AGITO
ザッ……ザッ……。
ザッザッザッ……。
ニホ族との大戦から五年。
英雄と呼ばれた男は小さな子供を連れて野を
歩いている。
子供は男の後頭部を睨みつけながら、その大きな一歩に追いつこうと早足で歩いている。
「たぁっ!」
子供が後ろから飛びかかった。
その手には小さな短剣が握られている。
「ふんっ!」
短剣を避け、子供の手首を掴み、地面に叩きつける男。
「おい……。」
呆れながら男は子供に呟くが、子供の方はじたばたと暴れながら物騒な言葉を叫ぶ。
「ころしてやる!おまえなんか!ころしてやる!」
男は首を左右に傾け、適当に頷いた後子供を投げ飛ばした。
「わかったから……数分おきに刺そうとするな。俺が鍛えてやるって言っただろ。その時まで気長に待て。」
一時間ほど前。
ニホ族の住む集落の跡地へと足を運んだ男。
もう人が住めるようなところでは無い、家の残骸の間を通り抜けて歩く。
するとその影から突然何かが飛び出した。
「しねぇぇぇ!」
短剣を突き立てた子供だ。
しかし男はその短剣を容易く避けると、後ろからうなじを掴んで地面に押し付けた。
「ぐぅぅ……!しね!しね!」
暴れる子供。
男は瞬時に理解した。
「……生き残りか。」
「だったらなんだ!どうせ殺すなら指くらいよこせ!」
男はどっと笑った。
「……いや……殺すといい。この俺を……お前が。」
その一瞬。
ほんの一瞬だが首を掴んでいる手が緩んだ。
「いまだ!」
パシっ
短剣は少し先に転がり、今は子供は丸腰。
簡単に、呆気なく弾かれてしまい子供は戸惑った。
「人が感傷に浸ってる時に……今のお前じゃ無理だ。強くなれ……俺が鍛えてやる。」
ニホ族の子の名前はアギト。
俺が付けた。
名前を聞くと、そんなものは無いと言ったからだ。
俺の仕事の助手としてやらせるために、ニホ族だと悟られる訳にはいかない。
こいつにも俺と同じようにローブを纏わせ、顔も隠した。
しかし……こいつの成長速度には目を見張るものがある。
たった二年……年齢にして七、八歳程度だろうに、もう盗賊や獣を倒すほど強くなった。
このまま行けばあと数年で俺を超えるだろう。
ニホ族の血とはそれほどの力がある。
「おい。」
アギトは俺と行動を共にしてから毎日のように襲いかかってくる。
最近は少し危ないこともあったが、まだどうにでもなる。
そんな時アギトから声をかけられた。
「なんだ?奇襲は諦めたか?」
「あぁ。今からお前を殺す。」
アギトの目は強く、俺が渡した剣をしっかりと握り、俺が教えた構えをとって息を吸う。
「奇襲でやれないのに正面から勝てるわけないだろ?」
「そう思うならそうやって立ってたらいい。」
次の瞬間思い切った踏み込みと、わかりやすい振りかぶり。
これはフェイクだろう。
俺も後ろに下がる様子を見せながらアギトを伺う。
アギトは剣の向きを素早く変え、今度は起こりを抑えた一振。
それをわかっていた俺はまたしてもそれを避けて反撃。
「ぐっ……!」
俺の拳はみぞおちに入った。
手応えでわかる。
立ってられないはずだ。
「が……はっ!はぁ……はぁ……。」
呻きながら目の前でのたうち回るアギト。
まだ、俺には勝てない。
だが、それももう少しだ。
それから三年が経った。
もう奇襲はしてこない。
あの日以来、毎日のように声をかけてから戦闘がはじまる。
「ごほっ……がはっ!」
身辺警護の依頼を受けて荒野を歩いていた。
最近咳が止まらない。
アギトもそんな俺に戦いを挑みづらいのか、少し遠慮しがちになっている。
そして目的地。
そこは小さな村だった。
何の変哲もないただの村。
そして目の前に広がる光景を見て思った。
こんな辺境に身辺警護を必要とする人間が住んでいるはずがない。
「へっへっへっ……。」
「本当にきやがった……!まぬけが!」
そこにはいくつもの盗賊団が同盟を組み、アギト達二人を待ち構えていた。
その数は到底数え切れるものではなく、瞬く間に囲まれてしまう。
「ここらでお前の大活躍は終わりにしようぜぇ……英雄さんよぉ!」
「おっしゃお前ら!殺っちまうぞ!」
盗賊の号令でいっせいに襲い来る男共。
俺とアギトは同時に剣を抜き、敵を切り伏せていく。
