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ストーカーシリーズ

どうやら王太子殿下にストーカーされていたようです

作者: 佐野雪奈


 ルペリオ暦628年5月4日


 今日、私は天使に出会った。


 身長(推定)私の胸くらい。

 体重(推定)りんご10個分。


 エルシア学園の昼休み、校舎うらの奥から3番目の木にもたれ掛かりながら眠る彼女を見つけた。


 シルバーの艶やかな髪が風に靡き、彼女に降り注ぐ木漏れ日はスポットライトのように彼女の美しさを際立たせた。

 長いまつ毛もうっすら開いた桃色の唇も、作り物かと思う程に完璧な配置で並んでいた。


 一枚の絵画のように神々しい彼女がもたれ掛かる木が羨ましくなった程だ。

 王太子という身分の私がまさか木を羨む日が来るなんて、人生何が起きるか分からないものだ。


 私は、彼女の美しさを一片たりとも忘れないように、何度でも彼女を思い出せるように、ここに記しておこうと思う。


 ――――これは彼女の観察記録である。



 ◆



 ルペリオ暦628年5月5日


 彼女の名前はロゼリアと言うらしい。

 シュタッフェル侯爵家次女、エルシア学園高等部1年の16歳だ。

 ロゼリアの瞳は夜空のような濃い紺色だった。彼女の瞳に光が映るのが、まるで夜空に煌めく星のように輝いて見えて、美しいと思った。


 彼女はどこかぼんやりとしていたり一人で本を読んでいることが多く、声を聞けなかったのが残念だった。きっとカナリアが鳴くように美しい声に違いないのに。



 ◆



 ルペリオ暦628年6月10日


 ロゼリアは週に一度、エルシア学園の図書室を利用する。

 大抵は新刊コーナーをじっくり眺めてから図書室を大まかに一周する。その後に興味のある本を手に取り、中身を見てから借りるかどうか考える。


 そうして彼女のお眼鏡に適った栄えある一冊が彼女にお持ち帰りされるのだ。彼女と一緒に帰宅できるなんて、羨ましい。

 私は心底本になりたいと思った。


 本を羨む私だが、今日は念願が一つ叶ったのでここに記しておく。


「あの⋯⋯『サルコニア事件簿』はありますか?」


 鳥がさえずったのかと思うほどか細い声だ。特別高くも低くもない声だが、じんわりと心が温かくなるような声だった。


 二つほど本棚を挟んだ私が一言一句ハッキリと聞き取れたのに、「え?」と聞き返した図書委員には今度東方の『耳かき』という耳を浄化する棒を送りつけてやろうと思う。ついでに私がその陳腐な耳に差し込んでやろうか。


 それにしても図書委員。彼女と会話ができるなんて素晴らしい役職だ。私も生徒会長なんて降りて図書委員になろう。そうすれば彼女が私に話しかけてくれるかもしれない。

 よし、そうしよう。



 ◆



 ルペリオ暦628年6月14日


 残念ながら私は図書委員にはなれなかった。生徒会副会長であり公爵家子息のイシスに冷ややかな目で「王太子殿下が生徒会長を辞めて図書委員? バカなんですか?」と言われたからだ。

 あいつ、私がこの国の王太子だって忘れていないか? もう少し歯に衣着せた方がいいと思うぞ。


 しかしこうなっては仕方がないので、生徒会長の権限で図書室に『サルコニア事件簿』を入荷するよう手回ししておいた。

 ロゼリア、喜んでくれるといいが。



 ◆



 ルペリオ暦628年7月23日


 ロゼリアは暑さが苦手らしい。わざわざ木や建物の影を選んで歩いたり、人目がないか確認してから影になっている壁にぺっとりとくっついている姿が可愛い。

 壁がひんやりしているのか幸せそうに目を細めるので、私は今度は壁になりたくなった。


 私も氷水を浴びて全身を冷やせば彼女はくっついて来てくれるだろうか。⋯⋯いや、彼女にくっつかれた時点で燃えるように熱くなってしまうだろうから、無理か。



 ◆



 ルペリオ暦628年9月9日


 素晴らしいことを思いついた。

 私が図書委員になれないのならば、ロゼリアを生徒会に入れればいいのではないか。ちょうど会期の切り替わりの時期で生徒会のメンバーが変わる。私はどうせ来年度も生徒会長なので、メンバー決定権は私にある。


