仮いいいいい
仮
第1章:見える世界、見えない想い
私の名前は碧井 未来。16歳高校2年生。
私には人には言えない秘密がある。
人の頭の上に、その人の“私に対する好感度”が数字で見えるのだ。
最初は戸惑った。けれど、もう慣れた。笑いかければ数字が上がり、無視すれば下がる。そんな単純なもの。
そして私は今、学校を転校して東京の高校に初めて登校している途中である。今までは埼玉県のその中でも田舎の ところに暮らしていた。
2年前転校したばっかだったのにまた転校か、そう考えていた。
私の親の仕事は忙しく、だから転校なんてしょっちゅうあるそして今回もその中の一つに過ぎなかった。
だが今回の転校は今までとは違かったのだ。
今回の学校では友達できるかな、そう考えて学校を一人で登校していた。
「はい、今回は転校生が来ています」「どんな人なんだろう」、「可愛いんじゃね」「まじか気になる!」自分の これから過ごしていくクラスが賑わっていた。そして先生の合図で私は教室に入った。
「私の名前は碧井未来です。埼玉県からきました、みんなと仲良くと嬉しいです。」
いつも通りのテンプレ挨拶。そしてクラスの雰囲気も今までと同じだった。
「じゃあ碧井さんの席は、水嶋さんの後ろの空いてる席にすわってください」
この注目される雰囲気は慣れないな。席に座ると前の席の水嶋さんに話しかけれた。
「碧井さんよろしく!私の名前は水嶋結衣、だから結衣って呼んでね」
「あ、うんよろしく」
水嶋さんって人はとても陽気で明るい子だな、これなら今回の転校に心配はなさそうだな。
そう感じた。
転校して数日が経過した日であった。
「未来!」結衣が私に話しかけてきた。
「まあ学校は一通りこんな感じかな、てか4月に転校なんて珍しいね。」
まあ確かに4月の進級の時期に転校って珍しい気がする。
「まあ、親の仕事の都合でさ」
「ふーんそうなんだ」
いい感じにごまかしてその場をやり過ごした。
それにしてもこの学校は綺麗めな学校だった。最近に出来たのかな、そうかんがえて1日は終わった。
次の日クラスでは委員会決めが始まっていた。
急に学校に転校して委員会とかやってみたら面白くね、と結衣に言われた
確かに委員会かおもそろそう。そう考えていると、
「碧井さん、委員会をやってみたらどうですか?まだ学校にも慣れていないと思うので、せっかくの機会に学校を 慣れていくのにもちょうどいいですよ。」
先生は私に提案をしてきてそれに便乗して仲のいい友達などからも背中を押された。
まあせっかくの機会だしやってみるか。私は了承して委員会をやってみた。
「未来!委員会本当にはいったんだね。」
「結衣は委員会入らなくてよかったの?」そんな会話をしていた休み時間にクラスの女子たちがなにか騒いでい た。気になって横からチラ見をしていた。
「もしかして、一ノ瀬くん?いやあれはイケメンだよね」
「え、いやもしかしてあの女子たちはその一ノ瀬くんに群がっているの?」
「そうだよ一ノ瀬くんはモテるからね」
まあ私には縁のない話かな。そう聞き流していた。
だが私は一つ気になったことがある、それは一ノ瀬さんの好感度だ。
一ノ瀬さんは群がっている女子に興味はないのか数字が極端に低かった。
もちろん私に対する好感度も低く「8」であった。
あんまり異性に興味がないのかなそう考えた。
だが一ノ瀬くんのことが頭から離れなかったのだ。
あれ今日は結衣休みなのか、あれ1時間目って音楽、移動教室だよね。
完全に場所を忘れた、しかもトイレに行ってて他の友達も全員いなくなった、やってしまった。
途方に暮れていた時、後ろから誰からか声をかけられた。
「あれ、転校生の碧井さんだっけ?移動授業の場所わかる?」
「え、あ忘れちゃいました。」
咄嗟に声を出して振り返るとそこには一ノ瀬くんがいた。
「初めまして、俺の名前は一ノ瀬陸。移動教室まで一緒に行こうよ」
「ありがとう。一ノ瀬さん」
一ノ瀬さんって近くで見ると本当にかっこいいな。私の心に惹かれるところがどこかにあった。
とりあえずこれで授業に遅れずに済む。そう安心していた。
音楽室に行く途中で一ノ瀬さんに声をかけられた。
「堅苦しいから、さん読みはしなくていいよ、後俺は…」
その時私はいろんな話をしながら音楽室へ向かった
一ノ瀬くんのことよく知れたな。あ、てか私の好感度「14」になってる。
まあ私には釣り合わないよね、そう心で思っていた。
昼休み私は他に仲良くなった女子とクラスの端の席でお弁当を食べていた。
そしたら隣の席らへんで一ノ瀬くんもご飯を食べていた。私は一ノ瀬くんと何度か目があった。
私はなぜか心が跳ねるような感じがしたが一ノ瀬くんの好感度は変わらなかった。
一ノ瀬 陸。 学年でも目立つタイプで、クールで、成績もバスケ部で運動もできて、女子の間ではかなり人気が ある。
しかも噂によると彼には彼女がいると聞いた。
それなのに私は、彼の数字を見上げるたびに、少しだけ期待してしまう。
第二章:恋をして
特別なことなんて、何もないはずの学校生活。
朝、眠たい目をこすりながら登校して、友達と廊下で他愛もない会話を交わして、授業を受けて、昼休みにお弁当 を広げる。 そんな日々のなかで、私はいつも彼の姿を探していた。
一ノ瀬くんはいつも誰かに囲まれていて、私とは違う世界にいるみたいだった。
休み時間になると、彼の席には女子が数人集まり、笑い声が絶えない。 でも彼自身はいつもどこか冷めてい て、必要最低限の言葉しか返していないように見える。
私は、遠くからその姿を眺めているだけだった。
頭の上に浮かぶ「14」という数字は、まるで氷のように動かない。
それでも、彼が廊下ですれ違うときにふと目が合ったり、体育の授業で同じチームになったとき、少しだけ笑った 顔を見せたりすると—— 心臓が跳ねる音がして、思わず目を逸らしてしまう。
そんな些細な瞬間の連続が、私の学校生活だった。
