《玖》
めくれ上がったアスファルトや、その下の地面がそこ彼処で隆起するシェルター内の中心。
《アスガル5》のリーダーである水使いの女は「隠レンボハモウ飽キ飽キ!」と大声を上げ、片手の人差し指を天高く掲げた。
その指先に、シェルター内の地面や空気中に漂泊する水が集まっていく。
最初ビー玉ほどだった水は、やがてボーリング球、バランスボール大、果ては直径にして三〇メートル台にまで膨張する。
「カラノ…」
次に女が、出来上がった水球を掌に乗せて五指を縮めていく。
それに従って今度は水球が見る見る縮小。
最初のビー玉サイズよりも更に小さな球となって、女の人差し指の上でゆっくりと回転しながら浮遊している。
「ネェ? 私ノ能力デ、水ガ超圧縮サレ続ケルト、ドウナルカシッテル?」
女が大声で周囲を見回すが返事は無い。
それでも女は、構わず話を続けた。
「水ッテノハネェ、高圧下デハ全然、沸騰シナクナルノ。深海デ吹キ出シテル熱水ナンカ300℃越エテルニモ拘ラズ、沸騰シテナインダカラネ? ソシテ相対的ニ『氷結点』、ツマリ凍ルノニ必要ナ温度ガ、ドンドン高クナル。ツマリコウヤッテ、ヤヤ遠巻キニ水ヲ冷スダケデ…」
指先の球を囲うように水が渦巻くと、球体の色が徐々に白っぽく変化。
驚いた事に、凍っているらしい。
「デハ、ココデ問題デース。コノ状態デ私ガ能力ヲ解除スルト、果タシテ何ガ起コルデショウカ? ‥答エハ、身ヲ持ッテ味ワイナサイネッ!」
女は手を指鉄砲の形にして、頭上からやや前方に凍った球を弾丸よろしく射出。
自身はフードを深く被り、自身の周囲を水壁で覆った。
そしてややあって、天井付近まで到達した球のかけられていた圧力が解除される。
次の瞬間、圧縮されていた氷が一気に膨張四散。
大量の『雹』が猛スピードで、それこそ土砂降りの如くシェルター内に降り注ぐ。
雹はアスファルトや瓦礫を次々と砕き、周囲に粉塵が立ち込める。
「ウーン、煙ガ邪魔ネェ」
女が指をパチンッと鳴らすと、雹は只の液体に戻り、今度は正真正銘の土砂降りが一気に土煙をかき消した。
「‥アラヤダ、相合傘ッテ奴? 見セ付ケテクレルワネェ?」
《【リフレクター】》を傘代わりにして並ぶ、ボロボロのイチローたちを見て、女は茶化しながら目を嫌みったらしく細めた。
しかしその手はしっかりと指鉄砲の形をキープしている。
「…やっぱりな」
たが、イチローに焦る様子は無い。
彼は腰に両手を上げて深呼吸すると《【リフレクター】》の傘から離れ、構えようともせずに女に歩み寄っていく。
最初、女は何かの作戦かと思い指鉄砲の指先をイチローに向けたが、敵意は無い事を示すイチローのホールドアップ姿に動揺する。
「チョ、チョット? ドウ言ウツモリ⁈ 貴方達『超人』デショウ⁈」
「その言葉、ソックリそのまま返します。コレはどういう事ッスか?、…ミズノ先輩?」
『ミズノ先輩』と呼ばれた女は暫し黙って考え込んだが、やがてフードを脱いで鉄マスクを外した。
やや釣り目の碧眼、肩の高さでピッチリ切りそろえられた明るい青髪。
女の正体は、なんとイチローたちの先輩。
捕らえられたと思われていた五年生の一人、水野 恵だったのだ。
水野は「あっちゃ~…」と気まずそうに声を漏らし、ポケットから取り出したヘアバンドで前髪をアップにする。
「気付いたのは何時?」
「違和感自体は何となく、ずーとあったんスよ。外でヒラガさんがヒカルに対して口走った『演習』って言葉もそうですし、連絡の途絶えた五年生三人に対して相手も三人。つまり単純に考えても一対一になります。その状況であの五年生が、新参者相手に負けるなんてありえますか? いや、ホントに負けたとしても、何の連絡もよこさないなんてありえます?」
イチローの指摘に、ミズノは「まぁ、無いわよねぇ」とあっけらかんとした調子で同調した。
