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077話 策謀渦巻くビノラ王国

 朝日が昇ると、寝ぼけたエマの背中を押しながら宿を出る。

 目的地は、ウイングブーツでならすぐに到着する距離にあるリゴウ要塞だ。


「これがリゴウ要塞かあ」


 本当にすぐに到着した。

 要塞の内部では、皇族専用の馬車と、荷馬車が十台ほど停車している。


「救世主様、皇女殿下、お待ちしておりました!」


 そこにいたのはオイゲン宰相だった。

 城勤務の皇女近衛騎士の三人もいる。この三人は、救世主は皇女のユリィのことだと思っているので、オイゲン宰相の言葉に過剰な反応はしなかった。


 なお、要塞にはたくさんの兵士の目があり、オイゲン宰相は、トモリンをあからさまに敬うような態度を表に出すことはしていない。うまく体の向きを調整して、ユリィとトモリンの二人を同時に敬っている。


「オイゲン、待たせたわ。手筈通り、ビノラ王国の王都まで行きましょう」


 先頭になる皇族専用の馬車には、ユリィとマルティナ、城勤務の三人が乗った。


「どうして私が乗ったらいけないのよ!」


 そこに乗り込もうとして拒まれたクリスが憤っていたが、ミーサに首根っこを掴まれて、もう一台の馬車に乗せられた。


「クリスは皇女護衛騎士じゃないだろ? 皇族専用馬車には乗れないぞ」


 後続の馬車に乗っているのは、オイゲン宰相、トモリン、エマ、ミーサ、クリスの五人となる。


 間もなく馬車は動き出した。

 馬車の周囲には護衛の兵士が歩いたり、騎乗したりしている。


「救世主様とともに旅ができるとは、我が人生で最高の幸福ですな」


「話には聞いていたけど、宰相ともあろう者がこんなヘタレを救世主だと思うなんて、あんた、おかしいんじゃないの?」


 目上であるオイゲン宰相に向かってタメ口なのは、いつものことでもあるが、そもそもヘタレなトモリンを崇めているオイゲン宰相は敬うべき対象から外されている。


「クリスティーネ嬢。それはあなたが、あなた自身で見ている世界が偽りだと気づいていないからですな」


「どういうことよ?」


「例えば、人に焦点を当てますとですな。利権にしがみつく者、他者をおとしめて自己満足する者、あまつさえ、他者の権利を奪ったり侵害したりする者などの悪意に満ちた者すらおりまする……」