切っても切っても減らない盗賊。
多勢に無勢。
「うっ……ゴホッゴホッ……!」
くそっ……こんな時に……。
一瞬だが、この人数を相手するともなればこの隙は致命的なものだ。
「とった!」
振り下ろされる剣。
それをギリギリのところでアギトが受け止めた。
「おい英雄。何してんだ。」
アギトが声をかけて盗賊を切り裂く。
「お前を殺すのは俺だ。覚えとけ。」
随分と言うようになった。
だが……それは俺も望むこと。
息がしにくく苦しい肺。
痺れと震えのせいでまともに動かせない腕と足。
ぼやける視界に破裂しそうなくらい痛い頭。
それらを忘れ去る程に全身を奮い立たせた。
俺には分かる。
間違いなくこれが俺にとって最後の戦いになる。
戦いしかなかった人生の最後。
そして……これを終えれば俺は……。
「はぁ……はぁ……はぁ……。」
「……っ……!ぐっ……ゴホッゴホッ……。」
この様子はまるであの時の俺のような。
ただ一人立ち尽くすアギト。
血の海に倒れる盗賊。
俺ももう立てない。
「はぁ……お前……!」
アギトが歯を食いしばりながら声を震わす。
「お前はもっと強かっただろ!何してんだ!」
俺は考えて、一言一句をゆっくりと声に出した。
「俺、も……もう歳だな……。」
歯を食いしばるアギト。
剣をグッと握り構えた。
「今のお前を殺したって意味が無い!さっさとその怪我治して……」
「っ!今やれ!」
慌てて大声を出してしまった。
むせて喉と肺が辛い。
咳き込むと全身の傷が疼く。
「俺を……盗賊ごときに殺させるな……訳の分からん病ごときに殺させるな……。俺はお前以外に殺される気は……無いんだっ!」
五年前。
「アギト……よく聞け。お前の病気は治せない。三年持てばいい方だ。もう戦いなんてやめてゆっくり暮らせ。金はいくらでもあるだろ。女なり、飯なり、好きなことして静かに生きればいい。」
医者をやってる古い友人は俺にそう言った。
あの大戦の後から体の調子はおかしかった。
まさか余命宣告されると思わなかったが、あまり驚きはしなかった。
「そうか……。三年……か……。ありがとな教えてくれて。心配しなくても、ずっと好きなことをしてきたさ。そんでこれからもな。」
この余命宣告の瞬間俺は何故かあの場所に戻りたくなった。
人生で最も昂り、血肉が踊ったあの戦いの場に。
何を期待したわけじゃない。
だからこそ、この出会いを心の底から神に感謝する。
「しね!しね!」
このガキを育てて、俺を越えさせる。
そして最後に、あの大戦を超える最高の戦いをして死ぬ。
それだけを目標にしてきた。
それだけが目標だった。
なのに今ではこのザマ。
こいつとは戦えない。
最後に力を振り絞るなら今しかない。
「……なんの真似だ。」
俺は震えながら立ち上がり、両腕を広げた。
いつでも斬れと、そう言うだけの力は残ってなかった。
「……や……れ。」
「今やらなきゃお前は勝手に野垂れ死ぬのか?」
「……。」
「はっ!お前をここで野垂れ死にさせるのもいい復讐かもな!」
「……。」
「何とか言えよ!」
「……や……れ……。」
俺が一番使う斬り方は……
「……あぁぁぁぁぁぁ!」
左下の腰から右肩にかけて斜めに……
「ああああああああぁぁぁ!」
斬り上げる……!
完璧だ。
この”深さ”必ず死ぬ。
「……目的……果た……した……な。」
「満足そうな顔しやがって!結局あんたの勝ち逃げじゃねぇか……!」
剣を起き、しゃがみこむアギト。
目の前には既に事切れた英雄が血溜まりに倒れていた。
その亡骸を抱え、血の海の中で叫ぶアギト。
怒り、悔しさ、悲しみ。
そのどれでも無く、しかしその全てを吐き出した叫びは、誰一人聞こえることない辺境の地に響き渡った。
十年後。
アギトは数十人の死体が転がる血で剣を地面に突き刺し座っていた。
タバコを吸い、ローブを靡かせる。
するとごそごそと倒れている男が少し動いた。
「お、俺達が……わ……悪かった……。命までは……。」
たった一人の生き残りが血にまみれながら、声を上げる。
それを聞いたアギトは立ち上がり、剣を抜き男に突きつけた。
「今生かせば……お前は俺より強くなるのか…….?」