『超人』たる者、何時如何なる状況下でも、常に連絡を取る方法は持ち合わせている。
まして五年生となれば、そういった装備は標準で身に着けている。
ジャミング等の電波障害があるならば、物理的な方法(たとえば狼煙や印)で連絡するなど、とにかく何かしらのアクションがあってしかるべきだ。
技術や実力に乏しいイチローたちの様な若手なら兎も角、少なくとも五年生三人全員が同時に、まったく連絡手段を失っているという設定は流石に無理がある。
「それともう一つ。コレはヒカルが気付いたことッスけど、ミズノ先輩たちが相手だとして《WERE RED ASGAR5》って組織名の意味を考えたら…」
「ちょっとイチロー、僕にも言わせて!」
ヒカルは《リフレクター》を解除すると、わざとらしく可愛らしい咳払いをしてみせる。
「この組織名って『アナグラム』ですよね?」
アナグラムとは、言葉遊びの一種だ。
単語ないし文中の文字を入れ替えて、全く別の文章を作る遊びだが、難解な手法から暗号文などにも用いられたりもする。
さて件の《WERE RED ASGAR5》という組織名には、A×2、D×1、E×3、G×1、R×3、S×1、W×1。
以上、七種類の文字プラス数字の5が一つで成り立っている。
これらの文字を入れ替えると、現れる言葉は何だろうか?
答えは《WE ARE 5 GRADERS》
つまり始めから『我々は五年生だ』と公言していたのだ。
二人の推理に水野は「お見事!」と拍手。
「そこまでバレちゃってんなら、隠してても仕方が無いわねぇ。そうよ、この事件は最初から最後まで、貴方達二年生の授業の一環。あたし達五年生チーム扮する『脅威』に対して、格下の二年生選抜チームが如何に的確な行動で制圧、勝利するかを見られていたの。ちなみにコレまでの戦闘は全部中継されてて、災害避難所として解放されてる学園の講堂でパブリックビューイングされてるわよ」
「えぇ! そんな事ならもっと可愛い服にするんだった…。でも、何でまたそんな事を?」
ヒカルの疑問にミズノは「自分の大して無い胸に聞いてみなさいな」と答える。
ヒカルはムッとして言い返そうとしたが、自分の慎ましい胸部と、ミズノの服の上からでも解るふくらみとの差に、勝手に意気消沈した。
女性がバストサイズで優劣をつけるというのをイチローは聞いた事があるが、男であるイチローから言わせて貰えば、サイズはさして問題ではない。
デカいに越した事はないが、小さければそれもまた良し。
「ちょっとイチロー? 顔が緩んでるけど何考えてるのさ…」
「やーねー、声は聞こえないにしても中継されてるってのに。これだから男子は…」
女性陣二人からの軽蔑を含んだ目に、イチローは邪な嗜好を咳払いと共に誤魔化し、話題を本題に戻した。
「やっぱ最近、俺たちがダラけてるからッスか?」
「あら、自覚はあるのねぇ? まぁ何も二年生に限った話ではないけれど、確かに平和ボケして緩み気味だった『超人』に喝を入れるには、より実戦を想定した訓練が必要だったわ。かと言って『訓練だ』って意識すると、どうしても遠慮や手心が加わっちゃう物よ。本気でやらなきゃ、訓練にならないからねぇ」
「…えぇーと…、その理論だと先輩達、手加減してくれてたんですか?」
ヒカルがおずおずと手を上げて訊くと、ミズノは「モチのロンよ」と言ってパーカーの前ボタンを開けた。
彼女が着ていたのは、トレーニングなどに用いられる重りが詰まった加重ベスト。
しかもそれを二枚重ね着していた。
そもそも、二人を同時に相手にしている時点で十分ハンデだ。
にも拘らず平然と、しかも優勢だったミズノの実力に、イチローたちは怖気を禁じえない。
『……ミズノ、バレた様だな』
不意に、イチローが耳に付けていたインカムに、オニガミからの通信が入る。
ミズノやヒカルも耳元を押さえているので、どうやら全チャンネルに一斉通信されているようだ。
