お前、誰だよ
「お前、誰だよ」
アンチからのメールを読み上げた後、スタッフが撮影するカメラに向かい、俺はそう鼻で笑った。
「匿名でしかものを言えないやつが、偉そうなこと言ってんじゃねえよ。悔しかったら俺みたいにユーチューブで全世界に自分を晒して発言してみろ」
俺の名前はナオキ。歳は二十歳。自らを「傲慢系ユーチューバー」と称し、歯に衣着せぬ発言で世相を斬り、SNSを賑わしている凄いやつ。
「じゃあ、次のメール。『おい、ナオキ! いつも偉そうなことばかり言いやがって。お前は何様のつもりだ!』ちっ。またアンチからのメールかよ。おい、ウジ虫、耳の穴かっぽじってよく聞きやがれ。俺が何様かって? 教えてやるよ。俺は俺様だ。分かったか、バ~カ」
そう、俺はインフルエンサー。発言のひとつひとつが世間に多大な影響を与えてしまう存在。たしかにアンチも多いが、そんなことは知ったことではない。俺は俺様。他人の意見なんか完全無視だ。俺は自分だけを信じている。これからも我が道を行くだけさ。
「はい、カット! いや~、さすがはナオキ先輩。今日の収録も最高でした。それではしばらく休憩をして下さい。僕はこのまま編集作業に入ります」
スタッフが見え見えのおべっかを言いながらカメラを止める。こいつは俺の高校の後輩で、名前をヒロと言う。半年ほど前、俺のSNSでの人気を嗅ぎつけて、スタッフとして使って欲しいと直々に頭を下げに来た。以降はカメラマン兼編集として使ってやっている。
「ちょっと小便してくるわ」
ヒロにそう告げて撮影所を出る。まあ、撮影所といっても、ただの自分の部屋だけどな。それにしてもヒロのやつ、なんだか今日はニヤニヤしているな。薄気味の悪いやつだ。いったい何を企んでいやがる。
「ママ~、紅茶入れて~。 ヒロも来ているから二つお願いね~」
部屋を出て、階段の上から一階にいる母に声を掛ける。「は~い、ナオキちゃ~ん」母の返事が聞こえてくる。まあ、インフルエンサーと言っても、まだ二十歳だからな、実家暮らしだけどな。
俺の運命を変える出来事が起きたのは、二階のトイレで小便をして部屋に戻ろうとする時だった。廊下で何かをヌルっと踏んづけた感触があった。同時に勢いよく滑って転んだ。後頭部を廊下で激しく打ち付けた。あ、やばい、意識が遠のく――
――意識を取り戻した。足元には、な、な、何とバナナの皮。ちっ。ふざけやがって。ヒロの仕業だな。どうせスタッフがユーチューバーにドッキリを仕掛けるってパターンの撮影だろう。隠しカメラはどこだ? クラクラする頭を振り、怒りに打ち震えながら、俺は自室に戻る。
「おい、ヒロ、どういうつもりだ! くだらねえドッキリを仕掛けてんじゃねえよ! 俺はこんな低俗な企画で再生数を稼ぐ気はねえ! さあ、今すぐ隠しカメラで撮影したデータを削除しろ!」
自室に戻るや否や、俺はパソコンでデータ編集をしていたヒロの胸ぐらを掴んだ。おや、どうしたのだろう? 俺に服を鷲掴みにされ前後に揺さぶられているヒロが、俺をまじまじと見ながら、この上なく怪訝な顔をしている。
「な、なんだよ、ヒロ、その顔は。文句があるなら言ってみろ」
次のヒロの発言に、俺は自分の耳を疑った。
「お前、誰だよ」
「え?」
「こえ~よ。ひとの家に無断で入って来て、いきなりわめき散らしてんじゃね~よ。さっさとその手を離せ。マジで警察呼ぶぞ」
「おい、誰に口を利いてんだ? 俺様は、傲慢系ユーチューバー・ナオキ。今をときめくインフルエンサーだぞ」
「はあ、何言っちゃってんの? 傲慢系と言えば僕の称号だぞ?『傲慢系ユーチューバー・ヒロ』ってネットで調べてみろ。ヒットしまくりやがるぞ。てか、マジで編集の邪魔なんだよ。一刻も早く僕の部屋から出ていけよ。てか、そもそもお前はいったい誰なんだよ」
だめだ。話にならん。かわいそうに、何だか知らないが、ヒロは突然頭がイカレてしまったようだ。俺は自室を出て、一階にいる母に助けを求めた。
「ママ―、大変だよ~。スタッフのヒロが変なんだ~。悪いけど、救急車を呼んでくれるかな~。てか、紅茶まだ~」
すると、俺の声を聞いた母が、慌てて階段を駆け上がってくる。
「ちょっと、あなた、どちら様ですか!」
「え、ママまでどうしたの? 俺だよ? ナオキだよ?」
「なんなのこの気色の悪い男は。ねえ、ヒロちゃん、この人、あなたのお友達?」
「冗談キツイよ、ママ。こんなやつ、僕は知らないよ」
「立ち去りなさい! 不法侵入者は警察に通報しますよ!」
いつも優しかった母が、鬼のような形相で威嚇する。ママ、ひどいよ、あんまりだよ。それにしてもいったい何がどうなっちゃったのだ? 俺のママが、ヒロのママになっている? 混乱しながらも、とりあえず今ここに居続けることはよくないと判断をし、逃げるように階段を駆け下り、屋外へと向かう。すると仕事から帰った父と玄関でばったりと出くわした。
