらも強気な切り返しを試みる。舐められない様に、というヤツだ。
「ならんよ」
強い口調でそう言ったものの、その先の言葉に詰まった僕は煙草を口に運び、煙を吐く。
「——キミみたいな子らってタイパだのコスパだの言って結局損する事してるイメージやったわ。結構粘り強く待てるんやな」
何とか皮肉を捻り出したが、これではSNSフィクションに出てきがちな悪役のオジサンである。苦笑を噛み殺す。
そんな僕に対して少女は、夜の歓楽街に似つかわしくない、底抜けに明るい笑顔を浮かべた。
「——なんか、この前のおぢさんみたいな事言うね」
「いや誰やねんそのオッサン」
おいおい実在するのかよ、悪役のオジサン。SNSの作り話って、案外事実に基づいて考えられてるんだなあ。
そんな事を考え、僕は笑ってしまいそうだったけれど、少女は真剣そうな表情である。
「まあ、タイムは無駄にしたかもだけど、どうせやることないなら一緒だし。コストは立ってただけだから全然でしょ?」
そこまで言うと少女の急に艶やかな表情を浮かべ、僕に近づくと慣れた手つきで腕に抱きつき、上目遣いで媚びる様に、少し声のトーンを下げて囁く。
「パフォーマンスは、お兄さん次第かな?」
彼女は明らかに“落とそう”としていたが、僕は案外冷静だった。これまで否定され続けてきた二十と数年である。ちょっとやそっとの甘い言葉で初対面の女性に心を開いて上気するなど、到底出来る筈もなかった。
僕は何とか彼女をあしらう言葉を考える。しかし、ここで安易に『家に帰ればいいのでは?』などと言うのが違うのは、そもそも安心して帰れる家があるのなら身体を売ってまで宿を求める必要などない事は、アルコールに侵されてほとんど機能不全の僕の脳でも察しが付いた。
その方向に思考が向いてしまえば最後、眼前の少女に対して何処か同情のような、庇護欲の様な感情が少しずつ湧いてしまう。先程まで如何に攻撃的な事を言おうか考えていたのと同じヤツの思考とは到底思えない。
「——そもそもキミ、いくつなん?」
少し黙っていた相手の急な話題転換に、少女は一瞬虚をつかれたような表情になったが、その後勝ち誇ったような笑顔を浮かべ、とぼけたように、わざとらしい猫撫で声で答える。
「ハタチだよ?」
「ええてそういうの。嘘つくなら一人で帰るで」
恐らく“落とせた”と思っていたであろう相手からの、恐らく予想していなかったであろう言葉に、少女は少しだけ影のある表情を見せたが、すぐ開き直ったように明るい笑顔を浮かべる。
「14」
「それは、ヤバいな」
想像よりも数段インモラルだった少女の年齢に面食らってしまい、僕は彼女に釣られるようにヘラヘラと笑う事しかできなかった。それを受け、少女も態度を崩す。
「ヤバイけどさぁ、だから良いんじゃん」
今の僕にとって、その手の破滅的な話は少なからず魅力的に映った。
気が付けば僕は彼女に手を引かれ、繁華街の少し外れに向けて歩き始めていた。