ある日の放課後。教室には私ともう一人、委員会の仕事で残っていた。
プリントの整理をしていると、不意に影が落ちた。
「手伝おうか?」
顔を上げると、そこに立っていたのは一ノ瀬くんだった。
「え、でも……」
戸惑っている私に構わず、彼は黙って資料をまとめ始める。
スラリとした指先が丁寧に紙を揃える。無言の優しさが空気に滲んでいた。
その背中を見つめながら、私は頭上の数字を見た。
──「14」→「28」
少し、上がった。
それだけで胸が高鳴って、同時に切なくなる。
彼には彼女がいるのに。
それでも、こうして少しずつ変わっていく数字を、私は止めることができなかった。
作業が終わる頃には、空はすっかり暗くなっていた。
「こんなに遅くなったなら、送るよ」
彼の申し出に驚いたけれど、断ることはできなかった。
歩く道すがら、私たちは並んで歩いた。
会話は多くない。でも、彼は私の歩調に合わせてくれて、信号ではさりげなく前に出てくれた。
別れ際、彼が少しだけ微笑んだ。
──「28」→「36」
気づけば、数字はまた少し上がっていた。
翌日、私は思い切って声をかけた。
「一ノ瀬くん、昨日手伝ってくれたお礼、したいなって思ってて……よかったら、放課後にカフェでも行かな い?」
一瞬、彼の表情が揺れた。
「……ごめん。俺、彼女いるから」
わかってた。わかってたのに。
「そっか。うん、変なこと言ってごめん」
笑ってみせたけど、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
でも、彼が去ったあと、ふと見上げた彼の頭の数字は──
──「36」→「40」
何で、こんなときに上がるの?
文化祭の準備で教室が騒がしくなっていた放課後。
私は他クラスの男子と装飾について打ち合わせをしていた。どうやら彼は飾りつけの経験が豊富らしく、アドバイ スを色々くれて助かっていた。
そのとき、不意に鋭い視線を感じた。
そっと振り返ると、教室の端で一ノ瀬くんがこちらを見ていた。
目が合った瞬間、彼は視線を逸らし、手元の作業に戻った。
──「50」→「45」
……下がった。
どうして? たまたま? それとも、やっぱり——
まさか、嫉妬? そんなわけない。きっと気のせい。
でも、その後の彼は、明らかに口数が少なくなっていた。 何を話しかけても素っ気ない返事だけ。
私はその変化に、どこか嬉しくなってしまう自分がいて、そんな自分に戸惑っていた。
今日は待ちに待った日曜日だと思っていた。
ゆっくり休もうと思っていたのに、気づけばスマホを何度も確認していた。
LINEの通知は特になし。 それでも画面を開いては、彼の名前を探してしまう。
テレビをつけても、録画していたドラマも、まるで頭に入ってこなかった。
ソファに座っているのに、気づけば彼の笑った顔、怒った顔、何でもないときの横顔が頭に浮かぶ。
ベッドに転がって、枕に顔をうずめる。 「はぁ……」とため息が漏れる。
まるで、彼が心のすべてを占めているような。
これはもう、完全に『沼』ってる状態。
抜け出せる気がしなかった。
次に会えるのは明日——その事実が、少しだけ救いだった。
月曜日の昼休み。 朝から少し体調が優れなかった私は、机に突っ伏すようにしてお弁当に手をつけられずにい た。 キリキリとしたお腹の痛み。じんわりと広がる冷や汗。
「大丈夫?」
声をかけてきたのは、一ノ瀬くんだった。 驚いて顔を上げると、彼は眉を寄せて私の様子をじっと見ていた。
「……お腹、ちょっと痛くて」
そう答えると、彼は何も言わずに立ち上がった。 そして私の鞄を持ち、「行こう」と一言だけ。
そのまま保健室まで、彼は私の肩を支えながらゆっくり歩いてくれた。
誰かに見られているかもしれない。でも、そんなこと気にする余裕なんてなかった。
保健室に着くと、先生がいなかったため、彼が私のために毛布を出してくれた。 そして「無理しないで」と言 ってくれたその声が、耳に柔らかく響いた。
──「45」→「50」
その数字を見て、私は少しだけ痛みを忘れられた気がした。
結局、私は早退することになった。 帰りの電車では、揺れる車内に身を任せながら、彼のことを思い返してい た。
あのときの顔、声、そして数字。 今までよりもずっと近くに感じた。
夜、ベッドで横になっていたとき、スマホが震えた。 見ると──一ノ瀬くんからだった。
『大丈夫? 少し心配になって』
それは、彼からの初めての連絡だった。
胸の奥が、熱くなった。 痛みとは別の、もっと心地よい熱。
──私はもう完全に、一ノ瀬くんに心を奪われている。
体調は思ったより悪く、翌日も学校を休むことになった。 教室の空気も、彼の姿も、今日は見られない。
だけど、それよりも気になって仕方なかったのは、彼がどう思っているのか、だった。
一度だけ確認した彼からのLINE。 返事は丁寧に書いたけど、それ以降、彼からの返信はなかった。
でも、あの一通が、私を支えていた。
休みの一日が、こんなに長く感じるなんて思わなかった。
そして、調子が戻ったその次の日。
久々に見る教室の光景に、少しだけ安心する。 でも、それ以上に気になっていたのは彼の反応だった。
一ノ瀬くんは、いつも通りの無表情で教室に入ってきた。 でも、目が合った瞬間、ほんの一瞬だけ、彼の口元 が柔らかく緩んだ気がした。
「体調、もう平気?」
それは、他の誰にも向けないような、優しい声だった。
──「50」→「55」
彼の頭の上の数字がまた変わっていて、私は心の中で静かに喜びを噛みしめた。
そして今日席替えが行われた。
くじで決まるその瞬間は、いつもドキドキする。でも、まさか……
「次、○○さんは……一ノ瀬の隣だな」
その言葉に、教室がざわついた。私は、一瞬呼吸が止まった。
ちらりと横を見ると、一ノ瀬くんが少しだけ視線を逸らして、頬に手を当てていた。
……照れてる?