「そんなの、あんたに言われなくても、普通にどこにでもいるでしょ」


 他者の悪口を言う者、他者を低く評価して自己の評価を相対的に上げようとする者……。愚かな者はこの世界にたくさんいる。


「恥ずかしながら、このオイゲン自身もそういった悪意を持っていたことに気づかされ、そして他者の悪意というものが、心を通してわかるようになったのですよ」


「それとトモリンが関係あるわけ?」


 ふんっと、息を吐いて問いかける。


「救世主様は、その大いなる人徳による御業で、悪意ある者の心を浄化なされるのです。クリスティーネ嬢も、是非、救世主様の導きで新しい世界に参りましょうぞ」


「わ、私に悪意なんてないんだから!」


「これは失礼。悪意の有無に関係なく、輝かしい世界が訪れるのですよ。ともに理想の世界を築きましょうぞ」


 クリスは危険なモノでも見るかのような目でトモリンの顔を見、それからオイゲン宰相の顔を見る。

 ずっと黙っているミーサとエマは、関わらないよう、他人の振りをしている。


「トモリンはオイゲン宰相を洗脳したのね! 私にはそんな手は通用しないんだから!」


「このオイゲンの目に映る世界では、そのような欺瞞ぎまんむしばまれる者が、ありありとわかるのですぞ。救世主様の導きが必要であると」


「ふんっ! そんな手には乗らないわ! 私は実力で世界を変えて見せるんだから!」


 終わりそうにない談議。


「それにしても、本当に枯れ野原だなあ」


 ようやく、ミーサが話題を逸らした。


「うん。どこまでも茶色い」


 馬車が向かっているのは南。

 国境を越え、ビノラ王国の関所を通過し、その国内を走っている。

 そこは見渡す限り茶色の世界で、畑の農作物も、道端の草も枯れている。かろうじて、離れた位置にある小高い山の木々だけが部分的に緑を保っている。


「早く雨を降らせたいよー」


「あんたねえ。そんなことを言っているから、救世主だのって言われるのよ。ちょっとは自粛しなさいよ!」


「救世主様は、困っている人を救うことをその使命と思っておられるのですぞ」


 やや釣り上げた目でクリスを見て話し、それから優しい目に変えてトモリンの方に顔を向ける。


「しかしながら、今回は、皇女殿下から急なる雨はさらなる災難を呼び寄せるから救世主様を抑えるようにと言いつかっております。さすれば心外ではありますが、救世主様におかれましては、その善なる御心の解放を、もうしばらく、お待ち願えないでしょうか?」


 大事な物に触れるかのようにゆっくりと手を動かし、丁寧に話すオイゲン宰相。


「うん、わかってるよー。ユリィちゃんと約束したから、まだ雨は降らせないよ」


 皇族専用馬車を先頭とする一団は、巡礼の大街道に面する町、オルシエンヌに到達した。


挿絵(By みてみん)


「この町が良さそうね」


「はい。ここに中継基地を設置するのですな」


 馬車から降りたユリィの一言に、すべてを察しているオイゲン宰相が考えを述べた。


「中継基地って、なんだ?」


「それは、私たちが今から行おうとしていることに必要な建物。私たちは、日照りで食料難になっているビノラ王国に対し、食糧援助を申し出るわ。その際、帝国から王都のマルシーまで物資を運ぶのは無駄だと思うの」


「王都マルシーは西の果て。ここに大街道がありますれば、帝国に近いこの町に物資を蓄えておけば、ここから先は流通がスムースに進むのです」


 一度王都のある西まで運んで、それを東に分配するのは無駄が多い。そういう考えだ。


「姫様。それにしてもこの町の住民は疲弊していますね」


 街行く人は痩せていて、のろのろとふらつくように歩いている。


「食料がないのでしょうね」


「ユリィちゃん、運んできたのを分けてあげたら?」


「トモリン様。そのお優しいお考えに、このオイゲンも賛同致したいところではありますが、残念ながら、今回、我々はエイクス帝国の使節として正式訪問を行っている最中でして、その間に物資をビノラ王国の許可なく配布することはできないのです」


 ビノラ王国内で、エイクス帝国の使節団が市民に対して物資を無償供給することは、市民を扇動する行為だと受け取られかねない。


 オイゲン宰相が、無念さを顔全体に滲みだして教えてくれた。

 なお、民衆の前なので「救世主様」と呼ぶことを控え、「トモリン様」と呼ぶようにしている。身分を隠しているということに気を遣っているのだ。


「国家って難しいんだね! 多くの人が困っているのに何もできないなんて、そんな仕組み、ぶっ壊しちゃおうよ!」


「ちょ! トモリン、声を抑えなさいよ!」


「そうですよ。国家の使節団の発言ですから、宣戦布告と受け取られますよ?」


 大きな声を出したトモリンの口を、慌てて塞いだクリスとマルティナ。周囲を見渡し、誰にも聞かれていなかったことに安堵する。


「今、食料を運んでいることは内緒にしているわ。それが漏れると、民衆が襲ってくるかもしれないの。それに、この町で配布しても、次の町以降でも、同じ状況が続くわ。だから、どこかで見切りをつけないといけないことなの」


