あとがき 勇敢なる騎士達に栄光あれ
あとがき 勇敢なる騎士達に栄光あれ
世界の歴史で残虐、虐殺事件のワースト10をリストアップするなら、中世欧州でのドイツ騎士団による“異教徒狩り”も、その一つとして挙げられるだろう。
ドイツ騎士団こと“ドイツ人の聖母マリア騎士修道会”は、欧州上げての十字軍活動の後、北の十字軍活動として、プールセン人を壊滅させ、ポーランドとリトアニアに侵攻し、数百年間、異教徒狩りを行った。
しかし、長年の騎士による不道徳行為による腐敗は進み、嘗ての力を失いつつある時期、ポーランドとリトアニアの大反抗にあう。
それが今回の題材である、ポーランド語でグルンヴァルトの戦い、ドイツ語でタンネンベルクの戦いである。
ちなみに、グルンヴァルトとタンネンベルクは、異なる街であり、お隣の街である。
この一戦で敗退したドイツ騎士団は、正に終わりの始まりであり、上級指揮官の身代金の支払いに苦労し、失った兵を傭兵で賄ったため、さらに財政が苦しくなり、最終的には国土を失うことになる。
ドイツ騎士団は、嘗ての輝きなく、見窄らしい姿をし、貴族から失笑を買うことになるのだが、国土を失っても、領地経営等で解散することなく、今も慈善活動団体として、救急活動で高い評価を受けている。
さて、このポーランドとリトアニア側にとっては、日本の関ヶ原の戦いのような位置づけともいえるグルンヴァルトの戦いは、今もこのグルンヴァルトの地で、“グルンヴァルトの戦い祭り”が7月に行われているのだ。
そして、この戦いで、ドイツ騎士団総長ユンゲンバルトが「臆病者」と挑発のため送った二本の剣は、ポーランド王室の宝物庫に保管される国の宝であり、国王戴冠式で使われている。
例えるなら、日本の三種の神器のような存在として、現在も管理され続けているという訳なのだ。
さあ、最後に言おう。
あぁ、勇敢なる東欧世界の騎士達に栄光あれ!
今も、その勇姿を語り継がんと。
短い間でしたが、読んで頂き、ありがとうございました。