 ロゼリアと二人で生徒会の仕事⋯⋯。

 彼女の紺色の瞳に私が映るだけでも胸が高鳴るのだが、会話とかが出来たりするのだろうか。

 私に向けて放たれる彼女の言葉は全てここに記載しておかなければならないな。

 楽しみだ。早くメンバーの顔合わせにならないものか。



 ◆



 ルペリオ暦628年10月1日


 今日は今年度の生徒会メンバーの顔合わせが行われた。⋯⋯そこにロゼリアはいなかった。


 私は、新メンバー候補に声をかける段階でロゼリアに声をかけに行こうと思っていた。⋯⋯思ってはいたんだ。


 いざ彼女を目の前にすると、激しい動悸に息切れ、心臓を掴まれたかのように苦しくなり顔に熱が上がってくる始末。何かの病ならばロゼリアにうつすわけにはいかないと思い、泣く泣く撤退したのだ。


 なので勧誘はイシスに頼んだのだが、これがよくなかった。


「シュタッフェル侯爵令嬢に書記をお願いしたい」


 と私が言ったので、イシスはシュタッフェル侯爵のご令嬢――――ロゼリアの姉のコリンナを勧誘してきたのだ。


 ⋯⋯正直、これまでイシスは私の意図を的確に読み取り多くを語らずとも行動してくれる奴だと思っていたが、ここに来て大きく評価を下げた。


 確かにコリンナは学園でも美人で博識で『貴族令嬢の鑑』なんて言われていてかなり評判がいい。王太子妃に最も近いなどと言われているらしいが、私が求めていたのはロゼリアだ。

 おっとりとしていて、ちょっぴり抜けていて、「今日は空が青いわ」とか小さなことで幸せそうにしている可愛いロゼリアだ。


 姉妹ながらに天使のロゼリアとは似ても似つかんコリンナがやって来た時の私の落胆は酷かった。


 ものすごく表情に出たのでもしかしたら相手にも伝わったかもしれないが、もはやどうでもよかった。生徒会メンバーは決まってしまったので、私とロゼリアの『イチャイチャ生徒会のお仕事タイム』は無くなってしまったのだ。


 ⋯⋯泣きたい。



 ◆



 ルペリオ暦628年10月6日


 ロゼリアとの邂逅が無くなってしまったので気落ちした私に気を使ったのか、イシスが学食メニューのオススメを教えてくれた。

 私は今まで昼食は学園内の王族専用ラウンジで王宮の料理人が作ったものをとっていたが、たまには学食もいいかと思い食堂に赴いた。


 そこにはなんと、ロゼリアがいた。

 ついでの如くコリンナもいたが、そちらはどうでもいい。ロゼリアは学食派だったらしい。これはいい事を知った。


 ロゼリアとコリンナは仲がいいのだろう、何やら楽しそうに話しながら一緒に食事をとっていた。そして、私は初めてロゼリアの笑顔を見た。


 いつもぼんやりとしている紺色の瞳が楽しそうに細められ、口に軽く手を当てて笑う姿は神がこの世に遣わした天使そのもの。神々し過ぎて見蕩れたので、イシスのオススメメニューの味は分からなかった。


 ちなみに、今日のロゼリアのメニューはビーフシチューだった。



 ◆



 ルペリオ暦628年10月21日


 今日のロゼリアの昼食はチキンソテーだった。どうやらチキンの皮のカリッとした部分が好きらしく、最後に口に入れて幸せそうに咀嚼していた。

 好きなものは後から食べるのがロゼリア式だ。


 ちなみに、ピーマンが嫌いらしく、こちらは早めに口に入れて水で流し込んでいる。その嫌そうな顔も堪らなく可愛いのだから、好きなものも嫌いなものも両方食べさせたくなる。