 俯き気味で悲しそうな顔をし、小さな声でユリィは語った。

 現在、荷馬車には幌を被せてあり、中は見えなくしてある。護衛も常時つけてある。


「私たちが消費する食料は、自ら運んでいる物であって、この国のわずかな物を買い占めるわけではありません。ですから、姫様は悪いことは一切なされていないのです。姫様、どうか、お心をお痛めにならないでください」


 マルティナはトモリンを解放し、瞳が涙で潤んでいるユリィの傍に寄り添う。

 その姿を見て、オイゲン宰相は付け加えた。


「トモリン様。為政者は、時に冷徹にならねばならないのです。もちろん、トモリン様の目指される世界におかれましては、そのようなことがないのは承知しておりますが」


 使節団の一行はこの町で宿を取り、巡礼の大街道を西へと向かった。


  ★  ★  ★


「予定通り、ドラゴン連山が噴火しましたね。しかし、エイクス帝国には噴火の影響が出ていないように見えます。これは想定外でした。噴火に見舞われた地域の住民はあらかじめ移住していて、耕作地まで与えられていたとは……」


 目を覆う黒い仮面をつけた男が、執務机の上に広げた地図を睨んで苛立いらだちをあらわにする。

 足を組み、肘掛けに左手を乗せ、右手にはワイングラスを持っている。

 ワインを口に含み、グラスを置く。


「帝国南西部において、その防衛に影響が出なかったのは、大きな誤算でした」


 トントンと、人差し指で地図上の帝国南西部、リゴウ要塞を叩く。


「シレッド獣国側も、当初の予定よりも負担が増しています。帝国を確実に潰すとなれば、やはり、ビノラ王国は欠かせません……」


 帝国東部で洪水が発生しなかったため、その地域の守りに綻びは生じていない。これではシレッド獣国がエイクス帝国に攻め込む際の負担は大きく、ビノラ王国が参戦して初めて均衡がとれるようになる。


 また、リゴウ要塞の守りが万全のままであり、ビノラ王国によるエイクス帝国への侵攻が、当初の予定よりも難しい状況となっていた。


「これは、ビノラ王国には想定よりも多くの兵を用意してもらわねばなりません。その時間を考えると、今すぐにでも赴いた方がよさそうですね」


 仮面の男は執務室を出ると、飛竜に乗り、大空へと飛び立った。



 ビノラ王国の王都マルシーの中央にあるロジェ城に場所は移る。ここはベルナール王の居城だ。


「このたびはお目通りを叶えて頂き、ありがとうございます」


 謁見の間。玉座の前で仮面の男が片膝をついて頭を下げる。


「貴団体からの、我が国への食糧援助、助かっておるぞ。それで、今日はどのような用向きで参ったのだ?」


 ビノラ王国は、日照りで食料不足が露呈した昨年のうちに、仮面の男の勧めにより、「L・アドベント」という相互扶助団体に加盟していた。

 今、ビノラ王国は、その団体から無償で食料の提供を受けている。


「まずは、援助物資が滞りなく届いていることの確認です」


「それは、先ほど申した通り、届いておるぞ」


 先に話したことをわざわざ問うのは何故だろう、とベルナール王は思ったが、役人には形式にこだわる者が多く、こういうことはよくあることだから今回もその一例だろうと考え、それ以上詮索することをやめた。


