小人閑居して不善をなす
暇空茜という人がいる。最近、ネットでかなり暴れているらしい。
この人は元、ゲーム会社に勤めていたのだが、後にゲーム会社を訴えて、裁判に勝って、何億円もの大金を得たそうだ。
それでその後で暇になったのか、政治活動を始めた。Colabというフェミニストのグループが公金で活動しており、それの不正会計を暴く、という事らしい。
何故、Colabが標的になったかと言うと、Colab代表の仁藤夢乃が、「温泉むすめ」という、各地の温泉地を美少女へと擬人化する企画が、女性性の『性的搾取』をしている、との事でそれを批判した。それを根にもっていた暇空茜が仁藤夢乃を標的にした、という事らしい。
要するに、「暇空茜=オタク」VS「仁藤夢乃=フェミニスト」という構図になっている。暇空茜が、「温泉むすめ」の件で怒ったのは、暇空茜がオタクで、オタクコンテンツを蔑ろにするフェミニストに怒りを抱いたからのようだ。
私はネットニュースでこの件を聞いた時、(また変な人が出てきたなあ)と思ったが、それ以上は何も思わなかった。「温泉むすめ」がどうだろうが興味はないし、暇空茜がそういう政治的攻撃をしたとしても、不正会計があるのであれば、正されればいいし、不正会計がないのであれば、暇空茜側が恥をかいて、「めでたし、めでたし」だと勝手に思っていた。
それで暇空茜についてはしばらく名前を見なかったのだが、最近、その名前を目にしたので、暇空茜について検索してみた。
すると、なにか偉い話になってるたのだが、これが妄想だらけの話で何が何やらわからない。
私もよくわからないが、要するに暇空茜はネトウヨと結びついて、そっち方向の思想に傾いたらしい。また、最近のジャニーズの問題にも言及していて、ジャニーズを擁護しているようだ。
そこで、ジャニオタ・ネトウヨ・暇空茜軍団という地獄の結びつきができあがっているようだが、これに関しては、調べても、何が何やらさっぱりわからない。
気になったのは「ナニカグループ」という名前で、暇空茜について調べると、頻繁にこの名前が出てくる。実際にある経済団体か何かなのかと思って調べたら、実在しないグループらしい。
要するに、実在しないけど、陰謀を仕掛けている悪の集団=ナニカグループ、という事らしい。
なので、暇空茜という人はそういう巨悪と立ち向かっている正義の人なわけだ。非常に漫画的な構成なわけだが、漫画的な世界しか知らない人が今の世の中では多いので、こうした人達が結集して、一つのグループとなってしまっている。あまり深入りしたくないが、こうした人達、つまり現実を漫画の世界と誤認しているような人々が、まさに現実を漫画的なものに変えていってしまうのだろう。
もちろん、現実はあくまでも"漫画ではない"ので、その矛盾によって、彼らはいずれ破綻に至ってしまう。
その兆候は既に見えていて、調べていたら、暇空茜は自分の仲間を既に"敵"とみなし始めているようだ。(敵視する理由はよくわからない) 結構な数をX上でブロックしているらしく、「#暇空ブロック解除して」というタグまであった。
私が見たXでは、暇空茜の賛同者が「暇空茜にブロックされたけれど、自分は暇空茜を応援し続ける」とツイートしていた。なんとも健気な話だが、こういう弱い人間はいつまで経っても夢から覚めないんだな、と悲しい気持ちになった。
これに関して、こういう内部分裂、味方分子の粛清というのは、昔あった左翼の内ゲバによく似ていると私は思った。
「左翼」というのは暇空茜らが徹底的に嫌い抜いている集団だ。とはいえ、「左翼」の意味も滅茶苦茶に変形されており、「保守」の意味も滅茶苦茶に変形されていて、わけがわからない事になっているのだが、言及していたらキリがないので置いておく。興味深いのは、暇空茜を頂点とする集団が陥っている状況は、彼らが「反対」だと思っている左翼がかつて陥った内部闘争に似ているという事だ。
これはしかし、人間の党派性の本質を考えれば納得できる結果だが、敵ー味方理論に凝り固まっている人間には決してわからない。
当たり前の話だが、様々なものは敵か味方かに簡単に分類できるわけではない。暇空茜関連を調べると、敵か味方かの選定は、暇空茜の恣意に拠っているようだ。個人の恣意で敵か味方が決まるような集団は、互いに疑心暗鬼になって、トップである暇空茜にひたすら媚びる集団になる。こうなると、イデオロギーがどうとかは関係なく、倫理的統制が取れない悪しき集団としか言いようがない。
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こんな風にして文章を書いていると、おそらく一部の人間からは、この文章の書き手(=私)は、「暇空茜の敵」と認定されるのだろう。
しかし、私はフェミニストも好きではない。個人的には、あるフェミニスト批評家のコメントを見て腹を立てた事がある。(本来的にはフェミニストという形で人間を括るのが間違いだが、私が嫌いなのはその括りを率先して自分自身に行っている人達だ)
そもそもで言えばフェミニストとオタクの対立というのが、コップの中の争いでしかないとしか思えない。
暇空茜について調べていて思い出したのが「小人閑居して不善をなす」という昔の諺だ。器の小さい者は暇を持て余すとろくな事をしない、という意味だが、この諺がピッタリだなと私は思った。
それにしても、冷静になって自分達のいる状況を振り返ると、大手の芸能事務所を批判するのがやれ「反日」だとか、「温泉むすめ」がどうだとか、あるいは実に些細な、どうでもいい権利の事がぐちゃぐちゃとネット上で戦って、それが自分達の人生の主要な政治性を占めていると考えると、なんとも情けない気がする。
私はアイドルを応援するのが生きがいの人生は嫌だし、フェミニストを叩くのを生涯の目的にするのも嫌だ。私自身もオタクなので、オタクコンテンツをそれなりに遊んでいるが、それを人生の全てにしたくはない。
とはいえ、"それしかない"というのが今の社会の現状である。私も本来であればもっと高いものを目指したい。しかし、"高いもの"とは何かと言えば、せいぜい暇空茜みたいに、弱い人間を利用して"勝ち組"になる事ぐらいしか想像されない。
低いレベルの人達を動員する人間が「カリスマ」や「リーダー」であるのだが、そうした人達は低いレベルに合わせた、結局は低い人達でしかない。
それにしても、暇空茜という人が、自分自身の極端な思い込みや、他人の内面を全く想像できずに突っ走っていく姿が、心の弱い人々には優れた「カリスマ」や「リーダー」に見えるというのは、興味深い人間的現象であると思う。他人の内面を忖度しないからこそ、傍若無人な行動に出る事が可能になり、それは弱い人間は強烈な「強さ」に感じられる。
こうした人間的現象がネットの世界で起こっているわけだが、その本質そのものは別に新しくはない。私は暇空茜を見て「小人閑居して不善をなす」という昔からの諺を思い出した。一番新しい現象にも古くからの諺がうまく適合するというのは、私には面白い事柄に思えた。
※暇空茜VSColabo の問題は、ネット上に多数のデマがばらまかれており、事実が確認しにくい状態になっている。あたかも妄想が現実になった人の脳内を見ているかのようでうんざりとしている。この社会もそんな感じに変質していっているのかもしれない。