なにやらオニガミの背後が騒がしく、音の響き、大きさからしてセンターの管制室では無いようだ。
『天元院とカミヤのチームは既に結果が出ている』
「お、結果は?」
ミズノがワクワクした様子で訊ねると、オニガミは『オルガブルもソンも負けた』とミズノと同じように敵に扮していた五年生二人の敗北を端的に伝えた。
ハンデありとは言え、仲間の大金星にイチローとヒカルは顔を見合わせて微笑む。
『お前達も早く決着を付けろ。講堂のスクリーンに噛り付いている子供達が退屈して騒いでいるぞ?』
オニガミが黙ると、遠くの方で「がんばれー!」とか「つまんなーい」といった幼い声が聞こえてくる。
オニガミの背後で聞こえていたのは、避難してきた民間人、特に子供たちの声や活動音だった。
閉鎖空間である避難所での時間はどうしても退屈で窮屈な物だ。
かと言って地上波のテレビ番組を流した所で、災害の特番尽くしで余計に不安を感じてしまうかも知れない。
今回の演習をパブリックビューイングにした最大の理由は『超人』の活躍を見ている間くらいは、希望に満ちた感情で居て貰おうという理事長の計らいだった。
何より『小さなお友達』はニュースよりもヒーローショーが大好きだ。
ダラダラと話しているイチローたちを囃し立てるのも無理は無い。
「やれやれ…。応援されたからには、やるっきゃないッスね」
「そうねぇ。お互い、手の内はある程度知ってる仲な訳だし…。ココからは少しガチで良いかしらね?」
そう言うとミズノはベストを脱ぎ捨てると、両手をワキワキさせながら後ずさる。
鉄マスクを付け直した彼女の背後から、夥しい量の水滴が浮き上がった。
「えー、手加減して下さいよー」
と言って苦笑するヒカル。
しかしその内心、今の実力を試したいという思いが沸々と湧いていた。
それはイチローも同じ。
社会で最も広く活躍しているのは、五年生クラスと同等の実力を持つ『超人』だ。
即ち彼ら(彼女ら)は『超人』としての強さの基準である。
「ばーか、私は『敵』よ? 悪党が加減なんかしてくれる訳…、無いでしょ‼!」
ある程度間合いが開いたところで、ミズノが素早く両手を突き出した。
途端、水滴は大量の弾丸となって一斉にイチローたち向かっていく。
「強度四〇%⁉」
ヒカルは素早く《【リフレクター】》をタタミほどの大きさに展開。
目の前に迫った水弾丸を跳ね返しつつ、ミズノとの間合いをつめて行く。
「こっちも加減しないッスよ!」
イチローはヒカルの背後から飛び出すと、内側から《【リフレクター】》を殴り付ける。
先刻、タラップの上でイチローたちが押し出された方法と同じように、キャパシティ以上の衝撃に反射性を失った《【リフレクター】》は頑丈な『大板』となってミズノの方に飛んで行く。
「ヒカル!」
「解ってるよ!」
ヒカルが突き出していた掌を右に捻ると、飛んで行く《【リフレクター】》も右回転。
より広範囲の障害物で、回避を難しくさせる。
「コンビ技とは、更に腕を上げたわねぇ! 発想も面白いじゃない ‥でも!」
水のマシンガンが止まったかと思うと、ミズノが手を握りながり腕を引く。
「グハッ⁈」
「ウギャッ⁈」
直後、イチローたちは背後から飛んできた水の塊に弾かれ、二人揃って顔面から地面に転がった。
「ヒカルちゃん! 相手が一人だからって、前ばっかり見てちゃあ駄目よ! あたしみたいな『操作系能力者』なら、相手の死角を突くなんて雑作も無いんだからねぇ! 常に周囲を警戒しなさい!」
「イタタタ…、ご忠告どうも!」
「じゃあ、俺の弱点は何スかねぇ⁈」
イチローは這うように立ち上がって走ると、ミズノを間合いに捉えてアッパーカットを仕掛ける。
しかしミズノは最小限の後退でそれを回避、そればかりか地面にあえて寝転がると、ブレイクダンスのような動きでイチローの顎を蹴り上げた。