「それは重畳ちょうじょうです。本日は食料援助の増量についてご相談に参った次第です」


「なんと! 物資を増やしてくれると申すか! それは願ってもないことだ」


 援助として受け取った食料は、国中に行き渡るほどの分量ではなく、王都とその周辺でほぼ消費されていた。

 そして、ベルナール王の知らぬところではあるが、遠方の町に配布された物資のほとんどは、その領主が独り占めし、末端までは行き届いてはいなかった。


「それにつきまして、少々ベルナール王陛下とご相談したいことがございまして……」


 仮面の男がちらりと左右を見る。


「よかろう。続きは応接室で、だな?」


 会談の場所を応接室へと変える。

 ただ、優柔不断なベルナール王は、なんらかの決断事項があることを恐れて、政治を担う総裁を連れて行った。


「さて。伺うとするか」


 茶を用意するメイドが退室した時点でベルナール王が口を開いた。


「昨年、ご加入して頂いた折に簡単にご説明致しましたが、我々L・アドベントは、相互扶助の団体です」


「それは知っておるぞ」


 ふーっと息を吹きかけてから茶を啜り、そして簡潔に答えたベルナール王。


「今、ベルナール王陛下の、いえ、ビノラ王国の助けを必要としている者がたくさんいるのです」


「そうなのか?」


 総裁に尋ねるが、総裁は首を傾げる。


「我が団体にはエイクス帝国の貴族も多数加入しております。彼らが、皇帝の圧政に苦しんでいるのです」


「それは本当なのか?」


「どうでしょう?」


 質問を質問で返す総裁。

 諜報活動を重視していないビノラ王国では、他国の事情など、ほとんど把握していない。


「ここから先は他言無用です。もし漏れることがありますと、団体員全員に迷惑が掛かりますし、貴国への食糧援助も停止せざるを得なくなります」


「うむ。秘密の話だな。わかっておる。申してみよ」


 仮面の男はベルナール王を見据え、少し間を置く。それからおもむろに口を開いた。


「エイクス帝国で苦境に立たされている彼らを、貴国の力で救って欲しいのです」


「それは、理解した……。で、何をすれば良いのだ?」


 他国において苦境に立たされている者を助けろと言われても、状況がわからなければ何をすれば良いかなど、考えつかない。

 仮面の男は一度俯いてから顔を上げると、仮面の端がキラリと輝いた。


「単刀直入に申しましょう。貴国には、エイクス帝国に侵攻して頂きたいのです」


「エイクス帝国と事を構えろと申すのか!?」


 ベルナール王は驚き、テーブルに両手をついて立ち上がった。


「亡命させるという手段もありましょう?」


 総裁が異議を唱える。


「亡命ですか。それについては我々も検討しました。しかし、一族全員を確実に亡命させる手段というものが用意できそうにありませんでした」


「……」


 ベルナール王と総裁の元にはエイクス帝国内の情報がないので、手段がないと言われれば、それを信じるしかなかった。


「苦境に立たされる者の解放。それに必要な物資は我々がすべて用意します。貴国におかれましては、来たる日に向けて軍を編成、国中の兵士を動員して頂きたいのです」


 仮面の男が平然と語る言葉に、ベルナール王は愕然とし、額に汗をにじませ、震えながらゆっくりと腰を下ろしていく。


「そ、総裁、どう思う?」


「そうですね……。この場で即答できる案件ではございません。お時間を頂くのがよろしいかと」


 丸いメガネをテーブルの上に置き、額の汗をハンカチで拭う。総裁も汗でぐっしょりになっている。それほど衝撃的な依頼だった。


「そ、そうか……。そうだな。すぐには決められないな。総裁、どれぐらい時間が必要だ?」


 がっくりとだらしなく肩をすぼめるようにして、ソファにもたれかかっているベルナール王。


「ひと月ぐらい、頂きたいかと存じます」


「そ、そうだな……。ひと月だ。ひと月待ってくれ」


 震えるような声で、仮面の男にひと月の猶予を求めた。


「承知しました。物資の増量は先行して手配しておきますので、良い返事をお待ちしております」


 このようにして秘密の会談は終わった。この場で総裁が猶予を求めたのには理由があった。

 この時点で、エイクス帝国側から友好の使節団を派遣すると打診を受けていたからだ。その到着が五日後に迫っている。


 これまで領土拡大の戦争しかしてこなかったエイクス帝国が、友好の使節団を派遣する。この前代未聞のことに、実際に使節団に会ってから決めてもいいだろう、そう考えたのだ。

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