【第3話】素顔の距離と、嘘のドレス
わたしは、唇を噛み締めていた。
まるで夢から醒めたような感覚。だけど、目の前の現実は変わらない。
「あなたが、わたくしを騙していたのが……悔しいですわ……」
思ってもない事を、言わなければいけないのがツライ。
でも――彼はもう、わたしの中では、まったく別の人。
わたしは知らなかったのだ。彼もまた、この世界の攻略対象だったことを……
コンビニの駐車場。夜の空気は少し冷たくて、気持ちもまとまらなかった。
わたしの言葉に、彼――如月直人は、苦笑したように肩をすくめた。
「それは……」
「もう、終わりにしましょう……さようなら…」
彼の、まっすぐさに、ひかれている自分がいる……
しかし、このまま行けば、きっとバットエンドが待っている。
くるりと背を向けた。
けれど、その背に、あの声が届いた。
「家柄とか、金とか、関係ないよ。麗奈さんの“素の笑顔”が見られたなら、俺はそれで満足です」
……ばか。そんなこと、言わないで。
今のわたしには、辛いだけだ。
◇◇◇
その夜、帰宅してすぐ、わたくしは鏡の前で自分を見つめた。
整えられた部屋。ピカピカの床。光を浴びる推しフィギュアたち。
なのに、わたくしの胸の中は、嵐のように荒れている。
(どうして……どうして、あの人じゃなきゃダメなの……?)
彼が“如月財団”の後継候補だと知ったのは、偶然だった。
取引先の会食で、その名が出て、わたくしは思わず耳を疑った。
掃除が得意で、笑顔が優しくて、わたくしの趣味を受け入れてくれて――
そんな“庶民男子”が、まさか、あの財団の人間だったなんて。
正体を知った瞬間、何かが壊れた気がした。
(だって、それじゃあ、彼の優しさも、好意も――すべて隠しキャラの設定じゃなくて?)
わたしが演じていた“完璧なお嬢様”なんて、所詮見せかけで。
本当の自分なんて、ゴミ屋敷でオタクでズボラなだけで。
(そんな私が、何が出来るっていうの?)
不意に、スマホが震えた。
通知には、たった一行。
《今日はごめん。また明日、会ってくれる?》
やっぱり――ずるい。
そんな風に優しくされたら、わたくしは……。
◇◇◇
翌日。休日の午後。
彼と会う約束の場所は、大学の裏にある静かな公園だった。
ベンチに座る彼は、昨日と同じように、どこまでも普通の格好をしていた。
「来てくれて、ありがとう」
「……わたくし、まだ怒っていますのよ」
「うん、分かってる。でも、ちゃんと話したくて」
彼は真剣な顔で、まっすぐこちらを見つめた。
「嘘をついてたつもりはないんだ。ただ、話すタイミングが分からなくて」
「そんなの、言い訳にしか聞こえませんわ」
でも、声が震えていたのは、わたしのほうだった。
「あなたが庶民で、掃除が好きで、趣味を受け入れてくれたから……わたくし、少しずつ、本音を見せられたのに」
「それは、嘘じゃないよ。俺は今でも、掃除が好きだし、オタクな麗奈さんも好きだよ」
「やめて!」
言葉を遮ると、胸がきゅっと締めつけられた。
「そんな風に言われると……期待してしまうじゃないですの」
わたくしは、ただの転生令嬢。
元OLで、ズボラで、恋愛経験なんてろくになくて。
それでも、彼の前では少しずつ“素の自分”でいられた。
その心地よさが、恐ろしい。
「わたくしは、“高嶺の花”でいなきゃいけないんですの。そうしないと、すぐバレてしまうから。全部が、ハリボテだって」
けれど彼は、そんなわたくしを、ふわりと包むように見つめた。
「ハリボテでも、いいと思うけどな。中に本物があるなら」
息が詰まりそうになった。
「麗奈さん、昨日俺の手を掴んでくれたでしょ? あのとき、俺……泣きそうになったよ」
「えっ……」
「自分がどんな立場だとか、そういうの忘れて、“誰かに必要とされてる”って、感じたから」
不思議だった。
彼の手は、昨日と同じように温かくて。
でも、今日のわたしの手に触れるそれは、昨日よりもずっと深くて……
「だったら……だったら、今度は、わたしを雇いませんか?」
「え?」
「執事としてでも、令嬢としてでもなく。本当の私をみてください」
言葉を飲み込む彼の前で、わたくしは唇を噛み締める。
「一度しかない人生ですもの。ズボラな令嬢にだって、恋のひとつくらい……許されますわよね?」
そのとき彼が見せた笑顔は、やっぱり、あの日のまっすぐな瞳で。
――だからわたしは、もう少しだけ、手を伸ばしてみようと思ったのだ。
例え、この先がバットエンドだとしても……
~END~