新しい席に座ると、彼と肩が触れそうな距離に、心臓の音が爆発しそうだった。
1日が、どうしようもなく長く、そして幸せだった。
だが明日はゴールデンウィーク、しばらく一ノ瀬くんと会えなくなる日が続くのか、それだけが苦痛だった。
待ちに待ったゴールデンウィーク。 学校から解放されたはずの数日間なのに、私はなんだか心が落ち着かなか った。
「今日はどこか行ったの?」と友達にLINEを送ったり、撮りためたドラマを見たり、本を読んだりしても、頭の 中には常に一ノ瀬くんのことが浮かんでいた。
そして、その日——。
何気なく開いたインスタグラム。 タイムラインをぼんやりとスクロールしていた私の視界に、あるストーリー が飛び込んできた。
一ノ瀬くんのストーリーだった。
画面の中央には、テーマパークらしき場所で撮られたアトラクションの写真。 そして、その隣に小さく写り込 んでいたのは——
彼女だった。確か名前は綾瀬さん?だっけ。
顔ははっきりとは映っていなかったけれど、制服のスカートと髪型、そして彼が過去に話していた彼女の特徴か ら、私はすぐにそれとわかった。
胸の奥がズキッと音を立てたような気がした。
彼の頭の上に浮かぶ、あの見慣れた数字。 でもその数字は、彼ではなかった。彼女の頭の上に浮かんでいた。
『68』——明らかに高くなっている。
一ノ瀬くんの彼女に対する好感度が、前よりも高くなっていた。 まるで、彼女との時間がますます心地よいも のになっているかのように。
私は自分の頭の上を見たくなかった。 もしかしたら、彼の中での私はもう、ただのクラスメイトとしてしか存 在していないのかもしれない。
「……なんで、私こんなに見ちゃうんだろ」
スマホを握りしめて、目をぎゅっと閉じた。 それでも、彼女の笑顔と、隣で穏やかに微笑む一ノ瀬くんの姿が 瞼の裏から離れなかった。
彼の気持ちは見えない。 でも、好感度という形で彼女への想いが数値化されてしまうこの世界で、私はそれを 無視できなかった。
こんな数字、見えなければよかったのに。
胸の奥が苦しくて、ただ息をするのもしんどかった。
——こんなにも、彼のことを想っていたんだ。
そう痛感したゴールデンウィークの1日だった。
そして流れるようにゴールデンウィークの最終日がやってきた。
山のように出された課題を片付けようと、私は家を出て、近所の市立図書館へ向かった。 家ではどうしても集 中できなかったから、静かな場所で一気にやってしまおうと思ったのだ。
図書館の自動ドアが静かに開く。 涼しい空気と紙の匂いが私を包み込んだ。
2階の自習室に向かおうと階段を上っていく途中、ふと視界の先に、見覚えのある後ろ姿が見えた。
一ノ瀬くん。そして、その隣には……彼女ー綾瀬さんだ。
二人は並んで座っていて、開いた教科書を一緒に見つめながら、静かに話していた。 彼女が笑って、一ノ瀬く んもそれに少しだけ笑みを返していた。
その光景は、思ったよりもずっと自然で、あまりにも『お似合い』だった。
そして、無意識のうちに、私は二人の頭上に目をやってしまった。
一ノ瀬くんの頭の上に浮かぶ数字——『72』 彼女の頭の上には——『70』
前よりも、確実に上がっていた。
まるで、このゴールデンウィークの間に、二人の距離がさらに近づいたかのように。
胸の奥が、またズキンと鳴った。
まるで何かに押しつぶされるような感覚。 私は足を止めたまま、その場から動けなくなっていた。
でも、長く見ていると、耐えられなくなってしまう。 目を逸らして、そのまま踵を返した。
自習室に行く気力なんて、もう残っていなかった。
そのまま家に帰って、布団に潜り込んだ。
天井を見上げながら、ずっと一ノ瀬くんと彼女の姿が頭の中で繰り返された。
「……どうして、こんなに苦しいの」
言葉にしたら、涙がこぼれた。
頬を濡らす雫を止めることもできず、私はひとり、声を押し殺して泣いた。
数字なんて、なければよかった。 でも、数字があるからこそ、彼の気持ちの矢印がどこに向いているのか、は っきりとわかってしまう。
——私はもう、その中にいないのかもしれない。
ゴールデンウィークが明け、学校には少しずつ日常が戻ってきた。 朝のホームルームでは、担任の先生がにこ やかに話し出す。
「さて、来月はいよいよ修学旅行ですね。今日は班決めをしたいと思います」
その言葉に、教室がざわめいた。 仲の良い友達と同じ班になれるか、それとも微妙な空気になってしまうか— —この時間は毎年恒例の、小さな戦いでもあった。
私は、席に座ったまま手元のプリントを見つめていた。
そこへ、一ノ瀬くんが静かに歩いてきた。
「なあ……」
私が顔を上げると、彼の表情はいつもより少し柔らかくて、それだけで心臓が跳ねた。
「俺の班、男子だけになっちゃって。女子、空いてるんだ」
「えっ……」
頭が真っ白になる。
「よかったら、入ってくれない?」
その瞬間、彼の頭の上に浮かぶ数字が——『60』になった。
私はドキドキしながら、かすかに頷いた。
「う、うん……私でよければ……」
「ありがと。じゃあ、あともう一人、女子いた方がバランスいいし……誰か誘っていいよ」
そう言われて、私はすぐに頭に浮かんだ友人、結衣に声をかけた。
「結衣、一緒の班にならない? 私、一ノ瀬くんたちと同じ班になったんだけど……」
