epr.行方知れず
有の見た幻
黒白の狭間は確かに存在する。然し境界線は、明白なようで不分明。
カトロを含むアロク
1=1+1(1-1)
天を欺くは三つ角の王。天に微笑み悪魔の血を飲んだ彼らは理を外れ、其の血に於いて盟約を結ぶ。
神は人に願いを託した。丘に立ち、綻剣を刺す。依処を見出さんと。
十三の天使。裏切り者の二人目が真の使いであり、彼の王に仕える騎士であった。
天は何故人を使うのか。其処に夢を見たからだ。神を理解していたのは天使ではなく、然し彼は天使を選んだ。
其処は、孤独を紛らわすに足る世界なのか。いや、違うのか。そうでないから、繰り返すのか。少しの変化を伴って。
きっと此の孤独がそうなのだろう。だから俺なら、お前を理解してやれる。お前もそうだよな。俺と同じ、アロクというのだろう。
「色々思考を巡らせて、世界を理屈で捉えてきたけど、今はそんなことどうでも良い位幸せだよ」
俺も夢を見ていたんだな。
「貴方は何時も嘘ばかり」
彼は何故裏切り者だけを生かしたのだろう。
「幾ら考えても理屈じゃ説明が付かない。だからきっと、其れはどうでも良いことなんだ」
餌に釣られて懐いた犬の友と、餌に釣られて懐いたふりをした猫の恋人。似た者同士の二人だけれど、彼は猫を生かして犬と死んだ。
「墓はいらねえよな。待ってろなんて言わねえが、俺も直ぐに、片付けたら直ぐに行くから其処で見てろ」
眠ることなく夢を見ていた。自分ではない何かが拵えた幻よりも、自ら描いた幻想の方が心地好かった。
思考が失われる程の睡魔でないと眠れなかった。頭の中で何時も何かが蠢いている。
偽りなき信実が、真実とは限らない。結局、信じるか否かだ。落ちた彼に取って、確かに地は上にあったろう。だが死期を悟った彼は、自ら疑うことを止めた。そして誰にも否定されることなく、笑顔で死んだ。其れでどうして、彼を哀れむ。
「来たか。俺ももう行かないとな」
僕には彼が、彼を哀れむ彼が、哀れに見えたから。最期に悟ったのは、朽ちる前に果てた彼の方だと思ったから。
「分かってたのは、俺達が残るってことだけだ」
眠りの中に人を見た。結末を知って尚始めたのは其の為だ。
「真逆な。いや、有り得るのか?彼奴が其れ程までに望んでいたなんて。そんな筈はないよな、マクスウェル。俺は此れから天を暴く。其処にお前が居ないことを祈るよ」
全ては一つの面に過ぎないのだよな、哀れな天使よ。
雪と対照的に、雲の白をも感じさせない夜の空。
「君を想うと、夏の来るのが怖かった」
解けない雪に此の身を。
此処は星も浮かばぬ寂しい土地だ。だからこそ月が映えるのだが、今宵は一人で佇む月の哀愁が際立って見える。こんな日は盃に月を落とし、口吻をせがむに限る。
二人は今でも達者だろうか。一度は私も其処に居たということを未だ、覚えているだろうか。
少々月に当てられたようだな。肴に何か書くとしよう。
我が星の 辿り廻るる 彼の月か 宵に見上げた 豊饒の月
貴殿は我が星の知る月か、今はもうどうでも良いことだ。どうでも良いから、出来も今一つであった。
「解けちまったみたいだな」
彼は一言呟き、誰も居ない道を洋袴に手を入れた儘堂々と歩き続ける。其の背中に本の少しの哀愁を纏わせて。
──風が凶暴なまでに強い日それでも
誰を呼ぶのかカラスの鳴き声が──
「ああ、此の歌はなんだったかな。ああ、彼の子が歌ってくれた……」
一人は刹那の凍てつきを、一人は永遠の温もりを。二人は互いを。一つの思いが表裏である能力を一対ではなく一体として。そうであった筈なのに。
天使は裏切り者か。彼等は只、分離を求むのみ。
「俺達の間にはもう何もないんだ」
誰も居ない。だけど誰かが其処にいる様な、何かが聞こえてくるような。そんな丘に、猩猩木が咲く。
「お前も来ちまったか」
表面に浮いた物程流れ易い。風の撫でるに身を揺らす如く。
「僕のことはきっと思い出せないよ。其れ程強い力なんだ」
「なら使わなきゃ良いだろ」
「……そうだね」
彼は頭に手を添えて、彼は想いを霞に乗せる。
「安心しろ。お前のことは俺が守ってやるから」