「パパ、聞いてよ、ママがひどいんだよ――」
「だだだ、誰だ、貴様は! この泥棒め! 強盗め!」
父は、俺の訴えを打ち消すように大声で怒鳴り、持っていた傘で俺を激しく殴打し始めた。痛い。痛いよ、パパ。俺は、両手で頭を保護しつつ、怒り狂う父の脇を、隙を見てすり抜け、命からがら自宅から脱出をした。
住み慣れた街をあてもなく走る。しまった。靴を履き忘れてしまった。裸足だ。ああ、全身がヒリヒリする。傘で殴られて、顔も体も傷だらけだ。
近所の公園のベンチに座り、ポケットからスマートフォンを取り出す。『傲慢系ユーチューバー』と検索をすると、瞬時にヒロの記事と画像が大量にヒットした。今度は、恐る恐るエゴサ―チを試みる。おお、なんたることだ! いない! 俺がいない! あらゆるSNSツールから、俺の存在が忽然と姿を消している。
『俺は俺様だ、で有名な、傲慢系ユーチューバーのナオキです。つかぬことを聞くけど、君は俺のフォロアーだよね?』そんなダイレクトメールを、思い出せる限りのフォロアーに、祈るような気持ちで、片っ端から送信してみる――
『お前、誰だよ』『どちら様ですか?』『誰? 怖い』『知りません』『ナオキ? 知らんな』『誰だよ。とりあえず死んでくれ』『迷惑です。通報しますよ』『どちらさんですか? キモイんですけど』『ヒロのパクリ?』――薄々予想はしていたけれど、どれもこれも最悪の返信だった。
夕暮れの公園で途方に暮れていると、そこに陰キャな若者の集団が現れた。ブランコに座ってジュースを飲み、ワイワイとスマホゲームに興じている。よく見ると知った顔が数人いる。な~んだ、高校時代俺がパシリにしていたやつらじゃないか。よし、この陰キャどもに俺のことを承認させてやる。俺は勇み足で集団に近づき、その中の一人に馴れ馴れしく肩を組んで話しかけた。
「よお、久しぶり。元気?」
「お前、誰だよ」
「おい、陰キャ。かつて俺様のパシリだったことを忘れたか? 俺だよ俺。さあ、思い出せ。俺の名前を言ってみろ」
「ねえ、誰の知り合い? こいつ知っている人いる?」「知らん」「知らな~い」「見ない顔だね」「彼は頭がおかしんじゃね?」「ねえ、こいつ、やっちゃおうよ」「だね、やっちまうか」「うん、みんなでボコボコにしちゃおう」
たちまち俺は、陰キャ集団に袋叩きにされる。公園中を引きずり回され、砂場の砂をたらふく喰わされた。彼らが去った後、公衆便所の洗面器で、血と泥にまみれた顔を洗う。
蛇口から噴き出る錆び臭い水で血と泥を洗いながら考えていた。そうか、分かったぞ。どうやら俺は、パラレルワールドに迷い込んだらしい。そのタイミングは、自宅でヒロの仕掛けたバナナの皮で滑って頭を打った瞬間だ。間違いない。
「パラレルワールド=現実の世界とは異なる、複数存在するとされる仮想的な世界」学生の頃、SF小説にはまった時期があり、そのたぐいの話は腐るほど読んだ。たぶん俺は「極めて現実世界に近いが、自分が存在しない世界」に迷い込んだのだろう。
「自分が存在しない世界」って、パラレルワールドもので一番ありがちな展開じゃん。めっちゃ陳腐でチープなパターンじゃん。馬鹿にしやがって。コケにしやがって。運命の糞ったれが。いや、この期に及んで展開が陳腐だとか、そんなことはもうどうだっていい。それよりも、この世界に迷い込んで痛感したことがある。
俺は今日まで、周りなんて関係ないと思って生きて来た。他人の意見なんて完全無視。自分だけを信じ、我が道を突き進んで生きて来た。でも、それは大きな勘違いだった。自分は自分、他人は他人と豪語をするには、大前提として自分を承認してくれる他者の存在が不可欠だったのだ。
自分を承認してくれる者が誰一人いないこの世界で、これまで揺らぐはずないと思っていた俺の自己肯定感は、いとも簡単に揺らいだ。他者承認のない環境で自己承認をすることが、いかに難しいかを思い知らされた。「俺は俺様だ」なんてふざけた考えは、それをあたたかく承認してくれる他者の存在無くして成立はしないのだ。ああ、自分の馬鹿さ加減に、情けなくて涙が出る。
俺の名前はナオキ。歳は二十歳。自らを「傲慢系ユーチューバー」と称し、歯に衣着せぬ発言で世相を斬り、SNSを賑わしている凄いやつ。
ハエのかたる公衆便所のひび割れた洗面器で顔を洗いながら、俺は孤独な自己承認を続けた。承認してくれる他者がいないこの世界で、自分を見失わないように何度も、自分が消えてしまわないように何度も、俺は自己を承認し続けたのだ。
俺の名前はナオキ。歳は二十歳。自らをユーチューバーと称している……
俺の名前は、ナオ……歳は、たしか……
俺の名前は、え~っと、え~っと、え~っと……
血と泥を洗い流して顔を上げると、正面の鏡に映る見知らぬ男が、俺を見てこう言った。
「お前、誰だよ」