「えっ、マジで!? もちろんいいよ! むしろありがと〜!」
結衣が明るく笑ってくれたことで、少しだけ緊張が解けた。
その日の帰り道、なんだかふわふわとした気持ちだった。 一ノ瀬くんと修学旅行で同じ班。 たったそれだけ のことなのに、私にとっては大きな出来事だった。
彼の好感度が、少しでも上がった。 その意味を信じたくて、私は小さく深呼吸をした。
そして修学旅行の行き先は、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンと京都に決まった。 その発表に、教室は一気 にざわめきに包まれる。
「ユニバとか最高じゃん!」 「京都で和菓子食べたい〜!」
私の班も、例に漏れず盛り上がっていた。 一ノ瀬くん、結衣、それからクラスの男子二人。 バランスの良い 五人班だった。
その日から、班ごとに調べ学習が始まった。 見学場所や行きたいお店、ユニバで乗りたいアトラクションな ど、インターネットやガイドブックを広げながら話し合う。
「このアトラクション、めっちゃ人気らしいよ。一ノ瀬くん、絶叫系大丈夫?」 私がそう聞くと、彼は少し照 れたように笑った。
「俺、むしろ好きかも。怖いやつ、一緒に乗ろうぜ」
「う、うん……!」
些細な会話だったのに、心臓が跳ねる。 彼の目が、私だけをまっすぐに見ていた気がして。
それからも、地図を一緒に見たり、移動の時間配分を考えたり。 ふと気づけば、彼と二人きりで話している時 間が、前よりも自然に増えていた。
「京都ではどこ行きたい?」
「清水寺とか金閣寺もいいけど……人が少ない穴場も探してみたいな」
「そういうの、俺も好き。じゃあ、ちょっと調べてみるか」
スマホを並べて、静かに検索を始める。 気づけば、肩と肩が触れそうな距離だった。
彼の横顔が、すぐそこにある。 ドキドキして、でもその空気が心地よくて、私はそっと呼吸を整えた。
その日の帰り際、彼がふと呟いた。
「……班、一緒になれてよかった」
「え……?」
「いや、なんでもない。じゃあな」
彼の後ろ姿を見送りながら、私は自分の頬が熱くなっているのを感じていた。 彼の頭上には、『62』という数 字が浮かんでいた。
少しずつ、確実に。 私たちの距離は縮まっている——そんな気がしていた。
修学旅行の準備が進む中、日々の学校生活も忙しくなっていった。 その日も、午前中からずっと授業が詰まっ ていて、私はなんだか疲れがたまっていた。
そして、五時間目の数学。 先生の声はホワイトボードに響いていたけれど、私はノートを取りながら、ふとま ぶたが重くなっていった。
(……ちょっとだけ、目を閉じても……)
気づいたときには、授業が終わっていた。 教室にはざわめきが戻っていて、机の上のノートには中途半端な数 式が書かれたまま。
(やば……寝てた……!)
慌てて姿勢を正したその瞬間、私の机の端に、そっと付箋が貼られていることに気づいた。
ピンク色の小さな付箋。 そこには丁寧な字で、こう書かれていた。
『寝てたとこ、ここからここまで。図と式、まとめた。ノートの右側見て』
驚いてノートをめくると、そこには一ノ瀬くんの字で、要点が綺麗にまとめられていた。 先生が話していた解 法の流れや、大事なポイントが端的に書き出されていた。
(……どうして、こんなことまで)
顔を上げて一ノ瀬くんの方を見ると、彼はいつものように机に肘をついて外を見ていた。 でも、視線に気づい たのか、ちらっとこちらを振り返り、目が合った。
そして、小さく、ほんの少しだけ笑った。
「……ありがとう」
私はその言葉を口には出せなかったけど、心の中で何度も何度も繰り返した。
彼の頭の上には、『65』という数字が浮かんでいた。
あたたかいものが、胸の奥でじんわりと広がっていった。
放課後のチャイムが鳴り響く中、私はいつも通り帰り支度をしていた。 私はこれまで、部活には所属していな かった。帰宅部という言葉を盾に、自由な時間を好んでいた。
だけど、最近はなんだか物足りなさを感じていた。特に一ノ瀬くんが練習している体育館の前を通りかかるたび に、胸がざわめくのを感じていた。
そんなある日、たまたま結衣と一緒にバスケ部の練習を見に行った時だった。
「ねえ、あんたマネージャーとかやってみたら? 一ノ瀬くん、バスケ部だし」
結衣が冗談っぽく笑いながら言った。
「え、私が? 無理だよ……」
そう答えたけれど、内心では何かが動き出していた。
その日の夜、自分でも驚くほどにスムーズに顧問の先生にマネージャー希望を伝えていた。 先生は驚いた顔を しつつも、快く受け入れてくれた。
そして、次の日の放課後—— 初めて体育館の中に入った。
練習が始まっていて、一ノ瀬くんが真剣な顔でコートを駆けていた。 その姿は授業中の彼とはまるで違って、 凛々しくて、どこか遠く感じた。
練習の合間に、キャプテンがみんなの前で紹介してくれた。
「今日からマネージャーが加わることになった。よろしくな」
その瞬間、一ノ瀬くんがこちらを見て、目を丸くした。 それからすぐに、いつものような無表情を装いなが ら、私の方へ歩いてきた。
「……どうしたの、急に」
「ん……ちょっと、興味があって」
そう言うと、一ノ瀬くんは少しだけ微笑んだ。
「そっか。じゃあ、よろしく」