 ◆



 ルペリオ暦628年11月12日


 生徒会の仕事終わり、コリンナが話しかけてきた。


「殿下はロゼリアのことがお好きなのですか?」


 だそうだ。「当然だ」と答えておいた。あの美しい天使を好きにならない奴などいたら見てみたい。

 ⋯⋯いや、世の中の男が皆彼女を好きでも困るな。しかし、嫌いだと言われるのも腹が立つ⋯⋯。複雑だな。


 コリンナは何故か苦笑して、「もたもたしていると、他の方に取られてしまいますよ」と言った。


 コリンナは評判通り有能な女性で、生徒会の仕事も難なくこなしてくれている。ロゼリアの情報を教えてくれるので良い奴だと思っているが、たまにこうしてよく分からない事を言う。


 とりあえず、今日コリンナから得たロゼリア情報。

 彼女は赤いチューリップが好きらしい。



 ◆



 ルペリオ暦628年11月26日


「は、初めましてっ、ロゼリア・シュタッフェルと申します。よよよよろしくお願いいたします⋯⋯」


 残念ながら私が話しかけられたわけではない。

 ロゼリアが聖なる木(私が彼女を見つけた木だ)に向けて挨拶の練習をしていたのだ。


 ロゼリアは努力家だ。

 勉強も運動も多くの努力の上にあの好成績が成り立っているのを私は知っている。今度は社交を頑張ろうとしているらしい。

 ただ、これはかなり苦手分野らしく、緊張すると言葉が出てこなくなるようだ。だから木に向けて挨拶の練習をしているのだろう。


 木め⋯⋯。ロゼリアにもたれ掛かられるだけでなく話しかけてもらえるなんて⋯⋯なんて羨ましいんだ。私は現世で徳を積んで、生まれ変わったら木になろう。そうしよう。


 今日コリンナから得たロゼリア情報。

 週末、コリンナとロゼリアの二人で新しいドレスを買いに行くそうだ。

 ⋯⋯羨ましい。あいつ絶対私にロゼリアとの仲を見せつけてるよな? ただの自慢だよな?

 どうせ週明けには買い物に行ったロゼリアがどれほど可愛かったか話してくるに違いない。

 ⋯⋯ロゼリア情報は大事だから聞くけどな!



 ◆



 ルペリオ暦628年12月13日


 今日コリンナから得たロゼリア情報。

 ロゼリアに婚約の話が出ているらしい。

 しかも、相手はあのイシスだとか。


 むむむ。確かにイシスは優秀な奴だし、公爵家だし、次期宰相候補だし、気の利く奴だし、紳士的で優しい。天使の夫として不足はない。

 ⋯⋯不足はないのだが⋯⋯不満だ。


 ロゼリアにはずっと私だけの天使でいて欲しかったと言うか⋯⋯いや、決して結婚するなとかそういう意味ではないのだが⋯⋯。


 あー! 分からん!

 自分の気持ちを書き連ねれば上手く纏まるかと思ったが、どうやらこんがらがったままのようだ。


 とにかく、なんだかイシスに腹が立ったので、足を引っ掛けて転ばせようとしたら華麗に避けられた。

 溜飲は下がらないままだった。



 ◆



 ルペリオ暦629年1月7日


 ロゼリアは雪が好きだ。まだ誰も足跡を付けていない雪原に目を輝かせて、一歩一歩踏みしめる度に嬉しそうに顔をほころばせていた。


 ロゼリアが一人で雪を楽しんでいたというのに、途中でイシスがやって来て何やら二人で話していた。


 ロゼリアはコリンナ以外にも笑いかけるのだと知った。


 ⋯⋯新しいロゼリア情報なのにちっとも嬉しくない、心踊らない。



 ◆



 ルペリオ暦629年2月6日


 イシスから「婚約が決まりました」と報告があった。


「おめでとう」が出てこなかった私は王太子失格だろうか。友人であり、臣下であるイシスの婚約を祝えないなんて。



 ◆



 ルペリオ暦629年2月7日


 コリンナから「婚約が決まりました」と情報があった。


「知っている」とだけ返したら、コリンナは苦笑して「そうですか」と言った。


 私は最近ロゼリアを観察していない。いつものおっとりとしたロゼリアを見ているはずなのに、イシスと笑い合うロゼリアばかりが頭に浮かぶ。その度に、胸が痛く苦しくなるから。