運命は存在した。其れは強固で、決して抗えぬもの。誰が定めたでもなく、只只存在するものでしかない。とは言え其れは、世界の意思とも、世界其物とも言える。
「思い出せないって言葉を使ったんだね、僕は。彼が其れを覚えててくれてたら。でも、ううん、良いんだ。僕も僕を忘れてしまうから。……あれ?僕は何を言ってるんだろう。だって其れは彼の人の……」
歌詞のない旋律が辺りを靡かせる。其処には三人の影が見えた。
「やっぱり君とは合わないね。でも今日位良いでしょ?止めないで、流しておいてよ」
風は今でも便りを送ってくれるだろうか。
古い時代、彼者が愛し崇拝した一人の女性を前に、天使達は跪く。
メデ・ケトロ
0=∞
氷上の天︎︎、器中の天、月下の天。
凍てついた世界、地の上には亦地が。隔たれる以前、平らな世界が上下に連なる。其れ等全ては器の中に。月に見守られ静かに眠る。降下の後に復天へ。落ちた者、故の人。神は月より外に、人は光の下。袂を分かつ天。人は下層に取り残された。然し天は上から落ちる。其の全てが下層へ、人へと積もる。色が落ち、日が落ち、地へ落ちる。そして地には緑が満ち、空には光が満ち、人には智が満ちる。
Dea/et nos
僕は再び目覚めた此の地で、彼女に恋をした。
穢れなき彼女を穢す為に、魔術の探求に全てを賭した。
Dea, e tu
只管に美しい貴方は、然し儚い。
私が貴方を救うまで、どうか其の儘で。
Dea, è non
天の君よ、何故吾を御呼び為さった。
神秘に魅入られ、研究を重ねたのは、汝が為ではないというのに。
背広に帽子、洋傘を持ち歩き、一見紳士の様だが、彼程の陽気者は然う然う居ない。
「もう二度と僕が傘を開くことはないよ」
帽子に手を合わせれば相手の背後に、襟に手を添えれば幻覚を、袖を掴めば動きが止まる。
エル・ヘーム・シャジッタ・ロードジン、彼は雲に愛され雨に嫌われる。
「ごめんね、傘開いちゃった」
傘を開けば血の雨が。
「絶対離れないでね」
雲が広がり続ける。丸で世界を覆い尽くすかの様に。
「嗚呼、思い出すなぁ、彼の時を」
死んだ世界、崩れる様に座り込む。彼に抱付く女の手には傘が。彼は傘を閉じ、彼等と共に歩き出す。
「もう、終わったよ」
傘を閉じれば再び暗闇が訪れる。血と共に闇に帰す。本当に全てが終わってしまったかの様に。
「君が此処に来るなんてね」
死には喜びが必要だと、終期にこそ笑顔をと。
「世界を嫌っていたのは僕の方だったのにね」
僕は意地悪だから、最後の言葉を君に聞かせてやりたかったんだ。さよなら、リマ。
凪いだ海程詰まらんものはない。月の扇情に乗ってこそ、私の心は鎮まる。勝手なことだが、其れが私の愛した海なのだ。暫しの間、浅い揺らぎに身を任せよう。
寄る波と 下の小揺るぎ 流し見て 月の手を取り 身を浮かす夜
「何を捨てた」
何の海で拾ったか、此の思い出は、此の海に流そう。
「さあな、何だって良いだろう」
風が止んだ。意識を向けた途端に、自然が人を置き去りにした。
白む空に半身を留むる月の、雲に抗う儚き明かりに、己が定めを量らんと為れば、雲では隠し切れぬと悟り、矢張り共にあらんと思えば、日には勝てねど、消ゆる事無きに、雲に託し、再会を誓う。
神は十二の天使と一人の聖者を造り出す。魔術を生み出した彼も亦、魔術によって生み出された一人だった。天使は跡継ぎを生み、人として生きてゆく。忘れ形見と共に。
散歩中、犬を欲しがる若人の声が聞こえた。連れて来てあげよう。鳴き声が此処まで聞こえる。此れでまた賑やかになった。
此処にも表裏を垣間見る。犬を嫌えば犬も何れ他所を向く。然し始めの内は寄って来る。其れは嬉しい様で、罪悪感から嫌でもある。嬉しいというより安心や慢心に近い。其れから遠くに居座るようになると、其れは亦悲しい様で、罪悪感が和らぎ嬉しい様でもある。其の時不思議と好いていた頃を思い出し、様々なことを考える。今の方が其の喜びを噛み締められるような気もすれば、今が楽で心地好い様にも思える。