彼の頭の上には、『70』という数字が浮かんでいた。
私は、彼の隣にいられる新しい理由を見つけたような気がした。
マネージャーとしての新しい日々は、思っていたよりもずっと忙しかった。 練習中はタオルの準備や水分補給 の確認、時にはタイマーを持って声を出したりと、目まぐるしく時間が過ぎていく。
でも、そのすべてが楽しかった。 彼の姿を近くで見られること、名前を呼ばれること、些細なやり取り。 どれもが胸を温かくしてくれた。
ある日の放課後、体育館での練習が終わり、私は片付けをしていた。
そのとき、背後から突然、鋭い声が聞こえた。
「ねえ、ちょっと」
振り返ると、そこには彼の彼女——凛とした雰囲気で、整った顔立ちの女子が立っていた。
「あなた……最近、一ノ瀬と仲良くしてるでしょ?」
(……どうして、私にそんなことを)
言葉を返す前に、彼女は一歩踏み込んできた。
「部活でマネージャーしてるって聞いた。勘違いしないで。彼には私がいるんだから」
その声には、明らかな怒りと警戒心が混ざっていた。 私は胸が締め付けられるような思いで、言葉が出せなか った。
「一ノ瀬も、優しいからって誰にでも同じ態度なわけじゃない。あなたに気があるわけじゃないの」
(……わかってる。そんなこと、ずっと、わかってた)
彼女はそれだけ言い残して去っていった。 私はその場に立ち尽くし、体育館の扉が閉まる音を聞きながら、深 く息をついた。
心の中にあった温もりが、一気に冷たく沈んでいくようだった。
彼の頭の上には、今日も『70』のまま。 でも、私の気持ちは、どこにも進めなくなっていた。
その夜、ベッドに入っても、私はなかなか眠れなかった。 目を閉じても、すぐに一ノ瀬くんの顔が浮かんでし まう。
彼の笑った顔。 不意に見せた、困ったような表情。 私に向けられた、やさしい声と視線——
(……どうして、こんなに気になるんだろう)
天井を見つめながら、深く息を吐いた。
スマホの画面をつけると、既読のままのメッセージがぽつんと表示される。 あの日、初めてもらった「心配し てる」の言葉。それがまだ、心の奥で輝いている。
(彼の彼女がいるってわかってる。わかってるのに……)
心が勝手に、一ノ瀬くんを追いかけてしまう。 彼の笑顔を思い出すたびに、胸の奥がきゅっと苦しくなる。
「……もう、やだな……」
小さく呟いて、布団の中で丸くなる。 涙が出そうになるのを、まぶたをぎゅっと閉じて堪えた。
それでも、眠れなかった。 夜がどれだけ静かでも、心の中だけが騒がしくて、何度も寝返りを打ってはため息 をついた。
朝が来るのが怖い。 でも、彼に会える気がして、それも少しだけ待ち遠しい——
そんな矛盾した気持ちを抱えながら、私はひとり、眠れぬ夜を過ごしていた。
ようやく眠れたのは、空が白み始めた頃だった。 浅い眠りのまま目を覚ますと、時計の針はすでに登校時間を 大きく過ぎていた。
「……えっ、うそ……っ!」
慌てて制服に袖を通し、寝癖を手ぐしで無理やり整えて、鞄を掴んで家を飛び出した。
駅までの道を小走りで駆け抜けていると、前方に見覚えのある背中があった。 ……一ノ瀬くん。そして、彼の隣 には——彼女がいた。
(どうして……今、ふたりで……)
私がその後ろに追いつく直前、彼女がふいに振り返った。
目が合った瞬間、彼女の表情が険しくなった。
「……あんた、また遅刻?」
彼女の声は、少し大きかった。 周囲に人はいないけれど、その一言は私の心にぐさりと突き刺さる。
「べつに……たまたま寝坊しただけで……」
そう答えると、彼女は明らかに不機嫌そうに眉をひそめた。
「一ノ瀬と最近仲良くしてるみたいだけど……やめてくれる?」
私の心臓がドクンと音を立てた。 彼女は腕を組み直して、鋭い目で続けた。
「今日は学校休んで、デートに行く途中なの。だから、邪魔しないで」
その言葉に、胸の奥がズキッと痛んだ。
(……学校を休んでまで、ふたりで出かけるんだ)
一ノ瀬くんの表情はどこか気まずそうだったけれど、彼女を否定する言葉は出なかった。
「行こう」
彼女が彼の腕を引いて歩き出す。 一ノ瀬くんはちらりと私の方を振り返ったが、またすぐに前を向いて歩いて いった。
私の足は、その場から一歩も動けなかった。
彼の頭上の数字は——『73』。 それなのに、心の中は冷たい風が吹き抜けるようだった。
その日、学校に着いても、私はぼんやりとしたままだった。 教室に入っても、誰の声も耳に入らず、黒板の文 字も霞んで見える。
一ノ瀬くんと、彼女の綾瀬さん。 ふたりが一緒に歩いていった朝の情景が、頭から離れない。
(綾瀬さん、あんなにはっきり言ってた。……私、本当に迷惑をかけてるのかもしれない)
窓の外を見つめながら、何度もその言葉が胸の中をぐるぐると回る。
最近、確かに一ノ瀬くんとの距離は近くなっていた。 優しくしてくれた日も、笑ってくれた瞬間も、たくさん あった。 ……でも、それが綾瀬さんにとっては苦痛だったのかもしれない。
(これ以上、一ノ瀬くんと関わったら……誰かを傷つけるだけかも)
教科書を開いても、文字が頭に入ってこなかった。 頬杖をついて、ひたすら考えてしまう。
彼のこと、綾瀬さんのこと、自分のこと。 答えなんて出ないのに、ずっと心がざわついていた。