縦方向の強烈な一撃に、イチローの意識が一瞬飛ぶ。
「貴方の弱点は攻撃が単発で、接近技しか持ち合わせていない所。しかも狙いが大雑把で無駄打ちが多すぎ」
実はシェルター内がこんなには荒れ果てているのは、イチローが主な原因だ。
ミズノの素早いステップを捉えられなかったイチローのパンチは空振りの連続。
《最強の矛》である彼のパンチは地面に当たると瓦礫や隆起を大量生産させ、ドンドン足場を悪くしてしまった。
ベストを脱いだ今のミズノは、先程以上に動きが良くなっているため、ただパンチを打ち込むだけでは埒が明かないばかりか体力の無駄だ。
「となれば、何をすべきか…。解るでしょ⁈」
ミズノは水柱で、イチローをヒカルの元へと吹っ飛ばす。
そしてそのままヒカルを巻き込み、二人をシェルター壁面へと叩き付けた。
これでもまだ本気でないと言うのだから恐れ入る。
「ほら『超人』でしょ! 『敵』の勝利が締めで良いの⁈」
壁際で転がるイチローたちに、更なる攻撃を仕掛けようと両腕を広げて走ってくるミズノ。
インカムの向こうで、子供達の悲痛な叫びが上がる。
「イチロー!」
「‥あぁ、アレ試すぞ‼」
二人はお互いに見合って勢い良く立ち上がると、向かってくるミズノを見据える。
「サイズ極小、強度八〇%。数は、…ありったけ‼」
イチローの目の前に現れたかなり分厚い《『リフレクター』》。
だがその表面には、細かくサイの目状に切れ込みが入っている。
イチローは体勢を低くしながら歯を食いしばり、腰元で両腕を引き絞る。
しかしミズノはシェルターの中心、イチローがココからパンチを打った所で届く訳がない。
「ミズノ先輩…。悪いッスけど、技パクります!」
イチローは右腕で《『リフレクター』》を殴る。
すると《『リフレクター』》が切れ込みにそって、バラバラの立方体に分解。
ミズノの水弾丸よろしく大量の弾丸となって飛んでいった。
しかも水とは違って角も多く硬い。
当たれば大ダメージだ。
「そう、近距離が駄目なら遠距離技を積極的に使いなさい! ただし、遠距離は相手に防御の時間を与えるわよ!」
ミズノは攻撃用に集めた水を全て壁に変更。
弾丸は分厚い水壁に阻まれ一瞬で無効化されてしまった。
「「まだまだーッ‼」」
「ッ⁈」
二人の声と『ガツンッ』という打撃音にミズノはハッとする。
ヒカルは先ほどと同じ条件の《『リフレクター』》を作り続け、イチローはそれを無我夢中で殴り続ける。
一向に途切れない弾丸の雨を受け止め続ける壁が、その形を徐々にだが歪に変えていく。
実はミズノの水壁は、あまり長い時間維持する事は出来ない。
持続時間のベストタイムは一分弱、しかも時間経過と共に水の粘性が減り勢いを殺しきれなくなる。
イチローのパンチなど、瞬間的な攻撃の防御には高い効果を発するが、継続的な攻撃にはめっぽう弱い。
勿論ミズノは、その事実をイチローたちには伝えていない。
イチローたちがこの短時間で、自ら探り当てたのだ。
「クゥッ⁈」
水壁を通過した弾丸が目の近くを掠めたので、カミヤは反射的に目をつむって二歩、三歩と後ずさる。
「‥うぁっと⁈」
ミズノが足を下ろしてしまった場所は、ちょうどイチローのパンチによって出来たクレーター穴。
彼女はバランスを崩して尻餅をつく。
「ぜりゃあああー‼」
当然イチローがそのチャンスを逃す訳もない。
飛行能力で瓦礫や穴に足を取られることなく真っ直ぐミズノに飛び付くと、両膝で彼女の腕を踏む形で固定し、更に首には左手で喉輪を決めて動きを封じる。
「…手加減してよね?」
「善処します!」
ミズノの鉄マスクめがけて、イチローは拳を振り下ろした。
ミズノの気絶した映像がアップで映し出されると、映像を見ていた子供達が飛んだり跳ねたりと狂喜乱舞する。
「状況終了」というオニガミの呟きが、今日の授業の終了を知らせるチャイム替わりとなった。