犬も夢を見る。ならば例えば、人の傍らに眠る犬は、人の夢を見るだろうか。好奇心は猫を殺す。ならば猫は、鼠の夢を見るのだろうか。人は概ね、人の夢を見る。空を飛ぼうが、地を這おうが、其れが人でないとどうして自覚する。人の内はどうしようもなく人だ。人を投げ出した時どんな夢を見るのか。其れを夢見た時、人は人であることを疑う。
夢の中、其れを夢だと自覚した時、人は何を望み何を成すだろう。現にでき得ぬことを夢に求むのなら、此の世界の住人は──其れでも尚品格を留めるのなら、此処はきっと現実なのだろう。
人は自らの可能性を探ろうとする。人類はできることを全て成そうとする。其れは詰まり人間が人間の性能を研究しているということと同義ではなかろうか。若しそうなら、一体誰が為に。
全てが種の存続に繋がるのなら、哲学も芸術も、何れ必要になるのだろう。例えば既に人間より進んでしまった何かに媚びを売る為に。
此処が誰の作った世界でも、きっと此処より、彼等の居る所の方が退屈さ。だって、こんな世界を作ろうなんて思う位だから。
日常は発見で溢れてる。今までは気が付かなかったが、いや発見よりも別のものを選んで来たが、今は其れに浸れるだけの余裕がある。
矢張り私は闇より光を描きたい。果てしない空の、其の広さを描きたい。
夢を見たくば現に生きろ。夢見せたくば夢を現に。其れが夢なら夢に死ね。
与える者が必要だ。記憶を与える者が。人間は連鎖する。一人に任せるには荷が重い。然し観測者は一人でなければ。絶対的な観測者、若しや其れは既に存在しているのか。だとすれば、其者が消えてしまわぬように、相応の場を用意しなければ。世界の外の世界を。
「台詞は其の儘使う?」
「うーん、好きにしたら良んじゃないかな。小説なんだし」
短い文書から長きを汲み取ってほしいと思うのは、読者に考えてほしいと思うのは作家の傲慢だろうか。自分に何れだけの力量があるのかを判断するのは迚も難しい。考えさせる、という言葉の方が傲慢に取れるが、其れが作家としての力量であり、思い遣りなのかもしれない。自ら考えるきっかけを作るのは難しいことであるのだし。
「何が正しいかなんて、本人にも分かりゃしねんだ。其れが小説なら、其れこそ、何を思おうが読者の勝手だろう」
「其れは優しさか?」
「洒落っ気が足りねぇって話だよ。お前自身にもだ。もっと甘くて良んだよ。何せ、研究はもう止めにしたんだろ」
君は辛かったんだね。誰かを頼りたいのに、誰も助けてくれない。きっと無知を恨んだよね。努力すれば追い付けると思っていたから、悔しかったんだよね。限界が見えたから、諦めを怠惰と呼ぶしかなかったんだよね。
出来の悪さは自分が一番良く分かるから、恥ずかしくて、もどかしくて、だから君は何時も、窓の外を眺めてた。
言い訳したくなる気持ちが分かるよ。君が自分の書く文章に自信が持てなかった様に、僕は絵に自信が持てない。実際下手だから仕方ないけど、今ならもう少しましな絵が描けそうだよ。小さい頃の絵だから、って言い訳しても良いかな。
怠惰まで似なくても良かったのにね。遊び心はもう充分過ぎる位だし。作風が似るのは仕方ないことだけど、違いがないなら僕が書く意味もなくなっちゃうよ。
はぁ、僕はシリアスにいこうと思ってたのになぁ。だけど小説なんて、何処までいっても遊びだよね。作者が小説を重荷に感じてたら世話ないよ。でもね、君の気持ちが理解できたから、今は怠惰も愛おしい。
「別れの歌でも流そうか?はは。少しは前向けるだろ。少なくとも、稲毛の波が聞こえる位にはさ」
人を愛するのはとても辛くて、死を恐怖で塗り固めてしまって、だけど其れすら愛おしくて、どうしても人生を無駄にしたくなくて、産み落とされたことを恨んで、恋に希望を見出して、自分自身に希望を失くして、孤独に幸を生もうとして、諦めて、誰かの不幸を悲しんで、全てがどうでも良くなって、其れを嫌って、夢に縋ろうとして、また諦めて、またどうでも良くなって、だけどやっぱり死ぬのは怖くて、死を見るのは悲しくて、只只辛くて、誰も救ってくれなくて、誰も救えなかったことに気が付いて、誰かを救えたら自分も救われるような気がして、其の方法を探して、見付からなくて、諦めて、諦め切れなくて、今は只、其の全てを綴ってる。