次の日、学校に行くとすぐに目に入ったのは——一ノ瀬くんの頭の上の数字だった。
『69』
昨日より、下がっていた。
胸の奥がズキンと痛む。 あの朝、綾瀬さんに言われたことが響いていたのだろうか。それとも、私の存在がや っぱり邪魔だったのか。
一ノ瀬くんと目が合いそうになって、私はとっさに視線を逸らした。 彼もそれ以上、何も言わなかった。
休み時間も、昼休みも——まるで言葉を交わす隙間がなかった。 あんなに近くにいたのに、今日は遠く感じ た。
廊下ですれ違っても、彼はスマホを見ているふりをしていた。 私も、目を伏せたまま通り過ぎる。
(やっぱり……距離を置いた方がいいんだ)
そう思えば思うほど、胸が苦しかった。 たった一日、何も話せないだけなのに、どうしてこんなに空気が薄いんだろう。
机に突っ伏して、目を閉じる。 心が沈んでいく音が、はっきりと聞こえるようだった。
その次の日も、私たちは一言も話さなかった。 一ノ瀬くんの頭の上の数字は、さらに減って『71』になってい た。
朝、教室に入っても彼はただ窓の外を見ていた。 私も声をかけることができず、席についた。
放課後、廊下ですれ違っても、彼は私を見ようとしなかった。 その翌日には『61』、また次の日は『59』。
一週間が過ぎるころには、『55』になっていた。
数字が減るたびに、私の心も沈んでいく。
(これは……私のせい、だよね)
綾瀬さんの言葉を受け止めて、彼から距離を置こうと決めたのに—— そうしたら、本当に離れていってしまい そうで、怖かった。
それでも私は何もできなかった。 教室での空気はどこか重く、あんなに近かった彼が遠い誰かみたいに感じる 日々。
私はただ、彼の数字を見上げては、ため息をこぼすしかなかった。
今は日修学旅行まで、1日。 その準備のため、班ごとの話し合いが再び行われた。
私たちの班は、教室の後ろに集まっていたけれど、雰囲気はどこかぎこちなかった。 一ノ瀬くんも、必要なこ とだけを淡々と話していて、以前のような柔らかい笑顔はなかった。
私は何度か視線を送ってみたけれど、彼の目が私に向くことはなかった。
(やっぱり……もう、あの距離には戻れないのかな)
そんな不安を抱えながら、その日の放課後。 私はいつものように委員会の仕事で教室に残っていた。 修学旅 行前ということもあり、進行スケジュールの確認や資料づくりが重なり、気づけば時計の針は18時を回ってい た。
「……はぁ、まだ終わらない」
ひとり、プリントをまとめながら机に突っ伏していると——
「……また遅くまで残ってるんだな」
不意に聞こえたその声。 顔を上げると、ドアの隙間からひょっこりと覗くようにして、一ノ瀬くんが立ってい た。
「え……一ノ瀬くん……」
驚く私に、彼は照れたように頭をかきながら言った。
「……ちょっとだけ手伝える。今なら」
「……うん。ありがとう」
その声を聞いた瞬間、胸の奥がじんわりとあたたかくなった。 気まずかったはずの距離が、ほんの少しだけ、 縮まった気がした。
彼はプリントを丁寧にまとめたり、ホチキスで留めたりしてくれた。 並んで作業するその時間が、久しぶりに 穏やかで心地よかった。
そして、帰り支度をするころには、校舎の外はもうすっかり薄暗くなっていた。
「……暗いから、送るよ」
その一言に、私の心はまた波紋のように揺れた。
静かに、けれど確かに——彼の頭の数字は『59』に上がっていた。
その帰り道。 一ノ瀬くんと並んで歩く時間は、ぎこちなくも静かに流れていた。 でも、それが妙に心地よか った。
「最近……ごめん。避けたりして」
ぽつりと彼が呟いた。
「……ううん。私も、話しかけられなかった」
互いに視線を交わすこともせず、ただ前を向いたまま話す。
「綾瀬、いろいろ言ったみたいだし……でも、俺は……ちゃんと、自分の気持ち考えてる」
その言葉に、私は足を止めて彼を見上げた。
彼の数字は——『60』。
ほんの少しずつだけれど、また前に進める気がした。
修学旅行一日目の朝。いつもより早い集合時間に、私たちは学校前に集まった。 大きなバスが何台も並んでい て、生徒たちはわいわいと楽しげな声を上げている。
結衣が私の腕を引いて言った。
「ほら、早く! 席取っちゃおう!」
「う、うん」
指定されたバスに乗り込むと、席は班ごとに自由に座っていいことになっていた。 私と結衣は並んで座るつも りで席を探していたが——
「こっち、空いてるよ」
一ノ瀬くんの声だった。
彼は後方の四列席の窓側に座っていて、その隣が空いていた。
「……いいの?」
私がそう聞くと、彼は軽く頷いた。
「もうすぐ出発だし。早く座んないと」
結衣が私の背中を押すように笑った。
「じゃあ、私はその後ろの席で。他の班の子も来るし」
少し戸惑いながらも、私は一ノ瀬くんの隣に座った。
エンジンの音が響き、バスが動き出す。車窓の外に、学校の校舎がゆっくりと遠ざかっていく。
「……久しぶりに、ちゃんと話せるね」
彼のその一言に、胸が少しだけ温かくなる。
「うん……なんか、緊張するけど」
そう言うと、彼はふっと笑った。
「俺、ユニバめっちゃ好きなんだ。中学生の時に家族で行ったきりだけど」
「私は初めて。ちょっと怖い乗り物もあるけど……楽しみ」
会話が自然と続いていく。 少し前の沈黙がまるで嘘だったみたいに。