 ◆



 ルペリオ暦629年3月12日


 私はバカだった。大バカだった。


 今日、イシスの婚約披露会が催された。王太子として嫌々ながらも出席したが、なんとイシスの相手はコリンナだった。


 そういえば、ロゼリアの婚約の話が出ているのは聞いた。その相手がイシスだってことも聞いた。

 でも、実際婚約したのがロゼリアだとは聞いていない。確認を怠った私のミス⋯⋯いや、確認したくなかったんだな。ロゼリアがイシスと結婚するんだと、目の当たりにしたくなかったんだ。バカだな。


 イシスはコリンナに贈り物をする為に、妹であるロゼリアに何度か相談していたらしい。


 私は今日、イシスとコリンナに初めて心の底から「おめでとう」と言った。


 そして、やっと自分の気持ちに気づいたのだ。



 ◆



 ルペリオ暦629年3月13日


 ロゼリアが好きだと言う赤いチューリップの花束を買った。明日、これを持って彼女の元へ行く。


 彼女と友人になりたい。彼女の好きな本を聞いたり、一緒にご飯を食べたり、「最近暖かくなってきたな」とかどうでもいい事を話したい。


 だから会いに行く。

「友人になって欲しい」と言いに行く。


 本当は、私の妻になって欲しい。ずっとロゼリアを見ていたい、彼女の特別になりたい。

 しかし、話したこともない男からいきなりそんな申し出をされても困るだろう。まずは友人になって、少しずつロゼリアの心を解していければいいと思っている。


 明日、ロゼリアの元へ行くだろう赤いチューリップの花束。赤いチューリップの花言葉は『愛の告白』らしい。ちょうどいい。

 全部が届かなくてもいい、一本だけでも私の想いが届くように、チューリップに願いを込めた。



 ◆



 ルペリオ暦629年3月14日


 失敗した。

 返す返すも失敗した。


 ロゼリアは花束を受け取ってくれた。それはいい。私の言った言葉がまずかった。


 普通にな「友人になってくれ」と頼むつもりだったんだ。それから「一緒に昼食を食べないか」と誘うつもりだったんだ。


 何故か口をついて出た言葉は


「結婚してくれ」


 だった。工程を飛ばしすぎた。


 なんというか⋯⋯彼女を目の前にすると緊張してしまって、心の中の欲望の方が出てしまったと言うか⋯⋯。とにかく、やらかした。


「え? わ? え、は、い⋯⋯え?」


 私に向かってロゼリアが初めて言葉をくれたぞ。


 ⋯⋯今書いてて思ったが、ロゼリアの発した言葉に「はい」があるよな?

 混乱しながらも花束を受け取ってくれたよな?

 頬を真っ赤に染めた顔が超可愛いかったよな?


 これはもしや、私と結婚してくれるということか?


 ⋯⋯おお?


 

 ◆



 ルペリオ暦629年3月15日


 今日は素晴らしい日だ。

 私とロゼリアのお付き合い記念日として祝日に制定したいくらい素晴らしい日だ。


 学園でロゼリアに


「ロゼリアが学園を卒業したらすぐに挙式しよう」


 と言ったら、涙目になってこくりと頷いてくれた。天使か。いや、天使だったな。愚問だった。


「わたくし⋯⋯赤いチューリップを殿方から頂くのが夢で⋯⋯つい受け取ってしまいましたが⋯⋯本当にわたくしでよろしいのですか⋯⋯? わたくしはコリンナお姉様にはなれませんよ⋯⋯?」


 ロゼリアがこんな長文を喋ってくれたぞ!

 私に向けて!


 素晴らしい進歩だ。これが婚約者というやつか、感動だ。


 これからはロゼリア観察の為に隠れなくとも、堂々と隣に行けばいい。

 観察して遠くから好みを探るんじゃなくて、ロゼリアに直接聞くことができるのか。



 明日は君が好きそうな本を持って行こうか。君が今まで借りていた本について語り合うのも楽しそうだ。

 君が赤いチューリップが好きだと言うのなら毎日でも贈る。

 一緒に食事もしたいな。美味しそうに顔をほころばせる君を間近で見たい。料理人には腕によりをかけてもらわなくては。


 そのうち、私にも笑ってくれるだろうか。

 ああ、でもあの天使の笑顔を向けられたら、私の心臓の方が耐えられなくなるかもしれない。


 いずれ、いずれで構わないから、あのシルバーの艶やかな髪に指を通してもいいだろうか。

 白く細い手を握ってもいいだろうか。

 細い体を抱き寄せてもいいだろうか。

 珠のように白く美しい肌に口付けを落としてもいいだろうか。


 話したいことがたくさんある。やりたいこともたくさんある。これからは、精一杯の私の愛を毎日君に届けよう。


 愛している、私のロゼリア――――






 ◇◇◇





 ――――パァン!