ふと彼の頭上を見上げると、『69』になっていた。
(少しずつ、また近づけるのかな……)
そう思ったそのとき、前方の席で先生がマイクを握り、アナウンスを始めた。
「それでは、皆さん! 修学旅行、いよいよスタートです!」
車内に拍手と歓声が広がる中、私はそっと窓の外を見た。
(この三日間で、何かが変わるかもしれない)
そう思える自分が、少しだけ前より強くなれた気がした。
バスが到着すると、目の前には大きなゲートと、カラフルな看板、そして夢のような音楽が流れていた。 初め てのユニバーサル・スタジオ・ジャパンに、私は胸が高鳴るのを感じた。
「やば、マジでテンション上がってきた!」と結衣が叫ぶ。
「すごい……ほんとにテレビで見たまんまだ」
一ノ瀬くんも少し興奮したような顔で、前を歩く。
班行動で最初に目指したのは、『ザ・フライング・ダイナソー』。 私は絶叫系が苦手で、正直なところ不安だ った。
「これ、ほんとに乗るの……?」
私の声に、一ノ瀬くんが少し振り返った。
「無理そうなら、無理しなくていいよ? 俺、一緒に待っててもいいし」
「……ううん、大丈夫。せっかくだし、チャレンジしてみる」
彼のやさしさに背中を押されるように、私は列に並んだ。
空を飛ぶようなアトラクションに、叫び声をあげながら乗り終えたとき、私はへとへとになっていた。
「はぁ……死ぬかと思った……」
私がそう言うと、一ノ瀬くんがくすっと笑った。
「ちゃんと飛んでたよ。かっこよかった」
顔が一気に熱くなった。
(え、かっこいいって……)
その後も班でいろんなアトラクションを巡った。 ミニオンパークで笑い合い、スパイダーマンでびしょ濡れに なって、ハリーポッターの街並みでは皆で写真を撮った。
ふとしたときに見る彼の笑顔が、どこか昔よりやわらかく見えて。
(彼女がいるのに、私ばっかり楽しくなっちゃって、ダメだよね)
けれど、彼の頭上の数字は『72』になっていた。
夕方になって、最後に立ち寄ったお土産コーナー。 クラスメイトたちがわいわいとお菓子やキャラクターグッ ズを選ぶ中、私は棚の端にあったキーホルダーに目を留めた。
「それ、かわいいな」
気づけば一ノ瀬くんが隣にいた。
「うん、ミニオンのやつ。色違いであるみたい」
「……お揃いで買ってみる?」
驚いて彼の顔を見上げると、彼は少し照れたように笑っていた。
「修学旅行の記念にさ。……ダメ?」
「ううん、うれしい……ありがとう」
私はピンクのミニオン、一ノ瀬くんはブルーのミニオンのキーホルダーを選んだ。
(この小さなキーホルダーが、今日のこの気持ちをずっと思い出させてくれますように)
その夜、ホテルの部屋で布団に入りながら、私は胸の中の気持ちがどんどん膨らんでいくのを感じていた。
「ねえ」 結衣の声が布団の隣から聞こえる。
「ん?」
「やっぱり、未来って一ノ瀬くんのこと好きなんでしょ」
私は一瞬で息が止まった気がした。
「……なんで、わかったの?」
「今日のユニバ見てればわかるよ。目、すっごい優しかったし。ずっと一緒にいたし」
顔が布団に沈むくらい恥ずかしかった。
「でも……彼、彼女いるし」
結衣は、そんな私に優しい声で言った。
涙が、布団の奥で少しにじんだ。
修学旅行二日目。午前中の見学が終わり、私たちはいったんホテルに戻って着替えと休憩を取ることになった。
女子のロッカールームでは、みんなが一斉に制服から私服に着替えていた。
「未来、そのトップスかわいい〜! どこで買ったの?」
「え? えっと、駅前のモールで……」
結衣に褒められて、私はちょっと照れながら答えた。
そんななか、ふと背中に感じた視線。 鏡越しに見ると、クラスの女子の何人かがこっちをちらちら見てひそひ そ話していた。
(一ノ瀬くんと……のこと、見られてたのかな)
昨日のおそろいキーホルダーのこともあるし、きっと何か気づかれたのかもしれない。
でも、変に意識しすぎてもいけない。 私は鏡に映る自分に「大丈夫」と心の中で言い聞かせた。
外に出ると、男子たちもロビーに集まりはじめていて、一ノ瀬くんの姿もすぐに見つけた。
「あ、未来」
彼が気づいて手を振ってくれた。
「服、似合ってる」
胸が一気に熱くなる。
「ありがと……」
彼の頭上の数字は『70』。
(昨日より、また上がってる……)
心がふわっと浮かぶようだった。
午後の自由行動のあと、ホテルの近くの広場で班ごとの集合写真を撮ることになった。
夕焼けに染まる空の下、カメラの前に並んで、皆で笑顔を作る。
「はい、チーズ!」
シャッター音と同時に、一ノ瀬くんが少しだけ私の肩に触れた。
(偶然……じゃない気がする)
写真を撮り終えたあと、自由時間がほんの少しだけ残っていた。
「未来、ちょっと歩かない?」
一ノ瀬くんがそう声をかけてきた。
私は頷いて、広場の隅に続く遊歩道を一緒に歩き出す。
風が少し冷たくて、でも心地よかった。
「……今日さ」
彼が口を開いた。
「ずっと言おうか迷ってたんだけど……その、ありがと」
「え?」
「一緒にいてくれて。楽しかった」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「私も……ありがとう。すごく楽しかった」
一瞬、沈黙が訪れる。
そして彼が、静かに言った。
「未来のこと、最近……すごく気になる」
その言葉と同時に、彼の頭上の数字が『73』に変わった。
夕焼けの光の中で、私はただ彼の横顔を見つめていた。
(このまま時間が止まればいいのに)
修学旅行三日目。朝のホテルを出発し、私たちはバスで京都市内へと向かった。
最初に訪れたのは伏見稲荷大社。 鳥居がずらりと並ぶその風景は、まるで異世界に迷い込んだようだった。
「未来、くじ引いてみない?」
一ノ瀬くんの言葉にうなずき、私は赤い箱からおみくじを引いた。
『小吉』。
「うん、まあまあ、かな?」 笑うと、彼は自分のくじを見せた。
「俺は……『末吉』。なんか、微妙だな」
「でも『これから良くなる』ってことじゃない?」
そんな他愛ない会話も、どこか特別に思えた。
その後、清水寺へ。 音羽の滝の前で列に並びながら、ふと彼が口を開いた。
「未来さ……今日、ちょっと時間ある?」
「え?」
「このあと、少しだけでいいから。話したいこと、あるんだ」
胸がどくんと高鳴った。
清水寺を一通り巡った後、班とは少しだけ別れて、二人で静かな裏手の道に出た。
紅葉が色づいた小道を歩きながら、彼はなかなか口を開こうとしない。
「……未来」
「うん?」
「俺、最近……すごく、揺れてて。自分の気持ち、ちゃんと見えてないかもしれないけど」
一度、彼は深呼吸した。
「……でも、君のこと、もっと知りたいって思ってる」
その言葉が、確かに私の胸に届いた。
けれど、次の瞬間——
「一ノ瀬ー! どこいったー?」
遠くから聞こえた男子の声。
彼ははっとして声のする方を見た。
「ごめん、今行く!」
私を見るその目に、何か伝えきれなかった想いが浮かんでいた。
(……言えなかったんだ)
彼の頭上の数字は『78』に変わっていた。
その日、最後に訪れたのは抹茶づくりの体験工房だった。 和菓子と一緒に、自分たちでたてた抹茶を味わう。
彼と隣同士の席で、笑い合いながら点てた抹茶は、少し苦くて、でもとてもあたたかかった。
そして、帰りのバス。もう夕暮れが迫っていた。
皆が少し疲れた顔で眠りかける中、私は彼と並んで静かに座っていた。
「……ありがとう、未来」
彼がぽつりとつぶやいた。
「この三日間、一緒にいてくれて」
「こちらこそ。忘れられない思い出になったよ」
言葉にできない気持ちが、バスの揺れに紛れて静かに流れていった。
(きっと、いつかこの続きを聞ける日が来る——そう信じたい)
修学旅行が終わり、私たちには振替休日と週末が待っていた。
久しぶりに家のベッドで目を覚ました朝。カーテンの隙間から差し込む光がやけにまぶしくて、私は思わずまぶた を閉じ直した。
(ああ、まだ学校じゃないんだ)
あの夢のような三日間が嘘だったんじゃないかと思えるほど、現実は静かだった。
けれど、スマホを開くと、修学旅行で撮った写真や、友達とのグループLINEの通知が次々と飛び込んできて—— 私は思い出した。
「本当に、終わったんだ……」
制服じゃなくて私服を着て、駅前まで家族と買い物に出かける。そんな何気ない時間が、今はとてもありがたく感 じた。
頭の中には、ふとした瞬間に彼の横顔が浮かんでくる。 伏見稲荷の鳥居の下で笑った顔。 清水寺の裏道で、 何かを言いかけたあの時の目。 抹茶を点てながら照れくさそうに笑った声。
(どうして、こんなに思い出してばっかりなんだろ)
夕方になって、結衣から「明日どっか行かない?」とメッセージが届いた。
「いいね、どこ行く?」と返すと、すぐに候補が送られてくる。
まだ現実に引き戻されたばかりだけど、きっとまた、毎日は続いていく。
その中で、私の気持ちはきっと、少しずつ強くなっていく。
蝉の声がうるさいほど響く七月のある日。 窓の外は青空がまぶしくて、教室の中はいつもの日常が流れてい た。
「……未来」
放課後、帰り支度をしていたとき、一ノ瀬くんが突然声をかけてきた。
「ちょっと、話せる?」
(え……)
驚きながらもうなずくと、彼は教室を出て廊下の端まで歩いていく。
「……俺、咲良と別れた」
その言葉が、まっすぐ私の胸に突き刺さった。
「……え?」
思わず聞き返す。
「この前、話しただろ? 価値観が合わないかもって……それ、やっぱりお互い感じてたみたいで」
彼の目は、まっすぐに前を見つめていた。
「未来には、ちゃんと伝えておきたかった」
胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
(私は、どうしたらいいんだろう……)
ただ、頷くことしかできなかった。
そしてある日の夕方、スマホに一通のメッセージが届いた。 一ノ瀬くんからだった
『未来、もしよかったら——七月の終わりの花火大会、一緒に行かない?』
目を疑って、何度も読み返す。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
(これは……夢じゃないよね?)
私は震える指で、返信を打った。
『うん。行きたい』
それから、少しずつ——私たちは、LINEでよく話すようになった。
好きな音楽のこと、学校のちょっとした出来事、他愛ないスタンプのやり取りまで。
ある夜、ぽつりと彼からメッセージが届いた。
『ねえ、未来。俺のこと、下の名前で呼んでよ』
ドキッとする胸の鼓動を抑えながら、私は画面を見つめていた。