 手を叩いた音でも、風船が破裂した音でも、銃声でもない。


 本を閉じた音だ。


「――――っ、何、これ⋯⋯」


 勢いよく本を閉じたロゼリアは、ドレスの胸元を握りしめた。


 心臓がかつてないほど早く鼓動している。顔も体も全てが熱くて、呼吸もしにくい。


 本を閉じたはずなのに、思い出すのは先程の本の内容ばかりだった。



 ロゼリアは、このバルテッド王国の王太子――――ディートハルトの妃である。

 しかし、この結婚は望まれたものではないと――――そう、思っていた。



 エルシア学園に通っていた頃から、ディートハルトはロゼリアの姉のコリンナと仲がよかった。普段は無表情で何を考えているか分からないディートハルトが、コリンナの前では僅かに表情が緩むと、ディートハルトはコリンナを想っているのだと、学園内でも噂になっていた。


 しかし、コリンナは公爵令息であるイシスを慕っていた。だから優しいディートハルトはコリンナを諦め、容姿の似ている妹のロゼリアを娶ったのだと、皆言っていた。


 ロゼリアもその話を信じていたし、何より、自分はコリンナのように愛らしい笑顔も、要領のいい頭も、明るい社交性も持ち合わせていないのだから、誰かに望まれるなどありえないと思っていた。


 たとえ姉の代わりだとしてもロゼリアが多少の慰めになるのならば、ディートハルトの為に尽くそうと思い、求婚を受けた。


 婚約した後のディートハルトは、思っていた通り無表情で無愛想で、言葉数も少なくて、彼が何を考えているのかロゼリアにはまったく分からなかった。

 でも、思っていた以上に――――優しかった。


 いつもロゼリアの意思を尊重してくれるし、緊張でまごまご話すロゼリアの言葉に耳を傾けてくれる。上手く言葉が出ない時も急かさず待ってくれる。

 ロゼリアに触れる時も、まるで壊れ物に触るように優しく触れる。大きくて優しい手に頭を撫でられるのが、ロゼリアは好きだった。


 この人は姉を望んでいた人なのに、姉には遠く及ばない出来損ないの自分にこんなに優しくしてくれる。

 自分だけを求めてくれる愛情じゃなくても、ロゼリアはディートハルトのそばにいられるだけで十分だと自分に言い聞かせていた。



 だからこそ、先程のディートハルトの日記の内容はロゼリアにとって衝撃的だった。


 自分はずっとディートハルトに望まれていたのか。

 食べ物の好き嫌いまで把握されるほど、見つめられていたのか。

 誰にも見られていないと思っていた、夏場の壁張り付きや雪原の足跡付けを見られていたのはかなり恥ずかしいが。

 赤いチューリップも、その花言葉を知っていて、渡してくれていただなんて思っていなかった。



 日記をもう一度開く。

 先程閉じたページ。


『愛している、私のロゼリア』


 確かにディートハルトの字で、ロゼリアへの愛が語られている。


 胸が苦しい。心臓の鼓動がうるさい。

 でも、幸せで、涙が出てきた。




「⋯⋯ロゼリア? どうした、泣いているのか?!」

「ディートハルト様⋯⋯」


 ここはディートハルトの私室だ。

 そういえばロゼリアはディートハルトに頼まれて資料を取りに来たのだと思い出す。

 机の上に置かれた日記を見つけてしまい、つい読みふけってしまって忘れていたが。


 ロゼリアの戻りが遅いので、ディートハルトは心配して来てくれたのかもしれない。


「何故泣いて――――っ! それを、見たのか?」


 ディートハルトはロゼリアの手の中の日記を見て目を見開く。それと同時に顔が青ざめ、絶望したような表情になっていく。


「いや、これは⋯⋯その、私は決してロゼリアをストーカーしていたわけでは⋯⋯!」

「ディートハルト様っ」

「――――?!」


 ロゼリアはディートハルトに抱きついた。内気で臆病なロゼリアが普段なら絶対にしない行動。


「ディートハルト様⋯⋯」


 しかし、勢いがよかったのは行動だけで、言葉は上手く出てこなかった。


 ――――ずっと、姉の代わりだと思っていた。望まれていないと思っていた。

 ディートハルトはずっとロゼリアを大切にしてくれていたのに、この優しさは本来自分が受け取るものではないと、自分に向けられているものではないと、勝手に遠慮していた。


 でも、それはロゼリアの勘違いだった。


 今、ロゼリアの中にはディートハルトに申し訳なく思う気持ちと、ディートハルトを愛しく想う気持ちが溢れてきていた。



 この気持ちをどう伝えればいいのだろう。



 信じていなくてごめんなさい?


 勝手に勘違いしていてごめんなさい?


 あの日記の内容は、ディートハルト様の本当のお言葉ですか?



「⋯⋯どうした?」


 ディートハルトが優しく頭を撫でて顔を覗き込んでくる。

 口数の多くない彼がしてくれる触れ方で、これが一番好きだった。まるで子どもをなだめているみたいだと思っていたけれど、今はそれが確かな愛情表現に感じた。


 嬉しくて、自然と顔がほころぶ。


「⋯⋯えへ」

「――――っ!」


 ぶわっとディートハルトの顔が赤くなったが、再びディートハルトの胸に抱きついたロゼリアは知らないだろう。



 ――――伝えたい言葉は決まった。



「ディートハルト様⋯⋯愛しています」



 固まってしまったディートハルトの胸に頭を擦り寄せる。


 ロゼリアは今日初めて、自分の気持ちを告げた。コリンナの代わりじゃない、自分の言葉で伝える偽りない気持ち。


「⋯⋯私もだ」


 いつも通りの口下手なディートハルトからの端的な返答。でも、不安に思うことはもうなかった。


「はい、嬉しいです。ディートハルト様」

「⋯⋯ハルト」

「え?」


 ロゼリアが聞き返すとディートハルトの眉間に皺が出来た。

 愛称で呼んでいいと言うことだろうか。そう思ったロゼリアはおずおずと「ハルト様⋯⋯?」と呼ぶ。


「⋯⋯」


 またディートハルトの眉間に皺が増えた。


「⋯⋯『様』も要らない」


 そんなことが許されるのだろうか。しかし、他でもないディートハルトの望みならばと、ロゼリアは口を開く。


「ハ、ハルト⋯⋯」


 ディートハルトの瞳が柔らかく細められる。

 今度はロゼリアが真っ赤になる番だった。


「⋯⋯リア」

「は、はい」

「今夜は早めに戻ってくる。⋯⋯覚悟しておけ」


 ディートハルトはいつもの無表情だったけれど、その目の中に僅かに熱を見つけたロゼリアは――――



「はい、お待ちしております」



 ――――天使のような柔らかな笑顔で微笑んだ。



 この日を境に、ディートハルトとロゼリアは交換日記をはじめ、口下手な二人の気持ちがすれ違うことはなくなったのだとか。





「イシス。私の嫁が可愛い。早く次の仕事を持ってこい」

「いえ、俺の嫁の方が可愛いです。しかし、早めに政務を終わらせるのは賛成です。ではこれをお願いします」



◇◆◇◆



お読みいただきありがとうございました!


イシス&コリンナ編も投稿しましたので、読んでいただけると嬉しいです。

広告の下にリンクを貼りましたので、よかったらそちらからどうぞ。



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イシス&コリンナ編「公爵令息をストーカーしている者ですわ」はこちらからどうぞ。
― 新着の感想 ―
[良い点] この話何度呼んでもいい話で、、、ストーカーシリーズ?最高です。
[一言] 尊死しました
[一言] ディーハルトがぶわっと赤くなったところがジブリ風の映像で頭に浮かんできてしばらく笑みが止まらなかった あぁ^〜
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